ためらい
「自分と向き合えかぁ」
素直にと簡単に言ってくれるけども。
けっこうひねくれている自信がある遊には、それは無理難題にも近いものだった。
だいたいこんな中途半端な状態になった現状にも整理がついていないのに、自分に素直になんか分かるわけがない。
遊んでくれと自分に語りかける黒い子供。あれが自分とでも言うのだろうか。
「どうしました遊?」
「んー考え事」
「ボスに何か言われましたか」
西区にあるショッピングモールの大通路、そこが紅と遊の今いる場所だった。
辻野原でも有数の大型商業施設であり、若者から大人まで楽しめるレジャーとしての一面も持っている。
本日までの訓練で使っていたジャージがボロボロなのに気がついた紅が、その他必需品の買い出しついでと送ってきてくれたのだ。
それで頷いてしまう辺り、遊もだいぶ紅の奇跡ドライビングに耐性がついたようだ。
「霧華さんに、もっと自分と素直に向き合えって言われたよ。どうすりゃいいか分からないけど」
「また漠然としてますね」
紺色のタイトジーンズを二枚見比べながら「どっちにしましょうか」と真剣に悩む紅。特価と書かれ通路に出された処分品に真剣なのは倹約家の様で結構だが、真剣に聞いていない気がしてちょっと凹む。
「よし、これにしましょう!」
結局選んだのは紺色のジーンズ。正直色ですら二枚の違いが分からない。
「どっちも同じじゃん」
「何を言います! こちらの方が生地が柔軟で動きやすい上に値段も若干安いんですよ!」
「いや、どうでもいいよ!」
なんか急に馬鹿らしくなり、遊も適当なジャージを別の店前ワゴンから手に取った。上下セットで二千円弱、安い。どうやら丁度よく処分セールが集中したらしく、買い物がだいぶ楽だ。懐的に。
ちなみに遊にはネームレスの方からお小遣いが多少支給されている。紅と何度か軽いー紅の感覚ではー仕事をしたので、そのバイト代という事らしかった。正直遊としては部屋も食事も用意してもらってるので無くても問題ないのだが、親の遺産というか自分の貯金というか、死んだ事になっているなら口座がどうなってるのか分からないため、有り難く貰っておくことにした。
無一文はさすがに怖い。
ジャージのついでに靴下や消耗品も幾つか手に取り、それぞれ会計していくと紅も幾つか買い物袋を増やしてご満悦だった。
「さて遊、そろそろ会社の消耗品も買いましょうか!」
「え、それで買ってなかったの!?」
それにネームレスって会社だったのか。
初めて知った。
「食料品とか後回しでいいかな・・・・・・と思いましたので」
「いや、既に四つくらい袋あるんだけど」
「買いすぎちゃいました・・・・・・良いのいっぱいあって嬉しいです」
「良かったね」
可愛いより綺麗系な紅が無邪気に微笑むと、そのギャップは凄まじい。まるで無垢な少女に笑みを向けられたようでドキリとする。
いや、ドキリとするってなんだ。
脳筋にドキリとさせられなんか悔しいので、あえてそっけない態度をとり先に食料品売場に向かおうとする遊。
けども紅の雰囲気がしょんぼりしたものになったので結局横に並んで歩いていった。
「何を買うの?」
「えーっと、ジャガイモ、にんじん、たまねぎ、牛肉、牛乳」
「なるほど今夜はカレーか」
ネームレス内部住み込み組は家事を分担しているらしく、ローテで回ってきていた。
今回は別の人が料理番らしいが、そのメニューは明らかにカレー。まあカレーが好きな人らしいので予想通りといえば予想通りだが。
ちなみにルーはその人が独自にスパイスから調合するので、スパイスの匂いにまみれるのに目を瞑れば住み込み組の中では割と人気の料理番だったりする。
「今日は牛肉ってことは、このブロックでいいのかな」
「ブロックいいですね! 美味しそうです!」
「紅さん、よだれ」
「はっ!」
本当にこの人は年上なんだろうか、付き合いが長くなるごとに疑問は深まる。
「あとは歯ブラシと、歯磨き粉と、なんでしたっけ・・・・・・あ、トイレットペーパー」
「これでいいか」
「あ、それでいいです」
だんだん重くなってきたカゴを手に売場を歩き回り、メモにある商品を見つけたらまたカゴに放り込んでいく。
流石に数人分の買い出しとなるとキツいとカゴを持つ手の限界を感じていると、ミルクチョコとビターチョコで迷っていた紅がぽつりと呟いた。
「遊は、その、学校とかに未練は無いのですか」
「なに? 急に」
「先程から制服姿を見る度に、フードを深く被りなおしてますので」
「・・・・・・未練が無いと言ったら、嘘になるよ」
本当は学校に行きたいし、何より冬美と郷田の二人に会って馬鹿騒ぎしたい。日常に人間として戻りたい。
だけども、自分はもう半分、人間じゃない。
それを考えると、皆の前に顔を出すのが震えるほどに恐ろしい。それを知ったとき二人が自分を恐れ拒絶する姿を想像すると、耐えきれず泣き出しそうになる。
「私は物心ついたときから一人で生きてきました。ですので、学校や会社という居場所の事は実はよく分かりません」
