3話「困った子猫さん」
ある日の放課後。美術部の顧問である私は、今日も今日とて美術室で生徒たちの監督兼アドバイザーをやっている。私の担当教科は英語で、美術じゃないのに。
『部活の顧問はいい経験になるから若い者に』という名目の美術担当教師によるパワハラが原因だ。美術自体、ちょろっとかじったことがあるだけでほとんど知識も素人同然。でもそれでも成り立ってしまうようなゆるーい感じの部活、それが我がリリウムの美術部なのだ。もちろん生徒たちはみんな絵を描くのが好きで入っている。だから今日もみんな真面目に文化祭への展示を兼ねたコンクールに提出する絵を描くために各自、外へ出てモチーフを探しに行っている。ただ、ある1人を除いて。
「――ねえ、せんせぇー」
傍から見てもわかるほどに、木の椅子に退屈そうに座っている小鳥遊さんが、甘ったるい猫なで声みたいな感じで、私のことを呼んでくる。
「なに、小鳥遊さん」
「飽きたぁー!」
露骨に嫌そうな顔をしてめいいっぱい伸びをしてだるそうな感じで全くもって描く気がない様子の彼女。
絵の実力はコンクールで入賞できるほどの腕なのに、如何せん本人のやる気がまるでない。正直、私はこの子に色々な意味で手を焼いていた。
「ダメ、ちゃんと描きなさい」
実力云々を抜きにして、美術部に所属している以上はちゃんと活動をしてもらわなければならない。だから私は厳しく突き放すように、そう言った。
「え、やだー」
一応、これでも私は先生なのに、全くそれに動じずマイペースな感じで気だるそうにそれを拒んでくる小鳥遊さん。
その怖いもの知らずの度胸は褒めてあげたいぐらいだけど、今それじゃ困る。
「ていうか言い方悪いけれど、どうしてこの部に入ってるの? 絵描くの嫌なら、辞めればいいじゃない」
嫌なら辞めればいい。ものすごく単純なことだ。だから小鳥遊さんの行動は矛盾している。
この部活に所属、しかも幽霊部員にならず参加しながらも、その活動をしない。本来、部活は強制でもないし、授業と違ってやるのも辞めるのも本人の自由なのだから。
しかも仮に彼女の絵が上手だからといって、この部活は彼女の実力に合うほどの活動をしているかと言われれば、そうでもない。ただ絵を描くことが好きな人たちが、好きに絵を描く場所なのだ。それはもう言ってしまえば、趣味の延長線上のもの。それに部員数に困ってるわけでもないから、辞めてもらっても私は一切構わないのに
「それはダメだよッ!?」
けれど、小鳥遊さんは急に尻尾がピンっと立ったみたいに、必死になってそれを否定する。
「どうして?」
そう言うからにはたぶん、辞めたくない理由があるのだろう。その言い分を訊いてみると、
「せんせぇがいるから!」
とても意味不明な回答が返ってきた。
「はい?」
これほどまでに理解できないのは初めてかもしれない。部活を辞めたくない理由がどうして『先生がいるから』なのだろうか。繋がりが私には全く見えなかった。
「せんせぇと一緒にいたいから!」
そしてさらに私を困惑させるかのように、分かっていない私に対して詳しい理由を説明してくる。
「なにそれ……」
『私と一緒にいたい』というそれだけのために部活をしているということが今初めてわかった。まさかそんな不純な理由でこの部に入っているとは思いもしなかった。
やたらと懐かれているというか、心を開いているような感じはしていたけれど、それで部活まで一緒にいたいと思うなんて……たしかにそうやって心を開いてくれるのは嬉しいけど別に私はこれといって何かしたわけでもない。そんなに懐かれることに、思い当たる節が全くないのだ。どうしてこんなにも懐かれているのか、ちょっと不思議だ。それに、そんな不純な理由で部活をしているというのは教師の立場からしてもちょっと考え物だ。
「あっ、そうだ! だったらせんせぇ! アタシね、ちゃんと描くから、その代わり出来たらご褒美ちょうだいっ!」
そんな小鳥遊さんに困惑していると、小鳥遊さんは思いついたようにパッと顔を明るくし、絵を描くのにご褒美を要求してくる。
「ご褒美……?」
「うん、たまにやってくれる、あの顎の下くすぐるやつ! やってくれたら、描いてあげてもいいよぉー?」
ちょっと偉そうな感じで、上からそんなことを言ってくる。
ホントに猫みたいなこの子は、猫と同じように顎の下の部分をくすぐってあげると気持ちよさそうにして喜ぶ。猫っぽいからという理由でたまにやっていたのだけれど、彼女にはクセになっていたみたいだ。
「あぁーアレね……わかったわ、それで手を打ちましょう」
もので釣るのも教師としてどうかとも思ったけど、これぐらいで描いてくれるのならしてあげてもいいかなと思った。部活に入っている理由も理由だし、さすがに何か実績がないと教室に来ているのに幽霊部員になってしまう。
だからこそ、ここで描かせてちゃんとした実績を作らせてあげたほうが他の先生方からもうるさく言われないで済むだろう。
「やったぁー! せんせぇスキぃー! ちゅー!」
それにまた子供みたいにはしゃいで、腕をあげて喜んでいる小鳥遊さん。そしてそのままの勢いで、私にキスしようと迫ってくる。
「ちょっ、こらっ! キスしない!」
もちろん教師という立場から、小鳥遊さんの肩を掴んで制止する。
「えぇぇー? ただの愛情表現なのにぃー!」
それに小鳥遊さんは不服そうな顔をしながら、頬を膨らませていた。
「愛情表現ってね……」
この子もこの島で生まれ育った子なのに、どこでそんな外国的な文化を身につけたのか。そういう知識を中途半端に学んでしまうと、こんなふうに間違った解釈になってしまうことがあるから、なおさら危険なのに。
「にゃふふっ、アタシ、せんせぇのことスキだもん!」
私が彼女に呆れていると、独特の笑い方をしてそんなふうにサラッと自分の気持ちを曝け出してくる。
「はいはい」
私はいつもの感じでそれを適当にあしらう。彼女が恋愛的感情を私に抱いていたとして、私は教師で彼女は生徒だ。その気にさせてはいけない。だからむしろその気はないように振る舞って、彼女の想いをなくしてしまった方がいいのだ。
だからいつも私はこんなふうに扱うのがもはや習慣みたいになっていた。
「むぅーホンキなのにぃ!」
「そんなこと言ってないでちゃんと約束したんだから、コンクールの絵描くのよ?」
「はーい……」
それからはまるで尻尾がだらーんと垂れたようになって、相変わらずやる気のない感じだった。
ただ約束した手前か、何か題材を考えているような雰囲気だった。まああんな感じでもやる気は一応あるのだろうと思い、私はそれ以降、彼女の邪魔をしてはいけないと何か話しかけるようなことはしなかった。
それから数分程度でやる気に火が灯ったのか真剣な眼差しで、絵に取り組み始めていた。これなら大丈夫だろうと、私も安心し、その日の部活は終わったのであった。




