第八話「彼女の部屋」
目を覚ますと、僕は武家屋敷みたいな部屋に横になっていた。
床はすべからく畳。全部で十二畳ある。出入り口は鶴と思われる鳥が描かれたふすまで、部屋の奥には掛け軸と黒い壺が飾られた床の間が備わっている。壁際には木製タンスが置いてあり、全体的に純和風な趣向だった。
……そう言えば、畳に寝転がるのも数年ぶりだ。
今の僕の家は三年前に建て替えたものだが、全八部屋中、和室は一つもない。全部が全部フローリングである。以前の家には三室ほど畳の部屋があったのに。
まあ、板張りの床の方が掃除が簡単だし、見てくれもいいもんだが――――畳も畳で嫌いじゃないな。日本人に先天的に備わっている感覚なのか分からないが、どことなく安心感がある。安らげる。何より、床にそのまま寝転がれるのがいい。こたつとの相性もばっちりだ。もし来年一人暮らしすることになったら、和室の部屋でも探してみようかな、なんて。
――さて、現実逃避はこれくらいにして。えっと、
……ここ、どこ?
見覚えはない。まったくない。そもそも、自分がどうやってここに来たのかすら分からない。目を開けたら、いつの間にか僕はここにいたんだ。
一応、六時間目までの授業を終えて、カバンを肩に掛けたまま校門から出ようとしたところまでは覚えてる。帰ったらどんな順番で勉強をしようか考えながら歩いてたんだ。しかし、学校敷地から足を踏み出した直後から分からなくなる。記憶が完全に途絶えるのである。
もしや、僕はテレポーテーションでもしたのだろうか? それともタイムトラベルで未来の自分と入れ替わったとか? それともそれとも、いきなり解離性障害でも発症したのだろうか?
何か手がかりはないかと、昔読んだSF小説からそれらに関する知識を紐解いて、現状に関する疑問の答えを導き出そうとしたところで、
――ガラガラッ
「あ、起きたのね」
ふすまが開かれ、聞き覚えのある声が届いた。
首を曲げると、黒髪ロングヘアーでいつものつんけんした表情の夜ノ崎さんだった。図らずも私服姿である。制服姿以外の彼女を見るのは初めてだ。とは言え、白のセーターに紺色のロングスカートというシックな服装で、とりたてて驚きはしなかったが。家ではきっとこんな格好してるんだろうというイメージ通りの服装である。そして手には湯飲みが二つと皿が一枚載ったお盆を持っていた。
「……夜ノ崎さん? な、何でここに……?」
「何でも何も、ここは私の部屋よ」
「…………へ?」
夜ノ崎さんの……部屋? ここが?
僕は再度ぐるりと部屋を見渡す。
……いや、この和室が彼女の部屋であることには、別に異論はない。女子高生の私室としてはおおよそ平均とはかけ離れているだろうが、それでもこの人の性格から考えれば、なくもない話だろう。彼女がこの部屋で一人くつろいでいる姿も何となく想像できるし。それに、僕に夜ノ崎さんの嗜好に口を出す資格はない。
問題は――――何で僕は夜ノ崎さんの部屋にいるのか?
僕は夜ノ崎さんの家に遊びに行く約束をした覚えもないし、そんな予定もなかったはずだし、そもそも遊びに行こうと思ったことすらないはずだ。誰か女の子の家に行くとしたら、和束さんの家を選ぶだろう。そっちの方がまだ気兼ねがない。夜ノ崎さんのパーソナルスペースに侵入する勇気なんて、僕にあるはずもない。
僕はぐるぐると考えを巡らせているが――――夜ノ崎さんは僕の戸惑いを意に介することもなく畳の上に正座し、お盆を置いた。そしてその上の湯飲みの一つを僕の前に差し出してくる。
「どうぞ」
「あ、ども」
促されるまま、僕はお茶を手に取った。そしてズズッと一口飲む。
あっつい緑茶だ。
うん、落ち着く。……落ち着いてる場合じゃないのだが。しかしまあ、人間てのは事態が急転すると逆に冷静になってしまうもんだろう。おかげで、今の僕は色々とすごく寛容である。
夜ノ崎さんは、お盆に載っていた皿を差し出してきて、
「お饅頭もあるんだけど、いかが?」
「ああ、重ね重ねありがとう。ちょうど小腹がすいててね。いただきます」
僕は皿の上の饅頭を一つぱくつき、もぐもぐと口を動かした。
「いや、こんなにもてなしてもらって恐縮の至りなんだけどね、夜ノ崎さん、もしよかったら、君の気分を害さない程度に僕の質問に答えて欲しかったりするんだけど」
「ええ、折角の来客ですもの。喜んでお答えさせていただくわ」
「かたじけない。じゃあ聞くけどさ、その、えーとさ――
――僕は、何でここにいるのかな?」
僕の質問に、夜ノ崎さんは教室でも見せたことないようなニッコリ笑顔で、
「もちろん、私が連れてきたからよ」
「……どうやって?」
「単純なことよ。周囲に誰もいないことを確認した後、後ろから気付かれないように忍び寄って、鈍器と呼ばれる類の道具でもって意識がとぶ程度の打撃を後頭部に食らわせ、そのまま地面に倒れて動かなくなったあなたを背負ってここまで来たのよ。もう、あなた、案外重かったんだから。おかげで腕がしびれちゃったわ」
「そりゃあ、悪かったね。ダイエットするよ」
とりあえずのにこやかな会話。
学年屈指の有名人、夜ノ崎桐とこんなフレンドリーな会話をできるなんて(しかも、夜ノ崎さんの部屋で!)、僕はなんて恵まれた人間なんだろう。あと十年くらいは自慢話として使えそうだ。早速明日から使わせてもらおうかな。
でもまあ、今の話を聞く分には、夜ノ崎さんが僕をここまで連れてきた経緯っていうのは、例えようもないけれど、日本語で表すのが少しばかり困難だなあ、そのまあ、誤解を恐れずに言うなら、なんていうのかな、ええと、いわゆる一般的な――
――拉致?