ビターチョコを棚に戻す紅の表情はその茶色の前髪に隠れて見えないが、声はどこか寂しそうな、それでいて受け入れてしまった者の持つ平坦な響き。
「ですから途中までとはいえ、それを持つ遊が私は少し羨ましい。自分に整理がつくならその居場所に帰るべきとすら思います」
「紅さん・・・・・・」
買い物カゴをレジに起き、会計を済ませて駐車場に向かう道すがら、紅は優しい目をして優に言った。
「帰りに学校、見るだけでも寄って行きませんか?」
正直に言えば怖い、怖いが行ってみたい。
前は恐怖が勝り河原へ赴いたが、今日は行ってみよう。紅の目を見ていたら何故か自然と、今日は行けるような気がするのだ。
「よろしくお願いします」
「はい、任されました!」
頭を下げた遊に、まるで自分のことのように喜んだ紅はきっと、仲間想いな女性なんだろう。
荷物を後部座席に置き遊が助手席へと座るのを待ってから、ゆっくりと紅はアクセルを踏み込んだ。
以前よりも丁寧な発進。まだ奇跡は根強く残っているが、隣に遊が乗っているのを多少は意識しているのだろう。心持ち、以前よりも紅のドライブは安全性が増していた。
まだ酔い止めが必需品なのには変わりないが。
ショッピングモールから学校までは同じ西区なのもあり、寄り道をしなければ三十分もしないうちに到着できる。
時間は丁度夕方の下校時刻を程良く過ぎた頃合いなので、帰宅部は帰宅済み、部活性は汗を流している頃だろう。遊が少し外から眺めても級友に見つかる心配は余りないはずだ。
あとは紅が数の少ない学生と事故を起こさないか、それだけが心配で内心祈っていると、商店街の近くで紅が急に車を止めた。
「あれ、赤信号じゃないよ。どうしたの?」
「悲鳴が聞こえます」
後ろの車が早く進めとばかりにクラクションを鳴らす。紅は慌てずに横手にあったパーキングまで車を進め入れると、運転席から降りて目を瞑り周囲の気配を探りはじめた。
遊も人間逸脱から鋭くなった聴覚を生かそうと音に意識を集中し、そして見つけてしまった。
「これって、商店街の中じゃないか!」
「しかもこの気配、スターのものですね。しかも複数」
「複数!?」
一瞬、あの蛸かと思ったが、複数となるとそれどころじゃない。
「複数って、変異したにしては偶然が重なり過ぎじゃないのか!? なんで集中してるんだよ」
「あまり知られていませんが、というか知られないようにしているらしいですが、スター変異は近くにスターがいると大きくその可能性が上がります。しかも傷を付けられるとまた、確率は高まるのです」
「は・・・・・・え、だって原因不明って聞いてるよ」
「最初の数体は本当に原因不明ですね。それは間違いありません。ですが、五年前の事件以降に発生したスターはその多くが既存のスターからによる影響で変異しているのです。でないとあの事件がそんなに被害を出す筈がないでしょう」
つまりは、現地でネズミ講式にスターが増えていったと、そういうことか。
スターと戦って、傷つきながらも生還した人が次のスターになって人を襲う。それは都市や国が潰れて維持できなくなるのも納得だ。戦う度に減るどころか増えるのだから。
「現在、境界都市で対策員という少数精鋭がスター対策に当たっているのも、実はそれが大きな要因です」
「傷つく人員を最低限に押さえるため、か」
「その通りです。少数精鋭でしかも事前対処により影響を防ぐ。私たちリアクターもそれには協力してる面もあります。自分たちの生活圏を守るためですけどね」
「・・・・・・待って、スターが周囲に影響を与えるってのが本当なら、俺たちの半分も影響、与えるんじゃないの?」
「それは問題ありません。自分の人間の部分とスターの部分がせめぎ合っているせいか、外部に影響は漏れないらしいですから」
その返答に思わずほっとため息をはく。自分の存在が知らないうちに人を変異に導いてるなんて事になっていなかったことに安堵する。
しかし、その安堵も一瞬で霧散した。
「なんで、あいつらが」
「どうしましたか?」
「今、友達の声が聞こえたんだ!」
「あ、ちょっと遊!」
紅が背後で呼び止めるのを聞かずに、遊はコインパーキングを飛び出した。
左手を腰に当て、そこにナイフが収まっているのを確認する。大丈夫、武器はある。
「なんであいつら、そんな所にいるんだよ」
身体能力が大幅に上がっている遊の身体は主の求めに答えて跳躍し、ビルの屋上伝いにまるで平地の如く疾走する。
聞こえたのは郷田の叫びと冬美の悲鳴。
どうせあの正義感の強い馬鹿の事だ。冬美を背後に庇いながら鉄パイプでも振り回してるんだろう。逃げもせずに。
間に合え、それだけを念じてビルを跳躍する。
パーキングからそれ程直線距離が無かったのか、数分後に商店街を見下ろす位置にまで近づいた遊は、眼下に広がる光景に言葉を無くした。
そこには、十は下らないスターが人を襲っている地獄絵図が広がっていた。
続きは夕方か夜か。