4話「有言実行」
「はーい、みんな席についてー」
翌日。いつものように私はチャイムと共に教室に入り、みんなを着席させる。
そしてなんとなく目線が彼女、小鳥遊麗奈の方へと向いていく。みんなに変に思われないように出席をとりつつ、彼女の様子を窺うのだけれど、
「?」
なんだかやたらとご機嫌な感じであった。
だらしないぐらい顔が緩んでいて、何かこれから楽しいことでもあるかのよう。そして私と目が合うと、ニッコリと微笑んで小さく手まで振ってくる。さすがにいつもはこんな感じじゃなく、教室では割と大人しめな女の子なのに、今日に限ってどうしてこんなにもご機嫌なのだろうか。
担任で、部活の顧問と何かと彼女と縁のある私としては、楽しそうに元気なのはいいことだけど、何か嫌な予感がしていた。背中に感じる悪寒を味わいながらも、私は朝のホームルームに意識を戻していった。
「――せんせぇ出来たぁっ!」
時は流れて、放課後の部活の時間。彼女のご機嫌だった理由が今分かった。絵をもう完成させて来たのだ。
「え、もう!? しかも上手……さすがね」
その速さに、私は驚いていた。
しかもそのクォリティは急いでやったやっつけの適当なものではなく、立派にコンクールに出しても恥ずかしくのない出来。こんな短時間で描けてしまうのは、やはりその才能があるからだろう。
やればできる、それを体現したようなこの子に、私は思わず感心していた。
「にぇへへ、すごいでしょー! じゃ、約束通り、ご褒美!」
私に褒められて嬉しかったのか、また緩んだ表情になっていた。そして、自ら顎を差し出して、ご褒美をせがんでくる。
「もう、はいはい。そんなに急がないの」
約束は約束なので、私はその差し出された顎の下を猫のそれを撫でるように右手の指でくすぐってやる。
私自身、猫を飼った事がないので、完全に素人のそれなのだけれど、
「にゃはー……んにゃぁー……気持ちいぃー」
それで満足しているようで、気持ちよさそうな顔をしながらそのご褒美を味わっていた。
「ホント、猫みたいねあなた。気まぐれな所も含めて」
その撫でられている姿が、もう完全に猫にしか見えなかった。
尻尾をゆらゆらと左右に振って、目をつぶってその撫でられている感触を味わっている。そんなイメージが頭の中に浮かんでくる。性格的な面でもマイペースで、気まぐれ。そんなところもそれっぽい。
「にゃふふっ、もしかしてアタシ猫から人間に生まれ変わっちゃったのかも?」
冗談めいた顔で、私の言った冗談に乗ってくる小鳥遊さん。
「冗談に乗ってこない」
何だかお調子者に振り回されている感じだ。
「ねえ、せんせぇ。コンクール用の絵も描きおわちゃったし、今日はもうやることないから、このまま甘えててもいい?」
そんな小鳥遊さんにやれやれといった感じでいると、今度はいつもの甘えた声を出して、おねだりをしてくる。
「ダメ」
それに私は即答で拒否する。
今も昨日と変わらず私と彼女の2人きりの空間。だからこそ、彼女の理性というストッパーが緩くなっている。だとしたなら、私がそのストッパーにならなければならない。教師として、大人として。立場上、彼女をその気にさせてはいけないのだから。
「ねぇ、お願い……せんせぇ……?」
それをわかっているのか、ただでは引かず、上目遣いになって甘えた声を出して迫ってくる。
「うっ……だ、ダメです!」
その可愛さに負けてしまいそうになる私。完全に自分の武器をわかっている甘え方だった。それに弱いことをわかった上で、攻撃してくる。
小鳥遊さんはかなりの小悪魔みたいだ。でも私も私で、必死にそれに耐えて、教師として断る。
「むぅー……にゃはッ、えいっ!」
これでも折れない私に、頬を膨らませてプスッとした表情になる。でもすぐに、何か悪いことを思いついたように企み顔をしたと思ったその瞬間――
「んん!? ん……んん、ちょっ……ん、」
すばやく顔を近づけて、私の唇を奪っていった。
まるでキスし慣れているかのように、私を攻めたてていく。それに大人である私は虚しくもされるがままであった。
私の唇を味わうかのように、何度も何度も求めてくる。抵抗しようにも、がっちりと抱きしめられてしまい、離すことができない。
「――ぷはっーおいしかったー!」
それからしばらくそれが続き、ようやく唇を離す小鳥遊さん。まるで私の唇を食べ物のように、堪能して満足げな顔でニッコリと微笑む。
その余裕っぷり、本当に慣れているんじゃないかと疑うほどだった。
「お、おお、おいおい、おいしかったじゃないでしょー!?」
たいしての私は突然の事態に混乱していた。そもそもキスの経験なんて殆どないのに、プロのように年下の、しかも生徒にリードされ、キスをされた。
もう一気に色々と起こりすぎて頭がおかしくなりそうだった。
「ふっふふー! せんせーウブだなぁー!」
「大人をからかうのも大概に――」
キスで優位に立てたからといって調子乗っている小鳥遊さんに、ここは教師という立場で叱るべきだろう。そう考えて、私は声を低くし、怒ろうとするのだが、
「せんせぇー……にゃあぁー!」
それに一切動じることなく、マイペースな彼女はそのままもはや飛び掛かるようにして私に抱きついてくる。そして顔を私の体にすりすりと擦り付けて、気持ちよさそうな顔をしている。
「こらっ、くっつかないの!」
「でも抵抗はしないんだね、せんせぇやさしーいー」
「――はぁ……もう……ちょっとだけよ?」
なんだかこんな感じの子に怒るのもバカらしくなってきた。
何から何まで私はこの子に翻弄されてばかりのようだ。私の方が折れて、彼女の好きのままにしてあげることにした。
「うん! ねえ……頭も撫でて?」
この子は思っている以上に頭がいいというか、人の扱いをわかっているというか。上目遣いになって、猫なで声で私を攻めてくる。それが、
「うぐっ」
私にクリーンヒットすることも本人は知っていて。
こうすれば自分の欲望を満たせるということを彼女はわかっている分、小悪魔どころかもはや単純な悪魔みたいだ。でもそれを許せてしまう私がいた。こんなふうに猫みたいに懐かれて、甘えられて、悪くはないかなと思ってしまう。
だからこそ、厳しく叱れない私がいる。その彼女の行き過ぎた行動を止められない私がいる。そこになんとなく気付き始めている私がいた。




