15話「『恋』という花が咲いた」
中学1年のある日の放課後。
木々はすっかり紅葉し、枯れ葉も辺りに積もってまさに秋一色となった中庭でのこと。
「どうしよう、どうしよう……?」
私は困り果てていた。いつもならスカートのポケットに入れているはずの家の鍵をなくしてしまった。
考えられるとしたら、今日私が掃除当番でゴミ箱をゴミ捨て場にもっていった時ぐらい。その際に中庭を通ったから、てっきりそこだと思ったのだが……結局いくら辺りを探しても見つからなかった。不運なことに、枯れ葉が降り積もっていることでさらに探すのが困難になってしまっている。当然ながら、今日は親が遅くまで帰ってこない。だから鍵を渡された。でもその鍵をなくしてしまった。ああ、どうしよう。近所の家に帰ってくるまで待たせてもらうなんて、そんな勇気私にはないし、さらに加えてめぐは今日は法事で欠席、行くわけなにはいかない。もう策がつきて、ほとほと諦めかけていた、そんな時だった。
「ねえ、どうしたの? なにかお困り?」
私に声をかけてくる生徒がいた。突然のことに、すこしビックリしつつ、私はその声の方へと振り返る。だがその人は私の知り合いでも、ましてやクラスメイトでもなかった。靴の色で同学年だということは分かるが、それ以外は全く分からない赤の他人。そんな人が私の困っている姿を見て、声をかけてくれたらしい。
「あ、えと……そ、その……い、家の鍵をなくして……」
同学年とは言え、見ず知らずの人に声をかけるなんてすごいなと感心しつつ、如何せんめぐ以外の人と話すのは久しぶりだったので、緊張しながらもその質問に答える。
「うわっ! それは大変だね、一緒に探すよ!」
彼女はまるで自分のことのように心配そうな顔をし、私にそう言う。
「え、あの、大丈夫です……よ?」
まさか初対面の人に、探してもらうなんて申し訳ない。これは私が悪いのだし、それに知らない人と一緒に探すのは、いつもの人見知りが発動しそうで怖い。それで悪い気分させてしまっては、私も彼女も気持ちは良くないだろう。
「そんなわけにいかないでしょ? 鍵なくしたってことは家には帰れないんだよ? たぶん焦って探してる辺り、今日は親の帰り遅いんでしょ?」
私の遠慮に食い下がらず、さらに私の行動をみて、ズバリと今の置かれている状況を言い当てた。
「え、あ、はいそうです……でもなんで?」
それに驚きを隠せず、その理由を訊いてしまう。
「ん、なんとなく……かな? 観察力には自身がありますから! てか、そんなことよりさっさと探そうよ! 日が暮れちゃうよ!」
腕を組んでしたり顔で得意げにそう自慢した後、周辺を探索し始める。
「は、はい!」
彼女に後押しされ、私は無意識のうちにそんな返事をしていた。全くもって関係のない事なのに、こんなにも親切にしてくれる人がいるんだと、驚いている自分がいた。私が今まで――といってもたかだか十数年だけれど――でもその中でこれだけしてくれる人は多分めぐとこの人くらいだろう。私はそんな彼女に興味がひかれつつ、その彼女につられるまま一緒に鍵探しをすることとなった。
◇◆◇◆◇
「んーこれだけ探してもないかー……まいったなー」
それからどれぐらいの時が流れただろうか、手当たり次第に思い当たる場所を探してみるも、探しても探しても結局鍵は見つからなかった。辺りも暗くなりだしている上に、下校時間も迫ってきている
「あ、あの! も、もういいですよ、暗くなってきましたし。鍵も見つからないみたいなので」
いくら探しても見つからない状況に、困った顔をしているその彼女を見て、私はいたたまれなくなり諦めることを決意する。もうこれだけ探してないのであれば仕方がない。もう見つかる可能性は限りなく低いだろう。
