表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虹色居酒屋  作者: 大山秀樹
10/15

第10話:サクヤ

推敲不足です。直すかもしれません。


「セクハラだ」

 サクヤさんが手を払いました。

 相手は面白くなさそうな顔になりました。

 トラブルの予感です。

「あん? セクハラってなんだよ? そんな格好してんだから誘ってるんだろ?」

「なんでオレがお前なんか誘うんだ? お前自分の顔見たことあるのか?」

 あいも変わらずサクヤさんは喧嘩腰です。

「馬鹿にしてんのか、てめーは。女なんか男にケツ振ってりゃ良いんだよ」

「男? 男がどこにいる? ここには店員のケツを触ってくるクズしかいない」

 はぁ。

「ああ? でめー、ふざけてんのか? 俺様を誰だと思っている。俺様はなーー」

「チョイっとこやつ借りるぞ」

「爺! そんなことしなくてもオレがーー」

 男性が浮きます。

「お主は給仕の仕事があるじゃろ。なーに大したことはせんよ」

「じゃなくて、オレがこいつに落とし前をーー」

「ヒョホッホ。では行ってくるぞ」

「あっ、こらっ……行っちまった」

 サクヤさんの制止を振り切りじーじが扉から出て行きました。

「災難でしたね、サクヤさん」

「あぁマリー。あいつはオレのケツをーー」

「お尻ですね」

「ケツを触りやがったんだ。この恨みをーー」

 バシッ。

 お父さんがサクヤさんの頭を叩きました。

「イテー。なにすんだよ」

「お客様に手を出すな。汚い言葉も使うな。お前は変わるんじゃなかったのか? そう言ったから雇ったんだぞ」

「いやっ、でもっ、あいつはオレのケツを触りやがったんだ」

 サクヤさんがお父さんに不満をぶつけます。

「その恨みは爺さんが晴らしてくれる。それで満足しとけ」

「いやっ、それだけじゃ済まさねー。あいつの家を突き止めて若い衆をーー」

「そんなことしたらクビ」

「なっ、それだけはやめてくれ。オレはケンの料理を盗もうとここに来てんだ。何もできないまま終わりたくねーよ」

 サクヤさんがお父さんの胸元を掴みます。

「なら言うことを聞け」

「ムッ……はぁわかったよ。オレが復讐するのはやめる」

 サクヤさんが胸元から手を離します。

「若い衆に復讐させてもだめだぞ」

「ムッ……それはーー」

「やったらクビだ」

「わかったよ。言う通りにすれば良いんだろ?」

「ああ、その通りだ。ほらっ、さっさと仕事をしろ。お客様が呼んでるぞ」

「はいはい」

 サクヤさんが注文を聞きに行きました。

 この好戦的で言葉使いの荒い人はサクヤさんです。私の大好きなアルバイトのお姉さんの1人です。

 サクヤさんはヤクザ一家に生まれました。

 サクヤとヤクザって字面が似てますね。

 サクヤさんは幼い頃からヤクザになるべく英才教育を受けました。祖父が大変厳しく幼少期は泣いてばかりいたそうです。成人してヤクザの道に進んだのですが、祖父の死を機にサクヤさんはヤクザを辞めました。元々ヤクザ稼業は乗り気でなかったようです。

 そしてブラブラと退屈な毎日を過ごしている時に、サクヤさんはお父さんの料理に出会いました。

 感銘をうけたサクヤさんは虹色居酒屋にアルバイトに入りました。元々ご両親はサクヤさんがヤクザになるのは反対だったみたいで、居酒屋でアルバイトをしたいと伝えたら涙ながらに喜び、サクヤさんと共にお父さんに挨拶に来ました。

「色々な面で貴方様に役立つべく私も協力を惜しみません。どうか娘を働かせてやってくれませんか? 闇討ちや横流し、抗争、競合店の取り潰しなど、私にできることーー」

「そんなことしたらサクヤさんをクビにします。何もしなくていいです。ご両親はどうかサクヤさんが自立するのを暖かく見守ってください」

「なっ!?……しかし俺にできるのはこれくらいしかーー」

「サクヤさんは俺の料理を盗み、将来は自分の料理屋を持ちたいそうです。その時に資金提供でもしてやって下さい。お父さんがサクヤさんの行く末を心配しているなら、裏の世界から完全に隔離してやって下さい。それがサクヤさんのためです」

