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第三話 鎖鎌の魔人

 山道を武蔵達は歩いている。

 街道から脇に逸れた、山中へと続く道だ。

 周囲には田畑は見えず、徐々に木々が多くなっていく。

 細い道が行く先々で枝分かれしているが、武蔵達の足取りに迷いは無い。

 別れ道になると、武蔵の肩に止まっている黄金虫が、行くべき道の上で旋回を始めるのだ。

 武蔵達は黄金虫の示した道に従い、歩んでいく。

 「この虫が皆さんを案内します」

 先程の蛍の言葉だ。

 「昨日山中を調べました所、古い藁屋根の小屋を確認しました。入口に武器を携えた見張りもいたので、恐らくそこが野盗の根城で間違い無いかと思います」

 そう言うと、蛍は指先に止めた黄金虫を、空中に放した。

 「山中に入るまでは、この子が皆さんを案内します。私では、人目に付きますからね」

 そう言うと、蛍は松の陰へと消えたのであった。


 それに気付いたのは、先頭を行く武蔵であった。

 既に周辺は背の高い木々に囲まれており、頭上に梢が影を落としている。

 道も街道の様に整備された道では無い。近隣の村人達が通ううちに、土が踏み固められて、草が生えなくなった細い道だ。

 人の気配も既に無く、蛍も一行に加わっており、ルーナも深網笠と頭巾を外していた。美しい金髪が、時折吹く風になびいている。

 その道中で、武蔵は木陰にうずくまる小さな影を見付けたのだ。 近寄ると、それは十歳程の年頃の、継ぎ接ぎだらけの色褪せた野良着を着た少年だった。

 着物も顔も泥に汚れ、裸足の小さな足には血が滲んでいる。

 武蔵は駆け寄り、小さな体を抱き上げた。

 「旦那!」

 半蔵達も集まる。

 「大丈夫。寝ているだけだ」

 武蔵の言葉に、皆一様にほっとした表情となる。

 「野盗に襲われた村の子供でしょうか……?」

 蛍が、血に汚れた子供の足を竹筒の水で洗い、半蔵が背負った包みから、手当ての為の布を取り出す。

 「恐らくな。まあ、どっちにしろ、放っとくわけにはいかねぇからな」

 「忍びのくせに、人が良いのう」

 高珍が豊かな髭を撫でながら、どこか楽しそうに言う。

 「うるせ!見てねぇで手伝えじいさん!」

 その声に反応したかの様に、武蔵の腕の中の少年が身をよじり、うめき声を発した。

 「あ〜あ、ハッタリが喚くからじゃ」

 「おれのせいっすか?姐さん!つーか、服部ですけど!」

 「おい、皆静かにせい。……目を覚ましたようだ」

 少年はゆっくりと目を開け、武蔵の顔を見ると、「ひっ!」と引きつった悲鳴を上げて、脱兎の如く逃げ去ろうとした。

 すかさず武蔵は襟を掴み引き戻す。少年は泥に汚れた顔を引きつらせ、懸命にもがいた。

 「怖がる事は無い。お前はもしや、先日野盗どもに襲われたという村の者か?」

 武蔵の言葉に、少年は抵抗を止めた。その瞳に、みるみる涙がこみ上げてくる。

 武蔵は少年の小さな背中を撫でながら、安心させるように語りかける。

 「安心しろ。おれ達は、野盗どもを退治しに来たんだ」

 やがて、堰を切った様に、少年は声を上げて泣き始めた。

 「お父ちゃんも、お母ちゃんも、姉ちゃんも、みんなあいつらに連れていかれちまったんだぁ」

 「お前は逃げられたんだな?」

 「姉ちゃんが、おいらを干し草の下に隠してくれたんだよう」

 家族が野盗に連れ去られる中、必死に恐怖と戦っていたのだろう。武蔵は少年の肩をしっかりと抱いた。

 「おぬしの名はなんという?」 「この先の、新田村の、伊吉……」

 「百姓か?」

 「うん……。おいらの家の隣の、宍戸のおじちゃんは、皆を守ろうとして、あいつらに……」

 伊吉は脳裏の恐怖を堪えながら、健気に答える。

 武蔵は力強く伊吉をはげました。

 「今ならまだ、拐われたおぬしの家族や村人達を助けてやれるかも知れんぞ。そやつらは、人買いに間違い無い。他国に売るならば、ある程度の人数を集めてから、目立たぬ様に街道を避けて、山伝いに行くはずだ」

