奇跡のドライバー
「夕暮れの町って良いですよね。朝の喧噪と昼の活気が少し落ち着き、静けさを思い出した感じといいますか。解放された様子で自然に笑う人たちを見てると、なんだかほんわかとした気分になりますよね。そしてそんな中を走るドライブは夕日が映し出す美しさと相まって益々楽しい、ほらカラスも楽しそうに飛んでますよ」
「前見て前ーーー!」
「おっと危ない」
崖に面した急カーブを直角に曲がる赤いスポーツカーと、顔面を蒼白にする遊。さっきから座席上の手すりを離せる気がしない。
「にしても海辺のドライブっていいですよね! こうワクワクしてくるというか、センチな気分になれるというか。赤く照らされた水面を見ているとまるでラブロマンスの世界に来たかのような」
「これは明らかにワイルドスピードって前ーーーーーー!!!」
「おっといけない」
あり得ないほど切られるハンドル。壁面に乗り上げ壁走りのように疾走するスポーツカー。上がる遊の悲鳴。右を見れば海に一直線な断崖、左を見れば夕焼け空、足下には本来走れる筈もない絶壁。
紅月紅、彼女は奇跡のドライバーだった。いろんな意味で。
「ん? どうしました? なにか顔色が悪いようですが・・・・・・まだ回復しきっていなかったのでしょうか。恵は大丈夫と言っていたのですが」
「うくっ・・・・・・これは別件・・・・・・あぁだめだ。エチケット袋ください」
さもないと車内にテロが起こる。
口を押さえ死に体の遊を不思議そうに見た紅。 少し考えた後乗り物酔いをしやすいとでも思ったのか、ガシャンと音を立て道路に車を戻すと助手席の窓を大きく開けてくれた。
「うえっぷ、で、紅さん。俺ら何処向かってるの?」
海風が少し磯臭いが、新鮮な空気は今の遊には砂漠のオアシスと同じ。風をはらんだフードが広がり首を後方に引っ張るのを感じながら、弱々しい声で目下最大の敵に問いかけた。
「どこって、お仕事現場ですよ?」
「こんな東区の漁場エリアに? なに一本釣りでもしに行くの? ネームレスって漁業組合?」
あの不良も裸足で土下座しそうな霧華が投網をしている姿を想像し、言ったそばから「ないわー」と全否定。しかし紅は「似たようなものですね」と笑いながら車を進めていく。
しかし、到着したのは漁港ではなく寂れた湾岸倉庫だった。
潮風に吹かれて赤錆の浮いた大型倉庫と搬送用のひび割れたアスファルトがあるだけの、もの寂しい風景。
貨物船を接岸させるためだろう。海沿いにまっすぐ整備された柵のない海岸から少し離すように車を停め、紅は風に吹かれる髪をそのままに大きく伸びをした。
「うーん、運転は楽しいですがやっぱり身体が強ばりますね。あれ、どうしました?」
「今はほっといて」
本職モデルにも遜色ないスタイルとスポーツカーの組み合わせは、海を背後にしたロケーションと併せて、まるでドラマ撮影のワンシーンのような華々しさがある。
対して、助手席から転がり出るように下車した少年は、そのまま立ち上がる気力もなく両手足をアスファルトについた姿勢でモザイクを量産していた。まるでバラエティーのワンシーンだ。締まらないことこの上ない。
「今度は絶対酔い止め呑むまで紅さんの車には乗らない・・・・・・にしても、こんな廃倉庫になんの用です・・・・・・か、ってあれ、まさか」
もう吐くものもなく涙目で顔を上げた遊だったが、その目に倉庫の陰に隠れるようにして駐車された二台の黒塗りベンツが映った。
もう使われてない雰囲気が漂い人気もなにもない廃墟一歩手前のここには相応しくなく、でもある意味相応しい高級車。
窓にスモークまで付いた完全使用でもう持ち主はそれとしか思えないベンツと、何気ない風の紅を見比べ遊の顔から血の気が引いていく。
もうスターとかリアクターとか関係無しに表を歩けなくなる気が凄くする。
「紅さん、仕事ってもしかして」
紅も遊が自分とベンツを見比べてるのに気が付いたのだろう。爽やかな笑顔で大きく頷いた。
「そうです、ここでちょっとお仕事ですね」
「いや、え、考え直さない?」
