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第六話「嘘」

 ――僕の腕が千切られる。

 ――僕の脚が千切られる。

 ――痛い。

 ――痛い、痛い。

 ――僕の手が千切られる。

 ――僕の足が千切られる。

 ――痛い、痛い、痛い。

 ――痛い、痛い、痛い、痛い。

 ――僕は泣く、わめく、叫ぶ。

 ――しかし、目の前の〈そいつ〉は食べるのを止めない。

 ――止めてくれない。

 ――どれだけ叫んでも、〈そいつ〉は聞いてくれない。

 ――どれだけ訴えても、答えてくれない。

 ――貪るように、僕の足を手を脚を腕を食べ続ける。

 ――痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。

 ――〈そいつ〉はあんぐりと僕の眼前で口を開けた。

 ――それは元々なのか血のせいなのか分からない程、真っ赤な口の中。

 ――その犬歯が僕の首筋に触れる。

 ――冷たい感触。

 ――背筋に悪寒が走る。

 ――僕は食われる?

 ――僕は喰われる?

 ――僕は死ぬ?

 ――僕は殺される?

 ――歯が肉に食い込んだ。

 ――痛みが走る。

 そして――


 ――僕の意識は途切れて……


「う、うわあぁぁ!」


 僕は顔を上げた。

 眼前にあったはずの〈あいつ〉の顔は消え去り――周りの風景は見慣れた教室へと移り変わった。


「……はあ、はあ、はあ」


 荒くなっている息を落ち着けながら、僕は改めて今の状況を確認する。

 ここは僕の自教室――しかし、空っぽだった。僕以外には誰もいない。廊下の向こうから喧騒は聞こえてくるが、この部屋は無音だった。

 ……どうしてだ? 何で僕以外に誰もいない? 何で僕だけ取り残されている?

 僕は記憶をさかのぼった。

 確か――僕は昼休みに、一人で教室で昼食を食べていた。そして満腹感とあいまっ

て眠くなり、そのまま机に突っ伏して――

 僕は慌てて壁掛け時計を見上げた。時間は一時十八分。五時間目が始まる二分前

だ。ええと、次の時間は――

 ――そうだ! 音楽だ! 

 音楽室へ移動教室だ。だからみんないないのか。僕も早く行かなきゃ。

 僕は慌てて机から音楽の教科書を取り出す。

 そして椅子から立ち上がろうとして――後方に人影があることに気付いた。

 僕と同じ取り残され組はいったい誰だ――とその人影をよくよく見ると、それは夜ノ崎さんだった。

 夜ノ崎さんは落ち着いた所作で教科書や筆箱を机から取り出し、すくっと椅子から立ち上がった。そして机と机の間を歩いている途中、ようやく僕の存在に気付いたように、僕の方に視線を向けてきた。


「あ、次、移動教室なんだよね? 早く行こう」

「……」


 夜ノ崎さんはやはり無反応。おかげで僕の発言はただの独り言になってしまった。

 しかしまあ気にするのも今さらか、と思いながら僕も立ち上がった。そしてその拍子に――

 ――コツン

 何かが落ちた。床を見ると、シャルロットにもらった十字架のキーホルダーが転がっている。胸ポケットに入れておいたのが落ちたんだ。

 この十字架、その実は魔力の通ったナイフである(らしい)が、見た目はただのキーホルダーだ。というか、僕的にもただのキーホルダーである。失くしてしまうとシャルロットに何か言われるだろうが、しかしそれ以外には特に何もないだろう。何のこともなく、僕はそれを拾った。

 しかし――


「――橘君、そ、それ……」


 夜ノ崎さんが口をきいた。

 びっくりして顔を上げると、夜ノ崎さんが目を見開いてこちらを見ている。

 その表情を見て、僕も夜ノ崎さんを見つめ返してしまう。

 無言で見合うこと四秒。微動だにせず、もはや人形のような固まっている夜ノ崎さんに、僕は


「……あ、あの、どうしたの、夜ノ崎さん? 早く行かないと、授業始まっちゃうよ?」

「…………た、橘君、それ――」


 夜ノ崎さんは左手で僕の手元を指差した。


「――その〈ナイフ〉、ど、どうしたの?」

「え?」


 僕は危うく十字架を手から落としそうになった。

 ……な、ナイフ? ナイフって言ったのか、今? ……な、何でだ? 何でこれを見てナイフだって分かるんだ? 知ってるのか? というか、何を知ってるんだ? 何で知ってるんだ? これはシャルロットの持ち物だったはず。シャルロットと何か関係あるのか? シャルロットとどんな関係があるんだ?

 そんな疑問群が頭をぐるぐる回りながら、僕は言葉を選んで、夜ノ崎さんに聞き返した。


「……これ、知ってるの?」

「そりゃそうよ。一番ポピュラーな〈魔具〉なんだから」

「マグ?」

「でも、ポピュラーって言っても、さすがに素人が簡単に手に入れることができるほどじゃない。プロがとりあえず護身用に持っているくらい。だから、それを持っている時点であなたがカタギではないことは分かるわ。確かにあなたに変な感じはあったけど――――ふん、やっぱりね。私の予想通りよ。今までは変に巻き込まれないように避けてきたけど、こうなったらしょうがないわ。……さあ、答えてちょうだい。それを一体どこで手に入れたの? 何で持ってるの? あなたをそそのかしたのは何? どういう経緯でそこに到ったの? そしてあなたは何者――」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。話についていけてない」


