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第五話「目撃」

 いよいよもって、受験勉強も本格化してきた。

 塾の教室の雰囲気も日を追うごとにピリピリしてきている。最近は授業中の講師の雑談が少なくなってきているし、指されて答えられなかった時の先生の捨て台詞もトゲのあるものに変わってきてるのである(例――「きちんと復習しておくように」→「お前、やる気あんのか?」)。……本当、胃が痛い事この上ない。

 しかしまあ、これもごく自然な流れだろう。

 なんせ、センター試験までもう残り四ヶ月をきっているのだ。

 別に僕は、難関大学を志望してるわけじゃない。そんな大それた学歴を望んでるわけではないのである。あわよくば近所の国立大学に受かれば――と思ってる程度だ。僕は、この大学受験なる苦行にそこまでのモチベーションがある人種ではない。

 しかしながら、現実問題、学費の問題から、国立に受かるか私立に行くかで家での居心地の良し悪しが変わってきそうなことは何となく予想できている。二年後には妹の大学受験も控えているので、僕の進路が少なからず妹の将来にまで影響を及ぼすのである。

 なので、自分ができる最低限の布石は打っておこうということで、現在の僕は粛々と学業に精を出しているのだ。妹のため――というよりかは九分九厘自分自身のため、これからの数ヶ月は勉強に専念したい所存である。僕の人生における最初の頑張りどころなのだ。気合を入れねばなるまい――


 ――なんて言ってはみたが、当てごとが向こうから外れるのが世の常。


 実際のところ、現在の僕は今ひとつ勉強に身が入ってない。この重要な時期にマンイーターなんて奇怪な存在に出会ってしまったせいで、勉強に集中しきれていないのだ。逆に邪魔されて、成績も伸び悩んでるくらいである。何でこの時期に、こんな存在に出会ってしまったのか、神や仏を恨みたくなるのも無理はないだろう。『マンイーター』と書いて『はた迷惑』というルビを振ってやりたいくらいだ。

 ――そう言えば、

 今日の帰り際、数学を担当していた若い男の塾講師が


「夜道には十分気をつけるように」


 と、結構な真顔を作って言ってきた。このところ、この周辺で行方不明者が五人も出ているのだそうだ。

 同じ部屋で授業を受けていた女子達は、その話を聞いて


「誘拐か何かかなあ?」

「怖いね〜」

「一緒に帰ろう」


 と戦々恐々としていたが――しかし僕は、それを聞かされてがっくりと肩を落とすことになる。その犯人のことは知ってるし、行方不明者達が一体今どこにいるのかも分かりきったことだからだ。

 言うまでもなく、これはシャルロットのこと。

 ――僕との初顔合わせの時

 ――食事に行くと豪語して僕の部屋から出掛けた時

 ――この前の塾の帰り道

 とりあえず、五人中三人の行方は分かっている。すでにシャルロットの胃袋の中だ。シャルロットが口を割らない限り、彼ら彼女らは永遠に行方不明のままだろう。

 ……本当、どうすればいいんだ?

 あいつが警官三人に囲まれて生き延びたなんて話を聞かされた後では、余計に警察に駆け込みにくくなる。そもそもマンイーターなんて話をして、警察が真面目に取り合ってくれるのかも未知数だし。それを証明する方法なんて、シャルロットを突き出す以外にないんだ。そしてそれは、ただの人間たる僕には不可能に近い。

 はぁ……――と、人生に疲れた中年のようなため息をつきながら、いつも通りの閑静な夜道を歩いていると――いつだかのように、路地裏の方からひき肉をかき混ぜるような音が聞こえてきた。

 一瞬迷いつつもそちらへと進んでいくと、予想通りの光景。食事中のシャルロットだった。

 シャルロットは、好物を与えられた犬のように手と口をせわしなく動かしながら、


「おむ、まへみ。もうみま?(訳:おう、羽樹。どうした?)」

「別に、ちょっとのぞいただけだよ」


 僕は嘆息しながら答えた。

 シャルロットはごくりと口の中のものを飲み込んで、


「つーか、レディが食事中なんだからさ。ちっとは気を使えよ」

「自分をレディと称するならもっと上品に食べれば…………いや、そんな問題じゃないか。悪かったよ――――それより、あんた、最近食ってばっかしじゃないか? こんだけ行方不明者が出たら、そろそろ目をつけられてもおかしくないだろう。あんた、いつここを出て行く気なんだ?」

「そんな、冷たいこと言うなよ。友達じゃんよー。もうちょいここにいさせてくれよ」


 口を尖らせ、拗ねるように言うシャルロット。


「やっぱ、アタシと対等に話せるお前はレアだからな。正直言って、お前のことは重宝してるんだよ。だから、ここは去りがたいっていうか、さ」

「重宝ね。…………僕は、いつ食われるのかビクビクしてるってのに」

「うわっはは。そんな怖がるなよ。滅多なことがない限り、お前のことは食わねえから」


 口を大きく開けて、シャルロットは高笑いした。

 そして腕で口を拭うと――ぴちゃぴちゃ音を立てながら、血溜まりから出てくる。


「いやー、満腹、満腹。満足、満足」

「……えらい満悦顔だな」

「そらそうだ。最近じゃ、食うことだけが人生の楽しみだからな。誰かさんがアタシに構ってくれないせいでな」

「……何を言ってるんだ」


 僕は嘆息しながら答えた。

 シャルロットはそんな僕をカラカラ笑うと、「じゃな。またそのうち」と肩越しに手を振りながら路地裏から出て行く。

 とことこと離れていくアスファルトを蹴る音。

 数秒で、その足音も聞こえなくなった。

 くるりと振り返り、僕はさっきまでシャルロットがしゃがみこんで食事に勤しんでいた地面を見下ろす――そこは真っ赤だった。いわゆる真紅の水溜り。あるいは深紅の水溜り。献血やらなんやらで多量の自分の血を見たときは、誰だって少なからず血の気が引いてしまうものだが――しかしここまでの惨状だと、もはや何も思わない。何も思えない。……これは、シャルロットの食事を四回ほど目撃して慣れてしまったせいなんだろうか? それともただ麻痺してるだけなんだろうか? もしこの現場を他の誰かが見たら卒倒してしまうのだろうか?