 「成程のう。そこで、蛍殿の突き止めた、山中の根城に立ち寄る筈という事じゃな」

 「ならば、ぐずぐずするな!その人間〈マヌ〉の子供の手当が済んだら、すぐに行くぞ!」

 ルーナの言葉を受けて、武蔵達は立ち上がる。

 「人間〈マヌ〉など関係無いのではなかったのか?」

 「……うるさい!」

 武蔵が小声で言うと、ルーナは下唇を突き出して、ふてくされた表情で答えた。


 杉の原生林の中は、昼間でもなお、薄暗かった。

 頭上に被さった杉の葉は陽光を遮り、濃い闇を作り出している。

 森の底には太い杉の根が大蛇の如くうねり、岩や倒木がいたる所に顔を出している。

 上を見ると、杉の梢の間から覗く空を黒雲が覆いつつある。彼方からは雷鳴が不気味に轟いていた。

 森の中を行くと、やがて杉の巨木が姿を現す。巨大な杉であった。

 幹の太さは大人が五、六人で腕を回してやっと届く程だ。

 幹のあちこちが瘤の様に盛り上がり、表面は苔生している。

 人間など及びもしない程の年月を、その身に刻んだ巨木であった。

 杉の巨木の前が広場になっている。そこに五人の男がいた。

 いずれも身に武器を帯びている。風体からしてまともな職業の人間ではない。伊吉の村を襲った野盗達であった。

 袖無しの獣皮を身に付け、裾がぼろぼろになった伊賀袴を穿いた者や、下は褌のみの者もいる。

 全員顔は薄汚れ、人殺しに慣れた荒んだ眼をしていた。

 男達の前で、一人の娘が手を合わせている。

 「お願いします。何でも、何でもいたしますから、命だけはお助けを――」

 娘の声は恐怖で震えていた。

 若い娘であった。十六、七歳に見える。

 男達に半ば引き摺るようにこの場まで連れてこられた為、着物の合わせ目がずれて、白い肩と乳房があらわになっていた。

 野盗どもは、下卑た目でそれを見ている。

 「許す、許さないは関係無えんだよ」

 「おめえはただ泣き喚いてりゃあ良いんだ」

 「おれたちは勝手におまえで楽しませてもらうからよ」

 そう言って声を上げて笑ったのは、佐平、喜八、音吉の三人だ。

 奥の杉の大木の根元では、男達よりも一回り大きい体の三郎兵衛と、腰巾着の新之助がにやにやと笑いながら、そのやり取りを聞いている。

 三郎兵衛は野盗の頭である。

 顔には濃い髭が生え、身に付けた獣皮からは、むっとする血の匂いがする。

 傍らには鉈のような太く厚い太刀があり、立ち上がるとまるで熊のようであった。

 娘の顔は涙でくしゃくしゃになり、全身が恐怖で震えている。

 彼女は自分の運命が既に分かっていた。野盗達は、それでも必死に生きようとする娘を見て楽しんでいるのだ。

 佐平が刀を抜き、娘に突き付けながら言う。

 「こいつをよ、犯っている最中の女の胸に突っ込むんだ。ずぶずぶと潜っていくとよ、女の体がびくんびくんと震えるのさ。たまらねえよ」

 佐平の眼に狂気の光が育ってゆく。娘は恐怖の余りまともな声が出ない。

 「もう我慢できねえ。とっとと犯っちまおう」

 喜八が歪んだ笑みを張り付かせながら言う。

 「佐平、まだ殺すんじゃねえぞ。全員廻るまでな」

 音吉が娘の両手を押さえつけた。

 娘は言葉にならない悲鳴を上げ、涙を流して懸命にもがく。だが、男二人に押さえつけられて身動きが出来ない

 「へへへ」

 下卑た笑みを浮かべ佐平がしゃがみ、両膝で娘の脚を割った。

 「おうおう、良いね。思う存分泣き喚いてくれよ」

 佐平が娘の上にのしかかろうとした時だった。


 ――頭部が抉り取られた――


 瞬間、佐平はそう錯覚し、悲鳴を上げて娘から飛び退いた。思わず頭を両手で抱える。首はそこにあった。

 背後の森を見る。後方から、凄まじい殺気がぶつけられたのだ。

 首が吹き飛ばされる感覚が鮮明に残っている。

 半ば物質化した、とてつもない殺気だった。