「…………そうだね。君が僕をここに連れてきた手際は、察するに、なんとも優れたものだったとは思うんだけどさ、一つだけ疑問が残るとするなら、僕の同意を取った上で連れ立ってくるっていう選択肢は、なかったのかな?」
「面倒くさかったの」
答えながら、後光がさすような笑顔の夜ノ崎さん。
「それにそんなことしたら、ここでの話し合いが優位に進められないじゃない?」
「……優位?」
「ええ」
夜ノ崎さんは深く頷きながら、スカートのポケットから細長いものを取り出した。そしてそれを目の前に置く。
それは四十センチくらいの長さ。辛うじて片手で握れるくらいの太さである。色合いは黒だが、金属光沢を発している。そして先端には銀色の装飾がついていた。
似たようなものを、僕は日本史の資料集で見たことがある。江戸時代なんかに使われていたアイテムだったはずだ。この〈武器〉の一般名称は、確か――
――脇差、じゃなかったかな?
僕がそんな予測を立てながらその金属棒を見つめていると、エレベーターガールみたいなスマイルを浮かべた夜ノ崎さんは、無言でその脇差を左右に開いた。
そこから、まぶしいほどに輝いた刃がのぞく。
石をも真っ二つにしそうなほど、綺麗に磨かれた直刃だった。
……なるほどね。今の状況を確認すると、僕は窓のない部屋の中にいて、僕は丸腰である(いつの間にか、胸ポケットにあったはずのクロス・ナイフもとられている)。この部屋の唯一の出入り口はふすまだが、僕とふすまの間には夜ノ崎さんが鎮座している。さらに、夜ノ崎さんの手元には刃物。異存のはさみようもなく、完全に夜ノ崎さんが優位に立っていらっしゃる。
「どう? 今のあなたの状況が理解できたかしら? できたなら、もう一度、前と同じ質問を尋ねさせてもらうわよ――――最近の失踪事件について、あなた、何か隠してない?」
夜ノ崎さんは正座のまま、上目遣いに――というより、睨みつけるように――僕を見上げてくる。
「……いや、だから、君の期待するようなことな何も知らないって――」
「信じられない」
「あのキーホルダーも、道で拾っただけで――」
「信じられない」
夜ノ崎さんは、にべもなく視線で僕を突き刺してくる。
僕は頭をかきながら、
「……というかさ、夜ノ崎さん。何で君はそんなに必死なんだ? 最近このあたりで不審な失踪が頻発してるのは知ってるけど、だからって何で君が調べてるんだ? 警察が捜査するのはわかるけどさ。見たところ、君は関係なさそうだけど?」
「それは――
――私が退魔師だからよ」
「……タイマシ? って、それは、あの、魔を退ける、退魔師?」
「そう」
夜ノ崎さんは頷く。
「私の家は、代々この地域の魔を追い払うことを生業としてきたわ。災害の元凶を鎮めたり、悪霊を払ったり、そんな風にこの町を守ってきた。数百年前からね。そして、私はこの家の長女。上に兄もいない。高校を卒業したら、私がこの仕事を継ぐことになる」
「……そ、そうなんだ」
そう言えば、夜ノ崎さんが大学進学しないなんて噂を聞いたことがあった気がする。夜ノ崎さんは学級委員長に推薦されるだけあって、成績も上位の常連だった。そんな彼女が進学しないなんて、みんながみんな首をひねっていたが――――そういう裏事情があったのか。
「そして、最近起こっている失踪事件には不審な点が多すぎる。失踪者が煙みたいに消えちゃったのよ。何の痕跡も残さずにね。おかげで警察の捜索も行き詰ってる。これはもはや、『魔』による介入があるとしか考えられないわ――――そして『魔』が関わってくるなら、それを払うのが夜ノ崎家の仕事。私の仕事。だから私が調べてるのよ。……当初は、私もあなたに関わる気はなかったわ。というか、関わらせる気がなかった。だからわざと距離をとってたんだけど――――あなた、魔具を手に入れるなんて、思ってたより深く関わってたみたいね。私の知らないうちに。だったら、あなたから聞いてしまうのが手っ取り早い。そんなわけで、あなたに聞いてるのよ。分かった? ……さぁ。分かったなら、知ってることを洗いざらい吐いてちょうだい。この事件の早期解決のために」
「……いや、だから決め付けるなよ。本当に何も知らないって」
前にあれだけシラをきってて、いまさら白状できるわけもないだろう。それに、こんな風に日本刀を目の前に出されては、白状したからと言って無事に帰してくれるのかも怪しくなってくる。
「……まだシラをきるつもり? 言っておくけど、この家は丘の上にぽつんとある一軒家だからね。隣家まで数百メートルあるわ。叫んだところで助けは来ないわよ」
……これは、完全に脅迫だ。
「さ、諦めて早く吐きなさい。痛い思いしたくないでしょ? 刀傷っていうのはね、思ったより痛いのよ。……それに、言ってくれたら逆にご褒美あげるから」
「……ご褒美?」
「そう。あなたの大好きなスパッツ」
またそれか! ってか、まだそれか!
