私の暴想Ⅰ
「それでいきなり嫌いですって言ったの!?」
「先輩! 声が大きいですっ!」
先輩につられて私まで声が大きくなってしまいました。自らの不作法に思わずキョロキョロと辺を見回します。
そんな私を尻目に、美咲先輩は飲んでいたオレンジジュースに咽て、げほげほと咳き込んでいました。
ここは、駅前のファーストフードのお店。現在時刻六時半を少し回った所です。
私、篠崎氷菓は美咲先輩に本日の成果をお伝えしようと、一大スペクタクルを終えた後その足でこうしてお目通りに伺った次第でした。
学校の帰りにこういう場所に寄って買い食いをすることは、あまり褒められた行動では無いということは理解しているつもりです。しかしながら、今や互いに違う高校となり、離れ離れになってしまった先輩に相談事をするには致し方の無いことでした。
未だに『けーたい』を所持していないのがいけないのだ、と先輩には指摘されましたが。
呼吸の調子が直った先輩は、
「なんでまたそんなことを?」
と困惑した表情で言いました。
「だ、だって、先輩が言ったんじゃないですか! 『好きの反対は嫌いじゃない、無関心だ』と。だから、とりあえず嫌われないことには始まらない、嫌われるだけ嫌われたら後は上がるだけかなって思いまして……」
私としましては、非常に理に適った適当な手段を用いての行動だと自負しておりました。
しかし、そんな私の様子を見て、先輩はあきれた表情で持っていた紙コップをお盆の上に載せ、
「全く相変わらずの飛躍っぷりね……まさかそんな行動にでるとは完全に想定外だったわ」
そう言うと、深い溜息を吐きました。
私としましては、褒められこそすれ呆れて溜息を吐くだなんて反応は完全に想定外の事でした。自信満々で提出したプリントを、その場で突っ返されたとでもいいましょうか。ちょっと釈然としない面持ちです。
「あの……何か、問題ありましたか」
「問題だらけよ!」
先輩は再び声を荒げて言い放ちました。
再び一斉に周りの目がこちらに向きます。放課後の事でしたので、周囲には同年代の学生が大勢いました。
いけません、こんな公衆の面前で大声を出しては、淑女失格です!
「せ、先輩落ち着いて……」
もちろん尊敬する先輩にそんなことを言えるわけも無く、とりあえず宥めることにしました。どーどー。
あ、いえ、別に先輩が恐いわけではないんですよ?
「落ち着くべきなのはあんたの脳みそよ。どういう思考でそうなんのか見てみたいもんだわ、ほんと」
の、脳みそを見る! 驚愕の発言です。
私はそんなことをされては大変と両手で頭を押さえました。や、やっぱり恐い……。
そんな私を見て、先輩はいよいよ哀れんだような瞳でこちらを見つめて来ました。
「氷菓。あなたは気が動転すると目付きが悪くなるから気をつけなさいって言ってるでしょう? あたしはあんたの事よーく知ってるからいいけど、傍から見たらかなり恐いわよ」
「あ、すみません」
急いで顔をマッサージして何とか元に戻します。
「いい、わかった。落ち着いて拒絶告白の経緯について話しなさい」
先輩は落ち着かれたのか、プラスチック製の椅子に深く腰掛けられると、私をしっかと見つめてそう言い放ちました。
えっと……拒絶?
「拒絶、ではないですよ?」
私は言い分を聞いてもらおうと怖ず怖ずと申開きをしました。
「一般的には拒絶なの! あんたの暴走ニューロン統制の元では違うのかもしれないけど!」
が、やはり駄目でした。火に油を注ぐが如く、烈火の化身のような視線が私に突き刺さります。
「は、はいっ」
私はこれ以上の弁解は無意味と確信し、ゆっくりと本日の作戦について話し始めました。
その作戦とは、先ほど述べましたとおり、彼におもいっきり嫌われる事を目標とした計画です。そうですね、名前をつけるのならば『精一杯心を込めて嫌われよう作戦』とでも申しましょうか。
まず、臆病者な私は最初に回りくどい方法を考えていました。つまり、こう、地道といいますか、例えば彼の靴箱に沢山のペットボトルの蓋を入れておくですとか、突然彼にぶつかっておきながら謝りもせずに立ち去るですとか。
しかし、私は気がついたのです。
そもそも今までこういった遠まわしの手段を講じてきたからこそ、半年もの間何も進展してこなかったのだと先輩に教わった|(怒られた)のではないかと。
回りくどい、遠まわしで分かりにくい方法ではなく、素直で率直な、分かりやすい方法でなくては駄目なのだ、と。
ここが普段の私とは違いました。ま、まぁこのことに思い至ったのは先に挙げたような愚直な方法をノート数十ページ分書き連ねた後のことでしたが。
素直で率直、最も分かりやすい方法。それはもう間違い無く、相手に直接伝える以外にありません。
つまりは……告白!