 見ると、喜八、音吉の二人だけでなく、三郎兵衛と新之助も顔が青ざめ、全身に汗をかきながら、佐平の後方の森を見ていた。

 「いかんなあ」

 太く力強い男の声がする。

 「てめえらみたいな外道どもを見ると、どうにも怒りが押さえられん」

 下生えを踏みしめる足音が近づいて来る。

 全身に闘気をみなぎらせた武蔵の巨躯が、ゆっくりと姿を現した。

 その瞬間、野盗達は目の前で火球が膨れあがったかの様な熱気を感じた。

 武蔵の姿が野盗達には数倍の大きさに見えたのだ。

 思わず、娘の周囲にいた佐平、喜八、音吉の三人は後ずさる。

 武蔵は野盗達を睨み付けながら歩みを進め、娘の前――野盗達と娘の間に仁王立ちになった。

 娘は武蔵の事を知らない。始めは、たった一人で現れた武蔵を見て失望しかけた。五人を相手に勝てる訳が無い――そう思った。

 だが、今自分の目の前にいる男の姿はどうだ。なんと大きく、力強い背中なのだろう。

 娘の中に、ある思いが生まれつつあった。

 「娘さん。もう大丈夫だ」

 武蔵は短く、はっきりとした口調で言い切った。

 その時、娘の思いは確信に変わった。


 ――この人は、必ず自分を守ってくれる――



 「何もんだてめえ!!」

 三郎兵衛の胴間声が響く。

 「野盗ごときに名乗る名は無い」

 武蔵の声は対照的に静かであった。しかし、比べ物にならない程の迫力がある。

 「けっ!たった一人じゃねえか!てめえら、びびるんじゃねえ!!」

 三郎兵衛の声に、男達の目に凶悪な光が灯る。

 数の多さが、本能的な武蔵への恐れを忘れさせていた。

 三人の男は既に武器を手にしていた。

 佐平、喜八の二人が刀。音吉が槍である。

 三郎兵衛と新之助は杉の巨木の根元にいる。

 「佐平!喜八!」

 三郎兵衛の号令が飛ぶ。

 二人は左右に動き、武蔵の正面に槍の音吉、右側に佐平、左側に喜八が位置した。

 三方向から攻められれば逃げ場が無い。しかも正面の音吉は槍を持っている。左右の男達に気を取られれば、間合いの外から槍の攻撃がある。

 だが、武蔵には一瞬のためらいも無かった。

 悠然と正面――槍を持つ音吉の前へと歩みを進めたのである。

 「づえええっ!!」

 武蔵に向かい、音吉は大きく足を踏み込みながら槍を突き出した。そのまま、相手の胸板を貫く必殺の突きであった。

 だが、武蔵の胸に届く寸前で槍先は止まっていた。

 武蔵が、刃の根元の柄の部分を、左腕一本で握り止めていたのだ。

 桁外れの腕力と握力だった。

 音吉は額に青筋を浮かべ、両腕にありったけの力を込める。それでも槍はびくともしない。それどころか、武蔵は顔色ひとつ変えていないのだ。

 佐平と喜八は、完全に斬りかかる機会を失っていた。目の前の光景が信じられない。

 武蔵はふっと槍を握る手を放した。急に支えが無くなり、音吉がバランスを崩し、前へ倒れかける。

 武蔵は一歩踏み込み、

 「吩!!」

 体重を乗せた左掌を突き出した。

 音吉の顔面を、武蔵の掌底が正面から叩いていた。

 鼻の軟骨と前歯が折れる音が同時に響き、頭部を支点にして、音吉の体が180度回転した。

 そのまま、声も上げずに音吉は仰向けに倒れ、動かなくなった。

 唖然とした表情で、佐平と喜八はそれを見ていた。三郎兵衛も声がでない。

 「おい」

 武蔵が佐平と喜八に向かい言う。

 「ぼさっと突っ立ってないで、かかって来い」

 武蔵の眼光が二人を射抜く。二人は既に武蔵の気迫に圧倒されていた。

 「殺せるのは武器を持たぬ百姓だけか!!」

 武蔵は怒声を発すると、一気に右側の佐平の前へと踏み込んだ。

 そのあまりにも迅い寄り身と迫力に佐平は驚愕し、一瞬棒立ちとなり、手にした刀を構える事すら出来なかった。

 イヤアッ!!

