【102】隊長、正直に打ち明ける
ロスカネフ王国を裏から支えて続けてきた旧諜報部のトップは違うわー。
「あの、その……はい……そうです」
否定するだけ無駄ってもんだ。
「フランシスがそのように言ったので、それを信用し大尉の副官に任じたのだが、不安になってな」
「不安ですか?」
「フランシスの見立てに間違いない。それは知っているのだが、この件だけは信用しきれなくてな。だから大尉とウィルバシー・スタルッカを呼び、この目で確かめることにした」
「……」
「いつもはフランシスのことは信じているが、本当に今回だけはまったく信用できなかった。やはり自分が愛する女の側に置く者は、自分の目でしっかりと確かめなくては安心できない」
「閣下のお見立ては?」
「大尉はウィルバシー・スタルッカを苦手としている。それも好意に転じぬ”嫌い”だ」
ここまで気付かれているのなら、はっきりと取り繕わずに言葉で伝えるべきだろう。
「正解です。正直に申しますと、わたしはスタルッカ軍曹の声が生理的に苦手なのです」
本人は嫌いじゃな……奥さんいるのに年齢詐称疑惑と浮気するような男なので好きではありませんが、それは私生活なので我慢…………まあ当時は貴族だったのでそれもありとして、ぐっと飲み込みます! でも浮気性は嫌いです!
「声か……仕事をする上で差し支えは?」
「ありません。スタルッカ軍曹本人には、なんの落ち度もありませんし、優秀であります」
優秀ですとか評価してるけど、実際はスタルッカのほうが、ずっとスペック高いからね……浮気者だけど! 浮気者ですけど! 浮気者だけどさ!
「そうか」
スタルッカ関連の話はそれで終わり、あとは最近どのように過ごしているか? について、菓子と共に語り合った。
山も落ちもないような、取り留めない話ばかりだが、話せば閣下は笑って下さるし、閣下の話を聞くのも楽しい。
家族との団らんに似ているけれど、どこか違う不思議な感じだ。
「閣下、お時間です」
会話を楽しみ二時間ほど ―― 廊下側のドアがノックされ、刻限を告げられた。
「もうそのような時間か。大尉と話をしていると、時が過ぎるのが早いな」
「わたしもです、閣下」
名残惜しいですねとキスをし閣下をお見送りしてから、クッションを抱きしめソファーで身もだえる。キスくらい色々な人としていますけれど、閣下とのキスは軽いものでもなんか照れるんだよ!
「……」
個人的には一時間くらい身もだえしていられるが、仕事があるので戻らなくては。深呼吸して気持ちを落ち着かせ、スタルッカ軍曹を迎えにいく。
スタルッカ軍曹のいる部屋のドアを軽くノックして開ける。
返事がないのに開けるの? ええ、なにせわたしは上官ですので。部下の許可など必要ありませんので。どこの社会でも必要ないと思いますけどね。
スタルッカ軍曹は上着を、ソファーの背もたれにかけて眠っていた。
料理 ―― ステーキやクロワッサンなど、みごとに完食してる。
久しぶりの慣れた食事、良かったなあ。
貴族といったら白くてふわふわしたパンが主食だろうに、現在は黒パン一筋。いや黒パンも悪くないですよ。
わたしは大好きですけれど、食べ慣れていない人に「美味いよな!」と強要する味でもない。
修道院に寝泊まりしているスタルッカは朝晩はそこで取っているのだろうが、生まれた時から美食三昧だった、驕った舌にはさぞ苦しかろう。もちろん当人の責任じゃないんだけどさ。
むしろ金持ち伯爵家の嫡男が黒パン食って育ちましたって、栄養面はともかく虐待にしか思えないし、勝手にライ麦食わないで欲しい。庶民の食糧ライ麦食べるとか困る。貴族は小麦食ってりゃあいいんですよ!
庶民食が貴族階級で流行ったら、庶民の麦の値が高騰してしまう! ……それはいいとして、修道院は巡礼者の宿をも兼ねているので、街の宿の十分の一ほどの金額で、寝泊まりできて食事も取ることができる。
このとき出される食事は、成人男性の握り拳くらいの大きさの黒パン、ワイン若しくはビール一杯。
さすが修道院、良心的過ぎる金額である。
もちろん修道院ではウィンナーやベーコン、バターや焼き菓子などを作っているが、それらはバザーで外貨を稼ぐもの。
貧乏巡礼客ではない人たちの食事として出され ―― もちろん料金をいただく。
取れるところから取り、取れないところからは取らない。当たり前のことだけどね!
