1話「清算しきれてない想い」
学生なら誰もが待ち望んだ5月の大型連休。その中日、私はすずの準備が終わるのを玄関で待っていた。
この大型連休に他の人たちの例に漏れず、先日できたばかりのホヤホヤカップルも今日デートすることになっている。その行き先は遊園地。どう考えても他の家族連れやカップルたちで混んでいること間違いないだろうが、それでも2人は行くことにしたらしい。
インドア派な私からすれば、自ら人でごった返す場所へ行く気が知れないが、まあそれは置いておこう。
「すずー! 早くしないと遅れるよ―!」
いつまで経っても洗面所から出てこないすずに、私は痺れを切らし呼びかける。
おそらくあの大好きな常葉さんとの初デートだから、自分が大丈夫かどうか、変じゃないかが気になって鏡とにらめっこしているのだろう。それにすずの臆病な性格も相まって、なおのことそれが続いているのだろう。
そんなことを考えていると、洗面所からようやくすずが現れた。だが、その顔はまだ不安が残っているような感じだった。
「これで大丈夫?」
「うん、大丈夫。似合ってるよ」
すずにしては少し背伸びをした私服。いつもは何も結っていない髪を、今日は後ろで結び、前髪はヘアピンで分けてかわいく仕上げた。
私から見ても、どこに出しても恥ずかしくない出来だ。前日にデパートに行って、散々悩んで買って来ただけのことはある。きっと常葉さんも喜んでくれることだろう。
「うん、ありがとう!」
すずは満面の笑みで私にお礼する。うん、すずの笑顔はやっぱり可愛い。
「お弁当は持った?」
朝からずっと鏡とにらめっこだったので、一応確認する。うっかり忘れていたなんてこともなくはないので。
「ええ、大丈夫」
「その他忘れ物は?」
「ふふ、もうめぐ、大丈夫よ。昨日あれだけ確認したじゃない」
実のところめぐの言う通り、昨日もこんなやり取りをしている。私も私で石橋を叩いて渡るぐらい慎重になっているようだ。案外、私が一番このデートに力が入っているのかもしれない。
「ならいいけど……忘れたってなって、せっかくのデートを台無しにしないようにね」
「ええ、わかってるわ。よし、じゃあ、行きましょうか」
すずはそう言って玄関の扉を開ける。一応私と荒川さんも寮の玄関先まで見送ることになっている。なので、私もすずと共に部屋を後にする。
だが、これに気がかりなことがあった。荒川さんのことだ。私はすずの胸で散々泣いたからもう未練はないものの、彼女はまだ未練を清算しきれていない。私も私で彼女をまだ慰めていないし。だからこの見送りが彼女にとって辛いものにならないかと心配だった。
もちろん見送るのに、荒川さんだけが不参加というわけにもいくまい。私や常葉さんは事情を知っていても、すずはそれを知らない。すずがそれを変に思うのは間違いないからだ。
それをたぶん荒川さんも理解して、今日のこの見送りに来ることにしたのだろう。何もなく無事に見送れれば、それでいいのだが。
「――あ、来た来た!」
1階へと降り、玄関へと向かうともう既に常葉さんと荒川さんが待っていた。
常葉さんは手を振り、こっちへと手招きしている。その姿は、今日のために頑張ったんだろうという努力が見え隠れするそれだった。普段の私服よりも、かなり気合が入った仕上がりだ。対して、かの荒川さんはというと、私でも分かるブルー状態。明らかに楽しそうじゃなかった。
「ごめん、待たせた?」
「ううん、いま来たところだから!」
そんなカップルみたいな会話をしているすずと常葉さん。その2人で並ぶ姿はとても絵になっていてちょっぴり妬けてしまう。それと同時に、こうして普通に会話できるようになっていて嬉しくもあった。
「さあさあ、早く行かないとバスの時間に遅れちゃうよ」
私はそんな2人を見ながら、遅れてしまわないように2人を急かす。
「え、もうそんな時間!? 凉香、早くいこっ!」
「え、ええ!」
「混んでるとは思うけど、楽しんできてね」
「うん、じゃ、いってきまーす!」
常葉さんはいつもの元気な声でそう挨拶し、2人でちゃんと手を繋いで寮を後にする。
「はーい、いってらっしゃーい」
私は手を振りながら、そんな2人を見送った。そしてふと横目で荒川さんの方を見ると、同じように手は振っているものの、それに元気がなかった。
結局、この間に一言も喋らなかった荒川さん。やはりまだ未練があるとみえる。あの時、『慰めて』とは言われたものの、私はどうすればいいかわからなかった。だから今もなお慰めてはいない。変に傷つけても悪いし、今は彼女を待つべきだろう。
「ねぇ……」
そう思い、部屋へと戻ろうとした矢先のこと。私の服の裾を掴んで引っ張り、そう告げる。
その声は明らかに震えていた。
どうやら来たようだ、慰めるその時が。
「え、と……ここじゃアレだし、コミュニティールームでも行く? たぶんそこなら誰もいないだろうし」
私を呼んでから、何も言葉を発しない荒川さんに、私はそんな提案をする。