「それに、今なら――」
夜ノ崎さんはスカートの裾をそろりと持ち上げながら、
「――今穿いてるの、あげるわ」
あんた、私服でもスパッツ穿いてんのかよ! ――――って、ツッコミどころはそこじゃなく、
「だから、僕はスパッツが好きなわけじゃない!」
「別に今さら隠さなくても、私は全然気にしないし――」
「人の話を聞いてくれ!」
僕は力の限り叫んだ。
夜ノ崎さんは口を尖らせた後、ぎりっと爪を噛み、
「……くっ、スパッツでもおちないなんて」
「いい加減、そのキャラづけやめてくれ――――つうか、そこまで言うなら――」
「……っ! 白状する気になった?」
「い、いや、違うよ」
僕はブンブンと手を横に振る。
「あのキーホルダーとは関係ないけど、他の情報だ。実は僕、路上に血が大量にこぼれてるのを見たんだ」
「……ああ、先週の水曜日にあったってやつ? 大型犬か何かが食べられてたんでしょ? それなら、とっくに真弥乃から聞いたわよ」
「いや、それだけじゃなくて、他にも二回見たことがあるんだ。似たような、血が飛び散ってる現場を」
「二回も? どこで?」
「両方とも、駅前商店街の路地裏だ。一ヶ月くらい前の話だ」
「……どうして、急にそんなことを教えてくれるの?」
「へ?」
「何で〈このタイミングで〉その話をしてくるの?」
ぎらりと瞳を光らせながら言ってくる夜ノ崎さん。
……まったく鋭い。いや、僕が不自然すぎたかな? まあどちらにしろ、この状況、僕にはこうする他ないだろう。
「いや、何か話さないと君が開放してくれなさそうだし。……それに、今まではあんまり気に留めてなかったんだけど、君の『魔』の話を聞いてふと結びついたんだ。もしかしたら失踪事件と関係あるのかもってね。これが百パーセント関係してるなんて保障はできないけど、それでも君にとっては有益な情報になるんじゃないか?」
「確かに、ね」
顎に手をやりながら、夜ノ崎さんはゆるやかに頷く。
「とにかく、これだけが今の僕に思いつく情報だ。これ以上は僕を揺すってもさすっても金槌で叩き割っても、何も出てこないよ。頼むからもう帰らせてくれ」
「……分かったわ」
納得したのかしてないのか微妙な表情で、夜ノ崎さんはすくっと立ち上がった。
◇◇
夜ノ崎家玄関で。
「……じゃあ、この道を真っ直ぐいけば、駅前の大通りに出るわけだね?」
「そうよ」
「分かった。じゃあ、失礼するよ」
「うん、じゃあ、また明日、学校でね」
玄関に立って見送りしくれている夜ノ崎さん。
僕も手を振り返しながら、横開きのガラス戸を開いた。
……今日生まれて初めて女の子の家を訪れたわけだが、今まで抱いていた期待とはまったくもって正反対の状況及び結果だった。別の意味でドキドキしっぱなしだったし。現実ってのはこんなもんなんだろうね。僕の家に初めて遊びに来た女の子もマンイーターだったわけだし。
ともかくも、高校入試直後以来の壮大な安堵感に包まれながら、僕は玄関を出て真っ直ぐ歩き出そうとした――――ところで、目の前に立ち尽くす一人の女の子を発見。
――和束さんだった。
学校帰りに直接来たんだろう、制服姿に肩掛けカバンといういでたちで立っている。眼鏡に夕日を映しながら、ぽかんとこちらを見ている。
夜ノ崎さんの家から出てきたばかりの僕と、その僕を玄関口で見送っている夜ノ崎さんを交互に見比べた後、顔を真っ赤にしたこの眼鏡少女は、
「……ごめん」
ぽつりとそんなことを言うと、くるりと僕に背中を向け、そのまま逃げるように走り去ってしまった。
――おいおい。