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僕の盲想Ⅲ

 あの『氷の女王様文芸部襲撃事件』から三十分後。

 僕は、駅前の商店街にいた。何故か、篠崎さんと一緒に。

 彼女は今、僕の隣を歩いているのだ。

 マギーはいない。つまり、二人っきり。

 なんなのだ、この状況は!

 何が起こったか説明しないと読者が置いてきぼりだ。

 僕は頭の中で彼女が来てからのなんやかんやを頑張って思い出した。ショックが大きくて若干曖昧だけど。

 そう、彼女は突然部室に現れたのだった。『噂をすれば影をさす』とは言うが、いくらなんでもこれは予想外だ。

 彼女は慌てふためく僕らを尻目にゆっくりと部室に入ってくると、ご指名のあった僕の前に立った。

 あ、なんかこの状況、どこかで見た。そう、つい最近。というか昨日。

 僕はとうとうお迎えが来たのかと結構本気で思ったのだ。

 そういえば授業中に殺気を感じた事を完全に忘れていた。今日は一刻も早く家に帰って厳重に鍵を閉め、布団をかぶってぶるぶる震えているべきだったのだ。

 昨日に引き続いて痛恨の選択ミス。綺麗に死亡フラグを回収してしまった。これがアドベンチャーゲームだったら既に僕は二回死んだことになる。

 ガタガタと震えが止まらず、パイプ椅子から立ち上がれないでいる僕の前に立った彼女は、その鋭い視線でこちらを見据えてこう言った。

「私と……一緒に帰りませんか」

「うわぁ! なんでもしますから命だけは助けてください! でも僕を虐めたって楽しくないです。どうせならこいつなら喜んで虐めれられますよ! ……って、ええっ?」

 今、なんと仰いました?

 一緒に、帰りませんか?

 僕は、あまりの想定外な発言に思わず驚きの声を上げてしまった。

 てっきり「昨日アンタ嫌いっていったでしょ? なんでそれなのにのこのこ学校来てるわ け? バカなの? 死ぬの? そっか~死ぬの。手伝ってあげるよ」だとか「昨日あんだけはっきり言ったのに、まだ解らないみたいだから直接この手で解らせに 来て上げたわ。感謝しなさい、この豚野郎」とか言われるものだと思っていた。

 しかも、昨日とはうって変わって丁寧語だ。いつもの上から口調&罵倒じゃない。

 僕が完全に混乱して黙りこくっていると、こちらを睨みつけていた彼女は視線を下げ、これまた黙ってしまった。

 僕の目がこれだけの事態に遭ってなお健常であるとするならば、若干もじもじしているように見えなくもない。その上、時々僕の方をその鋭利な切っ先で突っ突いてみたりしている。

 な、なんだか本当に男子を誘いに来た奥手女子生徒的反応だ。視線の鋭さ以外。

 僕にどうして欲しいというのだ、この状況。

 狭い部室に昨日「嫌いです」宣言された男子高校生と、その嫌いなはずの相手を誘いに来た女子高生、その他(ドM)一名。

 時間にすると数十秒にも満たないのだろうが、体感時間的には数十分の沈黙が広がる。

 昨日と同じように陽の光が橙色を帯びて射すのが皮肉だった。

 僕は沈黙に耐え切れず救いを求めるようにその他一名を窺った。もし、この状況を打破できるようならダMの称号は返上してやってもいい。いや、そんな事が出来るようならマギー様と呼ぼうじゃないか。

