第四話 地域文化研究会(オカルト研)
酒と塩水で汚れた教室を一人で清掃している最中も、僕の心は上の空だった。
ミコの残した言葉がずっと心に引っかかっていたのだ。
結果から見れば、除霊は成功しているはずだ。ミコの姿は消え、声もしなくなった。
大学に入って初めての静寂を、僕は手に入れたのだった。
ただ、周囲が静かであるほどに僕の胸のざわめきが大きくなった。
そのざわめきを抑えられないまま、約束の放課後になってしまった。
僕は、もやもやする心を抱えたまま西部室棟の三階にあるオカルト研の部室へと向かった。これは余談だが、この大学の部室棟は東と西に分かれていて主に東は運動系の部室が並び西には文化系の部室が集まっている。
「おい、ここ間違ってないか?」
健太郎がメモを見ながら一つの部室をノックしよう押したので、僕は慌ててその腕をつかんだ。
部室の扉には地域文化研究会というプレートが掲げられている。
僕らが目指していたのはオカルト研の部室ではなかったか。
だが健太郎は僕の手を振り払い「大丈夫、ここで合っている」といってこんこんと鉄の扉を二回ノックした。
「誰だ」
その声は扉の奥から聞こえてきた。そんなに大きくないはずなのによく通る凛とした女性の声だった。
「工学部一回生の村木というものです。友達と一緒に部活の見学をしたいのですが」
健太郎が柄にもなく改まった口調でそう言う。
僕はその後ろで様子を見守る。
すると、中からごそごそと動作音が聞こえガチャと扉の鍵が開いた。
息をのむほど美しい女性だった。整った顔に鋭い目つき、口は真一文字に結ばれ、不機嫌であるのが容易に見て取れた。
「悪いけど新入部員の募集はしていないんだ」
迷惑そうな口調とぶっきらぼうな態度。
そんな不愛想な顔でさえ、初対面の男なら見惚れてしまう魅力を感じる。
事実、僕と健太郎はその女性が不審そうに眉を歪めるまで言葉を忘れて立ち尽くしていた。
さきに正気に戻ったのは僕だった。
「えっと、実は入部希望っていうのはついでで、実はこの大学に出る幽霊について少しお話がしたくて」
なぜそんなことを口走ったのか、自分でも分かたない。
確かに幽霊の噂について健太郎と話をしていたがそれこそおまけのようなもの。このオカルト研を訪れたのは、嘘みたいな美人部長を一目この目に焼き付けるためである。
だから、目的はこの時点で達成されている。
それなのにこんなことを切り出したのは、直前のミコの言葉が気になっていたからなのかもしれない。
もしこの美女が大学の幽霊の噂を流している本人であるなら、ミコのことを何か知っているかも。
そんな淡い期待が僕の中にあったのかもしれない。
あるいはこの美女ともう少し話していたいというスケベ心か。
どちらにせよ確かなことは、この提案で美女の反応が少し変わったことだった。
「君は誰だ?」
さっきよりも鋭い目つきで。ただ、少し興味を持った様子で美女が僕の目を見た。
なぜか、思考が読まれているような気がして背筋に汗をかく。
「村木の友人の宮野です。実は僕には霊感がありまして、大学に入ってから何度か幽霊を見ているんです」
本当は言うつもりのなかったことだと、口に出してから気が付いた。
だが、口に出してしまった言葉はなかったことにはできない。
美女と健太郎、二人の視線が僕の次の言葉を待ていると分かった。
落ち着いて、今度は迂闊なことを口走らないように気をつけながら口を開く。
「あの、その、噂で、こういう話に詳しい人がいるって聞いたので、お話を聞けたらなと思いまして……」
すると、美女は表情を変えないまま静かに扉を大きく開いた。
「お茶くらいしか出せないからな」
僕と健太郎は顔を合わせお互いの意思を確認し合い、部室に一歩踏み込んだ。
これが、僕と地域文化研究会(別名オカルト研)部長、北山ゆかりとの出会いである。
今思えばこの出会いが、僕の大学生活を平穏とはかけ離れたものにしていくのだが、それはまだ少し先の話である。