7話「募る気持ち」
『2人の時間』というのは中々に学校では難しものだった。
授業の合間の休み時間でも亜弥ちゃんたちもいて、うまく2人きりになることができない。しかもできたとしてもそれは10分程度のこと、今の私にはそれでは物足りないし、むしろ中途半端に2人きりになると、物足りなさで余計に不満に感じてしまう。
だから私はお昼休みという時間を今か、今かと待ち続けていた。お昼休みならお姉ちゃんと約束したこともあって、確実に2人きりになれて時間もとれる。しかも昨日のように人気のない場所にいけば見つかることもないだろう。
そんな思いで、お昼休みを待ち、そしていよいよその時がやってきた。朝の一件もあったので、私は授業の終鈴がなってすぐにお姉ちゃんを連れて昨日の場所へと向かって行く。
「……朝はごめんなさいね、由乃」
例の場所に到着してすぐ、お姉ちゃんは朝のことをまだ気にしていたようで、気まずそうにそう謝る。
「いいよ、今の時間を楽しもうよ」
過去を気にするよりも、今を楽しみたい。過去は過ぎ去ったことだし、もうどうにかできるわけではない。でも、今、現在はどうにかすることができる。だからこそ今の2人の時間を大切にしたい。
「ええ、そうね」
「……ねえ、お姉ちゃん」
ちょっと間を置いて、私はお姉ちゃんの名前を呼ぶ。この謝罪ムードに便乗して、私はお姉ちゃんにあるお願いをしてみようと思う。
「なあに?」
「食べさせて」
「え?」
お姉ちゃんは私の言葉の意図がわからなかったようで、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして返事する。
「お弁当食べさせて!」
「ふふ、子供じゃないんだから」
お姉ちゃんは軽く笑いながら、そんなことを言う。
でもまさにその言葉通り、子供というかもはや赤ちゃんみたいなお願いをお姉ちゃんにしている。でも今の私はお姉ちゃんにとことん甘えたかった。それによって安心感や、癒やしを得たかった。もうそれなしでは、大袈裟に言って、生きられないほど不安にかられているから。
「だってー私甘えん坊だもーん」
お姉ちゃんの言葉に、私は開き直る。
小さい頃からずっと甘えん坊だったんだし、今更だよ。昔なんて四六時中引っ付きっぱなしだったんだし。たぶんそういう根っこの部分はいくつになっても変わらないものなんだよ。
「もう由乃ったら……わかったわ。はい、口を開けて」
呆れたような顔をして、箸でご飯を持ち上げ、私へ向ける。
「ちゃんと『あーん』って言って」
「ええ? は、恥ずかしい……」
顔を赤面させ、それに戸惑っているお姉ちゃん。
まあ、その姿がかわいいことかわいいこと。こんな表情はやはり私だけが独占できるもの。他の誰にも見せることのない表情。そう思うと、心が清らかになって、優越感に浸れる。
「誰も見てないから、大丈夫だって」
そうここはもはや私とお姉ちゃんだけの空間なのだ。どうせ誰も来やしないのだから、何をしても許されるだろう。
「んー……は、はい、あーん」
少し考えて、渋々私の望みどおりにちゃんと言ってから差し出す。
「うん、いつもどおりおいしい!」
その味はいつもとなんら変わりないおいしいそれだった。でも、やはりこういう形で食べさせてもらっているからか、とても幸せな気分を味わっていた。
「そう、ありがとう」
「はい、次!」
「え、これまさか全部これで?」
「うん、もちろん」
流石に一回だけでは物足りない。もっともっと幸せな気分を味わいたい。
もはや私は幼児退行した、大きな赤ちゃんといったところか。
「それじゃ、私がお弁当食べられないでしょう?」
お姉ちゃんはもっともらしい名分で、私に反論する。私にはわかる、この行為がただ恥ずかしいから早く終わらせたいだけだって。
「だったら、私も同じように食べさせればいいじゃん」
そこにすかさず私はもっともらしい反論を投げかける。
「いやいやそれは流石に……」
「んーしょうがないなー今日はこれで許してあげる。でも、その代わりに私の膝の上に乗って?」