 それぐらいの面持ちで、目線で助けを求めようとしたのだが。

 僕の双眸がその姿を捉えた瞬間、あきらめた。

 こいつ、憧れの女王様を前にして放心状態だ。くっそ、こんな駄M野郎に救いを求めた僕が馬鹿だった。

 沈黙の護り手と化した僕らは、お互いにその手を緩める気配がなかった。

 僕はその極限状態に痺れを切らし、とりあえず様子を見ようとゆっくりと彼女の様子を窺った。

 ……と同時に、

「なっ!」

 あまりの衝撃で僕の情けない声が沈黙を破った。

 彼女が、小刻みに震えていたのだ。

 まるで、緊張でいっぱいいっぱいのか弱い少女のように。

 僕は、幾度かこういう場面に遭遇していた。……ギャルゲの中でだが。

 しかし、どの場面でも相手の女の子はそれまでも意志の弱い、相手に思いを告げられない気弱で引っ込み思案なタイプの娘だった。こんな、普段『女王様』なんて呼ばれている女尊男卑の象徴みたいな娘では断じてない。

 ……だけど。

 それだけに彼女の姿は、その普段とかけ離れた姿は、僕の目に新鮮に映ってしまった。

 だからだろう。

 僕は昨日のことも忘れ、思わずこう言ってしまったのだ。

「いいですよ」

 と――



 そして、今こうやって夕暮れの中彼女と並んで歩くことになっている。

 二人並んで、黙りこくって。

 冷静になって考えてみると完全に早まった気がする。

 だって、いくらなんでもおかしくないか?

 昨日のちょうどこの時間あたりに、僕は彼女からの一方通行な拒絶をされたはずだ。

 なのに、その二十四時間後にこうして傍から見たら付き合う前の微妙な距離感を保ちつつ、かと言ってお互いを意識し合いながら「あ、眼合っちゃった、キャッ恥ずかしい!」「ばっ、馬鹿、別に恥ずかしく無いだろ、俺ら付き合ってるわけじゃないんだし」「あ……そうだよね、付き合ってないもんね」「とっ、取り敢えず今はな」「えっ、それってどういう……」そして二人は互いに顔を赤らめて顔そらそた――みたいな青春まっただ中なことになっている。

 こんな桃色な会話を僕らが出来るわけがない、と知っているのは僕の数少ない友人のみのはずだし、こういう流れを妄想するのは自然の流れだ、致し方がない。きっと僕もこの様子を傍から見てたら「コンチクショウ! 誰かダイナマイト持ってこい! 発破ぁ発破ぁ!」となりつつも短編が一本書けることだろう。

 僕が必死に平静を保とうと妄想世界へと逃亡を図っている横で、彼女はいつも通り数キロ先のターゲットを狙う狙撃手のごとき視線で睨みつけながらも黙って歩みを運んでいた。

 なんなのだろう、この豹変振りは。まるで人格が入れ替わったみたいだ。今時多重人格物なんて流行らないぞ。

 それとも、これもSプレイの一環なのだろうか。

 特に用事もないのに、思わせぶりに誘って何にもせずに別れる、みたいな。確かに精神的なダメージはありそうだ。健康に健常な第二次性徴的欲求を持て余している男子生徒ならその晩やきもきしてなかなか寝付けない事だろう。

 だけど今回の場合、僕は彼女が僕のことを嫌いだって事は知っているのだ。それでは今夜突拍子もない妄想に浸ってしまってあっちの世界から抜け出せないぜ……くっそ、今夜はオールーナイトだヒャッハー! みたいな事にはさすがの僕もならないだろう。

 それでは、僕をどこか連れて行きたい所があるのだろうか。

 僕はここまで考えがいたり、最悪の可能性が残っていることに気がついた。

 まっ、まさか

「学校内では人の目もあるでしょう? あっはっは、ここなら泣いても叫んでも誰も来てくれないわよ。いい気味だわ。ほら、もっといい声で鳴きなさい、この豚野郎!」

 ばしっ、ばしっ

「アッーー!」

 みたいな展開が待ってるのだろうか。しまった、こんなことなら下ろしたてのパンツを穿いてくるべきだった。

 まぁさすがに無いと思うが……無い、よね? 痛いのは嫌だよ?

