僕の盲想Ⅱ(2)
その日の放課後。
僕は誰もいない文芸部の部室で一人、頭を抱えていた。
別に先生の一撃が今も響いているわけではない。
もちろん昨日の失態の原因と、今後の身の振り方についてだ。
いや、失態の原因は考えるまでも無い。単にあんな手紙に浮かれてのこのこ出向いていったのがいけなかったのだ。
僕の馬鹿っ。誰かに「お前にラブレターとかありえねーよ(笑)」とか言われて冷静になりたかった……今思うと。
あぁ、昨日丸一日全く授業に集中出来なかったのは、どうやったら彼女からの告白をかっこよく承諾出来るかに費やしていたからです(キリッ)、なんて誰に言えよう。
麗しの美少女転校生にして『氷の女王様』なんてあだ名が付く様な女子生徒が、僕なんかに告白するなんてありえなかったのだ。少し頭を冷やして考えれば分かる事じゃないか。僕のバカバカバカ。
そうそう、『氷の女王様』とは篠崎氷菓のあだ名だ。彼女のある特徴的な物言いと、総ての生物を見下すような鋭い視線。そして名前が氷菓であることから付けられた、本人に対しては絶対に呼べない二つ名である。
「氷の女王様、か……」
僕はそう独り言ちると、彼女の衝撃的な転校初日を思い出していた。
彼女は近辺でも有名な進学校にしてお嬢様学校と知られる私立の女子校から、この偏差値は平均のちょい上あたりをふらふら彷徨っている程度の学力しかない、何の変哲もない県立高校に転入してきたのだ。当然、転校初日から注目度抜群。しかし、彼女は恐らくもっとも重要だと思われるその転校初日に、見た目でも学歴でもない部分において学年中にその名を轟かせることになった。
別に自己紹介の場でクラスメートに対して宇宙人や未来人や超能力者、異世界人を求めたりだとか、初対面であるはずの少女に突然抱きつき自分も魔法少女になった旨を伝えたわけでもない。
ただただ、もうこれ以上無いくらい男女間の対応が違っていたのだ。
もしこれが分かりやすく男子に対して色目を使い、女子に対して冷たく当るのならば、あぁそういう子なのね、知ってる知ってる、ぶりっこっていうんでしょ、そういうの。えー今時ぶりっこー? ぶりっこが許されるのは昭和生まれまでだよねー、みたいな態度で我々二年三組の面々も対応可能だっただろう。
だがしかし。
彼女はそんなに単純ではなかったのだ。
転校初日。担任の教師が教室に入ってきて、ワイワイガヤガヤと同じクラスになった喜びを分かち合っていた若人を静め、転入生が来ることを告げた。おぉー! という感嘆の言葉を上げる生徒達を尻目に教室内に転校生を招き、とりあえず当たり障りの無いその生徒に関する情報を開示する。そしてその転校生も名前と、それまで所属していた高校、どういった経緯で転校に至ったのか等々説明した後、「よろしくお願いします」とぺこりと頭をさげる。教師がなんやかんやと学年が一つ上がったことに対する云々をあれやこれやした後、教室を出て行ったと同時に彼女の周りにクラスメートが|(物理的にも視線的にも)集中。
ここまでは『転校生』と辞書を引けば例文として載っていても違和感のないような、テンプレ通りの流れだった。
ここからもその流れに沿って当たり障りの無い予定調和な会話が繰り広げられると、二年三組は完全に油断していた。
だが、彼女は僕らのそういった油断を知ってかしらずか、あまりに想定外の対応を示したのだ。
まずは女子からの「篠崎さんって~髪きれいだね~かわい~」「どこの美容院行ってるの~かわい~」「なんでうちなんかに転校してきたの~かわい~」等々、聞いてるこっちが頭を掻き毟りたくなるたぐいの問答が集中した。っていうかなんだよ、何の脈絡もなく出てくる「かわい~」は! 彼女は篠崎であって川井じゃないぞ、まったく。