「……娘をお願いします」

 こうやってサクヤさんは虹色居酒屋で働くことになりました。1年程前の出来事です。

 でもまだまだヤクザ気質が抜けないらしく、時々お客様とトラブルになります。といってもサクヤさんが手を出すことはありません。お客様からちょっかいを出されることが殆どです。その場の話で済めば良いのですが、サクヤさんがお客様とのトラブルを広げようとするので、その度にお父さんに叱られています。

 面倒見が良く信頼できるお姉さんなのですが、喧嘩っ早いところが欠点です。

 サクヤさんもシキさんと同じくダイナマイトボディでお客様に人気があります。ファンクラブが結成されているようです。時々虹色居酒屋にも来てサクヤさんと話をしています。どうもシキさんのファンとは性質が違うようで……。

 サクヤさんは金髪でスラっとした長身です。ヤクザ出身のせいか、眼力が強くお客様に怖がられることがあります。一度お父さんと喧嘩になった時のサクヤさんの目は忘れられません。震え上がりました。その時はサクヤさんが謝罪して収まりました。

 調理するには給仕できるようになってから、というお父さんの方針でサクヤさんも接客に出てます。

 当初はイヤイヤやっていましたが、最近は楽しくなってきたらしく活き活きとバイトをしています。

 勿論トラブルは絶えませんが、何とかなっています。さっきのようにじーじが仲裁を買ってでることもあります。

 ガラッ。

 扉が開きお客様が来ました。

 さぁ今日も頑張りましょう。



「今日の賄いは何が良い?」

「オレが作るぜ」

「今日の賄いは何が良い?」

「おいっ、無視すんなよ。オレが作るって」

 サクヤがケンを叩く。

「希望がないなら適当に作るぞ」

「今日は大丈夫だって。しっかりケンの作り方見てたから」

「……一応聞くが何を作るつもりだ?」

「だし巻き卵」

「難しいぞ。火加減や卵を注ぐ配分、タイミング、色々気をつけるところがある」

「大丈夫だ。全部見てたから。卵余ってるのもチェック済みだぜ」

 サクヤがドヤ顔になる。

「確かにまだあるが……」

「なぁ良いだろ? ケンは大根おろしを作ってくれれば良いよ」

「……わかった。任せる。けどシズクとドットの分は俺が作るぞ」

「あんた。私の分もサクヤちゃんので良いよ」

「……多分失敗するぞ」

「失敗しねーって」

「大丈夫だよ。若い頃のあんたの料理と変わんないだろ?」

「むっ」

 痛いところをつかれたケンが真顔になる。

「わ、わたしもサクヤさんので大丈夫です。あわわ、大丈夫なんて失礼なこと言っちゃった」

「よし! 決まりだな。オレがだし巻き卵、ケンが大根おろし、後は味噌汁で」

「サクヤ、お前のが不味かったら作り直すから卵は余らしとけ」

「美味いって」

「良いから余らしとけ。後作ったモノは責任をもって食え。じゃないと許さん」

「あらあら、昔のあなたに聞かせてやりたいセリフだこと」

「シズク、黙っててくれ」

 再度痛いところをつかれたケンの語気が強くなる。

「ええ、黙ります。黙ります。さぁドットちゃん、お掃除しましょうか」

「は、はい! 頑張ります」

「フフフ。今はお客様がいないのだから肩の力をぬいていいのよ」

「は、はい! ……無理です」

「ゆっくりと慣れていきましょうか」

「は、はい」

「さぁやるぜ。まずこのでっかくて冷たい箱の中から卵を取り出して、割って……取り出してーー」

 ガキンッ、とありえない音を出して、卵が盛大に砕けた。サクヤの手には卵がまとわりついているが、何事もなかったかのように再度卵を取り出そうとした。

「待て待て待て。卵を無駄にするな」

 ケンがサクヤの頭を叩く。

「だって、卵が弱すぎて」

「弱いって……力いれすぎなんだよ」

「全然力なんていれてねーよ」

「もっと弱くだ。子供を手に持つかのようにするんだ」

「子供なんて持ったことないからわかんねーよ」

