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リアクター  作者: 3号
2/21

犠牲

ここまでが、導入





 西区都立高校から少し下った通学路。昼と夕方の狭間にある時間帯で、下校中の学生たちの陰が長く伸びて街路樹に覆い被さっている。


 商店街やオフィス街との距離が近いためか、背の高いビルなども多く見られ、一日を乗り切った企業戦士や、今からの一日で他よりも先んじようと声を張り上げる居酒屋の客引き等が通りに溢れ喧噪を生み出している。


 いつも通い慣れた、通り馴れた馴染みの光景。


 そんな中をパーカーを目深に被った低い陰と、ポニーテールを揺らすパーカー君よりも若干高い陰が並んで歩いていた。


「意外と、みんな普通に過ごしてるもんだなあ」

「そりゃあね。隣にいるって言われても現実感とかないし」

「そんなものなのか・・・・・・」


 アイスクリーム店の前では女子高生の集団が色々な味のアイスを注文しては、交換して楽しみあっているし、風船を配るお姉さんの近くでは小さな女の子が母親に抱かれてはしゃいでいる。


 あまりにも普通の光景。近くにスターが潜んでいるなんて、知っていても思わないのかもしれない。


 画面の向こうの出来事、自分とは関係のない余所の事柄。もっと言えばフィクションに近い別世界の情報。感覚的にはそんな物なのだろう。


 アウターに隣接し、他の都市よりも圧倒的にスター被害の確率が高い境界都市であるここであっても、実際に被害を受けた、大きな事件が身近で起こったなどしないと、現実味というものが沸かないのかもしれない。


「こっからは見えないけど、境界壁の向こうにはしっかりスターがいて、その進入を拒む戦線があるらしい・・・・・・けどね」

「そんなことよりも、遊、今日ちゃんとお母さんに顔見せる約束、果たしてよね」

「そんな約束したかな?」

「やると決めたら即日実行がいいに決まってるでしょ?」


 郷田が剣道部の試合が近いとかで、追い込み練習をしているために、部活を休んだ冬実と二人での帰宅路。なぜか機嫌がいい冬実の影を踏み、目深に被ったフードから覗く町並みは、とても平和な空気が漂っていた。


