16話「彼女の選択」
麗奈との交際を始めてからしばらくの時が経っていた。
教師と生徒という立場上、麗奈も学校ではそこまでバレてしまうような言動は控えてくれて、なんとか学校側にバレずに日々を送っている。あのトラウマも今では過去になり、麗奈との今ですっかり忘れてしまえそうになるほどだった。
そんなある日のこと。部屋で作業をしていた折に、ふと携帯が鳴る。
「もしもし?」
「あ、静香。今ちょっといい?」
相手は志保だった。どこか重たい口ぶりに、私はどうしたのだろうと思った。
「うん、いいけど……」
「私、やっぱり帰ることにしたの。もう会うことないと思って、お別れの挨拶をね」
「あ、ああ! そのことね」
すっかり失念していた。あまりにも私の中で色々と事件が起こりすぎていて、失礼ながら親友の悩みなんてすっかり記憶から消えていた。
「え、ちょっと! 忘れてたの!?」
そんな反応をしてしまえば、私が忘れていたなんてすぐにバレてしまう。
志保側からすれば、私の事情なんて知らないだろうし、完全にそれが失言になってしまっていた。
「ごめんなさい、ちょっとこっちも色々あって。で、決めたのね?」
「あ、うん。楽園を離れるのは辛いけど、精一杯頑張ろうって思うから、遠くで応援しててね!」
「ええ、応援してる」
忘れていた私が言うのもなんだけれど、彼女の中でもきっと色々な葛藤があったのだろう。同じ立場の人間として、その気持ちはわかる。でも、彼女が『これでいい』とそう決めたのだから、親友である私は応援してあげなくちゃ。
機密保持の関係で、おそらく二度と会うことは叶わないかもしれないけれど、今の時代繋がろうと思えば繋がれるのだから。
「――で、さ。最後に10年越しの真実言ってもいいかな?」
それから少し2人で最後の別れを惜しむように色々と話した後、志保がそんな怖いことを言ってくる。
「え……なに、それ……?」
『10年越しの真実』というからには相当な隠し事があったということだ。
親友の私にも隠していた事、そんなのできればこのまま墓場まで持っていってくれればよかったのに。どんなものがやってくるのかと、恐怖を感じる。
「あの、木戸さんのこと」
「ちょっと、やめてよ、その話題……」
『木戸さん』それは私を振った人。あの高校で、私を振り、私にトラウマを植え付けた張本人。
その人の『10年越しの真実』なんて怖くて聞きたくもない。どうせまた心が疲弊して、麗奈になぐさめてもらうことになるのは目に見えているのだから。
「ごめん、言わないと絶対後悔するから。いい?」
でも、志保の口調はとても真剣で、話せるのはこの機にしかないとでも言わんばかりの感じだった。
「……はぁ、わかったわ。聞く」
そんな彼女に折れるように、私は溜息をつきながらも、その真実とやらを聞くことにした。
おそらく、それは離れ離れになる前にどうしても言っておかなければならないこと、つまりとても重要なことのはず。『10年越しの真実』なんてタイトルなのだから、あの時の、何か私の知らないことがあった。そういうことだろう。
「ホントは彼女、私たちと同類だったんだ」
そして、その予想通り、彼女の口から告げられた言葉は、私が知るよしもない真実だった。
「え……? うそ、嘘よッ! そんなはず……」
そんなはずはない。だって、もしそうなら、私を振って、私の秘密をみんなにバラすなんてことするはずがない。それに、あの時の表情、口ぶりはこの間の悪夢でハッキリと覚えている。とても私を好きじゃなくなったから振っただけのようには思えない。
だからこそ、その志保の言葉が私には全くもって信じられなかった。
「後日談を言うとね、結局その木戸さんは恋人と1ヶ月もしないうちに別れちゃったの。原因は本人自身がアレを好きじゃなかったから。あっ、ちなみに誤解のないように言うと、要は女性が好きだったから。言語統制で言えないけど、その逆は好きじゃなかったの」
「でも、じゃあなんで……?」
「彼女、別れた後しばらくして私に愚痴をもらしてきたの。ホントは静香のこと大好きだった。でも、世間の目や偏見それがプレッシャーになって、怖くなって逃げちゃったんだって。で、実際静香が受けたみたいにセクシャルがバレると、みんながイジメだしたでしょ? 自分もそうなるのが怖かったんだって」
「だからって――」
「うん、もちろん許されるわけないし、しょうがないねってことにもならない。それは本人もあの当時から自覚してたよ。でもそれで大好きな人を傷つけてしまったことがすごく後悔しているんだって。ホントは直接謝りたかったんだけど、あの当時の静香じゃ聞く耳を持たないだろうからって、私に言ってきたんだ。『あの時は本当にごめんなさい』って」
「そう……」
どうやら私とあの人は単なるボタンの掛け違いから、こんな事態になってしまったみたいだ。
どうせなら、私に相談してくれればよかったのに。一緒に同じ経験をしてきた仲間なんだから、痛みだって同じだけ分け合えるのに。一緒に考えて、答えを出す道だってあったはずなのに。
でも、その思いももう、彼女には伝えることができない。私の中で複雑な思いが支配する。
彼女に抱いていた憎しみ、怒り。もちろんそれらがこの話を聞いただけでなくなるわけじゃない。でも、少しながらも彼女に同情する気持ちはある。彼女に聞いたことはないけれど、もしかしたら過去に嫌な思いをしていたのかもしれない。それがトラウマで私との関係を信じきれなかったのかもしれない。私も、そんな経験があるから。でも、だからこそ私を信じて、ちゃんと話し合ってほしかった。逃げないでほしかった。
「だからこそできたんだろうね、この島が。不安な人たちが安心して暮らせる島として。これから出ていくって言う人が言うことでもないけど、やっぱここは『楽園』なんだよ」
「そうね。何にも怯える必要もなく、当たり前のように『自分の恋愛』をしていいんだもんね」
「うん、そうだね」
「ありがと、最後にその話が聞けてよかった。ちょっとはあの子のこと、許せるようになったかも」
でもやっぱり思うのは、アレはただの過去になっているということ。
麗奈と恋人になって、夢に見てぐったりと疲れていたころとは違う、過去の出来事として受け入れられるようになった。こうして、私が前に進むきかっけとなった麗奈に、本当に感謝している。
「ならよかった。てか、これもっと前に話してた方が良かったかな?」
「ううん。たぶん今だからこそ、それを聞けるだけの余裕ができたんだと思う」
「そっか! じゃあ、そろそろ」
「ええ、元気でね。ご家族によろしく」
私は生徒たちが羨ましかった。だってこの島のことを知らないまま、無垢なままで恋愛ができるから。でも麗奈と恋人になって、少しずつ私のなかで変わっていった。
私も、無垢花たちの一員になれるって。たとえどんなにこの島の黒い部分を知っていても、本土のことを知っていても、そんなのどうだっていい。ここは自分が好きなまま、好きに自分の恋愛をしていいんだから。楽園なんだから。それが無垢花たちの生き方なんだと思う――