「とにかく力を入れるな」

「へいへい」

 何度挑戦してもサクヤは卵を上手く割れず、遂にはケンが卵を割ることになった。

「これで作れ」

「ちえっ、あと少しでできたのに」

 サクヤが唇を尖らせる。

「良いからやれ。10回も失敗しておいてよくそんなセリフが吐けるな」

 無駄になった卵の殻で真っ白なゴミ箱を見てケンはため息をつく。



「完成と。さぁこれをお皿に盛りつけて、食卓へ……随分とおかずが多いけど?」

「余り物があったんでな。そもそもお前のだけじゃあ飯は食えんしな」

 ケンは余り物を食卓に並べた。コロッケや漬物などサクヤのだし巻き卵なしでも十分に夕食を取れるように準備をしていた。

「心外だなー。美味いって。ほらっ」

 サクヤはお皿をテーブルに置く。

「だし巻き卵ってこんな形じゃねーよ」

 即座にケンがつっこむ。

 サクヤのだし巻き卵はまるでスクランブルエッグのように分裂していた。

 お皿の端に雑然と盛られただし巻き卵モドキは旨そうに見えなかった。

「丸められなくて。あれどうやるんだ?」

「見てたんじゃないのか?」

「見てたんだけどな。全然上手くいかなくて」

「だから難しいって言っただろ」

「できると思ったんだよ。うだうだ言ってないで食えよ」

「お前は無駄に自信を持ちすぎなんだよ。それにまだ『いただきます』してないだろ」

「っとそうだった。あれは大事だ。シズクさんも、ドットも準備OKと。『いただきます』」

「「「『いただきます』」」」

「ほらっ、ケンさん、食え、食え」

 サクヤが箸でだし巻きモドキを持ち上げ、ケンの口に持っていき催促する。ケンは嫌そうな顔をしながらそれを口に入れる。

 なめらかな舌触りとふわふわの食感と卵の風味が口内を満たす。いてもたってもいられず咀嚼する。

 卵のほのかな甘みを感じられ、噛みしめるとダシの旨味が口に広がる。卵の中からダシがじゅわっと……出てこなかった。

「どうだ?」

「いやっ、旨いは旨いよ。俺が使っているダシと卵を使っているんだから。だがこれはだし巻きじゃねー」

「腹に入れば一緒だろ」

「料理人を目指しているお前がそれを言うんじゃねー」

 ケンがサクヤの頭を叩こうとするが、サクヤも手慣れたもので優雅に躱す。何度かそれを繰り返す。そして再度言い合いになって、またケンが叩こうとしてサクヤが躱す。

 そんな2人の喧嘩をシズクが遠目から見て、ドットが慌てて仲裁しようとするが、怯えて言い出せずに黙ってしまう。

 虹色居酒屋の賄いの一幕である。



「今日はサクヤさん、お休みですか?」

「いやっ、そんな連絡はない。おかしいな。1年程働いているが遅刻は初めてだ」

「サクヤさん、根は真面目ですからね」

「マリー、言うようになったな」

「じーじに教わりました」

「次に爺さんが来たら説教してやる」



「うっ……ここは?」

 サクヤが目を覚ますと見慣れない光景が眼前に広がっていた。

 サクヤは椅子に座り両手両足が拘束されていた。

「やっと起きたか。俺様が誰だかわかるか?」

「お前は!?……誰だ?」

「……ズック様だ。虹色居酒屋でお前と争った男だ」

「ああ! お前か。そういえばオレのケツを触った奴がいたな。こんな顔だった。覚えてる、覚えてる。それで? そのズップが何の用だ?」

「ズックだ。間違えるな。俺様の顔に泥を塗ったお前に復讐するためにここに連れてきたんだ」

「拉致されたのか? そういえば家でお茶を飲んだら眠くなって、机につっぷして寝たような気がする」

「ハーハッハ。それは何を隠そう俺様の眠り薬のせいだ。お前がいなくなった時に入れておいたのさ」

「わざわざオレを尾行して隙を伺っていたのか?」

「そうだ。俺様をバカにしたお前を生かしておく訳にはいかない。暗黒街でのし上がろうとしている俺様に汚点があってはならない。お前は俺様をバカにしたことを後悔しながら死ぬんだ」

