10話「鬼ごっこ」
まだ体のダルさが抜けないが、なんとかいつも通りに振る舞って乗り越えてお昼休みになった。とりあえずこの時間は休憩できる。何事もなければ。
今抱えてる問題だって、健康な体じゃなきゃ何にもならない。考えるのだってエネルギーがいるんだから、今は体を休めなきゃ。
とりあえず買ってきておいたお昼を持って学園の人気のない場所でこっそりと食べながら休憩しようと、職員室を後にする。そして目星としては体育館裏、そこには何のためにあるのか知らないけれどベンチが設置している。
体育館裏なら人目もつかないし、わざわざあんなへんぴなとこで昼食する人なんていないだろう――逢引とかじゃなければ。
そんなことを考えながら体育館の方へと歩いていると、
「あっ、いたいた!」
と、後ろから声がした。
私は当然心の中で『うわっ……』と呟いて、落胆する。
だってこういう時は決まって生徒たちが私に用がある時。つまり私のお昼の時間がなくなるということ。もちろんそれは教師になった以上、覚悟しなければならないこと。
でも、何も今日このタイミングじゃなくても……なんて思う。私だって人間なんだから、それぐらいは許してほしい。
「どうしたの?」
私はあくまでもポーカーフェイスで追いかけてきた生徒に対応する。にっこりと微笑み、優しい声色を意識して。
「小鳥遊さんが先生のこと探してましたよ! 見つけたら『そう言っておいて』て言われたんで」
「そう……ありがとう。わかったわ」
これは休めそうにないな。私はそう確信してしまった。
またしても彼女か。なんだか彼女のいつもの気まぐれで猫みたいな性格のせいで、ペースを乱されまくっている気がする。こっちのペースで話し合いなり、なんなりしたいのにな。ま、そう言っても聞くような子じゃないか。
そう思いながらも、私は体育館裏よりさらに他の、もっと人気のない場所を探して歩き――というよりもはや走ってるぐらいのスピードで向かっていく。見つかる前に隠れて、ゆっくりしようと思ったのだが、
「せんせぇー待ってぇええ!!!」
走る私の後ろから大きな声を上げて誰かが追いかけてくる。この声は間違いない、小鳥遊さんだ。
その声を背に、私は廊下を本気で走り始める。
ああ、後で学年主任あたりに怒られるんだろうな。でも捕まるわけにはいかないの!
今はそんな余裕がない。小鳥遊さんには悪いけど、また後にしてもらわなきゃ。そう思い、廊下から階段を上って死角を作り、小鳥遊さんが見失うように走っていく。
「よしっ」
そして私は意を決して、階段を上ってすぐ右に曲がったところにある教室に逃げ込んだ。ここなら人気もなく、隠れるにはうってつけだ。
すぐさま見つからないように、教卓の下へと隠れて、息を殺す。まるでかくれんぼでもしている気分だ。
そんなことを考えていると、すぐに足音がこちらへと近づいてくるのがわかった。
「あれぇー? 見失ったぁー?」
教室の外から小鳥遊さんの声がする。たぶん今頃キョロキョロとあたりを見回して私のことを探しているのだろう。その足音に合わせて、私の方も緊張感が高まってくる。
音を絶対に立てないように、十二分に気をつけなくては。このまま気づかれないままどこかへ行ってしまえば、私の勝ちなのだから。
「ッ!?」
だけれどそう簡単にはいかなかった。おそらく位置的に、後ろの方の扉が開く音がした。
まさか、そんな。と思いながらも、小鳥遊さんだった時のために必死に息を殺して耐え忍ぶ。
早く出て行って。そんな思いとは裏腹に、その足音はどんどんと私の方へと近づいてくる。それに呼応するように、私の心臓の音もバクバクと音を立てて鼓動を打っていく。私はもはや祈るような思いで、目をつぶり、消え去るのを待っていた。
「にゃふっ、みぃーつっけたっ!」
「ひゃっ――イタッ!?」
だけれどその思いも虚しく、あえなく彼女に発見されてかくれんぼのお決まりの言葉を言われてしまう。
私はビックリしてここが教卓の中だということを忘れて頭を上げてしまい、そのまま教卓にごっつんこ。頭を押さえながら、
「いたた……どうしてわかったの?」
と訊くと、
「にゃふふーアタシ、猫っぽいから、探すのは得意なの!」