私はついに唯一無二の答えを導き出し、そしてその意味を噛み締めた時
「えぇぇぇぇぇっ!」
と自室で声を上げてしまいました。しかも、深夜に。
まったくもって年の頃にして十七を迎えようという乙女の所業ではありません。当然何事かと飛んできた両親にしどろもどろ言い訳をした後にお叱りをうけましたが。
しかし、やることが決まったからには、後はその方法を考えるだけでした。
私の心許ない『告白』についての知識を総動員して、下駄箱に体育館の裏に来ていただけるよう伝えたこと|(下駄箱に手紙を入れるときはあまりにどきどきして、心臓が持てる限界の速度で動いているようでした)。
実際に対峙して、一刻も早く言うべきことを言って退散したかったこと|(この時私の拍動は限界突破、もう口から心臓がまろび出んばかりでした)。
しかし、これは私の頑張りどころ。なんとしてでも嫌われなければなりません。一生懸命返答して堂々と立ち去ったこと|(角を曲がった所で足がもつれてすっ転んでしまった所を、近くを通った野良猫さんに目撃されてしまいましたが)。
こういった経緯を若干の主観に基づく補正を加えて話しました。いえいえ、話を偽ったわけではないんですよ? その、少し先輩が怒ってらっしゃったので、あんまり刺激するような事実を口にするの憚られたといいますか……。
これで少しは意図が伝わったのではなごいかと、そう、もしかしたら褒めてくださるのではないかと、期待を込めて先輩の返答を待ったのですが、先輩は黙ったままこちらを見ています。
あれ? 先程よりもさらに焦燥としているように見受けられるのですが……。
「それで?」
「そ、それで? え、えと、それで今に至ります」
「はぁ……」
先輩はいよいよ疲れ果てたように長いため息を吐くと、テーブルに突っ伏してしました。
そう言えば昔、物の本で西洋ではため息を吐くと幸せが逃げていく、という説を聞いたことがあります。その事について言及しようとしましたが、どうやらそんな事をを言える雰囲気では無いようです。ここは空気を読まねばまた『けーわい』と言われてしまいます。
……『けーわい』がどんな意味なのかはよく知りませんが。『けーたい』の親戚ではないかと私は睨んでいます。
「あたしの発言がこんな事を招くとは……予測不能の"暴想"少女相手とはいえ、最大の不覚だわ」
「ぼ、暴走少女? わ、私『おーとばい』に制限時速を超えて乗りこなすような交通法規違反を犯した事は未だかつて無いのですが」
そもそもありとあらゆる免許を所持していないですし。
「ち・が・う・わ・よ。暴想よ、暴想。暴れる想いって書くの。あたしの造語ね。氷菓にぴったりだと思って。オートバイの方は暴走でしょ。あんたがいきなり『先輩、一緒に風になりましょう! |夜露死苦怨廻我異死魔素!』とか言うなんて思ってないわ」
あ、でもへたするとあんたの謎思考じゃまかり間違ってそんなとこに行き着きそうで恐いわ、と先輩は苦笑いをしました。
失敬な。さすがの私だって分別くらいわきまえています。
恐らく無意識にむっとした表情を浮かべたのでしょう。黙っていた私を見た先輩は苦笑いしながら
「あー睨まない、睨まない。あんたの目線は人の一人や二人殺せそうで恐いんだから」
なんて仰っいました。
「生まれつきです! 悪かったですね、目つき悪くて」
人を殺せそうだなんて冗談でも悪いです。
た、確かに、好意的に寄っていった野良猫さんにそれは必死に逃げられたことはありますけれど。
あれにはいつもショックを受けるものです。一度私の目つき以外の理由で逃げたのではないかと思い追いかけてみた所、行き止まりで数秒間見つめ合った後にパタリと倒れてしまったことがあります。それ以来、猫さんには近づかないようにしてい ます。
「ごめんごめん、冗談だって。あ、でもあんた、そっちの学校で『氷の女王様』っていうあだ名で崇められてるって聞いたんだけど、ほんと?」
「なっ」
何故それを知っているのですかっ。崇められてなんかいません。
た、確かに私のことを影でそう呼んでいることは風の噂で聞き及んでいました。氷の、の部分が名前の氷菓に掛かっているのは理解できるのですが、女王様が一体どこからやってきたのか全くわかりません。
ゆえに私はその二つ名を、どうしても好意的に受け止められていませんでした。そもそも私のどこをどうとって『女王様』たる要素を見出したのか、さっぱり理解できません。
私が自分に就けられたの不本意な愛称について考えを廻らせていると、先輩が顔を近づけてきました。
「どしたの?」
「あ、いえ、別に……」
まさか自分の中に女王様を見出そうと必死でしたとは言えるはずもありません。流石に恥ずかしいですし。
それにしても、他校の生徒のはずの先輩が何故その名をしっているのでしょう?
「いやぁ、ちょっち、そっちの学校に知り合いがいてね。ちょいちょい話は聞いてんだ」
そんな私の疑問を感じ取ったのかは定かではありませんが、先輩は何故か少し言い訳じみた言い方でそう説明をしてくださいました。
「なんでも、噂の美少女転校生はサディストだったって」
「さでぃすと?」
なんでしょう、聴き慣れない言葉です。美少女だなんて畏れ多いお世辞は良いとしても|(褒められて嬉しくない人間なんていませんから)、その『さでぃすと』なる言葉が『女王様』などという不釣合いな呼び名の元なのだとしたらぜひその意味を知っておきたいところです。
私は先輩に心持ち声を大きめに尋ねました。
「先輩、その『さでぃすと』とはなんですか?」
何でしょう、美味しいものならば是非一度食してみたいものですが。
軽い気持ちで尋ねたはずの私の一言は、何故かそのお店のフロアに響き渡り、これまた何故かそれまでの喧騒が嘘のように静寂に包まれました。
「……えっ」
そして、私の質問に先輩は固まってしまいました。