【106】隊長、信用があることを知る
あっ! そうだ。
郵便配達人が来てから用意するなんてこと……そうだよ、確実に送り返したいのなら教会に預けておくべきだ。
でもベッキーさんは、送り返すつもりだった写真を、家に置きっ放しだった。
それも剥き出しのまま。手紙は封筒に入れて送ることは知っていたから、あのままにしているのはおかしい。
「ああ、そうだキース。ところでキース、他になにか気付かぬか」
「まだあるのですか?」
「あるから聞いているのだ」
ですよね。
その場にいて、なにも気付かなかったわたし……。
「主席宰相閣下ではないので、無理ですな」
「そうか。ではわたしが説明を引き継ごう。クローヴィス大尉はレベッカ・サーリヤルヴィに、宛先を求めた際”住所……ああ、封筒の裏に書かれてるあれね”と証言したと報告を受けたが、なぜ文字が読めぬレベッカ・サーリヤルヴィが、封筒の裏に、差出人住所が書かれていることを知っているのだ?」
会議室に衝撃が走った。
閣下が仰る通り、手紙は書き方を習わないと、何処に何が書かれているのか分からない。学校には手紙を書くという授業があるくらいだ。
なにせこの時代、手紙は大事な通信手段。
書き方を覚えていないと色々と困る ―― 識字者にとっては。
わたしを含めて、この場にいる人間のほとんどは学校に通って、読み書きを習っているので、手紙の書き方を知っているが、文字を書けない人間に関して詳しくないが、おそらく分からないことは予想できる。
なにより文字が読めず手紙を書けないベッキーさんにとって、封筒は裏も表もないのに、裏に書かれていると知っていた。
「神父が教えたのでは?」
「なぜわざわざ神父がレベッカ・サーリヤルヴィに教えるのだ? オットーフィレン」
「それは……神父ですので、文字を教える一環として」
「残念ながらレベッカ・サーリヤルヴィは覚えていないぞ」
「ですな」
教会で代書してもらうと言っていたが、口頭で述べたものを、まとめてもらうところまでしか見ていないはずだ。
封筒に入れるところまで確認する筈がない。
だってそんなところ、確認する必要ないんだから。
「クローヴィス大尉」
「はい、リリエンタール閣下」
「大尉はレベッカ・サーリヤルヴィから郵便料金を受け取ってはいなかったな」
「はい」
「理由は」
「依頼を受けた時点で、セシリア・プルックが死亡しているのを知っていたからです」
「ふむ。レベッカ・サーリヤルヴィは郵便料金を手渡そうとしたか?」
「いいえ」
あの時は死亡したセシリアのことと、行方不明になった子供たちのことに注意が向いていたので、特に気に留めることはなかったんだが……閣下直々に尋ねるってことは、意味があるんですよね。
「善良な農婦が軍人をただ働きさせると思うか?」
「それは……無知ゆえと判断いたしました」
写真をそのままで「出してください」と頼んでくるくらいだから、知らないんじゃないかなと思ったんですよ。済みません……。
「レベッカ・サーリヤルヴィは無知だ。故に行動から彼女がいかに過ごしていたかがすぐにわかる。旧知から手紙を貰い、教会で代書してもらい返信していた。そのうち郵便配達人が直接やってきて、代書してくれることもあるようになった。本来であれば分からぬはずの、封筒の裏表も郵便配達人が教えてくれたのであろう。善良だがあまり裕福ではない農婦、だがしっかりと旧知に返信をしている。彼女は一体どこから郵便料金を捻出したのであろうか?」
ヒースコート准将が手を打った。
「女記者は返信用封筒を同封していたのですな?」
「そうだ。もちろん便箋も同封していた。フランシスにレベッカ・サーリヤルヴィの手元にある手紙を探らせたところ、どの封筒も残っている便箋の重さ以上の切手が貼られていたことが分かった」
いつの間に人を派遣していらっしゃったのですか!