いつもの笑い方で、そんなふざけた返答をした。
「私はネズミか……」
それに呆れながらもツッコミつつ、私は教卓から出る。
「ねえ、先生。どうして私を避けるの?」
するとすぐに、私を逃さないように私の肩を抑えて、できれば訊いてほしくなかったその言葉を突きつけてくる。
「そ、それは……」
それに私は言葉を濁して、目を逸らしてしまう。
何もかもは昨日の一件のせい、でもその内容を話すのはやはり躊躇われる。まだ覚悟ができていない。
だから私は頭の中で、必死にうまくこの場を乗り切れる言葉を探すけれど、
「朝のこと気にしてる?」
その間に小鳥遊さんは余計に私を追い詰める言葉を放ってくる。
そうやって問い詰められると、私の状況がどんどんと不利にないっていく。焦りと混乱で、私はもう何も考えられなくなっていた。
「ねぇ、先生さ……」
そんな私を置いて、小鳥遊さんはいつもとちょっと違ったような低い声で私を呼ぶ。
「な、何……?」
次にどんな言葉がやってくるのか、どうやって私を攻め立てていくのか、私は段々と怖くなっていく。
「アタシのこと好きでしょ?」
そして、彼女は一番口にしてほしくない言葉を投げかける。
少し小悪魔のようにニヤッと口角を上げて、私を掌握するかのように、そう言った。
「ッ!? ど、どうしてっ――」
ありえないほどに、小鳥遊さんに心を乱されまくっている。
私のほうが大人なのに……どうしてこんなに扱いがうまいのだろう。でも決してそれは、嫌ではなく、むしろ――
「なんとなく、だけどさ。せんせぇ、恋した目してる、アタシに対して。ホームルームとかもめぇ合うとすぐ逸らすしー?」
悪そうな顔をして私に顔を近づけて、さらに私を弄ぶ。
「そ、それは……」
もう数cmほどの距離、顔が近すぎて、ドキドキしてしまう。胸が相手に聞こえてしまうんじゃないかと思うほど、鼓動を打っていた。
「でも、そうだとすると不思議なんだよねぇー? アタシのことスキなのに、どうして恋人にしてくれないのかにゃー?」
「それは……今は、言えない……」
もう心が乱されて、まともな思考はできなくなっていた。必死に出した言葉が、これだった。
事情を話すにしても、もっと冷静にしっかりと考えて話すべきだ。だから、私はこの問題を先延ばしにする。
「んー……前にも言ったけど、ムリはしないでね? いつでも甘えていいんだからね? せんせぇなんか、すごい辛そうな顔してる」
私の顔、表情が彼女の目にどう映ったのだろうか。
小鳥遊さんは心配そうな顔をして、私の頭を撫で始める。まるで飼い主がペットをあやすような、優しい手つきで。
「んっ……んー」
不思議。好きな人に頭を撫でられるだけで、こんなにも心が和らぐ。
ホント、小鳥遊さんは私の扱いがうまい。そんなことされたら、私の心がどうしようもなくなって、
「にゃふふー! 甘えん坊せんせーだー!」
小鳥遊さんに甘えて、抱きしめてしまう。
甘えたい、甘え尽くしたい。大好きな人に、私の今のこの辛い感情を、辛い思いを、癒やしてほしい。
どうやら私は思っていた以上に、甘えん坊なようだ。好きな人が長らくいなかったからだろうか、甘えられる存在がいなかったからだろうか。こんなの初めてだ。
「ね、ねぇ」
そして、私は、
「今日の夜、私の部屋に来てくれない? そこでちゃんとお話、しましょう?」
覚悟を決めて、彼女に全てを聞いてもらうことにした。
私の抱えているものを全て吐き出して、好きな人とその問題を一緒に乗り越えたい。そう思った。たぶん小鳥遊さんなら、それに応えてくれるはずだから。
あとは、伝え方次第。統制された言葉で、私の真意を伝えること。たぶん難しいけれど、きっと私のことを理解してくれようとしている小鳥遊さんになら伝わるはず。
「わかった。せんせぇの言葉待ってるね」
小鳥遊さんは優しい声色で、快く受け入れてくれた。
私はそれから、1限が始まるまでの僅かな時間、彼女に頭を撫でてもらっていた。
教師としてダメダメだってホントに思う。どうせ後で学年主任とかにさっきの廊下を走っていたのも怒られるだろうし。でも、やっぱり、それでも今は彼女に甘えたい。それだけは私にはハッキリと信じられる気持ちだった。