流石にこのままこれを続けるのは、私も効率が悪すぎると思っていたので、ここで折れることにする。でもそれだけ終わらせないのが、今の私。次の私の望みをすぐに叶えにいく。
「え、大丈夫?」
お姉ちゃんは不安そうな顔をして、私に確認をとる。
重さなんてたいしたことはないだろう。お姉ちゃんはたいして太ってないし。
「大丈夫だから」
私がそう言うと、お姉ちゃんは言われるがまま私の膝の上に腰を掛けた。
「気持ちいい―! お姉ちゃん意外と華奢だねー」
すぐさま私はお姉ちゃんの腰に手を回し、ぎゅーっと抱きしめる。ほとんどサイズは私とそう変わらないとはいえ、細くて柔らかい体だった。
「ううぅ……恥ずかしい……」
とてつもないぐらい可愛い声を出して、赤面しているお姉ちゃん。
そんな声を出されると、こっちはこっちで居ても立ってもいられないほど心が温かくなって、さらに強く抱きしめてしまう。
「いいじゃんいいじゃん! ほっぺすりすり~!」
理性のストッパーが徐々に外れ始め、いよいよお姉ちゃんの頬に私の顔を擦り寄せる。
あまりにもお姉ちゃんが可愛すぎて、私も暴走しだしている。でもそれだけ今、この空間が幸せで溢れているということだ。
「あぁー……うー……」
言葉にならない、もはや鳴き声みたいな声を出すお姉ちゃん。
それに私はもう理性が吹っ切れそうになっていたが、寸前で止める。これ以上の暴走はマズい。いくらなんでもここでそれはマズい。
なので、お姉ちゃんとお戯れはこれぐらいにしておいて、私たちは昼食を再開することにした。
「――そういえばさ、亜弥ちゃんは最近なんでそんなに絡んでくるの?」
昼食を食べながら、お姉ちゃんに亜弥ちゃんのことを訊いてみる。
『例の件』なんて言っているあたり、裏で何かしているのは間違いない。だから私はせめてでもその内容が知りたかった。もしかしたら、内容によっては『しょうがないな』と納得できるかもしれないから。
「ああ、それはね、どうやら襟香さんにお弁当を作ってみたいらしくてねー」
たぶん、あの料理教室がきっかけとなったのだろう。普段は作らないから、どうしてもお姉ちゃんみたいな料理できる人が必要になったわけか。
「へー恋人らしいねーそれでサプライズしたいってわけね」
サプライズならば、どうしても襟香ちゃんに訊くことはできまい。だからより一層、お姉ちゃんたちを頼る結果になってしまったということなのか。
「ええ、それで私に料理を教わっているのよ」
「ふーん、なんだそんなことだったんだー……でも、だったらまりちゃんでいいんじゃ?」
なにもわざわざお姉ちゃんじゃなくとも、まりちゃんだって料理ができる。お姉ちゃんほどじゃないだろうけど、まりちゃんだって人並みに料理が得意なんだし。それで十分なはず。
「私もそういったのだけど、どうしても私の方がいいらしいわよ」
全く、お姉ちゃん依存をほどほどにしてほしいな。
それで私が痛い目を見てるんだから。やはり普段から頼られているお姉ちゃんだからこそなんだろう。
「まあ、お姉ちゃんの料理は天下一品だしねー」
少し投げやりになって、お姉ちゃんをそう褒める。それで私以外に目をつけられて、頼りにされてはかなわない。
でもこれで1つだけわかったこともある。亜弥ちゃんがそのサプライズを成し遂げれば、とりあえずはお姉ちゃんは解放されるということだ。これで亜弥ちゃんにとられることはなくなるということ。
でも、今の私にはそれまで我慢できる自信がない。ただでさえ、私とお姉ちゃんの関係が不安で不安で仕方がないのに、お姉ちゃんをとられることとなっては我慢できそうにはない。それに亜弥ちゃんから解放されただけであって、他のみんながまだ頼りにくるということもなくはない。それでまた嫉妬するようなことになれば、もういよいよ限界だろう。
だからなんとしてでも何かいい解決策を見つけなければ。そう決意しながら、私はお姉ちゃんの感触を味わいつつ、昼食を味わっていた。
「――あらら、どうやら見つかってしまったみたいよ……」
それからしばらくして、お姉ちゃんを抱きしめ、安らぎを得ている時、またしてもそれを妨げる者が現れたようだ。
「え……?」
嘘でしょ……こんな辺境地にまでわざわざ来る?
