【011】少尉、忠告する
白く塗られた平垣に囲まれている、煉瓦造りの小洒落た家で二階建て。お手伝いさんもまあまあいる。
獅子が輪をくわえているデザインのドアノッカーを叩くと――扉が開き、膝丈半ズボンにストッキング姿の従僕が出迎えてくれた。
「お待ちしておりました」
なかなかに容貌のいい従僕――商売が上手く行っている証拠だ。
なにせ従僕はコストが高い。見目の良い従僕はさらにコストが掛かるものだからな。
良かった良かった。
中産階級の家としては充分な広さのパーティールームに通された。
「ブルーノさま。イヴ・クローヴィス殿をお連れいたしました」
会場には、まあまあ見知った人がいた。
本当に内輪のパーティーのようだ。
「イヴ……その傷」
「久しぶり、ブルーノ」
ブルーノは仕立てのよい、うす焦げ茶色のスーツを着ていた。
七三分けの髪型が、なんか商会の跡取りとして背伸びしている……あれ、がちで背伸びしてないか?
おまっ! その靴、踵浅すぎ……シークレットシューズじゃないか! 笑わせんな!
「弾が掠っただけだ。コンラッドおじさん、お久しぶりです」
「いやあ、イヴ。立派になって」
ブルーノの父親にも頭を下げ、遅れてやってきた父親と継母、そして義理の弟と異母妹にも声を掛ける。
みんな右額の傷に釘付け。
家族だけじゃなくて、会場にいる人たちも。
女の顔に治りかけの銃創って、目立つんだな。
「あの……イヴ、傷を見せてくれないか」
ブルーノに言われ、少しばかり屈む。
昔のブルーノなら「デカブツ」と叫んで、決して傷など見ようとはしなかっただろう。そして当時のわたしのままなら「頭頂部、薄っ!」と叫んだことだろう。お互い成長したね。
「これって」
「銃創だ」
「あのさ、いいクリームがあるんだ」
「いいクリーム?」
「ちょっと待っててくれ」
ブルーノは言い残し会場を出ていった。
いいクリームなあ……傷はどうにもならんと思うよ。
その気持ちは嬉しいけれど。
クリームチーズが塗られ、スモークサーモンを乗せ、ケイパーとディルを散らしたバゲットと、ワインを手に取る。
ここで食べるつもりで、昼を抜いてきたから、腹が減っているのだ。
「イヴ」
「久しぶり継母」
「綺麗な顔に、こんな傷が。だから軍人なんかなっちゃ駄目って、かあさん言ったのよ」
継母が目元の笑い皺が台無しになる、涙を浮かべた瞳でわたしの傷へと手を伸ばす。
シンデレラの継母などとは違い、継母は優しく、本当の母親のような人だ。
もちろん実の母も良い人だったよ。わたしが七つの時に風邪をこじらせて亡くなったが。
「義理姉さん、この前見かけたよ」
「どこで」
「俺の仕事、駅員だよ。義理姉さんが乗ってた車両が到着したとき、駅のホームにいたんだよ」
「ああ」
「整備士が顔に大きなガーゼを張った、目立つ男がいるって指さしたんだ。見たら義理姉さんで、思わず笑っちゃった」
その整備士、陸軍司令本部の裏まで、ちょっと顔貸せ。
「俺の義理姉さんだよって言ったら、みんな驚いてさ。血はつながってないって言ったら、全員納得しやがった。酷いよな」
義理弟は継母の連れ子。
弟と言っているが、一ヶ月違いの同い年。
黒の巻き毛に太い眉で肌は浅黒い。顔だちからなにからなにまで、完全に赤の他人。もちろん大事な弟だけどさ。
「男と言われたわたしに比べたら、酷くないだろ」
「整備士は、ちっちゃくてふわふわしてるのだけが、女だと思ってるからな。見る目ないんだよ」
それは男として、わりと普通のことだと思うが。
「姉ちゃん見て。姉ちゃんに会うの久しぶりだから、おめかししてきたの」
可愛らしいモスグリーンのワンピースを着ている十三歳年下の異母妹が、くるりと回る。
「とても似合ってるよ。髪飾りも可愛いな」
「でしょ?」
「まあ! なんて格好なの!?」