「なにー? もしかして逃げる口実でも考えてるんじゃないよね?」

「ちがうよ。ただ、こんなもんなのかって」

「・・・・・・あっ、ごめん。そっか、遊にとっては「そんなこと」じゃないよね。久しぶりに遊が遊びに来ると思ってはしゃいで、うっかりしてた」

「そんな深読みして謝らなくていいよ。あんまり気にしてないから」


 そうだ、気にしたってしょうがない。もう五年も前の出来事なのだ。引きずるのは自分でもしょうがないとは思うけど、それは冬実に気にさせるような事じゃない。


 いつものように日常を謳歌する人を眺め、ため息一つに悩みを込めて吐き出す。


 一つのスターが出現したとして、自分たちに関わる可能性が一体どれだけあるというのだ。


 対策員も動き出してるという、ならば自分たちの知らないところで自分たちの日常に交わる事無く、非日常は幕を閉じるだろう。


 いくら悩んでもしょうがない。そんな事しなくても明日は来て、この時と同じ時間を何度も繰り返すのだから。


 あの時のような事はそう何度も起こる筈がない。胸に蟠る不安に遊はそう言い訳して、いつの間にか少し差が開いていた冬実の背を追うために駆けだした。


 だが、不安に被せた蓋は呆気ないほど簡単に弾け飛ぶ。言い訳は所詮言い訳だと、そうあざ笑うように。


「冬実!」


 始まりは静寂、残るのもまた静寂。


 ビルとビルの間を抜ける僅かな路地。その前に差し掛かった冬実の華奢な体躯は、何の証拠も残さないままにその場から消え去った。


 いや、連れ去られたのだ。


「くそっ!」


 フードがめくれ上がるのも構わずに、眼前の人を押し退け、突発の事態に混乱する人並みを突破し、無我夢中で路地裏へと飛び込む。


 一瞬見えた冬実を連れ去ったもの。細い胴体に幾重にも巻き付き、路地の闇へと引き入れたそれは尋常な生物のモノにはとても見えなかった。


「冬実!」



 失う怖さ、それは自分が死ぬ怖さと似ている。


 返事が少しでも返ってくる事を期待しつつ、無駄になるかもしれないと察しつつ、それでも叫びを止めることは出来ない。


 それを止めると、もう何も無くなるような不安感が溢れてくる。


 クリスマスの日、自分は叫ぶことすら、呼びかけることすら出来なかった。


 あの無力感に比べたら、自分が死ぬかもしれない地に行くことなど、微塵も躊躇いはない。


 そう、死ぬかもしれない。


 なぜなら恐らく、自分が今向かう先には。


「冬実!」


 一人走るだけで精一杯の路地を駆け抜けた向こう、大穴が穿かれた緑のフェンスを潜った先。ビルに囲まれて隔離され、世界から忘れ去られたような、そんな雑草が埋め尽くす空間にソレはいた。


 端正と言って、いいのだろうか。髪の長さと線の細さで女性と分かる裸の上半身を乱れるに任せた髪の毛で覆い、耳まで裂けた口元以外、凹凸を残して顔と呼べるパーツを全て失った異形。例えるなマネキンの容貌に近いかもしれない。しかしそれは下半身がタコの足になっていなければだが。


 うねりのたうつ幾本もの足、その一本で冬実の華奢な身体を掴み上げて眼前に翳すソレ。ビルの二階にも届こうかというその生き物は、見慣れているパーツで構成されていながらも、ハッキリと「異常な生物」である事を伝えてくる。この様な存在は一つしか思い当たらない。


「スター・・・・・・ベーション」


 意図せずに、スニーカーを履いた足が後ろに下がり、落ちていた空き缶を軽く蹴飛ばす。


 その音に反応したのか、タコ型スターはゆっくりと、その眼下の形に凹んだ双眸を遊へ向けた。


「クルルォ・・・・・・」


 外見に釣り合わない、甲高く済んだ鳴き声が響く。それに追随するように、冬実が小さなうめき声を上げたのを遊は聞き逃さなかった。


 無意識のうちに震え、逃げようとしていた足がその場で止まる。


 本能から来るものか、刷り込みのものか、意識とは関係なく沸き上がる恐怖で感覚のない指先。その手指が路地に落ちていた鉄パイプを拾い上げる。


(何やってるんだ俺は!)


 いつの日だったか、遊び感覚で郷田に習った剣道を、僅かながら身体が覚えていたのだろう。左手はパイプの下方、右手は左手より上方に拳一つ分の間隔を開けて竹刀のように鉄パイプを握り込む。


(・・・・・・無理だ、勝てない、殺される)


 そんな事、考えるまでもなく分かってる。


 授業でもニュースでも、繰り返し聞いてきたスターの危険性。しかしそんな情報無くても目の前にすれば分かる。これは、挑んではいけない、戦ってはいけない、逃げるべきだ、殺される、と。


(こんなのと戦ってるって、対策員って、化け物もいいところだ)



 頬に冷たい汗が伝う。


 この細い鉄パイプで殴りかかったところで、勝てるビジョンが全く浮かばない。どころか傷を付けられる予感も、逃げたとして逃げきれる予感も全くしない。


 怖い、怖い、帰りたい。


(何でもない、いつも通りの日常をただ過ごしていただけなのに、どうしてこうなったんだ)


 思わず問答してしまうが、答えの声があるわけでもなし。タコの下半身を折り曲げて遊を興味深げに見つめるスターと、苦しげに声を漏らす幼なじみの姿。これが、唯一の現実。


「おかあさん・・・・・・遊・・・・・・」


 無意識だろう、か細い言葉が漏れ聞こえる。


「なんでかなあ・・・・・・俺より郷田の方を呼ぶべきだろうにさ、こんな頼りない奴より・・・・・・」 


 逃げたい、その気持ちに偽りはない。こんな場所、鉄パイプなんか投げ捨てて一刻も早く走り去った方がいいに決まっている。


 しかし、それはできない、やりたくない。


 また何も出来ないまま一人になるくらいなら、自分が死んだ方が、まだましだ。


 怖いけど、震えも止まらないけれど、足も腕も動く。動くなら、やれることはある。


「うわあぁぁぁぁぁぁ!」


 震える足が、もつれながらもアスファルトを蹴る。構えた鉄パイプが一直線にタコ足へと向けられる。狙うは冬実を捕らえた一本。


 何もかも振り払うように声を張り、一直線にスターへと飛びかかる。


「クルルァ」


 遊を見つめるスターの顔が、不思議なものでも見るようにクタリと横に傾いた。


 何をやっているのか、何をやろうとしてるのか分からない、そんな様子で。


(理性無いバケモノのくせに、人間くさい動きするなよ!)


