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虹色居酒屋  作者: 大山秀樹
11/15

第11話:爺躍動す(前編)


「こらっ、起きんか。ワシがわざわざ出向いてやっているというのに」

 爺は皇都の一等地に建つ2階建ての家の寝室に忍び込み、ベッドで寝ているスレッジを杖で小突く。鼻水を垂らし高いびきをかいている弟子に少々呆れながらも、爺にしては珍しく他の住民に配慮し大きな物音は出さずにいた。

 真っ暗な空が徐々に白みだす。春間近であるが朝は冷え込む。真冬と同様に起きたらスグに暖炉の火をいれるのが都民の日課であった。

 爺は厚手のローブを着ているが、凍てつく寒気は容易くそのローブを通る。

「おおっ、寒いのう」

 腕をさすりながら爺は呟く。

 するとその行為が免罪符でもあるようにしたり顔になり、布袋から茶瓶を取り出す。それはスレッジから献上された日本酒モドキであった。

 チャポンッ。

 爺は一升瓶を傾け日本酒モドキをあおる。少々濁った液体が瓶の口へとずり落ちる。

 ゴクゴク。

「旨いのう。朝からニホン酒も一興じゃな」

 朝から酒なんて、と陰口を叩きたくなるが、爺にとっては普通である。

 呑むことは生きること。

 ましてそれが虹色居酒屋でしか飲めなかった日本酒なら、起きてすぐ呑むのは自明であった。

「しかし起きんのう」

 自分という異物が部屋にいるというのに、何の反応も見せない弟子に落胆した。

「ワシが刺客だったら即お陀仏だぞ。全く最近の若いもんは……」

 と年長者特有の嘆きをみせた。

 その後何回も杖で弟子を小突くが全く反応がなかった。

「仕方ないのう。少々手荒になるが……」

 爺は音を増幅させる魔法を使い、スレッジの耳元で「起きんか!!!!」と叫んだ。

 しかし酔っ払っていたからか、珍しく朝早く起きたからか、爺は込める魔力の量を間違った。シンバルの音くらいに自分の声を増幅させるつもりが、その何十倍という爆音がスレッジの耳元で破裂した。

「起きんか!!!!」

 それは分厚い壁をすり抜ける音爆弾として響き渡り、近隣住民の安眠をも脅かした。当然その屋敷も例外ではなく、建物を構築する木材が震え、パラパラと埃が落ちてきた。爺は邪魔そうにその埃を払う。

「失敗したのう。まぁ、起きんこやつが……」

 笑いながら爺はスレッジを見下ろしたが、当のスレッジはピクピクと痙攣して白目をむいていた。耳からは血の混じった耳垂れが出ていた。

「いかん。いかん」

 爺は急いで回復魔法をスレッジにかける。

 遊びでやったことで死んでもらっては困る。

 スレッジは見込みのある若者であった。

 第9騎士ヴァイオレットの息子だけあって、目を見張る剣捌きと足捌きを見せ、爺が放った魔法への対応も的確だった。

 ただ親元をずっと離れずにいたせいで人格的な成長がなかった。それだけがこの若者の欠点と言っても過言ではなかった。

 しかし爺の下での修行で徐々に人格的な成長が見られた。他者を見下す悪癖が無くなれば立派に国家を背負っていけるだけの人材であると、爺は確信していた。

 そんな若者がお遊びで放った音で死んでもらっては困る。

 幸いにもスレッジは即死には至ってなかったようで徐々に痙攣も収まってきた。

「危なかったのう」

 爺が安堵した瞬間、けたたましく部屋のドアがノックされた。それはノックというより、サラ金の取り立てのような音だった。

「おぼっちゃま? ご無事ですか? おぼっちゃま」

 この家の使用人が早朝に響き渡った爆音に反応して駆けつけていた。

 うるさいのう、と爺が思っているとワラワラと使用人が扉の外に集まってきた。彼らは口々にスレッジの安否を気にしている。

「スレッジは大丈夫じゃから少し黙っとれ」

 人が回復魔法をかけている時は静かにせんか、と憤った爺の叱責は事態の収拾には繋がらず、拡大させることになった。

「おぼっちゃまの声ではない。何者かが侵入している。この扉を破りましょう」

 聞き慣れぬ声に驚いた使用人は横並びになり扉へと体当たりをした。

 バンッ、バンッと何回も体当たりを受けた扉はなすすべなく倒れた。

「おぼっちゃま、ご無事ですか?」

 その時使用人が目にしたのはスレッジを見下ろす不敵な老人。その下でなすすべなく横たわるスレッジ。爺の影がスレッジの顔を覆い尽くしており、スレッジがどんな状態であるのかはわからなかった。

