16話「自分を一番理解してくれている人」
体育館裏のベンチに座り、私は携帯を持って電話をしようか決心つかずでいた。
頼るとは言ったものの、いざ電話しようとすると、思いの外恥ずかしい。後は発信ボタンを押すまでのところで、押すかどうか迷っている。
「……よし、えいっ!」
少し考えて、やはり頼るべきだと思い、私はいよいよ決心を固め、発信ボタンを押す。すると、すぐにその相手が電話に出る。
「もしもし?」
そこからは聞き馴染みのある声が聞こえてきた。その声に半分安心と半分緊張。話すのも結構久しぶりというのもあるし。
「あ、もしもし莉奈お母さん? 元気?」
「ええ、みんな元気よ。それよりどうしたの? こんな時間に、しかも急に電話よこして」
よっぽどのことがない限り、家に電話することもないので、お母さんは驚いたような様子で訊いてくる。
「ああ、ごめんね。忙しかった?」
「ふふ、言葉の綾ってやつよ。大事な娘からの電話ならいつでも歓迎よ。どうせ今日は研究はお休みだから。それより用件は?」
「ちょっと私たちの名前について訊きたいんだけどさ……」
何を隠そう、私の名前を名付けたのは他でもない、お母さんたちである。だから、このアナグラムについて、偶然なのかはたまた故意なのか訊いてみようと思った次第だ。
「私『たち』の名前? あぁー! もしかしてアナグラムのこと?」
察しが良いようで、すぐに私が訊きたいことについて触れるお母さん。
「え? やっぱ知ってたの!?」
「名づけたのは私たちなんだから当然でしょ?」
「じゃあ、意図的にってこと?」
なんだ、やっぱり奇跡でもなんでもないんじゃん。
結局、亜弥ちゃんの思い過ごしだったんだ。
そうだよね、たまたまアナグラムになっちゃって、その2人が知り合いになる確率なんてそうそうないよね。
「ええ、そうよ。私たちと亜美ちゃんのお母さんたちは昔から仲が良くてね、ちょうど同じ時期に子供を授かったから、それでちょっとしたお遊びでつけたのよ」
「お遊びって……子供の名前を何だと……」
お母さんのとんでも発言に引いている娘。自分の愛娘になんてことしてるんだ、この親は。
「あら、言っちゃ悪いけれど、所詮個体名なんてそんなものよ? あなたが誰なのか、それを証明できるものそれが個体名なの。だからよっぽど変な名前じゃないかぎり、何つけようが自由だと思うけれど?」
「もうお母さんは本当に頭が理系なんだから。子供の名前にまで影響出ちゃってるよ。でも、よくそれで文音お母さんが許可したね。結構、感情的なタイプだし」
文音お母さんにさっきの発言を聞かせたら、大目玉を食らいそうだけど。それどころか、名前の大切さについてメルヘンチックに延々と語りそう。
「ええ、だからこそアナグラムになったのよ。2人の名前がアナグラムで、仲良くなって結果として結婚なんかしたら……すごいロマンチックだって。生まれる前から結ばれていたとか、赤い糸とかそういう類いのそれを感じるって」
「ああ、あの性格ならそう言いそう」
もう既に文音お母さんのときめいている図が浮かんでくる。
子の名前なんて分かればなんでもいいという莉奈お母さんと、アナグラムにしたら素敵という文音お母さんの利害が一致したというわけか。
「しかも実際育ててみたら、いつも一緒にいさせた影響か、自然とお互いが互いの弱点を補い合う存在になっていったじゃない。だからよりフミは信じちゃって、『絶対結ばれる』って言い張ってるけどね」
「ないない。アイツと結ばれるって……うん、ないな」
今の現状から鑑みてもまずありえないだろう。
まず互いに恋愛感情がないし、とういかそれ以前の問題だし。
「『アイツ』って……あっ、もしかしてまり、亜美ちゃんと喧嘩したでしょ?」
「うぇっ!? な、なんでそれを!?」
何も言っていないのにも関わらず、あっさりと現状を見抜くお母さん。そんなお母さんに動揺しながらも、理由を訊いてみる。
「当たり前でしょ、だって私はあなたのお母さんだもの。ははーん、読めたわよー、まりの考えが」
もう電話の向こう側でしたり顔している感じが見えてくるような声色で、私を責め立てる。
「か、考えって?」
「本心では仲直りしたい。でも今の状況じゃ仲直りできない。その時、偶然にもアナグラムのことを知った。これは運命的だと思い、『これを利用して仲直りしよう』って魂胆でしょ?」
「そ、そんなことないよ!?」
まさか私の意図が丸バレだ。さすがはお母さん、娘の考えはお見通し。