 分かってる、自分がバカなことをやろうとしてるのは、自殺にも近い無謀をしようとしてることは、よく分かってる。


 でも、それでも、冬実を逃がすくらいは出来るかもしれないじゃないか。


 小さくても、そのくらいの希望に掛けることは許されて良いはずだ。


「冬実を、離せよぉぉぉぉ!」


 転びそうな足で踏み切り、出鱈目でも構わない、自分が出せる全力の一撃を叩き込む。

「クルァ?」

「マジか・・・・・・」


 しかしそれでも、スターはびくともしない。


「それでも、らぁぁぁ!」 


 一回でダメなら二度、三度。


 勝てないって事は分かっていた、ならば、驚くのも絶望するのも後回しだ。


 興味深いモノを見るようなスターの眼差しに晒されながら、遊はただ愚直に何度も、何度もタコ足めがけて鉄パイプを振り下ろした。


 度重なる連打に手が痺れ、握る手の平に血がにじんでも、それでも止めずに何度でも。


「ゆ・・・・・・う・・・・・・なに、やってるの・・・・・・」


 不意に頭上から聞こえた声に顔を上げると、冬実が泣きそうな目をして遊を見下ろしていた。


「怖いよね、今、助けるからさ」


 何度叩きつけただろう、腕が重い、手に力が入らない、鉄パイプが思ったように持ち上がらない、でも、まだ・・・・・・。


「もういいよ、逃げて遊。じゃないと二人とも食べられちゃう」


 元気娘として明るい面が目立つが、冬実は決して馬鹿じゃない。今の現状を見て、きっと自分の置かれた状況をしっかり理解しているのだろう。


 しかし、それでも冬実は馬鹿だ。


 怖くない訳がない、それでも遊に逃げろと言う幼なじみを残して、果たして本当に逃げられると思うのか。


 きっと、後で冬実にも郷田にも怒られるんだろうなぁ、そんな事を思いながら、遊はもはや持ち上がらない鉄パイプを捨てて、今出せる全力で拳を握り込んだ。


「食べられるのは、一人で充分。だろう、タコさん」


 どうせ通じない、そんな事は考えない。


 ただ助けたい、その一心で握った拳は・・・・・・。


「クルルル」

「いやぁぁぁぁぁ!」


 腹部を貫く鋭い触腕によって、呆気なく解け、崩れ去ってしまった。


「うっ、ぐ・・・・・・あぁぁぁぁぁぁ!」


 焼けるような痛み、熱、絶望が押し寄せる。命が流れ出していく感覚が否応なしに脳髄へと叩きつけられる。


 自分が出してるとは思えない絶叫が、鉄臭い液体と共に喉から間欠泉のごとく吹き出す。


(これ、え、俺は死ぬ・・・・・・のか?)


 指先から徐々に感覚が消え、虚無感が全身を覆っていく。 


 貫かれたまま空中に持ち上げられ、傷口が抉られる痛みにうめき声を上げる遊。


「遊、ゆう!!」


 今にも泣きそうな、震えた冬実の悲鳴にも似た叫びが耳に届く。自分も危ない状況だろうに、あのクリスマスの夜と変わらない、遊を案じる気持ちのみがその声には籠もっている。


(俺が死ぬのはいい。いや、冬実の気持ちを裏切ることにはなるけど、それはいい。でもせめて、冬実だけは・・・・・・)