 僕は手の平を夜ノ崎さんに向けながら、その言葉を遮った。


「さっきから、何の話をしてるんだ? 意味が分からない。最初からおいてけぼりだ。まず、そのマグってのは何だ?」

「……とぼけるつもり?」


 ぎらりと、夜ノ崎さんが僕を睨みつけてくる。

 僕はあたふたと、


「い、いや、そんなつもりはない。ほんと、本当だって。本当に知らないんだ。その『マグ』ってのは何なんだ? それとも『マッグ』なのか? 『マク』なのか? どんな字を当てはめるんだ? というか、そもそも日本語なの?」


 尋ね返す僕を、夜ノ崎さんは推し量るようにじっと見つめてくる。その目線に、何ともまあキレイな瞳だなあ、なんて関係ない感想を浮かべていると、


「……まあ、いいわ。このままじゃ話が続かないし。その言葉、今のところは一応信じておいてあげる。説明してあげるわ。マグっていうのは、魔力の道具。略して魔具。魔力の通ったアイテムの総称よ」


 魔力――確かにシャルロットも言っていた。このナイフには魔力があると。その力で、飛んできた小石が弾き飛ばされたんだ。


「その『クロス・ナイフ』は、軽くて安価で、そこそこの量の魔力も含まれてる。だから、平常時の携帯用としてそのスジに人間がよく持ち歩くものよ。店に行けば普通に売ってるしね」


 ……これ、売ってるのか。


「と言っても、そんな表には出回っていない。そもそも、魔具を扱う店自体が少ないしね。だから、それをキーホルダーのつもりで偶然買ってしまうなんてことは滅多にない。その店にたどり着ける時点でその人は素人ではない。何かしらの繋がりはあるはず。……さあ、話してちょうだい。あなたはそれをどこで見つけたの?」

「どこって、それは……」


 僕は悩む――シャルロットのことを夜ノ崎さんに話しちゃっていいのか? 魔力について知っているってことは、もしかしたら夜ノ崎さんはマンイーターについても知ってるかもしれない。シャルロットのことを話しても、警察とは違って、ちゃんと信じてくれるかもしれない。


「……まだ大問題にはなってないけど、この周囲では失踪事件が多発してるわ。もしかしたら、あなたの情報がその解決に役に立つかもしれない。だから話して」

「えーと……」

「話してくれたら、あなたの好きなスパッツ見せてあげるから」

「い、いいよ、それは!」

「……どうしてもって言うなら、一つ、あなたにあげても――」

「僕はスパッツマニアじゃない!」


 どんだけ僕はスパッツが好きなんだ!? どこまでの変態なんだ、僕は。……というか、僕、夜ノ崎さんにそんな風に思われてたのか? ショックだ。ショックすぎる……。


「とにかく、お願いだから話して。ね?」

「いや、その……」


 僕は言い淀んでしまう。

 シャルロット対策の仲間が増えてくれれば、僕は俄然嬉しい。渡りに船だ。しかし――問題は、これがシャルロットにバレないか、ということだ。なってったって、僕はシャルロットに素性も家も家族もばれてるんだ。ここで夜ノ崎さんに話したことがバレ、彼女に敵と見なされれば、僕は命を失う。家族を失う。友人までも失ってしまうかもしれない。つまり、僕の大切なものをすべて壊されてしまうのだ。

 さすがに今シャルロットが僕を監視しているとも思えないが――――だからってその可能性がゼロだって言えるのか? あるいは、僕の嘘を見抜くような能力をあいつが持っていないと言い切れるか? あるいはあるいは、夜ノ崎さんに助力を請うたとして、シャルロットに勝てると言い切れるか?

 分からない。

 そしてリスクが大きすぎる。

 今のままならば、たまに部屋に上がられてゲームを勝手にやられるくらいだ。それ以外には何もない。誰が死ぬこともない。食われることはない。しかしバレれてしまったら――もしくは負けてしまったら――僕はすべてを失ってしまうんだ。リスクが大きすぎる。期待値が小さすぎる。

 一体どっちが正解だ?

 どっちの選択が正しい?

 分からない。

 決断が下せない。

 決まらない。決められない。

 ふと、シャルロットの笑顔が脳裏に浮かぶ。

 そして、〈食事〉の時の本能に侵された表情も。

 その突き刺さるような視線を思い出し、

 僕の背中に汗が一つ流れ――


「――その、期待を裏切って申し訳ないんだけど、実はこれ、〈道で拾っただけなんだ〉」

「……拾った?」

「そう。駅前の大通りの裏路地で。その…………塾帰りの近道で、僕はたまにそこを通るんだ。そしてその道に落ちてたのを拾ったんだ。格好いいキーホルダーだと思って。あとでカバンにつけようと思ってポケットに入れといたんだけど。だから、その…………魔力とかそんなのは、僕、全然分からなくて……」

「でも、あなた、さっき『これ、知ってるの』って聞き返してきたわよね? 文脈からして、どうもあなたはそれが〈普通じゃないモノ〉だってことを認識してるように思えたんだけど?」

「い、いや、それは、その…………君はこれに見覚えがあるのか、というか。……つまり、『これの持ち主を君が知ってるのか』って意味だったんだ。だから、このキーホルダーの内実は、全然……。誤解させてしまったなら、悪かったよ」


 僕は自分の口を他人のもののように感じながら、必死に言い訳を続けた。

 と――


 ――キーン、コーン、カーン


「あ! チャイム鳴っちゃった!」


 僕は慌てて――というよりも、安堵しながら――振り返って時計を見上げた。一時二十分。五時間目開始の時間だ。


「授業始まっちゃったよ! 早く行こう!」


 できるだけわざとらしくないように言いながら、僕は教科書を抱えて駆けだした。逃げるように、足早に教室の出口へと向かう。

 廊下へ出ようとした間際、


「……ふん。まあ、いいわ」


 という、夜ノ崎さんの捨て台詞が背中越しに聞こえてきた。

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