「そんなわけいかないよ! このままじゃ家に帰れないんだよ!?」
その私の言葉に引き下がることなく、相変わらず私の心配をしてくれている見ず知らずの彼女。
「きょ、今日はとりあえず友達の家に泊めてもらいますから」
そんな嘘をつく。でもこれ以上彼女に迷惑をかけるのはいたたまれない。
「んー……それは最終手段までとっておくとして、もうちょっと探そうよ!」
「ど、どうしてそこまで?」
ここまでの言動で、私はずっと疑問に思ってきたことをぶつけてみる。どうしてここまで親身になって、私の困り事を解決してくれようとしているのだろうか。私の鍵がなくたって、この人には全く困ることはないのに。それに私と彼女は今日初めて会って、初めて会話した赤の他人なのに。
「ん? あなたを助けたいと思ったから。それ以外に理由がいる?」
彼女はそんなかっこいいセリフをさらっと言う。その言葉を聞いた瞬間、私の頭にジーンと痺れるような感覚が流れる。こんな言葉がスッと出てくるこの人が本当にカッコよくみえた。そして、本当にこんな良い人に声をかけてもらって良かったなと、嬉しく思った。
「でもまいったなー……いっくら探しても見つからないんじゃなー……あっ、そうだ! 案外、こういうときって灯台下暗しでカバンの奥底とかに入ってたりするんだよねーちょっとさ、見てみてよ!」
そう言われ、私はその彼女の指示通りに持っていたカバンの中に手を入れて探ってみる。すると――
「は、はい! ……あっ、あぁぁ……!」
なんてことだ。本当に彼女の言う通りに、奥底に鍵があったではないか。私は恐る恐るそれをカバンから取り出し、彼女に見せる。その鍵を持つ手は、小刻みに震えていた。だってそうだろう。あれだけ探したものが、たった1つの、私の勘違いで解決してしまったのだから。彼女にもいっぱい迷惑をかけてしまったし、彼女の時間も無駄にした。これはきっと怒られるに違いない。怯えながらも、覚悟を決め、彼女の言葉を待った。
「あっ! ホントにあったじゃーん! よかったー!」
そう心配する私を他所に意外や意外、彼女はまるで自分のことのように嬉しそうに喜んでくれた。
「え、あれ? お、怒らないんですか?」
その意外な反応に私は拍子抜けして、そんな訊かなくていいことを訊いてしまう。
「え、なんで私が怒らないといけないの?」
「だ、だってこんなに探させておて、結局カバンの中にあって……それに時間の無駄だったわけですし……」
「そんなの気にしてないって! でもここはポジティブに考えるべきじゃないかな?」
「ぽ、ぽじてぃぶ……?」
「うん、こうして私とあなたが仲良くなれるそのために必要だった時間って考えれば、決して無駄じゃないでしょ?」
「な、仲良く……」
こんな性格だから、めぐ以外にろくに友達がいない私にとってはその言葉がとても嬉しかった。それにそんな素敵な考え方をする彼女に、そう思ってくれたことがさらに嬉しかった。
「あれ、違った?」
私の反応に、少し不安そうな顔をする。
「い、いえ、そ、そそそんなことは……ない……です」
恥ずかしくなってきて、いつものように緊張する。
「だよね! よかった。じゃあ、もう暗いし帰ろっか! あ、そうだ、名前まだ聞いてなかったね。私は常葉杏奈。あなたは?」
「え、えと、え、榎本……涼香です……」
「涼香、よろしくね! よし涼香帰ろ!」
そう言うと常葉さんは私の手を取り、引っ張っていく。
「うぇ、ちょっ……!」
突然のそれに動揺しながらも、転ばないように常葉さんについていく。
「危ないから手を繋いで帰ろー!」