 何も出来ない自分、命をかけても何も成せない自分への悔しさで歯を軋むほどに噛みしめたとき、その音は聞こえた。


 ドクン・・・・・・と、これまでに無い程激しい心臓の鼓動が。


 共鳴するように、身体のあちこちが悲鳴を上げ、ゴキバキと破砕音を伴い手足が内側から暴れ出す。


「あ、が、ああ」


 何が起こっているのか、混乱する遊をよそに、その身体は変異を続けていく。


「うがあぁあぁぁぁぁ!」


 苦痛に揺れ逃れたい一心で振るわれた遊の腕。その一凪に巻き込まれ、遊を串刺しにしていたタコ足が半ばから千切れ飛んだ。


 一瞬の浮遊感。すぐ後に襲う落下の衝撃。


「クルルァァァァァァァ!」


 スターの絶叫が路地に響く。その大音声に一瞬我に返り、全身を巡る苦痛を無視して眼前の光景を凝視した。


 何をしても、全く効果の無かったスターの足が千切れ血を吹き出している光景を。


 尻餅をついていた姿勢からゆっくりと起きあがる。


 不思議といつもよりも高い視界と、全身に漲る力の奔流、何よりも先ほどから心の内より響いてくる、破壊に対する欲求、衝動。


 まさか、そんな思いが頭をよぎる。否定したい、でも・・・・・・どうしようもない予感を抱き、恐怖を押し込め、そっと自分の腕を見て。


 恐怖は確信に変わった。


 昆虫のような硬質の鎧に覆われた、細身だがひ弱さは微塵も感じさせない腕。下手な手甲より洗練され、無駄のない機能美を体現する手には、生き物を殺すことのみを突き詰めたかのような、刃物と言うのも生易しい鋭い指が五本、赤い滴を纏いその存在を主張している。


 視線を移すと反対の手も同じ様な様相であり、確認は出来ないが、きっと全身がこのように変容してしまっているのだろう。


 完全に怯えた冬実の視線が、如実に証明している。


 そう、この時遊の身体は・・・・・・。


(だけど、そんなのは、関係ない)


 どうせ死をも覚悟した身だったのだ。


 今更、どうなったって変化はない。


 むしろ、冬実だけでも助けられる算段がついたのを幸運だとすら思える。


 自我を飲み込もうとする衝動に抗い、遊はスターに向けて駆け出す。


 スター側も今の遊を驚異と認識したのだろう、タコ足を何本も伸ばしてくるが、構いはしない。


 身体のあちこちに命中するが、表面が凹むだけで麻痺してるのか痛みすら、そんなにない。


 薄くなっていく感覚、壊せ食らえと五月蠅い衝動。こうやって人格を食われていくのかと、変に冷静な部分が思う。


「グァウ!」


 自分の声とはとても思えない恐ろしい怒号と共に振るわれた右腕の凪ぎ払い。人格の食われゆく中、ちゃんと出来るか不安だったが、その一撃はなんとか冬実を捕らえたタコ足に命中し、その着弾点を切断どころか爆散させた。


 再び響く絶叫。 


 人の上半身をのたうたせ、苦痛を表現するスターを見据え、遊は落ちた冬実とスターの間に立ち、背中に冬実を庇う位置に自分を置く。


「グ・・・・・・これ以上、手を出すなら・・・・・・ようシャはシない」


 分かっている、これは虚勢だと。今にも意識が混濁しそうな上に、何故だか身体にあまり力も入らない。


 でも、ここで膝を着くわけにはいかない。怯えたまま気絶した冬実を見捨てるのと一緒だ。


 あぁ、でも、これ以上は・・・・・・。


「よく頑張りました」


 不意に横からそんな女性の声が聞こえ、驚き振り向こうとしたときには腹部に強烈な衝撃が駆け抜けた。


「ガ・・・・・・誰・・・・・・」

「暫く寝てて下さい」


 倒れるわけにはいかない。そう心では叫ぶが身体は全く言うことを聞かない。重力に全く逆らえずに倒れる身体を止めることが出来ない。つなぎ止めようとした意識の糸が、無情にも解れ手から離れていく。


 あぁ、これはダメだ・・・・・・。


 倒れる自分を受け止め、そっと寝かせる赤い帽子を被った女性の姿へと「冬実を・・・・・・」と一言託したのを最後に、遊の意識は闇に飲まれていった。




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