絶対に見つからないと高をくくっていたのに……
私は崖から落とされて、絶望の闇に呑まれていく。さっきまでの幸せな気持ちは一転、まるで波のように私に不安や恐怖という感情が襲い掛かってきた。
「あーようやく見つけた―! こんなとこにいたんだ! ねえねえ、今大丈夫?」
まるでかくれんぼの鬼といわんばかりに、亜弥ちゃんはこんな辺境地までお姉ちゃんを探しに来たようだ。『ようやく』という言葉を使う辺り、だいぶ探したんだろうし。
「え、ええ……」
そんな亜弥ちゃんの質問に、承諾してしまうお姉ちゃん。お姉ちゃんは優しいから仕方がないとは言え、たまには断ることも重要じゃないかな。ここは私を優先してよ。そう切に願う。
「訊きたい所があるんだー」
「じゃあ、教室戻りましょうか。先へ言っていてください。後から追いますから」
そう指示をすると、亜弥ちゃんは頷いて教室の方へと歩き出す。私はそれを複雑な思いで、それを見つめていた。
「ごめんなさい、由乃。たぶん亜弥さんの例のサプライズの件で……」
さっきよりひどく申し訳なさそうな顔をして、私に謝るお姉ちゃん。その顔をみると、こっちまで心が悲しくなって、苦しくなる。
「いいよ。あの亜弥ちゃんも襟香ちゃんのために頑張ってるみたいだしね」
そう、友達ならば友達の恋路は応援してあげるべきだ。
あれだけ悩んで悩んで、ようやく手にした幸せなのだから。きっとこのサプライズが成功すれば、今よりもっと深い関係になれるんだから。
「なんだったら、由乃も来る?」
「……いい」
誰にあたるのもよくないのに、どうしてかそんなぶっきらぼうな返事しかできなくなってしまう。
「本当にごめんなさい、由乃」
そう言って、私を抱きしめ、頭を撫でてくれる。
その行動に私は思わず泣きそうになっていた。本当は泣きたい、泣いてしまいたい。お姉ちゃんにすがりたい。でもそうしてしまえば、たぶんお姉ちゃんを離せなくなってしまう。だからここはその感情を押さえ込むことにした。
「……もう、いいよ……でも帰ったら覚悟しておいてよね」
しばらく撫でられた後、私はお姉ちゃんを送り出す言葉を吐き出す。
そしてついでに放課後に先約を入れておく。きっと下校する時もとられることを考慮すれば、帰った後にとっておくのが賢いだろう。もうこの溜まりに溜まった思いをありったけぶつけてやろう。
「うっ……わ、わかったわ、じゃあ行くわね。由乃も授業に遅れないようにね」
「はーい……」
お姉ちゃんの、どこか寂しそうな背中をただただ私は見つめる他なかった。
「――はぁー……」
お姉ちゃんが見えなくなったところで、大きなため息をつく。
もう何もかもが嫌になってくる。友達に対して、いわば『憎む』ような感情を抱いていることや、私のお姉ちゃんをとっていってしまうこと、色々な思いが私の心を駆け巡って訳が分からなくなってくる。
でもやっぱり私の中で今一番大きく占めているのはみんなへの嫉妬、お姉ちゃんとの関係への不安だ。もういっそのこと、お姉ちゃんに人が寄り付かなくなってしまえばいいのに。けど、虫じゃないんだから殺虫剤なんてないしなー……私はそんな答えなき答えを探しながら、教室へと歩を進めた。