それから私と常葉さんは手を繋いだまま一緒に下校することとなった。手を繋いでいるこの状況が正直とても恥ずかしくてしょうがなかったが、でもこの時間がとても幸せに感じられた。対する常葉さんは、私とは違いとても楽しそうに自分のことを話したり、私のことを訊いたりしていた。そんな常葉さんに触れて、常葉さんという人を知り、気づいた時にはもう彼女に惹かれている自分がいた。
どうやら私の心の中には『恋』という花が咲いてしまったようだ――
◇◆◇◆◇
「――え!? 私がいない間にそんなことがあったの!?」
その翌日。朝会前のひと時にめぐに昨日あったことを話す。やはりめぐもめぐで心配そうな顔で、前のめりになっている。
「ええ、でも結局、私のカバンの中にあったの」
「なーんだ、結局すずの早とちりだったってわけだ」
そのオチに拍子抜けしたような顔をして、席へと座りなおす。
「ええ、でも――」
ふと教室の扉の方へと向くと、丁度タイミングよく常葉さんがやってくる。彼女らしい元気な笑顔で、私に手を振りながら。――災い転じて福となす。その言葉の通り、私はこの一件によって大切な想い人ができた。とても優しくて、だけど元気で、いつもニコニコしている、そんなまるで太陽のような存在。それに魅入られた私。これが全ての恋の始まりだ。
◇◆◇◆◇
「――へーまさか涼香も同じだったんだね」
一通り話を聞いた後、意外そうな顔をしながらそんなとんでもないことを言う常葉さん。
「え、同じって?」
「私もその時に好きになったの」
「えっ、そうだったの!?」
意外だった。まさか私たちは同じ理由で好き同士になっていたとは。なんとなく常葉さんと同じだった、ということが嬉しくて、幸せ。
「うん、ぶっちゃけ一目惚れみたいな感じ。可愛い子が困ってるから助けようって」
「そうだったんだ……」
「へへ、でもまさかこうして恋人になれるなんて思いもしなかったけどね」
「私も」
私なんて、絶対にムリだと思っていたぐらいだから、余計に。余計にこうして恋人になれたことが嬉しい。
「あ、そうだ、恋人になったんだから、これから私のこと『杏奈』って呼んでね!」
私がそんな思いに浸っていると、常葉さんは思い出したように、そんな無理難題を言ってくる。
「ええっ! そ、そんな、無理よー!」
「今後、『常葉さん』って呼ばれても無視するから!」
意地でも呼ばせる気なのか、めぐみたいなことを言ってくる常葉さん。
「ちょ、ちょっと常葉さん!」
「あー聞こえなーい」
私の呼びかけに、わざとっぽく背けて聞こえないフリをする。
「あ、あああ、あん……やっぱむりぃ……」
そのまま恋人に無視され続けるのは嫌なので、なんとか呼んでみようと試みるものの、告白した後の今の私にはとても呼べる勇気などなかった。いざ呼ぼうとすると、緊張してしまってうまく言葉が出てこない。
「もー……ま、しょうがないか、告白で精一杯なんだし。今日はごれぐらいで許してあげる、けど! いずれはちゃんと呼んでよね! 甘えて逃げるのはなしだからね!」
「は、はい! 善処します……」
「よろしい! じゃあそろそろ帰ろうっか」
「ええ」
私たちはそう言って、立ち上がる。そしてふと、先を行く常葉さんの手を見つめる。自身の想いを、言葉だけではなく態度で示したいと思った。その刹那、またしても私の心の悪魔が邪魔をする、躊躇わせる。でもここで諦めたら、また逆戻りになる気がした。それじゃ今までの自分と変わらない。私は変わりたい、一歩前に踏み出したい。心の悪魔を振り払い、私は勇気を出して恋人の手を握る。
「ッ!?」
握った瞬間、常葉さんはとても驚いた表情をしたが、その後すぐに微笑んで、それを受け入れてくれた。これが今の私にできる精一杯。でも、いつかはきっとできるはず、じゃなくてできる、やってみせる。頑張ろう、私を支えてくれた人への恩返しの意味も込めて。