「……後ろの連中はそのおこぼれに(あずか)ろうって輩か?」

 ズックの背後には10人程の男達がいた。

「そうだ。俺様の配下だ。これからこの10人でのし上がっていくんだ。お前は俺様をバカにしたことを後悔しろ」

「ふぅん。ハッ、時間、時間。今何時だ?」

「午後5時すぎだ。俺様を怒らせるとこういう目に合うんだ。わかったか、このーー」

「5時? マジかよ。完全に遅刻じゃねーか」

「……なんだお前? 怖くないのか? これからお前がされることに気づいてないのか?」

「いやっ、予想はついている。手枷と足枷をはめられたオレを男どもの慰みモノにしようってんだろ?」

「そうだ。お前は顔と身体は悪くねぇからな。性格さえ良ければ俺様の女にしてやっても良いんだがな。だがそれはもう無理だ。俺様に逆らったお前を生かしちゃおけねー」

「こんなゲスな奴の女になるくらいなら死んだ方がましさ」

 サクヤがズックを睨みつけた。その鋭い眼光にズックは一瞬怯むが、背後に部下がいることを思い出し、下がろうとする身体を押し留めた。

「なんだと?」

「死んだほうがましだ、って言ったんだ。聞こえなかったのか? 名前なんだっけ? ああ俺様(・・)だっけか?」

「な、な、なんだとーーー」

 バシッ。

 ズックがサクヤの顔を殴った。

「ズック様。今からやろうって女の顔に傷をつけるのは」

 再度殴ろうとするズックを配下が抱きつき止める。

「はぁはぁ、確かに、そうか。……おいっ」

 冷静さを取り戻したズックがサクヤの顎を掴み顔を自分に向ける。腫れた右頬が熱かった。

「随分と俺様を馬鹿にしてくれたが、死ぬ前の遠吠えと思えばなんてことはない。お前は俺達に犯されてからなぶり殺しにされるんだよ。今までのお前のぐこお……ええい、とにかくお前が悪いんだ。それを後悔して死ね」

「後悔……ねぇ。するのはお前たちだぜ。オレに手を出しバイトに遅刻させた。その罪は重い」

 サクヤのドスが利いた声に男どもが怯む。

「安心しろ。誰も殺す気はない。お前たちにはこの状況をケンに証言してもらわなければならない。じゃなきゃ、バイトやめさせられるかもしれないからな。右頬の腫れという物証もできたしな」

「な、なんだこいつ。わけわからないことばかり言いやがって。おとなしく俺様の話をーー」

 バキッ。

 サクヤが両手両足を動かし手枷と足枷を砕く。外から衝撃を与えて砕いたのではなく、枷を嵌められた状態で手足を振動させ枷を砕いた。

 男たちはありえないモノを目撃し困惑した。

「馬鹿な。枷は鉄だぞ。魔法を使っている様子もなかった。どうやって外したんだ?」

「ええい、何かのトリックに違いない。もう1度はめるぞ」

「おうっ」

 男たちが一斉に襲いかかってくるのを眺め、サクヤは不敵な笑みを浮かべた。



「じーじ、サクヤさんが来ないんです」

「そういえばおらんのう。ふむ、気でも探ってみるかのう。……ここから東へ5km地点にいるの。複数の人間に取り囲まれているようじゃ」

「えっ? ……も、も、もしかして誘拐? 大変です、スグ助けにいかないと」

 かけだしたマリーを爺が止めた。

「待て待て。そんなことせんで良い。マリーちゃんはサクヤがここに来るのを待っていればそれで良い」

「じーじが助けに行ってくれるのですか?」

「……そうじゃのう。さればチョイっと様子を見てこよう。……まぁいらん心配じゃがのう」

「えっ?」

「何でもないぞ。では行ってくるのう」

 ヒュン。

 風切音を残して爺の姿が消えた。

「これでサクヤさんが無事に帰ってきてくれれば……」

 マリーが手を合わせ神に祈りを捧げようとした瞬間、再度金風切音がして爺が現れた。

「あれっ? じーじだ。サクヤさんを助けに行ってくれたんじゃないの?」

「そうじゃ。もう心配いらんぞ」

「えっ?」

「サクヤを取り囲んでいた不埒者どもはワシが成敗してやった。役所に突き出したからもう心配いらんぞ。ああ、ケンさん。サクヤは悪党に拉致されていたみたいだ。遅刻は多めにみてやってくれ」