半年ぶりに会った家族と楽しく会話していたら、非難がましい大声に水を差された。
誰だと声のほうに視線を向けると、夜会じゃねえんだよ! 夜会の格好でもねえけどさ! と言いたくなるような格好の、恰幅良すぎる婦人がいた。
「マデリン、いきなりなんだ」
コンラッドおじさんが咎めるが、マデリンと呼ばれた中年女性は、わたしのところへ、どすどすと近づいてきた。
「お見合いだというのに、なんて格好なの!」
いやいや、昼のパーティーにノースリーブで背中の開いているドレス着ている人に、格好について言われたくないわ。ネックレスもそれ、夜会用だろ。
ちなみにわたしの格好は軍服。
軍人なんてみんな、見合いの席では軍服着用してるよ。女のほうが着用しているのは、珍しいかもしれないけれど。
「わたしが若いころは、前日から肌を磨き上げていたものよ」
昨日風呂に入ったから許せよ。
「それにその髪型はなに? 汚らしい傷ね! そんな傷者のくせに、よく見合いを受けたわね! まあ、本当に汚らしいわ! ねえ、そう思うでしょ、アビゲイル」
わたしも、こんな出席者がいるのなら、ちょっと来るの考えたなあ。……来たとは思うけど。
同意を求められたアビゲイルが追従する。
うん、基礎学校時代からお前はそういうヤツだったな。
えっと、このふくよかおばさん、お前の知り合いなのか?
「煩い! おばさん!」
戻ってきたブルーノが、大声を張り上げた。
「ブルーノ! わたしはあなたのことを思って……」
だるんだるんしてる顎の肉が……掴んでみたい。そんなことしたら、怒りだすだろうが。
「煩い! 黙ってろ! 帰れ! 借金の返済で首が回らないから、金を貸してくれと頼みに来た分際で、我が家の客人を罵倒するとは! 帰れ! アビゲイル、お前もだ! お前なんか、招待してないぞ!」
ブルーノの怒鳴り声に、婦人はぷるぷると震えている。
金の無心にきてたのか……。
そしてアビゲイル、招待されてないのに来て飯食って酒飲んでたのか。
「イヴ、済まない」
「まったく気にしてない」
「みなさま、気にせずご歓談を。マデリン、ちょっと来い」
「コンラッド! 息子の躾がなってないわ! なんなの!」
コンラッドおじさんが、ブレスレットが埋まっているふとましいマデリンの腕を掴み、会場の外へとつれだした。アビゲイルも顔を真っ赤にして出て行く。
「あの人は誰?」
「父さんの叔父さんの息子の嫁のマデリン」
赤の他人枠にぶち込んでいい続柄だな。
「ご免なさいね、イヴ」
「お気になさらずに、アリシアおばさん」
わたしを必死に見上げているアリシアおばさん。ブルーノの母親らしく、背はとても低い。
「イヴ、これを」
ブルーノが差し出したのは、乙女心をくすぐる、ピンククオーツ色をした小さな円形の容れ物。
「ああ! それ、アールグレーンの新作クリームだ」
異母妹がそれ欲しい! という感情を隠さず叫ぶ。乙女が好きそうだよね。姉さんも好きだよ、こういうの。似合わないかもしれないけどさ。……でも、アールグレーンって言ったね、我が異母妹よ。
「アールグレーン商会の商品?」
「そうだよ。その薔薇クリーム、大人気で手に入らないって評判なのに。ブルーノ、どうやって手に入れたの?」
十歳でも女の子は女だからねえ。
「業務提携の際、お近づきにって。異母妹も欲しいのなら、手に入れてくるよ」
「欲しい!」
ブルーノ、おまっ! アールグレーン商会って、攻略対象財務長官の息子アルバンタインの婚約者の実家だ。
アルバンタインルートじゃないから、アールグレーン商会の罪が明らかにならないかも知れないが、危険なことに手を染めているのは確実。
そんな所と付き合うな!
幼馴染みが没落しかけてる。これは……教えなくては。無視するなんて選択肢はない。




