川辺での語らい
「あ、やべ、黎奈ちゃんに酔い止め渡すの忘れてた」
商店街のど真ん中、致命的な事に気がついてしまった遊は、ホクホクのコロッケを受け取りながら小さく声を漏らしてしまった。
「ん? よく分からないけど、はいお釣り五十円ね」
「あ、はーい」
おばちゃんが渡してくれるお釣りをポケットにつっこみ、その場でコロッケにかぶりつく。
「んーこのサクサクした感じ、やっぱり旨い」
「ははは! 嬉しいね。あんた向こうの高校の生徒さんかい?」
「ん、むー」
どうだろう。まだ席はあるのだろうか。
まだ一週間経ってないし、退学扱いは無いと思いたいが、机に花瓶くらいならあり得る。虐めではなく善意で。
少し迷った後に、遊はコロッケを咀嚼しながら小さく首を縦に振った。
「うむぅ」
「飲み込んでからで良いよ、落ち着きな。あそこの学生なら知ってるだろうけど、この前学生がスターに襲われてね。それが現場ここってんだからいい迷惑さ」
あまりに聞き覚えのある話しにコロッケを詰まらせかけ、せき込んでいたら呆れ顔のおばちゃんに麦茶を貰ってしまった。
「全く何やってんだい。コロッケは逃げないから落ち着きな」
「げほっ、お茶、ありがとう。んで、さっきの続きは?」
「おや、ニュースでもやってる事なのに見てないのかい? まあいいけどね。で、ここでそんな事件起きちまったもんだから客足は遠のくわ、都市府の奴らが出張ってくるわで大変だったよ。マスコミも来るしね。けど、私らよりもあの冬美って女の子、あの娘の方が大変だろうね・・・・・・自分も怪我して一緒にいた男の子は行方不明。最近よくここいらで見かけるよ。探してるんじゃないかね・・・・・・。確かその男の子の名前がーーーーー」
「ごめんおばちゃん、ちょっと用事思い出したからもう行くね。コロッケごちそうさま」
「っと、もう行くのかい? あんたも気をつけなよ!」
おばちゃん特有のマシンガントークから逃げるようにその場を去る。聞き続けるのが面倒になったと、そう自分に言い訳しながら。心持ち、フードを深く被り直して。
「変わらない、いや、変わったのか」
前に郷田と冬美と三人で食べたコロッケは、今も変わらずふっくらと優しい美味しさで、遊の育ち盛りな身体を潤してくれた。そう、素直に美味しいと感じられた。
一般に雑食、時に人でも喜んで食うと言われているスター。その悪食故むしろ人が好物ではないかとまで言われている存在。そんなものに半歩とはいえ近づいたと言われた手前、以前好きだった物が変わらず美味しいと思えたことは、遊に少なくない安心を与えていた。
しかし、商店街を行き交う人の数、学生の少なさ、そこかしこに散見できる警察や対策局の職員など、以前は見なかった明確に変わってしまった所もある。
何より、自分自身の存在が、以前どおりでありつつも大きく変わった所かなと、遊は自嘲的な暗い笑いを浮かべた。
「人間から半歩・・・・・・か」
それは人間というのか、それともスターなのだろうか。分からないからこそ不安になる。定まらない不安定な足場が、こうも落ち着かないものだとは思ってもみなかった。
これならむしろスターになりきってしまった方が楽だったかもしれない。
「すいませーん!」
「ん?」
足に何かが当たる感覚があったので下を見てみたら、以前見たような柔らかいボールが転がっていた。
視線をずらすと土手の下、いつか見たような格好で、いつか見たような男性が子供の隣で手を振っている。
「いつの間にか、河川敷まで出ちゃってたか」
あの時は冬美が投げ返していたが、今の自分がこれを投げると川に飛び込んでしまう気がする。
未だに力の加減がよく分かっていない内に投げ返すのは危険と思った遊がボールを持ち上げ土手を滑り降りると、人の良さそうな顔をした線の細い男性が申し訳なさそうに駆け寄ってきた。
腕には小さな男の子を抱えて。
「すいません、わざわざ」
「いえ、気にしないで下さい。よくここで遊んでいらっしゃるんですか?」
「はい、子供と。そう言われるという事は見られてしまってましたか」
これはお恥ずかしいと、ボールを受けとりつつはにかむ男性。しかしふと何かに気がつくと、受け取ったボールを草原に置き、空けた手でそっと子供の頭を撫でた。
「疲れて寝てしまったみたいです。このくらいの子供はいつ寝るのか、不思議ですよね・・・・・・」
「ああ、俺・・・・・・私も小さいとき覚えがあります。いつの間にか寝てしまってたみたいな」
「ははは、俺で、普段どおりでいいですよ」
「すません」
くくく、あはは、と愛想笑いではあったが、どこか暖かい空気が河川敷に流れる。