「おぼっちゃま!」

 最悪の事態が脳裏をよぎった使用人は誰彼となく、赤ら顔の老人に体当たりした。敬愛するヴァイオレットの子息に危害を加えようとする者は彼らにとって等しく敵である。

 だが彼らの体当たりは爺に届かず、その前の空間で跳ね返される。

「結界か。おのれ、魔法使いめ。おぼっちゃまに何をしようというのだ?」

「ちょっとこやつを借りにきたんじゃ。今回復魔法をかけているのだから静かにせい」

「借りにきた? ふざけるな。早朝から屋敷に忍び込んだ賊の話を信用しろとでも言うのか?」

「なら静かにせい。ワシとヴァイオレットは知り合いじゃ。こやつを悪いようにはせんよ」

「うるさい。さっさとおぼっちゃまを離せ」

 早朝にもかかわらず、寸分違わぬ七三分けをしている細かそうな男の怒号に続き、他の使用人も次々に爺を非難する。

 爺は話を聞こうともせず、回復魔法をかけながら日本酒をあおる。ヴァイオレットの部下なら攻撃するわけにはいかんしな、と爺が困っていたところに騒ぎを聞きつけたヴァイオレットが来た。

「どうしたのだ?」

「あっ、当主様。ぼっちゃまの部屋にならず者が侵入しているのです」

「おおっ、ヴァイオレットか。この者共がうるさくて仕方がない。どうにかしてくれ」

「ジジ様!?」

「お知り合いですか?」

「……古い知り合いだ。者共、安心してくれ。この老人はスレッジを害するような人間ではない」

「おおっ!」

 使用人から安堵のため息が漏れる。彼らは口々にスレッジの無事を喜んでいた。

 そんな使用人を見回した後で、キッとヴァイオレットが爺を睨みつける。

「さてジジ様、現状を説明していただけますか?」

「実はのう、スレッジに用ができて、こうして起こしにきている訳じゃ。なのにこの者共が騒いで困ってたところじゃ」

「いやっ、しかし我らはーー」

「黙れ、クール。お前たちに落ち度がないのはわかっている。今はジジ様と話をさせてくれ」

「はっ、失礼しました」

 七三分けの男が頭を下げる。

「ジジ様、用事ができた、と仰りましたよね? それはいつも昼まで寝ているジジ様をこんな早朝から活動させる程の大事な用事なのでしょうか?」

「そうじゃ。ちょっと頼みごとをされて遠くへ行くんじゃ。ついでにスレッジも連れて行き見聞を広めようかと」

「それは有意義なことです。存分に我が愚息をお連れして下さい。ですがその前に再度現状をご説明下さい」

「ん? 今言ったではないか?」

「いいえ。まだ聞いておりません。何故こんな早朝に私の家へ無断侵入したのか? あの爆音はなんなのか? 何故ジジ様は寝ている愚息に回復魔法をかけておられるのか? 不可解なことだらけです」

「いやっ、それはなーー」

「大体想像がつきます。用事というのはケンさんに頼まれたのでしょう。ジジ様が早朝から動くなんてそれ以外ありえません。皇帝陛下の御下命でも聞き流すジジ様ですから。報酬は……虹色居酒屋へ行ける権利を増やす、ないしニホン酒を貰える、といったところでしょう。ケンさんの依頼を昨日受けた。だから私や愚息に連絡できなかったのではありませんか?」

「…………」

「そして爆音は中々起きない愚息に痺れを切らして放ったジジ様の叫び。魔法で増幅されたその音は寝ている私にも聞こえてきました。そして回復魔法をかけているのは爆音で深刻なダメージをおった我が愚息を治療するため。違いますか?」

