【010】少尉、見合いをする
翌日、任務を無事終えましたと、直属の上官であるガイドリクス大将の所へ戻り――
「嫁入り前の女の顔に、これほど大きな傷とは。リリエンタールを守った勲章とはいうが……」
車中で抜糸を済ませたけれど、まだ赤みのある顔の傷を、とても不憫がられました。
ガイドリクス大将、ヒロインに攻略されてさえいなければ、本当に良い人なんだよなあ。攻略さえ……。
「ネグリジェだと? あの男は何を考えているのだ」
わたしがリリエンタール閣下から贈り物を貰ったことを聞き、なにを貰ったのだと聞かれたので正直に答えたら、男が未婚の若い女にそんなものを贈るとは! と、抗議してくれた――贈られて駄目なものだと知らなかったが、王族階級では色々駄目だったっぽい。
物知らぬ庶民な部下のために、抗議してくれる。
いい上官なんだよなあ、攻略されていなければ。攻略対象でさえなければ……。
傷に関しては、第一、第二副官、ガイドリクス大将の従卒である伍長殿にも不憫がられた。第四副官とは仲悪いので、こっち見ただけで終わった。
交換手や受付、果ては清掃員にまで、傷を不憫がられた。
みんながあまりに気にするので、前髪を上げることにした!
傷を気にして前髪を下ろしていたんじゃない。もともと、前髪降りてたじゃないか!
美容院でカットしてもらい、ワックスでオールバックにした。
完治していない傷口に髪がかからなくていい。
登庁したらみんな「えっ!」という顔をしたが、知ったことじゃない。
わたしは通常業務に戻り――
帰国して五日後、女王陛下が無事に絶対王政廃止、立憲君主制度に移行することを宣言された。
議会の制定とか議員の選出とか色々とあるので、上層部は大忙し。
わたしの上官も上層部なので大忙し。わたしはというと、新体制とは関係ないが忙しい。
いまは注意深く手紙の整理を行っている。
偉い人宛の手紙というのは、危険がいっぱいでね。元の世界のように、炭疽菌が入ってるなんてことはない……多分ない。うん。細菌兵器はまだないが、刃物が仕込まれていたり、怪文章だったりと、色々あるんだ。
全ての封を開け、危険がないかどうかを確認し、開いた手紙と封筒をクリップで留める。
地味な作業ですなあ。
「少尉さん、少尉さん」
「伍長殿」
仕事中のわたしに声を掛けてきたのは、ガイドリクス大将の従卒。
従卒一筋三十五年のベテラン。
階級は下だが、プロフェッショナルな軍人さんなので、殿をつけ敬意を表している。もちろん、周囲に誰も居ないときに限りだけどさ。
「少尉さん、お風呂用意したから、入ってきなさい」
仕事が急がしくて、職場に泊まり込み、書類整理の合間にトレーニングするも、風呂を用意するのが面倒で、水をかぶるだけで誤魔化している、腹筋ばきばきで突撃兵で、額に傷があり、上官の従卒が見かねて用意してくれるくらいに風呂に入ってない女……もう女として末期症状です、手遅れです。医師もきっと匙を投げます。
そんな女ですが、用意してもらったお風呂に入らせていただきます。
「じゃあ、わたしは見張ってるから」
「お手数をおかけします」
わたしの執務室に従卒の伍長殿を残していくわけにはいかないので、一緒に退出してもらい鍵をかけ、ロッカー室に着替えを取りに行き浴室へ。
服を脱ぎ、着替えの鞄に突っ込んで、執務室の鍵は見えるところに。
服を脱いで空の猫足付きのほうろう製バスタブに入り、蛇口を捻ると熱いお湯が出て来る。
お風呂の用意とはボイラーで湯を沸かすこと。これが面倒なんだ。
いちおうボイラー使えるんだけど、お湯を沸かしている時って、ボイラー室から離れられないんだよ。
仕事をするために残っているのに、ボイラー室に釘付けは本末転倒。書類をボイラー室に持ち込むわけにもいかないしね。
蛇口から出るお湯で持参した石鹸で体や頭を洗って、バスタブをお湯で軽く流してから湯を張り体を預ける。
「少尉さん、お湯足りてるかい」
「足りてます、伍長殿」
「足りなかったら、遠慮しないで言うんだよ」
「はい」
伍長殿はわたしが風呂に入っている時は、本当に見張っていてくれる。
”少尉さんは若くて美人だから、この従卒、心配でな”――伍長殿の優しさが痛い。伍長殿、彼氏いない歴=年齢の女は、若くて美人じゃないと思いますよ。ちなみに心配は覗きに対してらしいが、わたしの入浴シーンを見たい男はいないと思う。
久しぶりの他人が用意してくれた湯に浸かり――
国家ざまぁ阻止について考える。
今現在、逆ハールートを突き進んでいるのか、アレクセイルートに入っているのか、情報が乏しく判断がつかない。
だがリリエンタール閣下の話を聞いた分では、アレクセイルートは阻止、逆ハールート潰しのほうが楽。
ということは、ヒロインとアレクセイが接触しないようにすれば……そうだ! ヒロインに見張りを付けよう。
名目は護衛とかなんとか。特権階級の男性を手玉に取っているのだから、多少の無理くらい押し通せるはずだ。
ガイドリクス大将に決裁を貰う時に、提案してみよう!