 獣の咆哮のような気合を発し、間合いに踏み込んだ武蔵は、背の木刀を引き抜き雷光の如き一撃を降り下ろした。

 凄まじい斬撃であった。

 骨音が響き、佐平は真上から叩き潰されたように、その場に倒れた。

 間髪を入れず、武蔵は左手の喜八の懐に飛び込み、胴を薙ぎ払った。

 体を“く”の字に曲げて、喜八の体は数メートルも吹き飛び、杉の木に叩きつけられた。

 圧倒的な強さであった。

 残った三郎兵衛、新之助は勿論、娘も声が出ない。

 全てが息つく間もない一瞬の出来事であった。

 武蔵は木刀を右肩に担ぐと、三郎兵衛達に向かい合う。

 「どうした……。そこの馬鹿でかい太刀は飾りか?」

 三郎兵衛は内側から響く武蔵への恐怖を打ち消すように、雄叫びを上げると太刀を手に取った。

 「でけえ口を叩きやがって」

 三郎兵衛の息が荒くなっている。目がぎらぎらと異様な光を放っていた。

 「てめえも殺してやる。こいつで頭を叩き割って、脳みそをぶちまけてやるよ」

 狂気に取りつかれた言葉を、武蔵は正面から平然と受け止めていた。

 「弱い犬ほどよく吠えるようだな」

 三郎兵衛の額に青筋が浮かび、血走った目で、太刀を武蔵の脳天に打ち落とした。

 武蔵の頭蓋がふたつに割れ、首根あたりまで斬り下げられた。

 その筈だった。三郎兵衛も、新之助も、娘もそう思った。

 だが、その太刀は空を斬り、切っ先は地面にめりこんでいたのである。

 武蔵は右足を僅かに引き、体を右へ開きながら、紙一重で太刀の一撃をかわしていたのである。

 「遅いな」

 武蔵は、まともに受ければ間違いなく即死であろう一撃を最小限の動きでかわし、なお平然とした表情をしていた。

 三郎兵衛は奇声を発し、今度は横から武蔵の頭部を狙い薙ぎ払ってきた。

 だが、それも武蔵は上体を後ろに反らし、またも紙一重でかわす。

 三郎兵衛の背中に冷たい予感が走り抜けた。

 ――見切られている?――

 その予感を掻き消すように、三郎兵衛は力任せに、喚き声を上げながら太刀を振り回した。

 その全てを武蔵は最小限の動きでかわしてゆく。

 新之助は悪夢を見ていると思った。これ程の力の差の有る人間が、この世にいる事が信じられ無かった。

 いくらも経たぬうちに、三郎兵衛は肩で息をしていた。全身が疲労と恐怖で汗だくである。

 助勢を求めようと、新之助に一瞬目先を走らせた次の瞬間、武蔵が眼前に現れていた。凄まじい踏み込みの速度であった。

 悲鳴を発しようとした三郎兵衛の口を、武蔵は鷲掴みにしていた。

 正に鷲が獲物を捕らえるかの如く、指先が顔の皮膚を突き破り、肉に食い込んでいる。

 そして、武蔵の腕に太い筋肉の束が浮き上がると、なんと頭一つ分は大きい三郎兵衛の巨体を、武蔵は左腕一本で持ち上げたのだ。

 三郎兵衛は太刀を放り捨て、必死に両手で武蔵の腕にすがり付いている。少しでも力を抜けば、首が根元から抜けてしまうだろう。

 「おまえの太刀に血曇りが付いているな」

 武蔵が怒りを押し殺した声で言う。

 「ここに来る途中で、頭を無惨に割られた村人の死体を見た」

 武蔵の指先に力が込められていく。みりみりと、三郎兵衛の顔面の骨に亀裂が入る音がする。

 武蔵の相貌が怒りに燃える。三郎兵衛がくぐもった悲鳴を上げた。

 「外道があ!!」

 怒りの咆哮と共に、武蔵は三郎兵衛の頭部を杉の幹に叩きつけた。

 樹齢何百年という巨木が揺らぐ程の、凄まじい衝撃音が響いた。

 武蔵が手を顔から放す。三郎兵衛の頭部が、完全に杉の幹の内部へ埋没していた。

 「ひいいいぃっ!!」

 新之助が悲鳴を上げて走り出した。眼前には、呆然と武蔵を見る娘がいる。

 娘を盾にしようと、新之助が手を伸ばす。その時、手の甲に激痛が走った。

 新之助の両手を、長さ20センチ程の銀光を放つ針が貫通していた。

 「いぎええっ!!」

 悲鳴を上げて、その場で新之助がのたうち回る。

 「おれの前で、女を狙うたぁいい度胸じゃねぇか」

 武蔵が顔を上げる。頭上の杉の枝に半蔵が立っていた。

 手の中には、先ほど放たれた物と同じ針が握られている。

 「よっ。旦那」

 にやりと笑い、半蔵が右手を軽く上げる。