「そこまでわかっているなら話が早い。回復したらスレッジを借りてーー」

 と言いかけた爺は殺気を感じて口をつぐんだ。

 スレッジから目を離すと、ヴァイオレットが小刻みに震えているのが見えた。

「と、当主様?」

「クール、お前たちは下がっていろ。さもなくば命の保証はできない」

 穏やかな口調だが、そこには怒りが内包されていることにクールは即座に気づいた。こうなったヴァイオレットを止めることは誰にもできないことは、長年の経験から十分に承知していた。クールの指示で使用人は蜘蛛の子を散らすように屋敷から飛び出した。

 今この屋敷には爺とヴァイオレット、意識のないスレッジのみとなった。

「ヴァイオレット?」

「ジジ様。あなたという人は……。スレッジにアポを取り、待ち合わせすればこんな事態に陥らなかったことを理解してますか?」

「なんでワシがそんな面倒なことをせんといけん」

「いくらジジ様といえど勝手すぎます。おまけに近隣住民へ多大な迷惑をかけました。その謝罪に私自らが行かないといけないと思うと……」

「そんなもんは使用人にやらせたら良いじゃろ?」

「言いわけがありません。ここには由緒ある貴族家のお歴々が住んでいるんです。使用人を謝罪に行かせたら成り上がり者の騎士様は自分で来ないのかと鼻で笑われます」

「あやつらは先祖が国に貢献しただけなのに、さも自分が偉いと勘違いしておるからのう」

「家々を回り神経をすり減らすことになるのは目に見えてます。作り笑いで固まった顔を見て、怯える使用人の顔までも浮かんできます。それもこれも、ジジ様、あなたのせいです」

「だからすまんと言っておる」

「そんなこと一言も言ってませんよ」

「ひょ? 謝罪しとらんかったか。すまんな、ヴァイオレット」

 爺は首だけ動かして頭を下げる。型通りの謝罪。感情がこもってないのは明白だった。

 それを見てヴァイオレットが盛大にため息を吐く。

「良いです。謝罪なんて必要ありません。ジジ様、私の気を晴らすために鬱憤をぶつけさせて貰います」

 ヴァイオレットが剣を抜き笑う。ヴァイオレットは騎士の性分で起きれば必ず帯剣する。今回も例に漏れず帯剣していた。

「お主がワシに勝ったことがあったか?」

「幼少期より幾百と挑戦しましたが全敗です。勿論今も勝てるとは思っていません」

「相変わらず血の気の多いやつじゃ。頭に血が上るといつもこれじゃ」

「今日はジジ様が私を怒らせていることをお忘れなく」

「別に戦ってやっても良いが、お主はワシの結界を破れんじゃろ?」

「ジジ様、私とあなたが最後に戦ったのはもう5年も前です。その頃の私と一緒にしないで貰いたい」

 ヴァイオレットはそう言うやいなや、使用人全員の体当たりを受けてもびくともしなかった結界を切り裂いた。

「なんと。お主がこの結界を破るとは。あのおぼこが成長したものよ」

「おぼこ、おぼこ、って馬鹿にして。私はもう4ーー、何を言わせるんですか!」

「何も言っとらんじゃろ」

「ええい。もういいです。私の剣を受けなさい。さぁさっさと我が家に結界を貼るのです。私の剣で我が家が壊れたらどうするのですか?」

「いやっ、それはお前のせいじゃろ」

「うるさい! さっさとしなさい。さもなくばニホン酒モドキの提供をやめますよ」

「なに!?」

 驚愕した爺は即座に家中に結界を貼り巡らした。その結界は先ほどの10倍以上の強度を誇っていた。爺にとって日本酒モドキは虹色居酒屋の次に大切なモノになっていた。

「完了しましたね。では私の剣を受けなさい」

 剣が炎に包まれる。その炎は徐々に小さくなり消える。その瞬間に剣は真紅に輝く。

 第9騎士“紅蓮”のヴァイオレット。

 彼女は2つ名の通り火魔法を剣にまとわせ戦う。魔法適性の少ない彼女の唯一得意な、いやっ唯一使える(・・・)魔法が火魔法であった。といっても爺からみたらミジンコのような魔法であり、当初は魔法使い見習いの初級魔法にも負ける威力しか出せなかった。

 しかしその不得意な火魔法を彼女は必死で練習した。それこそ死物狂いであった。

 トントンと騎士の階段を登っていた彼女は10代後半のある時期に強敵に負けた。初めての敗北だった(爺を除く)。剣を極限まで極めたと思える自身の武技が全く通用しなかった。

