2話「お宅訪問」
「――ごめんね……服濡れちゃったでしょ?」
部屋へ向かう道中、なんとなくコミュニティールームから強引に引っ張った手を離すタイミングを失い、そのままで歩いてると、後ろを歩く唯がどこか申し訳なさそうにそう謝ってくる。
「え? ああ、いいって、どうせこれから部屋行くんだし、着替えればいいよ」
「うん……」
「ねえ、めぐみは悲しくないの?」
同じ失恋したもの同士なのに、おそらく自分とはその後が違うことに違和感があったのだろう、そんなことを訊いてくる。
「まあ、私の場合は誰かさんに散々慰めてもらったからね」
実際、そのご本人さんは私が泣いていた本当の理由を知ってはないんだろうけど。
大方、『結ばれたら泣いて喜ぶ』なんて言ったのを真に受けたところだろう。
「ふーん、それって凉香ちゃん?」
「そう、告白するって決めた日に我慢できなくてね」
「へー、めぐみが泣くって珍しい、ちょっと見たかったかも」
「だーめ。これはすずとの秘密」
私の泣き顔なんて誰にも見せてやるもんか。恥ずかしくてしょうがない。それにそれはやはりすずだからこそ見せられる表情だと思うし。
「ちぇー、めぐみの恥ずかしいところ見たかったのにー……」
悔しそうな声をしながら、まだ『恥ずかしいところ』を気にしている唯。あれはどちらかと言えば、『言葉の綾』というもので、そういうところを見せ合えるくらいに心を開いている関係だから、別に気にしなくてもいいって感じの意味だったんだけど。
まあ、一方的に自分だけ恥ずかしいところをみられているわけだし、唯の気持ちもわからないわけではないけれど。
「まあ、たぶっ――」
『たぶん部屋へ行けば何かしらあるよ』と言いたかったのに、歩いているその先にそれを妨げるものが現れた。
「ん、どうしたの?」
「うっ、ぎゃああああ――――! むしぃいいいい!」
虫が現れたのだ。しかもムカデ。ぐねぐねしていて気持ちが悪かった。
そいつを認識してしまった瞬間、すぐさま後ろにいた唯へと抱きつき、目を閉じる。
「ふ、ふふっ、ふふふふ」
その醜態を晒す私を、笑う唯。
「わらうなぁー!」
「ふふ、ごめん、ごめん。虫ダメなんだね、ちょっと待ってて……」
その指示通りに私は唯から離れ、唯の行動を待つ。その間も私は目をつぶり、うずくまって震えていた。
「はい、もう大丈夫だよ」
その言葉を信じ、私は目を開け、辺りを見渡す。
すると唯の言葉通り、虫はもうおらず、安全な状態となっていた。
「はーよかったぁー……ありがとう」
「虫ダメなんて、かわいいねー」
ようやく恥ずかしいところを見つけたと言わんばかりに、ニヤニヤしながらそんなこと言う。
「くっそぉー……」
仕方がないとは言え、ちょっと悔しい。勝負しているわけでもないけど、なんか負けた気がする。
「てか、怯え方が異常だったけど、何かトラウマでもある感じ?」
「うん、ちょっと子供の時にホラー映画みてね。その内容のせいでトラウマに……」
タイトルすら思い出したくない、忌々しいあの映画。そのせいで、私は虫に対して恐怖を植え付けられた。
「ああーなんとなくそれでわかった。虫が体中に絡みついてくるやつだ」
結構有名なものなので、唯もそれだけですぐにわかったようだ。
「ちょっ! その話ダメ! 思い出しちゃうでしょ!」
でもその話を聞くだけで、その思い出がフラッシュバックする。そして背筋がゾクゾクし始める。やっぱり未だに私はアレを克服できていないようだ。
「ああ、ごめん。まあ、ああいうグロいやつって嫌だよね」
「うん、しかもそれ別に見たかったやつでもないのに、友達に無理矢理見せられて……なおのことトラウマに……」
ホント、えらいことをしてくれたものだ。高校生になってもトラウマになっているんだから。
もっとも、もうその友達は旧友で今はもう殆ど会うこともない関係だけれど。逆にだからこそ、そいつが腹立たしいのもある。