「いやっ遅刻なんてどうでも良いよ。サクヤは無事だったのか? 何もされてないのか?」

「勿論じゃ」

「ふぅ、良かった。それで今日は家に帰るのか?」

「すぐに来るそうじゃ。後10分くらいかのう」

「えっ? 来るのか? 事件に巻き込まれたんだから今日くらいゆっくりして良いんだぞ」

「サクヤがバイトしたいそうじゃ。ケンさんも事件に触れず普段通りに接してやってくれ」

「……そう……なのか。わかった、爺さん、ありがとう」

「ねぇ、じーじ」

「なんじゃ?」

「じーじ、帰ってくるの早くない?」

「早く帰ってこないと席時間がなくなるからのう」

「そうじゃなくて。じーじが瞬間移動できるのは知ってるけど、いくら何でも早すぎるよ。移動して悪者を倒してサクヤさんと話して帰ってきたんでしょ?」

「そうじゃ」

「でも一瞬だったよ」

「そりゃ儂が時間跳躍をしたからに決まっとる。ちなみにこれは内緒じゃぞ。他人に知られたら色々と面倒だからのう」

「ジカンチョウヤク?」

「難しいか。むぅ、なんと言ったら良いのかのう。時間を遡る……過去へ行く……むぅ」

「マリー。爺さんはタイムマシンを使えるんだよ」

 ケンが助け舟を出した。

「タ、タ、タイムマシン!??? じーじ、ホント? ホントなの? ねーねー」

 マリーがピョンピョンと跳びはねる。

「本当じゃ」

「え〜〜〜。すごいすごい。じーじは本当に凄い魔法使いだったんだね。疑ってごめんなさい」

「まだ疑っとたか。まぁ疑惑が晴れて良しとしよう。さぁマリーちゃん、酒をくれ」

「は〜い。じーじ、今度私もタイムマシンに乗せてね」

「……気が向いたらのう」

「絶対だよ」

 マリーがウインクをして素早く厨房へ行く。

「安請け合いしたかのう」

 爺のため息は酒と肴に舌鼓を打っている他の客に聞かれず、笑い声の波にのまれた。



「ケン、遅刻してごめんなさい」

「良いよ、そんなの。無事で良かった。爺さんにもお礼を言っとけよ」

「お礼?」

「爺さんに助けてもらったんだろ? ならお礼言うのが筋だろ?」

「……ああ、そうだった、そうだった。お礼言ってくるよ」

 サクヤが爺に近づき頭を下げ、戻ってきた。

「お礼言ってきた」

「良し。で、今日は働くのか? 今日くらいは帰って休んだってーー」

「働くよ。オレはここで働くのが好きなんだ」

「そうか。じゃあさっさとシャワー浴びて来い」

「オッケー」



「師匠。昼に指示された案件は処理しておきました」

「うぃ〜。なんじゃったかのう?」

「悪漢共を役所へ突き出せと仰られたではありませんか」

「おう、そうか、そうか。忘れておったわ」

「……奴らは起きた途端役人に泣きついてました。恐いモノでも見たのでしょうか?」

「この世のモノとは思えん程の、な」

「それはいったい何ですか?」

「教えられん」

「師匠!」

「無理じゃ。ワシとそいつの約束じゃ」

「師匠、何を約束されたのですか?」

 爺はスレッジの質問に答えなかった。

 答えなかったのか、答えられなかったのか。

 爺の顔を見上げたクロが少し笑った。



「姐さん、今日は何にしますか?」

「だし巻き卵が良いがーー」

「全然大丈夫です。俺だし巻き卵大好きですから」

「すまない。だし巻き卵1つ入りました」

「はいよ」厨房からケンの威勢の良い声が響く。

「いえいえ、俺は姐さんに惚れてますから」

「『俺様』じゃなかったのか?」

「姐さんそれは忘れて下さい。俺は世間知らずだったんですよ。姐さんの強さを嫌って言うほど味わって目が覚めました」

「お前評判良いらしいな。頭は馬鹿だが何でも全力を尽くすから使い勝手が良いって、上官が言ってたぞ」

「全ては姐さんのため。俺が真っ当になって兵隊になれたのは姐さんのおかげです。だから俺は姐さんが喜ぶことなら何でもします。ここに通っているのも姐さんに早く店を持って欲しいからです。姐さんの店なら俺毎日通いますよ」