 僕はさらに足を速めつつある篠崎さんのほうをゆっくりと窺った。

 親の敵か何かを見つけたかのようなどぎつい視線で進行方向を睨むのは相変わらず。わざわざ僕のことを呼びつけて一緒に帰っているって言うのにこっちの方なんて見向きもしない。

 でも、この時僕は不謹慎にも彼女に見とれてしまっていた。

 『氷の女王様』と名付けた人の気持ちもわからないでもない。強い意志の塊であるようなキリッと尖った眼。その中には見ているほうが吸い込まれそうなほどに 綺麗な漆黒の瞳が前を見据えている。そんな攻撃的な印象に、長いまつげが女性らしさを添えていていた。丸みを帯びて小さいながらもシャープな印象の輪郭。長く綺麗な髪が急ぐ足 に合わせ揺れている。どれをとっても、強いカリスマで国を引っ張る女王の姿とかぶった。きっと黒いドレスを着て王冠を被ったらあつらえたように似合うこと だろう。

 思えば、昨日死の宣告を受けた時にもこんなに至近距離にはいなかったのだ。

 僕は少しの間アホみたいにぼーっと彼女のことを見ていたのだろう。

 僕は、彼女が突然足を止めたことに少しの間気が付かず前進していた。

「あの、少し寄ってもいいですか」

 彼女の声で虚空を見つめていたことに気が付いた僕は、慌てて彼女のほうへ振り返った。

 そこは、この辺りでも一番大きな本屋だった。僕もよくお世話になっている。

 彼女は僕をじっと見据えて返事を待っていた。

「あ、はい。いいですよ」

 僕がそう返事をすると、彼女はすたすたと店内にはいっていった。僕も彼女の従者のごとくそれに続く。

 店内には、入って直ぐの目立つところに平台が置かれ、新刊の文庫本やハードカバーが色とりどりのポップとともに飾られていた。

 あぁ、そうか。

 僕は、自分が彼女に呼ばれた意味を理解した。きっと、彼女は同じクラスの文芸部員に面白い本を聞こうとしていたのだろう。

 なるほど、つまりこういうことだ。

「お前は嫌いだけど文芸部に入っているんだからお勧めの本の一つや二つあるんだろ? 最近暇だから暇つぶしに読んでやるよ、お前は嫌いだけど」

 そういうことか。

 僕は勝手に納得し、さて、彼女に何を勧めるべきかと考えを巡らそう……と思ったのだが。

 彼女は僕がいつも立ち寄る新刊コーナーをさっさと通り抜け、何やら難しい本の売っているコーナーへとずんずん進んでいってしまった。

「どうしよ……」

 何も言わずに行ってしまうものだから、僕としても困ってしまった。こういう時って付き添いとしては彼女に付いて行くべきなのだろうか。それとも個人の趣味には首を突っ込まずに大人しく待っているべきなのだろうか。

 僕は、間を取って陰からこっそり眺めることにしました。

 べ、別にストーカーとかじゃないんだからね! ただ単に彼女が何の本を買うかになっただけなんだから! 勘違いしないでよっ!

 ツンデレっぽくすれば何でも許される訳じゃないよね。分かってます。

 でもほら。やっぱり気になるではないか。噂の美少女がどんな本を読んでるのか、とかさ。

 特に彼女の場合昨日と態度が全く違うのも気になるところだ。

 もしかしたら学校外では普通なのかもしれない。内弁慶ならぬ学校女王様。新ジャンルだ。

 彼女は様々な分野の本が並ぶコーナーを早足で進むと、写真集のコーナーで足を止めた。

 平積みになっている所から、カラフルな表紙の一冊を取り出して眺め始める。

 一体あれはなんの写真集だ? 僕が今いる位置からは残念ながら本の題名までは読めなかった。

 ゆっくりと見つから無いように回り込んで彼女の様子を盗み見た。

 ――え?

 思わず声にならない感嘆の声が出る(本日二度目)。

 い、今あったことをありのまま話すよ!