スタルッカ軍曹は貧乏な部類なので、追加食事代は払えず、日々の宿泊代に付いてくる黒パンセットオンリー。
心中で「ボイスOFF」叫びながら、時間を取り近況を聞いているのだが、宿泊代の他に洗濯代も支払い生活はかつかつなのだそうだ。
当初は自分で洗濯をしたらしいのだが、貴族のぼんぼん初めての手洗い ―― 汚れなど落ちるはずもなかった。軍服に石鹸が残っているのに汚れが落ちておらず、生乾きで匂って散々。そこで寄付をし修道士に洗濯を依頼しているのだそうだ。もちろん洗濯を外注するよりは、余程安いけれどね。
この修道院だが、定宿にする人はいない。
巡礼者でなければ余程ではないかぎり泊めてくれないのもあるが、宿泊中は修道士と同じ生活を送る必要がある。朝早く起きて二時間祈りを捧げ……という生活な。
修道士は時間の区切りが一般社会と違い、わたしたちにとって二時間で一区切り。その区切りで行動するので、お祈りの時間がめちゃくちゃ長い。
それ以外にも奉仕とか中世レベルの道具で農作業とか掃除とか……修道士の生活って普通の人には無理だし、できたら修道士になるべき! という厳しい生活。
一日二日なら頑張れるだろうが、長居できるような環境じゃない。
お祈りや奉仕に関しては、閣下が特別の配慮をしてくださり免除となっているそうだ ―― さすが教皇庁にも影響力をお持ちの閣下。凄いわー。
あとは清貧を旨としているので寝床は板。
うん。板張りの寝台にマットもなければ、布一枚もなくそのまま。
貴族だった青年には厳しい環境だろうなあ。
ソファーで爆睡しているスタルッカ軍曹をもう少し寝かせてやりたい気持ちはあるが、色々と予定があるので。
「スタルッカ軍曹」
「……申し訳ございません! 隊長」
目を開き焦点があうと飛び起きた。そこまでいきなり起きなくてもいい。上着を足で蹴り飛ばしちゃったじゃないか。
落ちた上着を拾い上げると、軍曹服にこれ? と言いたくなるような、光沢ある銀の絹糸により刺された飾り文字で、スタルッカの名前が縫い付けられているのが見えた。
軍服の内側なので今まで知らなかったが。
「凄い刺繍だな」
貴族の所持品、もしくは将官の軍服ならこの刺繍もアリだろうが、軍曹の軍服にこれは凄い。
「妻が」
「奥方が?」
軍服を受け取ったスタルッカは、刺繍を親指でなぞる。その表情は愛おしげだ。
「妻が最後に折れて離婚となりましたが、その条件の一つに、あらたな軍服に名前を刺繍させて欲しいというものがありまして」
それ、奥さまの刺繍だったのか。そりゃあ貴族の所持品刺繍になるよな。
「そうか」
「……こんな刺繍を刺した軍曹の制服を着用しているのは、小官だけでしょう」
「そうだろうな」
アレリード軍曹の「A」を糸三本だけで表現していた、棒人間刺繍のほうが目立たんだろうよ。
「本当にわたしも妻も世間知らずでした。これがおかしいなんて、思わなかったんです。ほんと、世間知らずです……小官も妻も」
スタルッカの目は潤み、いまにも泣き出しそうだった。
攻略対象可愛いわんこ系なら泣いても許されるだろうが、
「スタルッカ軍曹。職務中に泣くな」
お前はもう可愛い系攻略対象じゃない。可愛い顔に似合わぬ角刈りをした軍曹だ。
「……申し訳ございません、隊長」
「男が人目を憚らずに泣いていいのは、財布をなくしたときだけだ。そして財布を紛失したらわたしに言え。少しは用立ててやる」
財布紛失はギャグか落語の類いなんだが、それ以外の真面目というか当たり前の項目は、親が死んだ時とか、最愛の人が死んだ時、あるいは娘が結婚した時など、いまのスタルッカには言えない状況ばかり。
「ははは……はい、隊長」
無理矢理笑顔を作りスタルッカが答えた。
「行くぞ」
それでいい、スタルッカ。
泣くのは自由だ。だが職場では泣くな。生理的に無理な声で更に泣き声とか、わたしの精神が削れる。
精神崩壊しちゃうわ!
いいか! 泣くなスタルッカ! 本当はお前の笑い声だって嫌なんだ。だが泣き声と笑い声なら後者のほうがマシだ!
わたしだって耐えてるんだ! だから泣くな! ボイスOFF!
そして刺繍を指でなぞっていた時の態度からすると、奥さまのこと好きだよね? きっと今でも好きだよね。
好きなのにどうして浮気したの? 妻は妻、浮気相手は浮気相手だから違うとかいうタイプなの? 妻を大事にしすぎて浮気とかいう、常人にはまったく同意できない思考回路の持ち主なの?
小一時間、問い詰めたい気もするが、声を聞きたくないので聞かない。筆談だったらいけるかもしれないが、それ問い詰めた感ないしね。