「ありがとう。だが先は長いぞ」

「叶うまで通い続けます。あいつらだって同じ気持ちです」

「感謝するよ。おっと早く戻ってケンの作り方を見ないと」

「頑張って下さい」



「わからなかった」

「姐さん、もう1回頼みます」

「良いのか?」

「勿論です」

「ありがとう。だし巻き卵入ります」



「サクヤ」

「どうした、ケン」

「お前が作れ」

「えっ?」

「だし巻き卵、お前が作れ」

「作って良いのか?」

「早く作れ。そしてあいつを満足させろ。もう10回目だぞ。いい加減疲れたよ」

 ズックはサクヤにケンの手さばきを見せるために、エールとだし巻き卵だけを頼み続けた。

 すでに9皿を完食している。虹色居酒屋のだし巻き卵は卵を3つ使うため、ズックは実に27個の卵を食べていることになる。空恐ろしい量である。

「わかった」

 意気揚々とサクヤはだし巻き卵を作り始めたが、最初に入れる量が多すぎて中々火が通らず焦げてしまった。初心者がやりがちなミスである。

「あーあ」

「今度こそできると思ったんだけどなー」

「どうすんだ、これ。お客には……いやっ、サクヤ、それを皿に盛りつけてズックに出してやれ。タダで良い」

「良いのか?」

「ああ」

「わかった。持っていく」

 サクヤは焦げの弱い方を上にしただし巻き卵モドキをズックの下へ持って行った。

 ズックはというと卵の食べ過ぎで胸焼け状態でげんなりしていた。

「ズック。だし巻き卵だ」

「うっぷ……姐さん。ありがとうございます。……焦げてますね」

「すまない。それは私が作ったんだ。タダで良いからズックに持っていけってケンに言われて。でもこんな焦げたやつはいらないーー」

「姐さんの手料理なんですか?」

 ズックの焦げただし巻き卵の載った皿を両手で掴む。まるで宝物を見つけた子供のように。

「ああ、嫌ならそうとーー」

「嫌な訳ないじゃないですか。勿論いただきます。というかもう貰ったんで、俺のもんです。誰にもあげません。食っていいですか?」

「良いぞ」

 ズックが箸を手に取り、だし巻き卵を割る。

 サクヤにカッコいいところを見せたいがために、ズックは箸の練習をしていた。必死に練習で使いこなせるようになった。

 一口大のだし巻き卵を口に入れる。

 焦げた嫌な香りが口一杯に広がる。

 焦げ、というのは口中にずっと残り、どんな料理でもマズくしてしまう。肉や野菜の旨味が渾然一体となったカレーでさえ一度焦がせば、ルゥを口に入れる度に焦げた風味がして台無しになる。

 料理は焦げには勝てない。

 だし巻き卵のような卵の旨味をダイレクトに味わう料理で焦げは致命的である。ダシの風味が殺され、引いてはだし巻き卵という料理が殺される。とてもじゃないが食えたモノではない。

 しかし、ズックにとってはその嫌な香りでさえ、だし巻き卵の味を引き立てるスパイスに感じられた。サクヤへの愛情が焦げを上回り、黒みがかっただし巻き卵を極上品へと変えた。

 愛情は最上のスパイス、とは良く言ったものである。

 またたく間に本日10皿目のだし巻き卵を食べ尽くしたズックは恍惚とし、エールをほんの少し呑んだ。

「どうだった?」

「最高でした。今まで食べた中で一番旨かったです」

「そうか。やっぱりオレには料理の才能があるな」

「間違いないっす」

 そんな光景を厨房からケンが見ていた。

「ああ、サクヤの鼻がまた高くなる」

「サクヤちゃんはあれくらいがちょうど良いのよ」

「そんなもんか?」

「そんなもんよ。さぁ仕事よ、仕事」

 ケンは次の料理にとりかかった。

 厨房にはサクヤとズックの笑い声が響いた。その声を聞いてケンが微笑んだ。

「まぁ料理人の才能はこれっぽっちもないが、向上心だけが取り柄だからな。見守ってやるか」


 サクヤの挑戦はまだ始まったばかりである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