そんな空気の中でふと、男性は眠る子供を見つめながら呟いた。
「・・・・・・こうやって眠るほど疲れてくれるって事は、少しは楽しい思いをしてくれていたんでしょうか・・・・・・」
小さな声は風に紛れ、ふとせぬ内に消えていく。
何も言わないままに続きを待つ遊に促されるように、男性の語りは河原のせせらぎの様に流されてゆく。
「裕太が生まれて一年くらいですか、妻がスター被害に遭ってしまいまして。本当は、私がそうなるべきだったんです。ですが、妻に庇われてしまいまして・・・・・・。妻だって、この子の成長を見たかっただろうに、私に託すと言って」
気がつくと、遊の視線は父の腕の中で眠る裕太の安心しきった顔に向けられていた。
「妻がそうなってから、私は直ぐに勤め人を辞めました。幸い、趣味で書いていた小説で暮らせるだけの収入を間を置かずに得ることが出来るようになりましたが、今思うと考え無しでしたよね。とにかく、当時の私にはこの子と一緒にいる事しか頭になかったんです・・・・・・」
そして妻の分も裕太に寂しい思いをさせてはいけないと思って、この感じです。そう力なく笑う男性。
「でも、これでも自覚はしているのです。自分では妻の代わりはやりきれないと。代わりをしようとすればするほど、どっちつかずになっていく気がするんですよ・・・・・・。裕太も寂しがってるの、分かりますしね」
「どっちつかず、ですか・・・・・・」
無意識のうちに男性の言葉を繰り返す。どこかその呟きは自分に向かっているようで。
「どうかなさったのですか?」
「いえ、何か、自分に言われてるような気がして」
気がついたら、遊の口はぽつりぽつりと言葉を溢れさせていた。
男性の人のいい空気に当てられたのかもしれないし、もしかしたら裕太の境遇に自分を重ねて、無意識に警戒心を緩めていたのかもしれない。
「俺も今、何とは言えませんが、すごく中途半端な事になってて。どっちつかずという言葉がしっくりきてしまうんですよね。それが結構大事なことで、中途半端な自分が少し気持ち悪くて・・・・・・でも」
「でも?」
「それを気持ち悪いと思うと同時に、たいして気にもしていない自分が居るんですよ」
「気にもしてない、ですか」
「いや違うな、受け入れてしまってる、っていうのがしっくりくるのかもしれない」
そう、受け入れてしまっている。自分がスターになってしまったことを。例え半分だけとは言え化け物になってしまっている自分を、同じような化け物の力を持つ集団の中に仲間として入り込んでる今を、さっき疑問を抱くまでは気にもしていなかった。
異様なほどスルリと順応できていた。
「変ですよね、とっても。普通はもっと貴男の・・・・・・えっと」
「あっ、そういえば私の名前言ってませんでしたね、鹿島と申します。すいません、名乗りもせずに」
「いえいえ。で、そう。鹿島さんのように悩むものだと思うんですよ。でも俺はついさっき疑問に思うまで悩んでなんか無かった」
「それが気持ち悪いと」
「はい」
ネームレスの本拠でも、その日の内に一員として仕事現場に行き、非常識を目にした。
その前、病室騒動では、あれが只の喧嘩だという。
入ってからの紅の訓練は、思い返せば苦に感じるどころか普通の人なら一日だってこなせないと思う。
疑問に思う隙は多かった。それなのにーーー。
「それもまた、いいんじゃないですか?」
不意に空いた会話の隙間。そこに滑り込むように鹿島がぽつりと呟いた。
「えっ・・・・・・?」
「私が言えた事じゃないですが、そうやって受け入れていくのも一つの自分の立ち位置との向き合い方なのかもしれませんよ」
「向き合い方、か」
何となく見上げた空には気の早い星が幾つか輝き、夕暮れ空に存在を主張している。
「本当に、清美を振り切れてない私が言えた事じゃないですけどね」
寂しそうに、どこか透明な笑みを浮かべる鹿島だったが、その言葉は遊のどこかに、確かな感触を持って触れるものだった。
「う、えう」
「おや、裕太が目を覚ましてーーー」
「なんだ鹿島か」
突然目を覚ました息子をあやそうとした鹿島の声に被さる、胸に響く声。聞き覚えのないそれに振り向くと、黒いスーツを纏った大柄な男が鹿島へと歩いてくるところだった。
「なんだ九渚ですか。だから裕太が目を覚ましたのですね」
「あう、ぱーぱ、おにー」
「裕太、鬼じゃない。お兄さんと呼んでくれ」
「お兄さんは無理があるでしょう」
「馬鹿言えまだ俺は二十代だ」
雰囲気はそれこそ先ほどのチンピラなんか目じゃ無い程に剣呑なものだが、会話する空気はとても穏やかなもの。
