2話「楽園の島、地獄の島」
8月の暑さが未だに冷めず、暑い日がまだまだ続く9月の頭のこと。
私はいつものように部屋で明日の授業の準備をしていると、携帯が突然に鳴り出した。誰だろうと思い、机に置いてあった携帯を手にとって画面を確認する。友人の『志保』からだ。
でも今のこの時代に『電話』というものが珍しく思えた。普段なら志保も何か遊びに行くにしても、メッセやメールで済ませる。今日に限って電話、というのはやはりちょっと身構えてしまう自分がいた。何かあったのだろうか、そんな不安を抱えながらもその電話に出る。
「もしもし? どうしたの?」
「あっ、えとー……ちょっと話したいことが、あってさ……」
その口ぶりの重たさ、声色からしてもやはり何かあったみたいだ。何か悩み事だろうか、と思いを巡らせながら、
「うん、いいけど」
私はその話を聞くことにした。
志保は私と同じ、外から雇われてこの島に入ってきた教師。つまりはこの島の実情を知っている数少ない1人だ。その縁と、元々の腐れ縁の仲もあり、この島で気を張らなくて済む相手である。だからこそ、彼女が悩んだり、元気のないときはできるだけ力になりたかった。
「だいぶ前に話してたさ、この島の試験に受かったって子いたじゃん?」
「ああ、板橋さんのこと?」
たしか5月の末頃かに、そんな話をしたっけ。でもそれが何なのだろう。それも随分前の話だし、今更ように気もするけど。
「うん、その子結局どうだったの? 何か仕込まれてた?」
「あれ、言ってなかったっけ。結局、奥歯にチップがあったの。だから、私たちと一緒の扱いみたい。でも、私たちと違って島のことを何も知らないから、教えられてはないみたいね」
恋愛相談された時に、確認のために奥歯を見たけれど、結局そこにはマイクロチップが埋め込まれてあった。要は彼女はこの島から言語統制を受けているというわけだ。
でもこの島のことを何も知らなかったという点では、それは万一の保険のようなもので、基本的にはこの島で育った子たちと同じ扱いなのだろう。そんな話をその4ヶ月ほど前にした気がする。そんな既視感を覚えながら私は志保に説明をした。
「あぁ……やっぱり言語統制機埋め込まれてたかぁ……まあだよねーアレの存在を知ってるわけだし」
「そうね。一応、この島に入るだけの素質……って言い方は変だけど、それがあったみたい。今はクラスの子と恋仲になってるらしいし」
あれから駒形さんともうまくいっているみたいだし、一緒にいる友達とも傍から見てもとても外の人間とは思えない適応っぷりだと思う。それはやはりこの島の試験に受かるほど、適合者だったというわけだろう。
「へー、じゃあ、一応はこの島に適応しているわけだ。たくましい子だねぇー」
「そうね、私からみてもそんな感じの子。で、これがどうしたの?」
「いやさー、最近の政府のやり方はちょっと度が過ぎてるなーって思って。ただでさえここに預けて育児放棄する親たちが社会問題になってるのに、それ野放しにして受け入れているし。しかもそれはやらないくせに、言語統制や、事実の捏造ばっかしてさーもはやこの島は同性愛者製造機だよね」
政府の人間に聞かれでもしたら抹消されそうな事を言い連ねる志保。彼女も彼女なりにこの島のやり方について、不満や鬱憤が溜まっているみたいだ。
「まあ、それは仕方がないでしょう。その人たちのための楽園なんだから。その生まれてくる新たな生命も、同じく同性愛者であるための措置なわけだし」
でも対して私はそのやり方は致し方がないものだと思っている。
全面的に賛成とまでは、人権の問題も込みでいかないけれど、この島には同性愛者が必要なのに、生まれてくる子たちが同性愛者でない可能性もありえるのだ。そんな存在はこの島で生きていくことは出来ないだろうし、そのための教育が必要であると私は思う。
「そうだけどさー……でもさ、聞いた? 記憶改竄装置のこと」
「ああ、聞いた聞いた。装着した人の記憶を任意のものに書き換えるやつでしょ?」
政府が秘密裏に開発しているその装置は、ヘルメットのような形の機械を対象者の頭につけ、そこから電磁波を流して記憶を改竄するというもの。政府にとって不都合な情報を見聞きされた場合に、その記憶を書き換えるために主に使われると聞いた。政府は本格的に完全なる支配のために動き出しているみたいだ。
「うん、なんでももう人体実験できる段階まで入ってるらしいよ。しかも行く行くは街中に電波を送って改竄できるようにするらしいよ。怖いよね―」
そんな重要な国家機密レベルの情報が、どうしてこう一般人に漏れているかは分からないけれど、外の人々はこれを聞いて恐怖しているなんて聞く。志保はその人たちと同じように迫りくる恐怖に、怯えているようだ。
「そう? 私はいいと思うけど」
けれど、対する私はみんなとは違った。その装置のことを聞いて、むしろ喜ばしいことだと感じていた。
「えーなんで?」
「だって、それを使えばこの島の闇の部分も全て忘れて、生徒たちと同じように生活できるじゃない」
そう。それさえ使えれば、私の念願の夢が叶うのだ。
この島の闇、悪しき部分を全て忘れ去り、無垢な花たちのように暮らしていきたい。そうすれば、これほど幸せなことはないだろう。もちろん板橋さんが以前言っていたように、事実を知っている者からすればそれはとても滑稽な姿に映るだろう。
でもそれでもいい。何も知らないという幸せは、何物にも代えがたいものなのだ。
「まあね。でも消さなくてもいい思い出とかまで消されそうで怖いじゃん? そんなんだからさ、私実家の方に帰ろうかなぁーって思ってて」
「あら? 私たちにはもう帰る場所なんてどこにもないはずでしょ?」
これは冗談混じりの言葉だけれど、でも私たち楽園に住む者たちにとって、これ以上の楽園はない。だから帰った所で待っているのは『地獄』なのだ。
そんなところにわざわざ帰る人なんて、いないでしょう?