この辺の女子力()溢れる会話に対しては、至って普通、というか、かなり丁寧な感じで受け答えをしていた。
そして当然ながら、そのお嬢様オーラがほとばしる姿に我々男子連中はかなり魅了されていた。まぁ、男子の理想型の一つだよな、お嬢様って。
僕のような思慮深いシャイボーイは遠巻きに眺めているだけだったが、ノリも脳みそも軽そうなあまりお近づきになりたくないタイプのクラスメートが、無謀にもその環に飛び込んでいった。
そう、それは無謀だった。ただ、それが無謀だと知るには、もう少し彼女について我々は知らねばならかったのだ。全く無茶しやがって……。
「ねーねー、氷菓ちゃんってー、彼氏とかいん……」
彼がヘリウムよりも軽いノリで篠崎さんに話しかけると、言い切る前に彼女はそれまでの口調からは考えられない声のトーンと内容の一言を口にした。
「黙れ小僧」
「!?」
も◯のけ姫? というツッコミが恐らくクラス中に広がったことだろう。僕も危うく口にしそうになってしまった。
しかし、ヘリウム君は無謀にもここで粘りを見せた。
「ハハハ、面白いコト言うねー。え、結構ボケるのが好きなタイプなの……」
さっきの明らかに本気と書いてマジと読むトーンの一言をネタと受け流したの……だが。再び、言い切る前に彼女の口が開いた。
「口を開くなと言ったのが聞こえなかったんですか? 家に帰ったら耳掃除したほうがいいんじゃないですかね。きっとカスがごっそり出てきますよ」
「!!?」
……どうやら、聞き間違いでも、突如僕の耳が宇宙からの怪電波をキャッチ出来るようになったわけでもなかったようだ。
彼女は、皆うすうす感じていた目付きの悪さを確信へと変えるべく、それこそ耳くそでも眺めているような目付きで彼を睨みつけた。
篠崎さんの斬鉄剣の如き鋭利な視線で袈裟斬りに伏した彼は、まさに死に体といった感じの虚ろな目じでふらふらと自分の席へと帰っていったのだった。
その後の流れは、もう大方想像がつくだろう。
彼女を取り巻いていた女子たちが彼女に決して眼を合わそうとすること無く各々突然用事を思い出したと誰も聞いてないのに言い訳がましく口にするとそそくさと教室から退散。その後、彼女と接触を図ろうとするような、ともすれば主人公としての資質をもった奴も現実世界には当然おらず、孤立への一途をたどるのであった。
これは後々分かったことだが、彼女のこの謎の命令口調は男子に対してのみ発言するもので、女子に対しては至って丁寧な受け答えをするようだった。
つまり、彼女はきっと男尊女卑ならぬ女尊男卑。男は狼ぃ? 狼に失礼でしょ、土下座しなさいよ。みたいな精神の持ち主なのだ……きっと。
僕は、ここまで彼女について考えを巡らせて、一体なぜ昨日僕はのこのこと体育館裏なんかに馳せ参じたのかと本気で自分の脳味噌が不安になってきた。どう考えても男に愛の告白をするタイプじゃないじゃないか……酷薄なら分かるけど。
「はぁ……」
僕は昨日から通算何度目か分からない深いため息を吐いた。野鳥の会のみなさんに回数を数えていただいていたのならば、きっと精神状況を心配して病気の本を勧めてくれたことだろう。あぁ、それ鳥の病気の本っすね~ハハハ、え? 三歩歩いたら忘れるんだから似たようなもんだろ? うっさいわ!
まぁでも、それを言うためにわざわざ体育館の裏に呼び出す篠崎さんも篠崎さんだ。
普通あそこで、あの神聖なる体育館裏で言うか?