 『ドSで有名な彼女の目尻が下がって口元には微笑みさえ浮かべていた』

 何を言ってるのか分からないと思うけど僕も心底びっくりした。

 彼女の普段の表情とのギャップに、僕自身どうにかなってしまいそうだったくらいだ。

 ドS的な悦びを湛えた表情だとかたまたま口蓋が痙攣によって持ち上がってそういうふうに見えたとかじゃ断じてない。

 もっと、優しげな表情だった。

 彼女は、アフリカの野生動物の写真集を眺めていたのだ。

 ゾウやキリン、ライオンなんかが迫力のあるカラー写真で載った、大判の本を。

 そう、そして微笑んでいた。

 とても動物虐待などをする人には、僕には見えなかった。

 いつでも吊り上っていたきつい目線は面影も無く、頬は緩み、ふにゃっとした女の子らしい柔らかな印象を醸し出していたからだ。

 彼女は満足したのかその写真集を置くと、さらに奥へと進んでいった。

 僕は、彼女が写真集のコーナーを去ったあともそこから動けず、立ち尽くしていた。

 こ、これがギャップの恐ろしさだというのだろうか。ツンデレなんて目ではない程の衝撃が僕を包み込んでいた。

 さっきから心臓の鼓動がうるさいぐらいに響いている。

 僕は朦朧とした意識の中ふらふらと本屋の出口へと向かった。こんな状態ではとてもではないけれどまともに新刊を吟味する余裕はない。

 僕は本屋の外で彼女を待つことにした。

 ゆっくりと鼓動が落ち着くに従って、段々と冷静さを取り戻す。

 夜に差し掛かって風も冷たさを増してきたのがこの時は幸いした。

 現状を整理しよう。

 どうやら彼女は、僕に本を選んで欲しいわけでは無いようだ。では、何の為に嫌いなはずの僕をわざわざ指名したのだろうか。

 彼女は一人では帰れない実はさびしんぼで毎日とっかえひっかえ男子を連れて下校していた? いや、ありえないだろう。そんな事をした日にはすぐに噂になるだろうし。

 じゃあなんで僕を?

 さっぱり解らない。

 ……いや、一つ解った事があった。

 僕は、既に星が広がる秋の夜空を見上げ、こう思った。

 彼女は、悪い人ではない。

 それだけは、確信を持って言える気がした。もしあの表情を演技で出来るのなら、それだけで騙される価値がある。そう言える位あの表情は本物だった。

 動物を見ることであんなに優しい眼を出来る人が、サディストだなんてあり得ない、と思う。

 きっと彼女のドS疑惑は何かの勘違いか、あの変態愛好会のでっちあげか、もしくは妄想の産物なのだろう。

 彼女のきっつい眼付きと言葉遣いは生まれつきか何かなのだ。確かに物をハッキリ言う人だとは思う。嫌いな人に嫌いだって言える人なんて、なかなかいないからな。でも彼女は人をいたぶることによって喜びを感じるよ うな人には僕は思えなくなっていた。

 ちょうどそういう結論に達した時、彼女が本屋の袋を両手で抱えて出てきた。

「待ちましたか。すみません」

「いいえ、大丈夫です」

 ぺこりと頭を下げるものの、いつも通りの、一般的には睨んでいるといわれる表情だった。

 でも、僕にはもうなんとも無かった。生まれついての表情なのだ。きっと今までも多くの勘違いをされてきたのだろう。

 そう考えると可哀想なことだ。彼女は優しく可憐な美少女なのに、謂れの無い噂により不本意なあだ名まで付けられてしまったのだから。

 僕はにっこりと笑って尋ねた。

「なんの本を買ったんですか?」

 彼女は僕の笑顔に一瞬驚いたような表情を見せた後、普段の顔に戻ってこう言い放った。

「『サディスト入門~手軽に出来るマゾヒストの躾~』と『サディストとは?―愛の鞭を振るう女王様―』です」

「……な、なんの為に?」

「勉強です。何分無知なもので」

「…………」

 あぁ。

 僕はもう、何も信じられないかもしれない。


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