やばい、それは洒落にならない。
だが洒落にならなさは、次に出てきたものの方が大きかった。
おもむろに後部座席を開けた紅が引っ張り出したもの。
長さはだいたい二メートルくらいだろうか。朱塗りの柄に大降りの斧刃と槍の穂先がついた、ハルバートと呼ばれる大型武器。
銃刀法違反なんて生ぬるいものじゃない。その明らかな危険物を、さも扱い慣れている感じでバトンのように取り回し肩にかける紅に、一切の迷いは見あたらない。
「はい、お仕事前に遊にはこれを渡しておきますね。貴方がスターになったときの甲殻から作ったものです」
「これは、ナイフ?」
玉虫色に輝くどこか生物的な刀身に、黒の皮が巻いてあるだけの簡素な柄。刀身と同色の鞘と共に渡されたそれは紅の言うとおり、自分がスターと化した時に見た腕を想起させるものだった。
恐る恐る手に取ってみると、刃物なんて包丁と文具しかマトモに持ったことが無いはずなのに、まるで長年連れ添った相棒であるかの如く手になじむ。
「私の斧もそうですが、ネームレスのリアクターは自分由来の武器を最低一つ保持しています。それは武器であって自分の一部でもありますから大切にしてください。荒事には大活躍ですよ、必須です」
よくよく見てみると紅の大斧はどこか遊のナイフと同じ、生物的な質感を持っている。
こんなところにも自分が人間から外れてしまった証明があったかと、何とも言えない気持ちになったが、ふと遊は気が付いてしまった。
どうしてこのタイミングでコレを渡してきた。
どうしようもない、嫌な予感。
「さぁて、では派手に行きましょうか」
「いやちょま・・・・・・」
「はいドーン!」
ちょっと近所のコンビニに行ってきますみたいなノリで赤いペンキが剥がれかけた倉庫に軽く歩み寄ると、紅は手にした大斧を大きく振りかぶり、一気にそのシャッターへと叩きつけた。
直後、響く轟音と金属のひしゃげる甲高い異音。
コンクリ片や良く分からない欠片が足下で跳ね回り、視界は粉塵に覆われ見通すことが出来ない。
恐らくだが、傍目にはガス爆発かなにかと勘違いされるのではないだろうか。
「おい、これはどういうことだ!」
「カチコミか!?」
「どこの命知らずだ!」
「ここのですよ」
呆然とする遊の見ている前で、粉塵をかき分けて黒いスーツを着た複数の男たちが、手にナイフや拳銃などの武器を手に倉庫から転がり出てくる。
中にはジュラルミンケースを大切そうに胸に抱く男も混じっているので、どうやら何かの取引の最中だったのだろう。ドラマの知識だから確信は無いけども。
「あぁ! 女お前今なんて言った!」
「謝るくらいじゃ済まされねぇぞ」
「取引邪魔した分、きっちり責任とって貰わなきゃなあ」
あ、やっぱり取引だったんだ。そんなの邪魔したら怒りますよね、うん、そうだよね普通は。
「遊、というわけでお仕事始めますよ」
「え、この状況で? 仕事ってなに捕り物でもやるの?」
怒り狂う男たちを前に顔色を一切変えない紅は、警察どころかむしろマフィア寄りだ。
こんなハルバートを気軽に振り回すような危ない女が警察だった日には、世を儚む自信がある。
「捕り物? そんな面倒な事はしませんよ」
「あぁなにくっちゃべってやがる! なめんなよぼけがぁ!!」
額に青筋の浮いたスキンヘッドの拳銃が、何かが弾けるような軽い音と共に弾丸を吐き出した。
向ける先はクルクルとハルバートを回している紅。しかし弾丸は紅に届くことはなく、ハルバートの柄に当たると軽い音と共に弾かれ、チャポンと至極平和的に海へと放物線を描いて着水した。
一瞬なにが起こったか分からず、呆然とする一同。発砲した男の手が小刻みに震えている。
そして、そんな大きな隙を見逃す道理は紅には無い。
警告もなにもせず、一気に男たちへと踏み込む紅。まるでゴルフスイングのように引き絞られたハルバートは、その峰を前にしてまるでホームランでも打つかの如く男たちを蹴散らした。
ああ、人ってあんな風に飛ぶんだ。生きてるかな、あの人たち。
次の話は明日の8:00です!