 それから彼女は苦悩し目の前の壁を乗り越えるべく、諦めていた魔法に活路を見出した。そして修練を重ね「魔法剣」を生み出した。それは従来の「魔法剣」とは全く違った技であり、今では一般的に彼女が生み出した「魔法剣」を「魔法剣」と呼ぶようになっている。

 従来の「魔法剣」は剣に魔法をまとわせ戦うものだった。火魔法なら剣に炎がまとわりつき斬撃と一緒に攻撃する。氷魔法なら剣に氷が。風魔法なら剣と同時に斬撃が飛ぶ。従来の「魔法剣」は魔法と斬撃の同時攻撃でしかなかった。

 しかし彼女の開発した「魔法剣」は全く性質を異にした。彼女の「魔法剣」は剣に魔法を閉じ込めるのである。正確には剣の表面だけに魔法をまとわせ、魔法の膨張を防ぐ。彼女は壮絶な修練後の今でも一般的な魔法使いの初級魔法程度の威力しか出せない。しかしその魔法を収縮し剣にまとわせることにおいて、彼女の右に出る者はいない。暖炉に火と灯す時にしか使えないと揶揄された彼女の火魔法は、剣にまとわせることで劇的な効果を上げた。

 これで何が変わったか、というと二次被害の減少と威力の上昇である。

 従来の魔法剣では魔法が広範囲に渡り、味方への被害が大きく乱戦での使用は厳禁だった。しかし彼女の魔法剣は炎をまとっているが、その炎は剣から離れることなく斬った相手にだけ当たる。味方への被害がなく乱戦でも使用可能になった。

 また威力も目に見えて上がった。彼女の魔法剣は鋼鉄さえも容易に溶かし、鎧を着た相手に致命傷を負わせる。切り口は火傷をする程度では済まず、肉が瞬時に蒸発する。高熱を帯びた彼女の剣を受け止めることはできない。

 この技でヴァイオレットは第9騎士という栄誉を勝ち取った。

「後にも先にも魔法剣を皇帝の前で披露した時だけだ。魔法大学の学長が私に頭を下げて教えを乞うたのは。初級魔法しか使えない私に頭を下げる屈辱を甘んじて受けたあの学長は立派だ」とヴァイオレットはいつも笑う。

 そんな彼女の魔法剣にも欠点があるとすれば……。

「行きます!」ギラついた目で爺を睨む。悪鬼が乗り移ったかのように邪悪な顔をしていた。

「やれやれ」面倒なことになったと、顔を振る。

 2人の対称的な視線が交錯し、戦いの火蓋が切られた。



「2人共反省してますか?」

「ヴァイオレットが悪いんじゃ」

「ジジ様ですよ」

 2人は半壊(・・)したヴァイオレット家の瓦礫の上で正座していた。目の前にはヴァイオレットの夫であるヒューズが立っていた。

 彼は文官であり妻のような高位に付いていないため、この家の当主はヴァイオレットとなっている。男尊女卑の社会においても、皇帝騎士の権威は強く当主として認められていた。ヒューズは妻の気性を熟知しているため、逆上したヴァイオレットを止めるのは不可能だと判断して使用人とともに外へ避難していた。