まさか、この休日にコミュニティールームに来る変人はいないだろう。そこへ行かずとも、普通に部屋でテレビは見れるだろうし。それに今の時間じゃ、ろくな番組やってないだろうし。
「……じゃ、じゃあ、い、行きましょうか」
その提案に荒川さんが頷いたので、私はそう返事をする。
ただ、どうにもいつもの荒川さんとはまるで違うので、調子が狂い、敬語なんて使ってしまう。
こんな調子で彼女を慰めることなんてはてしてできるのだろうか。そんな不安を胸に抱きながら、私たちは1階のコミュニティールームへと向かった。
◇◆◇◆◇
コミュニティールームには、案の定そこには誰もいなかった。
この部屋も私たちの部屋と同じで防音。だから泣くにはちょうどいい。ちゃんと部屋の扉に鍵を掛け、外の札も『使用中』に変えた。これでもう外から部外者が入ることもない。後は私が荒川さんを慰めればいいだけ。
「おいで」
私は1人で少し部屋の奥へ行き、振り返って手を広げ荒川さんにそう告げる。
「うっ……うっ……」
私のそれに、堪えていた涙がいよいよ溢れ出し、すぐさま私に抱きついてくる。
「うわああああああ――――!」
そして荒川さんはこれでもかというぐらいに泣き叫ぶ。これが荒川さんの溜めに溜め込んでいた想い。私はそれを全身全霊で受け止める。
「バカッ! 杏奈のばかぁー……!」
その悲しみの声、ちょっと痛いぐらいの締め付け。そしていつまで経っても枯れることのない涙の水源。
その全てが荒川さんが常葉さんのことをどれだけ好きで、そしてフラれたことによってどれだけの悲しみを背負ったかが見て取れる。もちろん私も同じ立場だからその苦しみがものすごくわかる。ツラくて、苦しくて、どうしようもならないから余計に悔しくて。だからもう、ここで泣きたいだけ泣けばいいと思う。溜まっている悲しみを全て吐き出せばいい。そうしたらきっとスッキリして、前に進もうと思えるはずだから。
◇◆◇◆◇
――それからどれぐらいしただろうか、泣きまくった荒川さんもすっかり落ち着いて泣き止んでいた。だがしかし、それでもなお、私に抱きついたままであった。
「あの、そろそろ……」
と私が言うと、それに反して荒川さんはギュッと腕で私を締め付ける。
「え、なんで?」
その不可解な行動に私は戸惑う。
「……はずかしい」
意識しなければ聞き逃してしまいそうなぐらい小さな声で、そう呟く荒川さん。相変わらず私を離すものかと強く強く抱きしめたまま。
「へ?」
「泣きじゃくるところ見られたから……」
「ああ、なるほど……」
つまり荒川さんは自分が子供みたいに泣いているのを私に見られた、その事実が今になって恥ずかしくなってきたというわけか。
こりゃまいった。いつまでもこうしているというわけにもいかないし、立ちっぱなしだからいい加減に座りたい。
「あら……唯!」
困った私は唯の顔を無理矢理両手で掴み、こちらの方へと向かせる。そして真剣な眼差しで、彼女の目を見つめる。
「私たち……親友でしょ? だったら、こういう恥ずかしいところだって共有していこうよ、それが親友でしょ」
「うぅー……でも、ならまだめぐみの恥ずかしいところ見てない」
よっぽどみられるのが恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして、唇を尖らせながらそんなことを言う。
「えー……まいったなぁー……」
恥ずかしいところと言われても、とっさに思いつくものがない。
「じゃあ、部屋来る? ある意味恥ずかしいところでしょ?」
いい案が思いつかなかったので、部屋に呼ぶことにした。
そこは私のプライベートな空間であるから、何かしらまだ見せていない恥ずかしいところもあるだろう。たしか、常葉さんたちを私たちの部屋に呼んだことってなかったはずだから。
「んー微妙に納得いかない」
「ほら! 小さい頃のアルバムとかあるかも?」
「あるかどうか自分は知ってるでしょ」
「ああー! もういいから黙って来るの!」
まどろっこしくなったので、もう強引に私は唯の手を引っ張り、コミュニティールームを後にする。
雑にはなったが、とりあえず現状を変えることは出来た。ああは言ったけど、たぶん今更みられて恥ずかしいものなんて部屋にはないと思う。まあそれでも、これをきっかけにより私たちが互いを知る機会になればいいなと思う。部屋に呼んだのはその意味も含まれている。
前までは、どうしてもすずの関係でそれができなかった。だって、私が常葉さんたちと仲を深める前に、まずすずが常葉さんと仲を深めるのが先だからだ。それがゴタゴタして、今までずれ込んだおかげでこんなことになってしまった。
でも、それも今となっては昔の話。今はもう2人は恋人となったのだから、あっちはあっちで、こっちは恋に『敗れた』者同士で傷の舐めあいでもしようかな。そんなことを思いながら、私は自分の部屋へと向かった。