その様子に気の置けない間柄を感じた遊がさり気なくその場を立ち去ろうとしたのだが、視野が広いのだろう。遊が動き出す前に九渚はその存在に気づき、出来るだけ気さくにしようとしたのだろう様子で声をかけてきた。
「ん、鹿島、知り合いか?」
「ああ、さっきまで愚痴につきあって貰ってたんだ。思わず色々とこぼしちゃったよ」
ばつが悪そうにはにかむ鹿島に剣呑な三白眼を見開いて驚きを表し、九渚は改めて遊に向き直ると深々と頭を下げた。
「すまんな、そしてありがとう。こいつは持ちきれないのにため込む質だからな。しかもなかなか強情で話したがらないときている。聞き出してくれて助かった」
「なに九渚が頭下げてるんですか! 止めて下さい恥ずかしい」
「恥ずかしくないぞ、歳の離れた友のために出来ることをしているだけだ」
顔を赤くして慌てる鹿島に、真面目一辺倒の返答をして胸を張る九渚。その様子に郷田とのやり取りをなぜか思い出して、遊は微かに口元を綻ばせた。
「うん、お礼を受け取るよ」
「おにー、ありがとー」
「ほら鹿島、子供たちの方がよっぽど分かってるぞ。頑ななばかりで、もうすっかりオジサンだなオジサン」
「くっ、老け顔で年下の貴男に言われると、二重の意味で心にキますね」
くぬぅ、と悔しそうに唸る鹿島の頬を、無邪気に裕太の小さな手が叩いている。
そして九渚さん、ヤクザもビビるとか思ってすいませんでした。貴男かなりいい人です。そう遊は心の中で謝罪した。
「九渚三位ー! そろそろ行かないと遅れちゃいますよー」
歩道で手を振る婦警さんに九渚は苦笑を浮かべ、鹿島に背を向けるとゆっくり土手を登っていった。
「なんですか、唐突に現れて唐突に去るのですか貴男は」
「見かけたのは完全に偶然だったからな。挨拶と世間話程度はしたかったが・・・・・・部下が急かすのでそうも言ってられん」
「部下ですか、あの不良が偉くなったものです」
「蒸し返すな過去を。それとな、一つ耳に入れておきたいんだが・・・・・・蛸が出たぞ」
瞬間、鹿島を取り巻く雰囲気が変化した。素人の遊にもはっきりと分かる、重くまとわりつくような空気。
「それは本当ですか」
「対策員第三位の情報だ。信じるに足ると思うが?」
「対策員!」
復唱してから「しまった」とフードを目深に被り直し俯くが、九渚は聞き逃さなかったようだ。 しかしその顔には何か微笑ましいものでも見るような苦笑を浮かべていた。
「君は対策員に会ったのは初めてか。その感じだと君も対策員に憧れてって事かな? ならば適性検査を受けてみることだ。もうそろそろ今年二回目だから行ってみるといい。だが、甘い世界ではないからな、若い身空でオススメはしないぞ」
変異種対策員。公務員として安定した職業であり、華々しい活躍を何度も報じられる職業であり、スターに対抗できる人類の剣。
当然憧れる人はー特に男児にー多く、よく将来の目標と問われて対策員と答える子供も多いと聞いたことがある。
きっと九渚も遊の事をそう思っているんだろう。
「まあ、早くて検査自体は十六歳、入隊は十八歳からしか認められていないから、君は検査だけでもまだ早いか」
ただし、遊の年齢を華麗に勘違いしている様子であったのだが。
これでも遊は十七歳。
他人から最高でも中学生にしか見られない自分に軽く凹む遊の視界に、ちらりと赤い車影が写りこんだ。紅が迎えにでも来てくれたのだろう。
あれで面倒見のいい先輩なのだ。
「えっと、鹿島さんに九渚さん。俺そろそろ帰りますよ。鹿島さん、助言ありがとうございました」
「鹿島、俺も部下が五月蠅いからそろそろ行く」
実は先程の会話中も「三位ーー? さーんーいーー。早くしないと時間前にご飯食べられませんよーー。お腹空きましたよーー」などと婦警さんが騒いでいたのだが、九渚は全てを聞き流していた。若干、コメカミを揉みながら。
「あ、そうですか。なら私もそろそろ帰りますね。裕太も寝かしつけないとですし」
「じゃーねー、おにー。おにーしゃん」
「お、やっと俺のことを」
「たぶん高月君の事ですからね」
九渚の喜びをひと思いに踏みつぶしつつ、鹿島は遊達に背を向ける。遊もそれを見届けてから紅が待っているだろう車に向けて土手を登っていった。
背後では九渚が婦警さんに拳骨を落としているが、それも平和な光景なのだろう。たぶん。
夕日はすっかり落ち、河原は静かな流れの中に夜空を反射させて天の川の如く煌めきを宿し、闇にとけ込むよう静かなせせらぎを耳に届けていた。
その音を耳に受けながら、遊は立ち去る瞬間の鹿島の顔が、いやに印象的だったのを思い返していた。
ハンバーガーの珍しい店を仕事帰りに発見。
うまそーってテンション上がり、気がついたら食い過ぎた自分がいました‥‥
腹痛い‥