目覚めると
今日はここまで。
明日は朝からです
「九渚三位」
変異種、通称スターベーション。あらゆる生物から変異し、その凶暴性と生命力で瞬く間に人類の驚異となり果てた生物。通常の手段では殺しきるどころか効果的な傷を付けることも難しい相手に対し、唯一対抗手段を持つ国家機関「変異種対策局」。その局員の一人である九渚蓮二は、間借りしている警察署の廊下で一人の女性警官に呼び止められた。
いや、女性警官というのは語弊があるか。彼女の制服には旭日章の代わりに無地の盾を象った紋章があしらわれており、蛍光灯の灯りを受けて硬質な輝きを発している。
無為の心を持ち、ひたすらに守る盾とならん。
異変種対策局を示すエンブレムだ。
「夕日さんか。もう制服は着慣れたか?」
「え、いえ・・・・・・まだ着られてるって感じがします。まあ制服自体は前職と似たような物ですけどね」
「ほぼ同じデザインだからな。まぁ・・・・・・」
人気は無いけども。その言葉を蓮二は心の内にしまい込んだ。女性に対し、下手な失言は何か大きなミスになりそうだという勘が働いた結果だ。
今までの二十五年間の人生において、仕事や学校関係以外でほぼ女性と接した経験の無い蓮二にしては、合格点な勘だといえる。
「馴れていくしかないな。今後は仲間なんだから」
「そうですね、まさか自分が適合できるなんて思ってなかったからビックリしてますけど。これから頑張ります!」
「まぁ暫くは俺につく感じになるから、そう緊張しなくていい」
「はい! ありがとうございます!」
元気に頭を下げる小さな姿にほっこりしてしまうが、そういえば目的があったのを思い出し、廊下の向こうへと歩を進める。
身長差故か、蓮二が普通に歩くと夕日は小走りになるらしい。軽い足音を小刻みに鳴らして併走してくる少女と言っても違和感がないだろう新入りに、何か別な用件でもあっったのではないかと蓮二は少し歩調を緩めた。
「ところで夕日さん、何か他に用があったんじゃないのか?」
「えと、ですね。昨日索敵に出られたじゃないですか、何かあったのかお聞きしたいな・・・・・・なんて思いまして」
すこし恥ずかしそうにショートの髪をいじる夕日。一瞬どうしたらいいか分からなくなるが、無難に「そうか」と応えておくことに。すると夕日は恥ずかしそうに伏せていた顔に不安を押し出して蓮二の顔を見上げてきた。
「あの・・・・・・だめ・・・・・・でしたか?」
見ると目尻にはうっすらと涙が貯まっている。
一重瞼に引き結ばれた口、細くありながらもしっかりと鍛え上げられた上背は百八十にも及ぶ。そんな見た目のせいか蓮二は他人に、特に子供や女性に怯えられることが多い。特に見下ろすアングルはすこぶる付きで大不評だ。
折角の新人に対し今回もやってしまったかと内心頭を抱えながら、蓮二は努めて平静な声で言った。
「だめではないさ。ただ何というか、俺が駆けつけたときには足一本しか残って無かったから、話すことが殆どない」
「そ、そうなんですか・・・・・・」
「だけどな」
ふと妙案を思いついた蓮二はこう続けた。怯えられやすい自分には厳しく、どうしたものかと思っていた問題の解決案に丁度いい人材を見つけてしまったのだ。
「その足に一人女の子が捕まっててな。今から医務室まで見舞いに行くんだが、ついてくるか?」
暗く輝く螺旋階段。
一人の子供が遊んでいる。
辺りに人の気配はなく。
大量のおもちゃに囲まれ遊んでいる。
宙に浮くナイフやトランプ。
独りでに笑うクマのぬいぐるみ。
更新する兵隊人形。
尋常ならざる雰囲気の中、楽しげに揺れる狂気の遊技。
蝋燭の灯りのみが照らす暗闇で、死と踊るかのように笑う楽しげな子供。
その瞳は猫のような細長い瞳孔を丸く太め、笑顔を浮かべるその頭には、表側から突き出した二本の捻れた角。
子鬼か悪魔か、尋常な存在では無いその子供は前振りも無しに「グルン」と此方を振り返り、大きく裂けた口を楽しげに歪め。
「あそぼ」
そう、ハッキリと。
「あそぼ、遊」
「ん・・・・・・うん・・・・・・」
まるで上から分銅でもぶら下がっているのではと思う程に重い瞼を苦労して開け、遊は霞がかった頭を左右に振りつつゆっくりと身を起こした。
「なんだ、ここ」