 ふと、僕は空を見上げた。

 星も月も見えない。今夜の夜空は完全な黒ではなく、少し赤みがかっている。雲で覆われているのだ。天気予報では、確か明日は雨だと言っていた。

 ……そうか。だからシャルロットは、今日〈食事〉を敢行したんだ。

 明日雨が降れば血が洗い流されるから――余計な混乱が生まれないから、今夜という時間を選んで食事をしたんだ。この前の時もそうだった。

 とりあえず、遺体がすべてシャルロットの腹の中で消化される以上、この現場以外にシャルロットの所業の証拠はない。つまり、今夜一晩この場所が見つからなければ証拠はすべて消え去ると言うことだ。おまけにここは街頭もない路地裏。ここを真っ直ぐ行っても廃ビルに突き当たるだけである。深夜に、好き好んでこんなところに来る人間などいないだろう。だから、この惨状は見つかりようもない。これはもはや完全犯罪だ。

 僕はそんなことを思いながら――そして、そろそろ僕も家に帰ろうと思いながら――くるりと方向転換しようとすると――


 ――ドサッ


 まるでカバンが地面に落ちたような音。首を回し、音がした方を向くと、想像通りの地面に落ちたカバン。そして闇の中に立ち尽くす、一人の女の子。


 ――驚愕の表情をした、和束さんだった。


「な、な、な、なに、そ、それ……」


 暗くてはっきりとは見えてるわけではないが――目を見開き、肩をぶるぶる震わせ、視線を赤い地面に向けている。


「そ、それ、もしかして……血? 血なの? そこの赤いのは、血なの? 生き物の血なの?」


 やばっ――と一瞬思ったが、しかし僕はすぐに冷静さを取り戻した。このリアクションからして、和束さんは〈この血溜まりに驚いただけ〉だ。この惨状に驚愕しただけだ。シャルロットに驚いたわけじゃない。シャルロットの行為に驚いたわけじゃない。シャルロットには出くわしてないはずだ。そもそも、あんな服を真っ赤に汚した人間とすれ違えば、その時点で発狂してるだろう。


「……な、何で? 道で橘君を見かけて……声かけようと思ったら路地裏に入ってって……それを追いかけてって……そしたら、何でこんなことになってるの? これ……血でしょ? こんな、たくさん、何でこんなところにまかれてるの?」

「い、いや、僕にも、その、よくわからないんだ」


 今までのテストでもなかったほどに頭を超高速でこねくり回しながら、僕は言い訳を考える。僕を無関係だと信じさせる、そして和束さんを納得させる言い訳を。


「……その、道を歩いてたら、変な物音が聞こえてきたからさ、何だと思って覗いてみたら、こんなことになってたんだ。だから、僕にもよく分からない」

「ねえ、その血は、何の血? 犬? 猫? ネズミ? それとも…………人間?」

「い、いや、さすがに人間はないんじゃないか? 人間がこんな出血してたら大事件になるだろう。ここには血以外残ってないってことは、被害者は自力で移動したか、加害者が移動させたかだが。……こんなに血を流した人間が自分で移動できるわけもないし、そんな血まみれの人間を運んだらすぐに大騒ぎになる。すぐそこは繁華街なんだから。……多分、大型犬か何かが死んだまま放置されてて、それをカラスなんかが食べてたんじゃないか? いや、カラスがイヌの肉を食べるもんなのかはよく知らないけど。それでも、他の、何か、肉食の動物がつっついてたんだろう。僕が聞いた物音ってのは、恐らくその〈食事〉の音だったんだ」

「そ、そんな……」


 よろりと、和束さんは一歩後ろに下がった。そして吐き気を抑えるように、両手で口を覆う。

 僕は和束さんに歩み寄りながら、


「とにかく、こんなのは見るもんじゃない。早くここから出よう」


 そう言って、手を差し出す。

 しかし、和束さんはその手を取ることなく――怯えるような目を〈僕〉に向けてきて、


「……な、何で?」

「え?」

「な、何で橘君は、そんな平気なの?」

「……平気?」

「そう。そうよ。何で君は、こんな光景を見ても冷静でいられるの? 普通でいられるの? お、おかしいよ」


 まるで殺人鬼にでも相対したような畏怖の表情を僕に向けてくる和束さん。唇を震わせながら、言葉を続ける。


「おかしい、おかしいよ、おかしすぎるよ。前も言ったけど、橘君はおかしいよ。何で驚かないの? 何で慌てないの? 何で無感情なの? 無感心なの? 無表情なの? おかしいよ。普通じゃないよ。変だよ。変だよ。変だよ。何で、この状況がまるで日常だとでも言うような反応なの? 見慣れてるようなリアクションなの? 見飽きたようなレスポンスなの? もう、なんか、おかしいよ。もう、本当、本当、本当、なんか、なんか、なんか――――怖いよ」


 そこまで言うと、和束さんはカバンを拾い抱きかかえ――そして僕から逃げるように、路地裏から駆け足で出て行った。

 僕は思考の整理がつかないまま、それをぽかんと見送る。

 ――再度、血の匂いが立ち込める闇の中に、僕は一人取り残された。

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