 彼らは幼馴染である。ヴァイオレットにヒューズが算数を教えたことが恋の始まりであった。

「喧嘩ならヨソでやって下さいよ。こうなることは予想できたでしょう」

「違う。聞いてくれ。私はジジ様に結界を貼ってもらったんだ。だがそのジジ様の結界があまりにももろくて」

「もろくないわ。十分魔力を込めた。お主の魔法剣の威力が強すぎたんじゃ。全く、殺す気で儂にかかってきおって」

「そうじゃないとかすり傷すら負わせられないからな」

「じゃとしてもじゃ。少しは周りに配慮せい。どうせスレッジがいたことも忘れてたんじゃろ?」

「それはジジ様も一緒だろ?」

「2人共?」メガネを上げながらヒューズが睨む。いかにも文官という柔らかい風体をしていながらも、ヒューズは怒ると恐い。それを爺とヴァイオレットは知っていた。

「「すみません」」2人は同時に頭を下げる。

「……まぁ良いでしょう。建替えようかと考えていましたから良いきっかけです」

「すまん、ヒュー」パッとヴァイオレットの顔があがる。

「いえいえ愛する妻のためならこれくらいは」

「ヒュー」

「ヴィヴィ」

「ヒュー」

「ヴィヴィ」

 2人は見つめ合い抱き合った。結婚後ウン十年経っていながらも2人はラブラブだった。

 すると2人の横からパチンっと手を叩いた音がした。2人が横を向くと、やさぐれたスレッジがいた。

「スレッジ。新しく家を建てるぞ。お前の部屋も大きくしよう」慌ててヒューズがスレッジに声をかける。

「良いよ。別に」

 スレッジは完全に拗ねていた。

 被害者である自分を全く気にすることなく2人の世界に入り込む両親に。いつものやりとりとはいえ、流石に半壊した自家の瓦礫の上で、青空の下でやることではない。

 ヒューズがスレッジを慰めようとするがスレッジは全く言うことを聞かなかった。

「ヴァイオレット、お主が儂に戦いを挑んだのは今日のことだけが理由ではあるまい」

「……バレましたか?」

「お主はそれほど短慮ではあるまい。何か不安でもあるのか?」

「……実は来週騎士の座をかけて決闘しなければなりません。相手は建国以来の天才と呼ばれたエビャ。容易ならざる相手です」

「ほほう。わざわざお主に挑んできたのか。中々見どころのある奴じゃのう」

 爺は笑った。

 皇帝騎士のポストは10席。そこに序列はない。ヴァイオレットが第9騎士なのは単純に前任者が第9騎士だったからであり、実力の順番ではない。

 皇帝騎士の交代理由は大きく分けて2つ。

 退官や免官など個人的な理由で辞める場合。

 もう1つは厳正な審査基準をクリアした騎士の挑戦を受けて負けた場合である。

 今回は後者である。

「笑い事ではありません。もし私が負ければ第9騎士の座を譲らねばなりません。すると私の名誉も、築き上げた実績も、収入も減ります」

「ならば家を壊すな」

「それはジジ様がーー」

「ああ、いい、やめよう。水掛け論で終わるからのう。それにしてもお主に挑むなど余程の自信過剰な奴じゃな。もっと弱い第3騎士辺りに挑めば良いじゃろ」

「何故か私を指名してきたのです。これには皇帝陛下も困惑気味でした」

「ふむ。じゃが気にするな。お主が全力を出せば負ける奴などそうはおらん。その若者の鼻っ面を折ってやれ」

「……そうかもしれません。私は少し気負いすぎてたのかも」

 ヴァイオレットが笑った。その顔は憑き物が落ちたかのように晴ればれとしていた。

「それより師匠」

 2人の会話にスレッジが割り込む。

「なんで俺を起こしにきたんですか?」

「それはのう、ケンさんに頼まれごとをされて、遠くへ行くことにしたんじゃ。ついでにお主も連れて行こうと思ってのう」

「ふーん。頼まれごとって?」

「それは、ほれっ、これ……どこしまったかのう」

 爺は持ってきた布袋を漁るが茶瓶以外は何も入ってなかった。

 おかしいのう、と爺は悩むが、少しするとパッと顔をあげた。

「そうじゃ。忘れておった。ケンさんのところに取りに行くんじゃった」

 ピクッとヴァイオレットがその言葉に反応する。晴ればれとした顔に皺が寄る。美しい彼女の顔が歪む。

「それはなんですか?」

「『オニギリ』じゃ。ある男に届けて欲しいとーー」

「ジジ様」

「なんじゃ、ヴァイオレット。ワシを睨みつけて」

「『オニギリ』はケンさんに作ってもらうんですよね? でも虹色居酒屋は夕方開店ですよね?」

「早起きして作ってくれるそうじゃ」

「それは何時くらいですか?」

「確か……10時にはできるとかなんとか。今の今まで忘れておったわ。いやはや、歳は取りたくないもんじゃ」

「ジジ様、今は7時前です。スレッジを起こす必要がどこにありましたか?」

「だから忘れておった、と言っておる」

「ジジ様、ホントにあなたという人は……」

 ヴァイオレットから殺気が漏れた。

「なんじゃヴァイオレット、もう十分暴れたろう」

「あなたの傍若無人ぶりは目に余ります。キチンと反省しなさい」

「それが恩人に言うセリフか。自分の気持ちを表現できないおぼこだったお前に、告白の機会をこしらえてやったのはワシではないか」

「えっ? 師匠が両親の仲を取り持ってくれたんですか?」スレッジは初耳だった。

「そうじゃ。ワシがおらなんだら、スレッジ、お主は生まれておらんだろう」

「スゲー。師匠みたいな大魔法使いが俺の生まれた理由だなんて」

「その通りじゃ。こやつはうぶ(・・)でのう。結婚前に思い詰めた顔をしてワシのとこにきて、さぞ深刻な話かと思ったら、『どうやったら子供ができるのでしょうか?』なんてーー」