「うわぁー……それは可哀想……」
「さ、さあ! そんな虫の話は置いておいて、部屋へ行こう!」
嫌なことばかり話しててネガティブになってはいけない。これはそもそも唯を慰めるためのもの。ポジティブに、明るくいかなくては。
改めて、私は部屋へと向かう。
◇◆◇◆◇
「へーここがめぐみたちの部屋なんだぁー」
唯は部屋についてから、物珍しそうに私たちの部屋を散策し始めた。
私は自分のベッドに座って、それを見つめていた。
「自分たちの部屋とたいして変わらないでしょ」
「まあそうだけどさー……うわ、てか、本いっぱいー! しかも涼香ちゃんの棚にまで」
入寮時に用意されている本棚には、ぎっしりと本を所狭しと入ってる。それを唯は驚いた様子で見ている。
「すずは本読まないからね」
すずは基本的に棚を使っていないし、なおかつ私も読む本の量がバカにならないので、すずのを使わせてもらっている。もう読み終わった本は自分の実家に置いてくればそれで解決するのだが、如何せん面倒。だからこの中にはもう読み終わって、しばらく読み返してないのも結構ある。
「で、アルバムは?」
一通り部屋をみた後、お目当てのものがなかったからか、私にそんなことを訊いてくる。
というよりまだ諦めてなかったのか。そもそもさっき私の恥ずかしいところは見たと言ってもいいのに。
「ないよ」
その質問に私はあっさりと本当のことを白状する。
最初からアルバムなんてものはなかった。あの状況を切り抜けるために、とっさに出たのがそれだったから。
「ちょっと!」
「あるわけないじゃん。ていうか寮に自分の昔のアルバム持ってくるってどうよ」
よっぽど自分のことが好きでもない限り、寮にまでアルバムなんて持ってくる人はいないだろう。普通なら実家に置いてくるか、あったとしても昔のアルバムを友達同士で観賞しあいっこでもするときだろうし。
「まあ確かに」
その事実にどこか納得のいっていない様子の唯。
「アルバムはなくても、何か……あ、これがもしかして……あの噂の涙で濡らした枕ですかぁ?」
唯は私のベッドの枕を見て、見つけたと言わんばかりのニヤニヤした顔で、悪そうに訊いてくる。
「それは違うよ」
「えっ、もしかして――」
「うん……まあその流れで、すずのベッドで一緒に寝ることに……」
「ええ、マジで!? 罪作りな女だねぇー」
唯はとても驚いた様子で、私を見つめていた。
「いや、だってー……涙が止まらなかったんだからしょうがないでしょ」
所謂、不可抗力というやつだ。すずは私が泣いた真意は分かってないので、ただの厚意でしてくれたこと。でもそれがさらに私の心を揺さぶり、涙が溢れてしまった。その流れで最終的にベッドに寝ることになったわけだ。
だからあれは不可抗力、仕方のないこと。まあでも、恋人の常葉さんよりも先に、同じベッドで一夜を共にしたというのはちょっと優越感はあるけど。
「まあ、その気持ちは私も分からなくはないけどさー……ていうか考えてみれば、好きな女の子に慰めてもらうってのも中々に異端だよね」
「だね、たぶんそのおかげで吹っ切れたんだと思う――」
あれでもう一生分ぐらいのすずを感じたから、もう大丈夫。もう私は未練なく純粋に2人の恋路を応援できると思う。
それから私たちは他愛もない話でもしながら、大型連休の1日を過ごしていた。
「――で、これからどうしよっか」
それからしばらくして、話も落ち着いたころ、唯がそんなことを言ってくる。
「じゃあさ、唯の部屋行こうよ! 今私の部屋みせたから、次は唯の部屋ってことで」
正直、行ったことのなかった唯たちの部屋には興味があった。2人がどんな私生活を送っているのか気になるし。
「あーいいね! じゃ、いこっか」
ということで、今度は唯たちの部屋を訪問することとなった。