あの口にしてはいけない一言|(ちょっと具体的に内容を口にするには僕の傷口が閉じきっていないのでドクターストップ)を伝えるだけなら『放課後教室に残ってろ、ついでに這いつくばって机でも磨き上げていたら皆の役に立つしよろしいんじゃなくて?』みたいなので良かったんじゃないのかね。
だって、一般的には体育館裏って言った ら普通同級生、もしくは部活の後輩が愛を告げたり、部活の先輩達による愛の鉄槌が下るような、とにかく「愛」を伝える場所じゃないのか?
例えばこんな風に――
『愛の告白~転校生はクールビューティー~』
ボクは、伊集院光輝。成績、運動神経、ルックス、どれをとっても一級品で靴箱を開けば愛の便りが雪崩落ち、廊下を歩けば皆振り返る。告げられた愛の言葉 は既に両手両足の指を使っても数え切れぬほど。学校一可愛いと噂のあの娘も、スタイル抜群のあの娘だってボクにメロメロさ。
しかし、ボクは満たされぬ日々を過ごしていた。誰に告白されても、いくら愛の言葉を詰まれても、真に冷め切ったこの心を動かしてくれる人は現れなかった からだ。恵まれているが故の苦痛。きっとこのハートを理解してくれる人はこの世に存在しないのだろう。神はボクに力を注ぎすぎたに違いない。あぁ、でもそ れは仕方の無いこと。偏にボクが完璧すぎるのが罪なのだ。だから、この満たされない気持ちはせめてもの罰。受け入れよう。
そう思っていた矢先に現れたのが彼女だった。
篠崎氷菓。凛とした顔立ちに、その名の示すとおり冷たい態度をとる彼女に、ボクは知らず知らずのうちに惹かれていた。誰に媚びる訳でもなく、自らの足で前へ進もうとする彼女に、孤独な雰囲気を感じ取っていたからかも知れない。
そう、このボクと同じものを感じ取っていたのだ。
彼女はこの完璧なボクと対になれる存在だ。そう確信し、ボクは彼女を放課後の体育館裏に呼び出した。本来なら完璧なボクが愛の告白するべき場所はこんな一般的な場所では無いはずなのだが、相手が相手だ。あからさま位がきっと丁度良いだろう。
「なんですか? 話って」
少し薄暗い体育館裏に、転校先で最もモテる自分に呼び出されたんだ。ああは言ってるが内心期待しているに違いない。早い所その期待に応えてやる事にしよう。
「実は、分かってるんだろう?」
「……何をですか?」
「ふっ、ボクが君をここに呼んだわけ、さ」
そして、流し目を決める。このコンボで落ちなかった娘はいない。完璧だ。
「さっぱり分かりません」
強情だな。なるほどボクの口から直接聞かないと安心できない実はさびしんぼタイプか。わかったよ、氷菓。
「ボクは君が好きだ。君は?」
もちろん、答えは分かりきっているのだがな。でもお互いに分かっていることをあえて聞くのも風情があるってもんだろう。
そして、彼女は口を開き、こう言い放った――
そう! こういうシチュエーションで冒頭の台詞を言われたんなら分かる! むしろここで受け入れるのはキャラ的にもアウトになるし。
「……る」
いやいや、ここは意外性を出すために一度は受け入れるのも悪くはないな。
「おい、廻」
う~む、悩みどころだ。でも読者の心情を鑑みると……
「おい! 廻!」
「うわっ」
耳元で突然大きな声を出されて、パイプ椅子から転げ落ちた。
僕を遙か高みから覗いていたのは、我が文芸部のメンバー、真木元樹だった。
その名の示す通り、地面からにょっきっと生えているかのようにのっぽで大きな奴だ。あだ名はマギー。順当なところだ。面白くもなんとも無い。
こいつとは今年は違うクラスだが、去年はそれなりに仲が良かった。まぁ、趣味があったんだな。たまたま同じ部活に所属し、そこが部活として認められる最低人数の五人しか部員がおらず、その上部長以外の二人は幽霊部員という状況も、自然と僕らの会話を多くさせる一員となっていた。数少ない僕の友人と呼べる存在だった。僕は友達が少ないからな。