「ああ、そういうことですか。善良なるご婦人は、自分で封筒や便箋、切手などを用意するということを、ご存じなかった」
なんでわたし、封筒とか便箋を自分で購入していると思ったんだろう! あの村の雑貨屋にはそれらはなかった! 住所がない場所だもん、レターセット買って手紙書く人いないよな。
男爵家と教会は自前で用意するだろうしさ。
「少しばかり話が飛ぶのだが、プルックは海軍中将であったプリンシラと交流があったのにも関わらず、海軍本部にて殺害されてしまった。なぜプルックはプリンシラに助けを求めなかったのであろうか? プリンシラよ、お前は助けを求められたならば助けたであろう?」
「はい、リリエンタール閣下。助けましたし、あの当時のわたしでしたら、助けることも可能だったはずです」
「ふむ。お前は素直で正義感の強い男だからな」
「それに関しては同意いたします」
閣下にヒースコート准将が声に出して同意し、その他円卓についている皆さんは無言で同意したように見えた。
「レベッカ・サーリヤルヴィはフランシスの調査によって、我々が守るべき善良な農婦であることは判明しているが、はて、セシリア・プルックはどうかな?」
「え……」
スタルッカの驚いた表情……もちろんわたしも驚いた。
セシリア・プルックが善良かそうではないか? いや『我々ロスカネフ王国が守るべき善良な市民』であるかどうかだな。そう問われると答えられない。
悲惨な死を遂げた女記者 ――
「たしかに情報局局長直々に問題なしと証明されているクローヴィスと、善良な農婦のやり取りのみが正しいとして考えると、奇妙なところはいくつかありますな」
キース中将、閣下のお話についていけてる!
当事者のわたしはまったく分からなくて、そろそろ思考面において職場放棄したいところなんですが。
「ノア・オルソンといったな」
「はい、キース中将閣下」
「お前はセシリア・プルックについてどれだけ知っている?」
「は? ……普通の同僚として、くらいですが」
「そうか」
オルソンは脂汗を浮かべてます。心配するなオルソン。ここで冤罪などという間違いは起きない。お前が悪いことしていたら、どうやっても言い逃れできずに終わるが。
「プルックとサーリヤルヴィは二歳違い」
「善良な農婦が二歳年下とクローヴィス大尉が証言いたしましたな」
「そうだな、イェルム。善良な農婦は読み書きはできず、プルックは首都にて出版社に務め記事を書き、伯爵家の海軍中将にまで近づき、様々な情報を提供している」
「……」
「故プルックの証言によると、十歳までは教育機関に該当するような施設など、なにもないフロゲッセル領にいた。皆がそうとは言わぬが、十歳まで一切文字を学ばずに生きてきた娘が、首都で記者などできるものかな? ノア・オルソン、本を皆に配れ」
閣下の命によりノア・オルソンが栞を挟んだ本を数冊持ってきた。
護衛が受け取り栞のページを開き、閣下方の前に置く。
「クローヴィス」
目を通し終えたキース中将が本を貸してくれたので、わたしも読んだが、タウン情報誌みたいなもので、セシリアが書いた記事は修道院の料理比較だった。
……さすがにわたしでも、違和感を捉えることができた。
文章がおかしい。この文章は大学を卒業していなければ、書くことができないクラスのものだ。
学歴によって書ける文章の差がかなり激しい時代なので、文章を読むことで書き手の学歴は大体分かる。もちろん独学で素晴らしい文章を書ける人もいるのだろうが、それは稀だ。セシリアがその稀の部類……なのか?
「皆も気付いたであろうが、その記事は高等教育を受けた人間以外は書くことはできない。さらに文章中にルース語を母国語として育った者特有の言い回しがある」
閣下は背もたれに体を預け、足を組み直し目を閉じられた。
円卓についていた皆さまは、各々に配られた本を手に陛下の元へと集い、記事を並べて読む。
「間違いないのか? ヒースコート」
「特にこの辺りは、ルース語を母国語とする者が好む言い回しですな」
陛下に問われ、ルース帝国の士官学校を卒業しているヒースコート准将が文章を指さし答える ―― ヒースコート准将は亡きルース帝国の名門士官学校を卒業している。
地続き国家あるあるで、自分の国の士官学校より、国境越えた先の士官学校のほうが近かったりする場合、そちらに通うのは珍しいことじゃない。
さらに言えば亡きルースの名門士官学校は、うちの国唯一の士官学校より…………レベル高い。ああ、認めるさ!
人口の関係で士官学校が一つしかない我が国より、士官学校が二十もあって競い合っていたルース帝国のほうがレベル高いのは仕方ないことなんだよ!
更にルースは多民族国家なので、ぱっと見では同じ国の人間かどうか分からないこともあり、ヒースコート准将はひょうひょうと学校生活を送ったらしいよ。
ちなみにヒースコート准将はまったくルースと国境を接していない、海側の領地持ちの貴族だけどね! 我が国の士官学校のほうが、自宅からは近いのだが、聞いた話によると、その頃ヒースコート准将は実家と折り合いが悪くて、無一文で家出して、ルース帝国の名門士官学校に入学して生活したんだそうだ。
頭良くて逞しくてモテる男って、どこでも生きていけるんだなーと思いました。