まず初めに思ったのは「ウチじゃない」、そして次に「見覚えがない」。
コンクリが打ちっぱなしの天井に、小さなチェストが一つあるだけの殺風景な部屋。病院の入院室でも、もう少し何かあるだろうと思えるほどに何もない部屋。
こちらも飾り気のないパイプベッドからは洗剤の匂いが漂っている事から、ちゃんと手入れはされているようだが、それがかえって廃墟とも言えそうな部屋の雰囲気とミスマッチしていて、不思議な感じがする。
ぶるっと襲ってきた悪寒に身体を見下ろすと、薄い掛け布団をはだけた上半身は服を着ていなかった。いや、包帯で覆われてはいるが、それだけだ。感触で下半身は短パンに近い物を履いている様だが、今の遊はプールやビーチ以外の場所には出辛い格好ということになる。
誰が脱がせたのか、どうして包帯まみれなのか、疑問は尽きない中とりあえず手荷物は・・・・・・と周りを見回すと、ベッドの脇に見覚えのある鞄と幾つかのボロ布が畳んで置いてあったのを見つけた。
ほっと息を吐く遊。とりあえず、自分の荷物の無事が確認できたのは・・・・・・まあ大した物が入ってなくても安心するものだ。
遊は何気なく鞄を手にしようとし、ふと気になって傍らのボロ布を手に取ってみた。緑色に若干黄色が見えるそれを広げ、遊は前髪で隠れ気味の目を見開いた。
それは遊の見慣れた布、否、服。
大きな穴があき、血が滲み、びりびりに破れてはいたが、それは遊がさっきまで着ていたはずの、愛用していたパーカーだった。
「なんだ・・・・・・これ」
まるで大型の獣に噛み砕かれたかのような、無惨な状態。
ハッとした遊は慌てて自分の身体を、より正確には包帯で巻かれた上から手探りで怪我の有無を確認する。が、大した痛みも傷があるような違和感もない。
パーカーの惨状を見る限り、この持ち主は良くて致命傷、悪ければ即死なのは間違いない。そしてこの持ち主は自分。そこまで考えが至りパーカーを握る手が震え始める遊の耳に、幾分乱暴に扉を叩く音が聞こえた。次いでステンレスのドアストッパーがゆっくりと内側に動いてゆく。
「おっ、目が覚めたかい」
声に反応して顔を上げた遊に気楽な様子で片手を上げ挨拶したのは、軽くウエーブのかかった茶髪のショートヘアをしたパンツスーツ姿の女性だった。
「目覚めの気分はどうだい少年」
女性は無遠慮に部屋へと踏み込んでくると、遊のベッド脇に軽やかな動きで腰掛け、自然な動きで懐から取り出した煙草へと火をつけた。
今目覚めたばかりの、病人未満といってもいい遊の近くで気を使う様子も、止める暇もない。
「おや、もしかしてここは禁煙だったかい?」
遊のじとっとした視線に気が付いたのだろう。女性があっけらかんと聞いてくるが、それに遊は深いため息で応えた。
会ったばかりだが、この女性のことが少し分かった気がする。
「ここが病室なら、禁煙は常識だと思いますが」
「ははは、それなら問題ないな。ここは病室じゃないし」
「ここは病院ではないのですか?」
「どころか普通の建物でもないな」
口元を手で隠し、一息に灰の固まりを増やすと、美味そうに紫煙を遊とは反対方向に吐き出す女性。彼女は吐き出した流れのまま口の端に煙草をくわえると、空いた両手で遊に一着の緑色をしたパーカーを投げて寄越した。
反射的に受け取り広げてみると、中に包まれていたのか、ゆったりとしたズボンが一本転がり出てくる。
「お前の服は猛獣のお食事後みたいな有様だったからな、替えの服さ。偶然お前の着てたパーカーと似たようなのあったから、それかっぱ・・・・・・持ってきた」
「あ、ども・・・・・・」
似たようなと言うか、瓜二つだ。同じ物じゃないだろうか。気に入っていたパーカーだけに結構凹んでいた所にこのサプライズで、パニックになっていた遊の心が少し落ちついて行く。
「・・・・・・っと、そろそろお互い自己紹介でもどうだい少年。私は霧華、一応ここの管理人みたいなもんかな。少年は?」
「あ、えっと、高月遊といいます」
「そうか、なら遊少年」
何が面白いのか、霧華はその端正な顔にニヒルな笑みを浮かべ、ズイッと遊へ顔を近づけて言った。
「人間から一歩、踏み外した気分はどうだい?」
「え・・・・・・」
「ん? 覚えてないのかい? 自分に何が起こったのか」