それにしても、あービックリした。
「どうしたんだよ、ぼーっとして」
「うん、ちょっと考え事をしてたんだ」
僕はマギーの手を借りて起き上がると、元いたパイプ椅子に腰掛けた。その後、マギーも僕の向いに腰掛ける。
「なるほど。で? 今日は何について妄想をしていたんだ? ツンデレか、それともヤンデレ? ま、まさか義理の妹なんてことは無いよな」
「あのねぇ」
こいつは普段、僕のことを一体どんな風に見てるんだろう。僕は思わず深い溜息をつくとともにやれやれと頭を左右に振った。
ツンデレ? ヤンデレ? 義理の妹だぁ? そんなのとっくに考えつくしたに決まってるじゃないか。
「そうだ、マギーは篠崎さんって知ってる?」
僕はふと、となりのクラスのマギーから情報を得ること思いついた。こんな奴でも、何かしらの役に立つかもしれない。そして、僕の窮地に立たされた学校生活を救ってくれる救世主となるかもしれない。……まぁ、ないだろうけど、マギーだし。
「篠崎って……篠崎氷菓、『氷の女王様』のことか!?」
一瞬怪訝そうな顔をしたマギーは、急に語調を荒げるとその場に立ち上がって前へ乗り出してきた。
「う、うん、そうだけど」
突然のマギーの豹変っぷりに、僕は思わずたじろいだ。こいつのこんな姿を見たの初めてだった。
「知ってるに決まってるじゃないか!」
マギーは声を大きくして、驚いたような表情だ。そ、そんなに有名だったのか、彼女。話しかけてはいけない、くらいの情報を知っているだけかと思ってたんだけど。
「というか廻は同じクラスだろ?」
「うん、後ろの席だけど」
僕はマギーの無駄に大きな体から放たれる気迫に飲まれそうになっていた。
本当にどうしたんだ、こいつ。マギーは普段、そりゃあもうそこらに生えている樹木がごとく物静かな奴なんだがな。
マギーは興奮した様子で
「後ろの席! そりゃうらやま……げふん、災難だったな」
そう言い放つと、急にトーンを落としてもといた椅子にボスン、と腰掛けた。
なんだか今、あんまり聞いてはいけない言い間違いを聞いた気がするんだが、気のせいだろうか。
マギーは詳しく話を聞きたそうにこちらを見ている。詳しく話しますか?
……いいえ、だな。
僕は無難な選択肢を選びなながら考えを巡らせていた。後ろの席で災難って、なんのことなのだろうか。
まぁ確かに、昨日から今日にかけてもの凄い精神的なダメージを受けたわけだから災難と言われてもおかしくないし、今日に限って言えば後ろという立地条件はかなり今後まずい展開が予想されるのだが、彼女は端から見たら若干目付きの尖い美少女転校生のはずだ。男子に限って言えば、話しかけなければ、が条件になるが。
「マギーは詳しいの? 篠崎さんについて」
僕は、自分の情報は開示せず、マギーから他のクラスから見た篠崎氷菓を聞いてみた。
「詳しいってそりゃ転校早々あんだけ色々してれば嫌でも話題に上るだろ」
色々? 彼女ってそんなに噂されるような事をしていたのだろうか。
僕が今一腑に落ちない表情をしていたら、マギーは呆れ顔して突っ込んできた。
「お前相変わらず他人の噂に興味が無いんだな。『氷の女王様』の武勇伝っていったら今うちの学校で一番ホットな話題じゃないか」
そういってマギーは篠崎さんの驚愕のサディステック・エピソードを話し始めた。
マギーの身振り手振り無しでは行えない会話能力では伝わり辛いだろうから、僕が同時通訳のように短編小説の形でお伝えしよう。
『M君の悲劇~それは昇降口で突然に~』
僕は、M。もちろん仮名だ。