まだ温まっていたいが、仕事もあるから、そろそろ出るか。
明日の午後は休まないといけないし。
「はぁ? 見合い」
「そうです、少佐」
伍長殿に風呂を用意してもらった翌日、第一副官から参謀本部へ所定の書類を持ってくるよう命じられたので、急いで届け――オルフハード少佐と再会した。
もの凄く気軽に声を掛けてきて、談話スペースへと連れていかれ「どうしてる」と言われたので、正直に見合いがあるのだと告げたら驚かれた。
失礼だな、少佐。知ってたけど。
「いつ?」
「今日の午後。これから見合いに行きます。小官が見合いをしたらおかしいですか?」
「おかしくはないさ。少尉は公認会計士の娘だ、見合いも山ほどくるだろう」
父親の仕事、喋ったことないけど、筒抜けてる。
「相手は幼馴染みで、商会の跡取りです」
「ああ、ブルーノか」
「幼馴染みまで調べているのですか」
どこまで調査されてるんだよ、わたしの交友関係。
「まあな。それで、結婚するのか?」
見合い=結婚と考えるのは当たり前ですが、結婚はしない。結婚している場合じゃないし、ブルーノは好みじゃない。
……好みとか贅沢言える立場じゃないんだけどさ。
「結婚はしませんよ」
「では何故見合いを?」
「知り合いですので、会って断るのは礼儀かなと思いまして」
「そうか」
「ブルーノの自宅で開かれるパーティーの席での見合いで、家族も招待されているので久しぶりに会いたいなと」
任務で頭吹っ飛ばされかけたなどという噂を耳にした父親が、一度は顔を見せに帰ってこいと手紙をがんがん送ってくるのだ。
「そうか。少尉、見合いは断るんだな?」
「断りますよ。父にも、見合いはするが断る旨を、電報で知らせております」
父親からの手紙には、ブルーノは昔からおまえのことが好きだった。いまはもう進む道が違うので、妻にしたいとは思っていないが、初恋を終わらせたい――と、仕事で商会と付き合いのあるわたしの父親に、ブルーノの父親が相談を持ちかけてきたのだそうだ。
結婚は親同士が決める時代。
好意を直接本人に伝えるのは……雇われ平民ならば普通のことだが、ブルーノは中程度ながら商会の跡取り。
ともなれば、相手を好きかってには選べない。
嫁は父親のコンラッドが決めるだろう。
ブルーノもそのことには納得しているのだが、どうしても初恋が忘れられないのだという。
わ す れ ろ !
手紙を読みながら思わず声に出してしまったが、わたしは悪くない。
ブルーノは父親のコンラッドに、振り切るためにわたしと見合いをしたい、と頼んだとのこと。
父親のコンラッドも息子の恋心には気付いていたらしく――わたしの父親に、会って話す機会を設けて欲しいと頼んできたので、家族に顔をみせるついでで良いから、足を運んでくれないかと。
手紙を読み終えたわたしは「シュッセキスル ダガ コトワル」と電報を送り「ワカッテイル」と返事を貰った。
その後日時が書かれた手紙が届いた。
正直ブルーノがわたしのことを好きだったというのは、手紙を読むまで分からなかった。
好きだと言われると――ブルーノは典型的な「好きな子をいじめる」タイプだったのだと分かるが、普通の女は自分をいじめる男は嫌い。
ブルーノには散々「大女」「おとこおんな」「ゴリラおんな」「顔だけ女」と言われたものだ。
まあわたしも「チビ」「ドチビ」「短足ドチビ」「将来ツルッパゲ」と言い返していたので――争いは同じレベルのものの間でしか起こらないという、まことよき思い出である。
「ん……まあ、それならいいか」
「何がですか?」
「こっちの話だ」
どっちの話だよ。
あ、そうだ。ヒロインのイーナに護衛という名目で見張りを付けるの、提案してみよう。
「……いかがでしょう」
「悪くはないし、閣下も一度は考えられた」
そうか。わたしが思いつく程度のこと、リリエンタール閣下が思いつかないはずがなかった。
「ただフロゲッセル嬢に付けるとなると、女性でなくてはいけないだろ。更に取り囲んでいるのがあの面子だ、准士官以上を求めてくるはず。准士官以上の女性となると、がくっと数が減るので、人数を用意できなかったのだ」
「小官にお任せください。一切交代は必要ありません。守るという名目ですので、きっとガイドリクス大将閣下も許して下さることでしょう」
国家ざまぁの元凶ヒロインに張りつけるのであれば、休みなど要らない!
「色々危険もあるから、閣下が許可するかどうか」
提案できることは提案し、立候補もした。
参謀本部でできる全てを終えて、通りでタクシー馬車を拾い、見合い場所であるブルーノの自宅がある十番街へ。




