私の暴想Ⅲ
「先輩! なんてものを買わせるんですか!」
その夜、私は自分の部屋で柄にも無く顔を真っ赤にして先輩へ抗議の電話をかけていました。
「えぇっ、本当に買ってきたの? アッハッハッハごめんごめん。あたしとしては本屋に並んでる奴をぱらぱらっと見て真っ赤になったら面白いな~くらいに思ってたんだけど」
「私の顔は今現在真っ赤です! もちろん怒りでです!」
家の電話の子機を力いっぱい握り締めて反論をしました。今回は本当に笑い事じゃなかったんですから当然です。
「いや~電話で良かったよ。普段から怒ってるんじゃないかっていうくらい恐い顔してるのに、本気の怒りの顔なんて恐ろしくて直視出来ないもの」
「からかわないで下さいよ! こっちはあわや家族会議だったんですから」
つい先程のことです。
夕食も終わり、自室に戻った私は『さでぃすと』について勉強しようと意気揚々と買ってきた本を開きました。
次の瞬間、眼に飛び込んできたそのあまりに過激なカラー写真せいで、私は思わず悲鳴を上げてしまいました。
さらに都合の悪いことに、その悲鳴を聞きつけ両親が駆けつけてきたからもう大変。必死でベッドの下に本を投げ込んで事なきを得ましたが、後一歩判断が遅れていたらとんでもない事になるところでした。
「ベッドの下なんて思春期の男子中学生みたいな隠し場所ね。もっとちゃんとした所に隠さないと見つかっちゃうよ」
先輩の口調は私の怒りに反してなおも非常に楽しそうでした。まったく、何を考えているんでしょうか。
「あんな本、部屋に置いておけるわけ無いじゃないですか! 明日どこかに廃棄しますよ!」
間違っても第二土曜日の廃品回収に出すわけにも行きませんし。
「え、捨てちゃうの? もったいない。どうせなら頂戴よ」
「あんな本は健全な十代の女性が見て良いものではないです! なんで大人の殿方専用スペースに置いてなかったのか不思議なくらいの代物だったんですよ」
どうりで会計をしてくださった店員さんの営業用すまいるが引きつるわけです。
「ああっ!」
「とっ、突然どうしたの」
私は、とんでもないことに思いが至りました。
「か、彼に、今日何買ったの? って聞かれて丁寧に題名を答えてしまいました」
「あ、それはまずいかも……」
そうです、私は懇切丁寧に、本の題名を一字一句彼に教えてしまいました。もし彼が題名の意味について理解しているのだとしたら……。
「まさに汚名挽回だね」
先輩はハハッ、と爽やかに仰りやがりました。
「それを言うなら汚名返上、名誉挽回ですっ。汚名を挽回してどうするんですか」
「いやいや、この場合挽回しちゃったでしょ~、実際」
「誰のせいだと思ってるんですか! そもそも先輩が『さでぃすとって言うのね、人の上に立ち、求める者へ求めるものを与え、目上の人に対しても引けをとること無く立ち向かう者を畏怖と尊敬を込めてこう呼ぶのよ』なんて嘘吐くからいけないんです」
私はてっきり偉人か何かかと思っていました。
「嘘は吐いてないよ? 人の上に(物理的に)立ち、求める者(マゾ)へ求めるもの(おしおき)を与え、目上の人|(豚野郎)に対しても引けをとること無く(ムチとロウソクを手に)立ち向かう人のことだし」
「昨日の説明の時にはそのかっこの中の単語が無かったかのように想うのですが!?」
「あぁ、省略したの。エコよ、エコ」
先輩の一単語一単語にはそんなに地球に悪い成分でも含まれているのでしょうか。出来れば、地球だけじゃなくって私にも優しくあってくれると助かるのですが……。
「ま、そんなに間違ってなかったでしょ。っていうかさ、彼を連れ出すことに成功したの? 良かったじゃん」
「いや~そうなんですよ。あ、聞きます? 詳細」
そうでした。もともとこの報告をするために今日電話をすることになっていたのでした。えへへ。
「あ、いいや。今の嬉しそうな声でもうお腹いっぱい」
そんな私の機嫌急旋回に、先輩は何故か遠慮いたしますと言わんばかりのトーンでした。またまた。聞きたいくせに。
「そんな事言わないで聞いてくださいよ~。これでも頑張ったんですから。それに先輩が授けてくれた作戦に沿って行動したんですから、報告するのが道理です」
私はそう言って一方的につらつらと語り始めました。
そう、昨日先輩に指摘されたことは、その口調がまずい、ということでした。
まさか男子に対してこれがいいのだと断言され、頑張って練習してきた命令口調を全否定されるとは思ってもみなかったのです。
「きっとそいつがちょっと特殊な趣味を持ってたのね……それにしても、それを鵜呑みにして全男子に対して命令口調を貫くとはもう真面目を通り越して馬鹿よ、馬鹿」
そう言って先輩は呆れながらも、私に素晴らしい一発逆転の作戦を授けてくださったのです。
その名も『えすでれ作戦』。
全く知らなかったのですが、今、世の男子に大人気なのが普段はつんけんとした態度をとるものの、時にでれっと甘える『つんでれ』なる態度らしいのです。 先輩によるとこれは普段とのギャップが織り成す相乗効果で、いまや常識とのことでした。自分なりに行った解釈では、優秀な指導者に求められる『飴と鞭』と呼 ばれるものに近いのではないか、と思っています。
そこで先輩は私の今までの『さでぃすてぃっく』ととられていた態度を逆に利用して、今度は大人しい態度をとることによるギャップを狙うとのことでした。
なんという天才的発想でしょう。
今までマイナスな事と捉えていた『さでぃすてぃっく』な面を利用することにより今後の行動をより大きなプラスに導くなんて、普通考え付くものではありません。
「んで、一緒に帰ろうって言って一緒に帰り、帰りに本屋によった、と。それだけ?」
「それだけ! 何を言うんですか。大進歩です。誘いに行くために部室に向かってる時なんて何回無理だ、帰ろう、と思ったか知れないですよ」
実際、二、三度校舎と部室棟を行ったり来たりしましたし。
さらに告白しますと、部室の前は五往復はしたと思います。
「でも、それだけ頑張ったかいがあったと思います」
突然の訪問に驚いた様子ではありましたが、本屋を出た私を彼は笑顔で迎えてくれたのですから。もっ、もしかしたらあれは世に言う逢引と言っても再使ないのではないでしょうか。
あぁ、いけないいけない、頬が緩んでしまいました。
「ふーん。まぁ、じゃあ良かったんじゃないの?」
私の興奮した報告に先輩はなんだかつまらなさそうな口調で生返事です。
「何か、まずかったですか?」
「ううん、別に。ただ、誤解は解いておいたほうがいいんじゃない?」
「誤解?」
何か誤解されそうな事をしましたでしょうか。
「昨日も言ったけど、この作戦は人間のギャップに弱いって特性につけ込んでるわけ。普段散々悪いことしてる不良がふと見せる気まぐれな優しさにコロッと騙される、みたいな。それでさ、このギャップって、プラスに働くだけじゃなくって、その逆もあるんだよ?」
「はい……そ、それで誤解とはなんでしょうか」
「あんた、今日確かにサディスティックな印象から普段の態度に切り替えてことによって『女王様』キャラの払拭を狙ったんでしょ。でもさ、その後アンタなんて題名の本買っちゃったわけ?」
……あ。