今日は待ちに待ったゲームの発売日。三ヶ月前の発表からわくわくが止まらず、情報の載っているゲーム雑誌を食い入るように見つめ、毎晩のように関連サイトを巡っていた。
しかし、そんな日々も今日でおさら ば。もちろん予約はバッチリで、売り切れの心配は無かったのだけれど、それでもいち早く遊びたいというのがファン心理と言うもの。
一刻も早く家に帰り、ゲームショップへと行きたかったのだが、運悪く今週は掃除当番だった。くそっ、ついてないぜ。僕はやる気の無い掃除メンバーを尻目に一人で黙々と掃除を済ませ、かばんを引っつかむと昇降口へとダッシュをした。
今夜は寝ずにゲームをする。そのために昨日ジュースやカップ麺などを買い漁ってきたのだ。準備は万端。あとはゲームを堪能するだけだ。
そんなウキウキ気分だった僕は、全く気が付かなかったんだ。自分の頭上に迫る、細く伸びた凶器に――
それは、眩しい朱の陽が差す昇降口でのことだった。
自分の下駄箱から靴を取り出すべく伸ばした手に、突然鋭い痛みが走った。
「痛っ」
一体何が起こったのか判らず驚いて顔を上げると、片手にモップを構える『氷の女王様』の姿があった。最近話題の美少女転校生にして、男子に対してドSと噂される人物。
彼女はモップをさながら槍のように構え、堂々と胸を張りながら、鋭いその眼でこちらを蹂躙するかのように睨みつけていた。左頬がわずかに攣り上がり、笑みを堪えているようにも見える。
蛇を前にした蛙の様にその瞳に射すくめられ、僕はその場に硬直した。
彼女はその表情のままゆっくりと近づいてくると、
「……悪かったわね」
氷の女王様は少しも悪びれる様子もなくそう言い放ち、口元が上へと吊り上った。
こいつ……笑ってやがる。
全く謝られた気がしない。むしろ、馬鹿にされた気分だった。
でも……なんだか悪い気がしない。
いや、むしろ気持ちいい、のかも……え?
ひりひりと痛む手が熱を帯び、しだいにその熱が引いていく様は一種の快感だった……あれ?
も、もっとその棒で私を殴ってください……その眼で、そうそのまるで下等生物を見下すかのようなその瞳で……って、おいおいおい。
「マギー、なんかおかしいぞ、これ。M君喜び、いや『悦び』始めてるじゃないか」
僕は思わず短編翻訳作業を止めてしまった。
「そう、そこが『氷の女王様』たるゆえんだよ。一般的な趣味の人には手を下さず、ドM男子のみを的確に蹂躙される……。まさに、女王様というに相応しいじゃないか」
そう言って、途中からM君の感情描写がやったらリアルになった『聞いた話』を語ったマギーは、どこか上の空だった。恍惚の表情すら浮かべつつある。
おいおい、うすうす感づいていたけどまさか、M君って……。
「い、いや、聞いた話だからな! 俺はそういう趣味は無い、断じて無い!」
ちょっとの間こっちの世界ではない所に行っていたマギーは、俺の疑いの眼差しに気が付いたのか焦って、聞いてもいないのに言い訳を始めた。
「で、なんてゲーム買ったの?」
「そりゃあ、『えすえすえすっ! 学園は女王様だらけ』に決まってるじゃないか! 出てくるキャラがみんなきつい眼をした女王様キャラばかりで、中でもメインヒロインの佐渡檻姫のいたぶり方は神の領域なんだ……あ」
あっさりと、自白してくれました。
「やっぱりお前じゃねーか、M君」
「い、いや、聞いた話だ。聞いた話!」
「楽しみにしていたゲームのメインヒロインの名前まで聞いたのか?」
「……」
「っていうかそれ、題名的に高校生が手を出してはいけないゲームなんじゃ……」
「…………」
マギーは明後日の方向を見たまま固まってしまった。
もうどう見ても君がM君です、ありがとうございました。