「そんな、厳しいこと言わないでよー!」
「でもあそこには私たちを受け入れてくれる場所なんて、どこにもないわよ?」
「まあ、静香はあのトラウマがあるからしゃーなしか。てか、未だに引きずってんの、もう何年前の話よ」
「当たり前でしょ! アレで私は心に大きな傷を負ってるんだから。未だに癒えてないのよ、その傷は」
「まあ、静香はここにいた方が幸せかもね。でもね、そう思うようになったのってちょっとしたワケがあるんだ。この間、私行政区に呼び出されたでしょ?」
「ああ、あったわね」
行政区に民間の人間が呼び出される。それは即ち外からその人へ連絡があったということ。外部との通信は、島の何も知らない無垢花に影響を与えないためにそこで行われている。だからきっと、志保のそれもそうだろうと高をくくっていた。
「それがいったら外から私に電話が来てたみたいでさ。それが母親からの電話でさーお母さんが帰ってこいって言ってるんだよ。家業を手伝ってくれって。両親も歳だし、私のアレも一応いるにはいるんだけど、それでも人手が足りないみたい」
その予想通り、どうやら家族からの電話があったみたいだ。
おそらく『アレ』というのは兄のことだろう。言語統制されているため、それすら言えないので、知っている者同士で話す場合はどうしてもその言葉の奥の意味まで汲み取る必要が出てくる。
ホント、この制度めんどくさい。いいところもあるけど、もちろんその分悪いところも多い。
「んー……いいんじゃない? 確か志保の実家は農家だったわよね」
私としては本人がこの島で起こりうるこれからのことを考えて、島を出る気になっているのだし、
家族に必要とされているのであれば帰ってもいいように思える。この島においては、定期帰省すら許されていないから、自ずと家族にも会うことができなくなる。だから家族に顔を見せてあげるという意味も込めて、帰るという選択肢はアリだと思う。
「うん、まあ私も別に農家が嫌なわけじゃないからいいんだけどさ……」
だけど志保は私の言葉に、どこか未だ決心がつかないような歯切れの悪い感じだった。たぶんこの電話をしてきている時点で、踏ん切りがつかない自分に、相談に乗ってもらおうという感じなのだろう。その引っかかている部分は、果たして何なのか。
「いいんだけど?」
でも、その答えはもう分かっているようなものだった。
「この島を出るってことは、いわば楽園を捨てて現実へ戻るってことでしょ?」
「……名残惜しいの?」
『楽園』を捨てる勇気、決断がつかないのだろう。その思いを汲み取るように、私は志保に言葉を投げかける。
「んーだから迷ってるんだよね。ここのやり方が例え酷くても、私たちには楽園なわけで。農家継ぐとなると、自動的に教職は捨てることになるから、この島とも二度と関わることがなくなって、戻れなくなるし。でも、だからといってここに残るってのも、それはそれで怖い」
「突き放すような事言うかもしれないけど、結局選ぶのはあなた次第よ、志保。私があくまでも背中を押したり、引き止めたりするだけ。最終的に選ぶのはあなた。そうね、私としてはその覚悟があるんなら、出ていってもいいんじゃない?」
「覚悟か……」
「でも、その覚悟は相当なものよ。ここ出ていったら、二度とは戻ってこれない。自分の選択に、後悔してしまわないように慎重に選ぶことね。何も親御さんも今すぐに戻ってこいって言ってるわけじゃないんでしょうし、もうちょっと考えてみたら?」
「うん、そうだね。もうちょっと自分なりに考えてみる。ありがと、話せて気が楽になった」
「それはよかった」
「そうだ、今度飲みに行こうよ!」
「うん、時間があいたときにでもねー」
「うん、じゃあまたねー」
そんな挨拶を交わし、私は電話を切る。そしてすぐに思うこと。
今の志保の葛藤は、それだけこの島が『私たち』にとって生きやすく、心地のいい場所ということだ。
私なら、まずここから離れるということは絶対にしない。たとえこの島の管理者たちに不満があったとしても、それには代えられない幸せがここにはあるから。
でも志保はその不満がここを立ち退く理由になってしまっている。それとちょうど同じ時期にそういった話が舞い込んできて、この島の管理統制から逃げるチャンスを得てしまった。志保がどの道を選ぶのかは、それは本人の自由。でもそれで決して『後悔』だけはしてほしくないと切に思う。もう後には戻れない、一生を左右する大きな分かれ道なのだから。
私にはあくまでもサポートすることしかできないけれど、出来る限り力になって応援したい、そう思うのであった。