 ヒュン。

 剣が爺とスレッジの間を通りその空間が焼かれる。その空間から真夏のジリジリとした熱が伝わってきた。

「ジジ様、それはヒューにさえ言ってない私の恥部です。何故、何故ここで話すのですか? 内緒にして下さいと、あれだけ言ったでしょう。ええい、もう我慢なりません」

「待て待て、ここで暴れたら周りに迷惑がーー」

「問答無用!」

 こうして戦いの第2幕が始まった。

 ヒューズとスレッジは呆れ顔になった後で、一目散に逃げ出した。



 スレッジは全壊(・・)した我が家を名残惜しそうに見てから爺の後を追う。

 背後で母が泣き崩れているが、流石に自業自得としか思えないため、慰めようという気にはならなかった。

 頭に血が昇ったヴァイオレットは爺と小1時間戦った。鼻息荒く抗議にきた貴族も息を呑むばかりで、無言のまま2人の戦いを見続けた。

 魔力の尽きたヴァイオレットが我に返り辺りを見渡すと、自家が真っ平らになっていた。ヴァイオレットの魔法剣により大部分の木材が消失しており、自家が己の膝ほどまでに圧縮されている惨状を見たヴァイオレットは泣き崩れた。

 それに呼応してか、ヴァイオレットの愛剣も崩れ落ちた。

 これが「魔法剣」の弱点である。高温に包まれる剣はその身を焦がす熱に耐え切れずその身を滅ぼす。ヴァイオレットが四方八方探しまわった一級品の剣でもこうなるのだから、普通の剣などものの5分と持たない。

「やっとかい」

 ヴァイオレットの攻撃が止み、そう呟いた爺はケンに「オニギリ」を貰いに行くために虹色居酒屋へと向かった。

 それにスレッジは付いて行った。

「師匠、『オニギリ』って何ですか?」

「米にノリを巻き手軽に食べられるようにしたものじゃ。酒とあわんからワシは食わんが、旨いのは知っておる。ミソシルやオツケモノに良く合う」

「へー」

「スレッジ、お主は食ったことないのか?」

「はい。俺は虹色居酒屋に言ったらカツドンしか食べませんから」

「そういう奴は良くいるのう。他に旨い料理がいくらでもあるというのに」

「カツドンに敵う物なんてありませんよ。しっかりと火の通った厚い肉の肉汁だけでご飯3杯はいけます。あのしょっぱい味のタレと卵とタマネギの甘みでもう2杯はいけます」

「ふむ。しかしスレッジよ、他の料理にもチャレンジせい。お主に足りないのは経験じゃ。お主が誰と出会い、何を食べ、何を思うか、それらは全てお主の身になる。あの農奴との出会いのようにな」

「……あの農奴からは大事な事を教わりました」

「ふむ、それはなんじゃ?」

「…………」

「答えられんか。教わったことが多すぎるか?」

「はい」

「それで良い。無理に言語化する必要もあるまい。あの事件はお主の中で風化させず、心の片隅に置いておく事が肝要じゃ」

「はいっ」

 それから2人は虹色居酒屋へと向かい、まだ寝ているケンを起こして「オニギリ」を作るように催促したが、「米が炊けていない」とにべもなく断られた。

 仕方なしに彼らは空き地で稽古をして時間を潰した。

 そしてやっと炊きあがった米で握られた「オニギリ」を持って旅だった。

「師匠、目的地はどこですか?」

「知らん。大体あたりはついているが、町の名前も地名もわからん」

「どういうことですか?」

「ワシはケンさんからこの『オニギリ』と手紙をある人物へ渡すように頼まれただけじゃ」

「ある人物とは?」

「米作りをしているブルーと言う男じゃ」

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