っていうかマギーにそんな趣味があったのか……友達付き合い考え直そうかな。
「んで、M君。篠崎さんのサディスティックエピソードってそれだけ? もしかしてお前が勝手に言い始めたんじゃ……」
「い、いや、それは違う。信じてくれ。他にもいっぱい目撃情報があるんだ」
そういってマギー改めM君は必死の表情で弁解を始めた。
まぁお前がどんな趣味でもいいけどさ、僕だって人の趣味に口を出せるほど人間出来ちゃいない。
そう言えば、真木元樹ってイニシャルにするとM・Mになる。つまりダブルMだ。よし、こいつのことは今度から『ダM』と呼ぼう。ダブルMの略だ。
「じゃあ言ってみろよ、ダM」
「だ、だえむ? おいおいそれを言うならドMだろ」
ハハハハと笑いながらさっきまで必死で否定していた性癖を暴露する。更に言えば、自ら『ド』を付けたよ、この変態。
「うっせぇ駄M!」
「はっ、はい」
僕がちょっと強い口調で攻め立てると、ダMはちょっと嬉しそうな表情を浮かべた。
いかん、本格的に付き合い方を考えないといけない。
「例えばな……」
その後この駄M野郎が語った篠崎さんの武勇伝は確かに凄まじい物だった。
近所の野良猫を追い回し、遂には瀕死に追い込んだり|(動物虐待!)、
校庭に咲いていたひまわりの花を毟ったり|(植物虐待!)、
遂にはそれを注意した教頭をその場にひれ伏し足蹴にしたり|(よく停学にならなかったな)。
しかも、そのどの行為もあの全てを見下すような表情だったらしい。
僕はぶるっと思わず身震いをする。昨日のは確かに精神的ダメージは大きかったけど痛みまでは伴わなかったからな。
その場面に遭遇しなくて良かった……。
いや、昨日の事を考えると知っておいたほうが良かったのかもしれない。知ってたら呼び出しに応じなかっただろう、絶対。
「人から聞いた話だからな、多少脚色があるかもしれないが、どれも本当に起こった事らしい」
そう言ってマギー、じゃなかったダMは話を締めくくった。
「それにしても詳しいな。ダMってそんなに情報通だっけ?」
性癖のなせる技だろうか。変態って恐ろしいね。
「ふっふっふ。ドM友の会の情報網を甘く見るなよ。彼女は我等の前に現れた救世主、メシア様なんだからな。彼女の動向をチェックする事は今や我がドM友の会の最重要事項だ」
「ド、ドM友の会……」
マギーはそう言って胸を張った。うちの学校にそんな愛好会があったという事実にも驚いたが、それってほぼストーカーじゃ無いのか?
駄目だこの駄M。早く何とかしないと。
僕があきれて物も言えないでいると、非常に控えめなノックがこの小さな部室に響いた。
こいつが得意げに自分の性癖を暴露している間じゃ絶対聞こえなかったであろう音量だった。
誰か来たのだろうか、珍しい。
うちの部で部室を利用しているのは僕たち二人だけなのだ。部長は家でないと落ちついて書けないとか言う引きこもり体質だし、後のメンバーはほぼ名ばかりの幽霊部員。その上、僕ら二人に放課後用事があるだなんていう奇特な人物は、精精テスト前に泣き付いてくる翔子ぐらいなものなので、普段この扉が僕たち以外に開かれるのは非常に稀なのだ。
僕とマギーが同時に音のしたほうを向いた。
「開いてますよ。どうぞ」
僕が返事をすると、恐る恐るといった感じにドアがゆっくりとスライドした。
僕ら二人は、同時に入ってくる人物が誰なのかを確認した。
そして、同時に固まった。
え?
声にならない感嘆詞が、ハモった。
「あの……斉藤廻くん、いますでしょうか?」
これ以上吊り上げたら目尻が空を仰ぐのではないかと思うほどの視線でこちらを睨んでいるのは、たった今話題に上がっていた『氷の女王様』こと、篠崎氷菓その人だった。