「嘘。というかお母さんに嘘なんて通用しないんだから、素直に事情を話してみなさいな」
「実は亜美と――」
私は素直になって、言われるがままにお母さんに洗いざらい全てを話した。
「ふーん。喧嘩していたところに、更に爆弾を投下しちゃって大惨事ってわけね」
「うん。で、どうすればいい?」
「どうすればも何も、素直に謝ればいいじゃない」
「でも――」
「自分の非を認めることはとても大事なことよ。客観的に言わせてもらえば、あなたも悪い。亜美ちゃんに対して悪口を言った。それはちゃんと謝るべきよ」
「んーけどぉー……」
またあんなことになったら、また謝り損だ。しかもまた怒ってストレスが溜まっちゃうし、だからあまりノリ気じゃない。
「自分が悪いと思ったのならば、素直にちゃんと謝ることが私は大事だと思うわよ。逆にそれを変なプライドや意地で、妨げてしまうのはあまり感心しないわ。確かにあなたの気持ちもわからなくはないわ。一方的に謝るだけになると思っているのでしょう?」
「うん。最初に謝った時もあっちが偉そうにしてたし」
「亜美ちゃんの性格なら、そんなことしてもおかしくはないわね。でも、そんな減らず口を叩いていても、本心ではあなたとこんな関係のままは嫌なのよ。それを汲みとってあげるのがあなたの役割なんじゃないかしら?」
「なんで私が――」
「ここで小話を1つしてあげましょうか。私は理系だから、理屈っぽいでしょ? で、フミは文系ですごく感情的。だからそれが原因で恋人時代はよくケンカしたものよ、今でもたまーにだけど喧嘩する。それは仕方がないことなのよ、だって私とフミは違う別の人だから。でも違うからこそ人なの。ものの考え方や人の愛し方、受け取る感情。それが全部同じでいいなら、それはもう心を持たず、能力も一様のロボットでいいじゃない。だから私は『今ならその違いが素敵』だって言えるわ」
「いいな、なんか羨ましい。そんな素敵な関係ってちょっと憧れる」
「だったらなっちゃえばいいじゃない、亜美ちゃんと」
「うっ……痛いとこつかれた」
「どう? 謝る気になった?」
これ以上あやえりたちに迷惑かけるわけにもいかない。
それに私だって、本当のことを言えば、仲直りがしたい。ぶっちゃけ今の関係は嫌だ。
でも、亜美はあの時点ではまだ謝る気はなかった。だからまた仲違いをした。ならば、後は亜美の気持ちをどうにかするしかない。けど、あの子だって本心では私と同じ気持ちを持ってるはず。でも、ちゃんと謝る気持ちになっていなかった。それをどうにかしないとこの問題は解決しない。
たぶん、たぶんきっと、私の予想でしかないけれど、私の友達が根回ししている、そんな気がする。だから今回は大丈夫だと思う、思いたい。だからこそ友達を信じて、私は謝ろう。
「…………うん、わかった、謝るよ」
「うん、よろしい。じゃあ、その結果を私たち、特にフミに報告すること、いいわね?」
「え、いやちょっとまって! なんでお母さんたちに報告を――」
「フミもあなたと話したがってるし、最近ね彼女、ロマンス不足に陥ってるみたいだから」
「私がそのネタを提供しろと……?」
「そういうこと」
「はぁー……まあ私も文音お母さんと話したいし、いいよわかった」
「ええ、よろしく。じゃあ体には気をつけてね、またね」
「うん、またね」
そう言って、私は電話を切る。
よし、気持ちの整理はついた。私は亜美に謝る。そして関係を修復する。それだけだ。
家事についても、できないんだったら出来る私が教えてあげればいいんだから。亜美から数学を教えてもらってる構図みたいに、私も家事を教えてあげればいいのだ。そうして出来るようになったら、当番制でもしてあげれば私の抱えている不満も解決する。それでお世話される身から自分でする身になれるんだから、亜美の不満もいくらかは消えるはず。私のお世話欲は他でも満たすことはできるし、克服しようと思えばできるかもしれない。子守唄に関してはそのままでいい、っていうか私抜きでも眠れたっていうのもなんとなく納得がいかないから、もっとそれに依存させて、それなしでは本当に眠れない体にしてあげたい。お菓子作りは仲直りしたら、本格的に始めてみようかな。亜弥ちゃんが襟香ちゃんに料理を振る舞いたいっていうように、私も新しいことに挑戦してみたいし。
形は違えど、新しいことに私と亜美で挑戦するってなれば、対抗心でも生まれてより切磋琢磨できそうだし。さあ、いい報告を亜弥ちゃんたちに持ち帰ろう。