 武蔵はそれに苦笑し、娘の手を取り立たせる。

 「大丈夫かい?娘さん」

 まだ娘の細い体は震えていた。

 武蔵は優しい眼で娘を見ている。

 「安心しろ。もう大丈夫だ」

 その言葉に娘の体が力が抜けて、その場にへたり込みそうになった。

 それを、武蔵の太く大きな腕が包み込む。

 優しい力に包まれて、娘の目からは再び涙が溢れた。



 「姉ちゃん!」

 伊吉が娘にすがり付く。娘も伊吉の小さな体をしっかりと抱き締めた。

 「伊吉、無事で良かった」

 「あのお侍さまが助けてくれたんだ」

 伊吉が涙を拭いながら武蔵を見る。

 「千絵と申します。本当にありがとうございました」

 千絵が伊吉と共に、深々と頭を下げる。

 「おれの名は武蔵。あっちは半蔵だ。なあに、伊吉が懸命におれ達を案内してくれたお陰だ。礼なら伊吉に言ってやってくれ」

 武蔵の顔に笑みが浮かんだ。見る者を安堵させる、良い笑みだった。

 千絵の頬が紅く染まる。

 「ちぇ。おれだって、千絵ちゃん助けたんだぜ。こう、格好良く針を投げてよう」

 隣で半蔵が身振り手振り説明している。

 彼の足下では、縄で縛られた新之助が転がっている。

 先程口を割らせたところ、この先の小屋に拐われた村人達が囚われており、見張りが五人いるらしい。

 下生えを踏み分ける音が聞こえ、周囲で濁気〈ローグ〉を探っていた、ルーナと高珍が姿を現した。

 ルーナの表情が険しくなっている事に武蔵が気付く。

 「やばそうか?」

 「うむ。濁気〈ローグ〉の気配は先刻より周囲に満ちておるが、この付近で特に濃度の高い“気”を感じるな。しかも移動しておる。……人間並の速度でな」

 「少々まずい事になっておるのう」

 高珍も、周囲の“気”を探りながら呟く。

 「濁気〈ローグ〉の状態がかなり不安定じゃ。膨張と縮小を繰り返しておる。濁鬼〈ローガー〉化が近いかもしれぬ」

 その時頭上の梢が鳴り、武蔵達の元へ蛍が舞い降りた。

 「この先の野盗の小屋を探ってまいりましたが、様子が変です」

 蛍の顔が強張っている。

 「野盗達が全員、殺されています」




 宍戸梅軒は猟師であった。

 父の権三も猟師である。元は、西国の武将に仕えた武士だったと、珍しく酒に酔った時に口にしていた。

 父は物静かな男だった。酒も滅多に口にしない。その日は特別だった。愛用の鉄砲を、自分が受け継いだのだ。

 父の引退は、昔受けた傷が原因だった。父の右足には深い傷が有る。獣に受けた傷では無い。刀傷であった。

 昔の事はあまり語らなかったが、その日は傷を擦りながら、ぽつりぽつりと語ってくれた。幼い日に亡くなった、母の思い出も懐かしそうに話してくれた。

 父は家族を養う為に、必死に働いていた。苦労を口にした事も無かった。

 だから、この獲物を仕留めた事を真っ先に知らせたかった。

 七日間山に入り追い続け、遂に仕留めた熊だ。

 安心させてやりたかった。自分はもう一人前だと。これからは楽をさせてやると。

 滅多に褒めない父から、「よくやった」と言って欲しかった。

 そして村に帰ると――野盗に襲われた後だった。

 誰もいない。隣の家の伊吉も。「兄ちゃん」と呼んでくれた子だ。弟の様に思っていた。

 父と、伊吉と、千絵の名を呼び続ける。

 何かに足を取られた。

 頭を無惨に割られた死体だった。

 顔が原型を留めていない。胃の中のものを全て吐いてしまった。

 ふと気が付いた。身に付けた野良着に見覚えがある。

 まさか、と思った。手元の物に気が付いた。知っている。鎖鎌だ。父の物だ。手解きを受けた事が有る。

 ――『いざという時は、村人を守れ』――

 そう父は言っていた。

 目の前の死体は父だった。

 今まで聞いた事の無い獣の叫び声が聞こえる。

 それが自分の慟哭の声だと、流れ落ちる涙と共に気が付いた。



 蛍の案内で、武蔵達は開けた草地にある、野盗達の根城である小屋の前に到着していた。

 小屋の中には、麻縄で数珠繋ぎにされた村人が二十人程いたが、全員半蔵と蛍が縄を切り、助け出している。

 だが、村人達にも、武蔵達にも笑顔は無い。

 皆一様に小屋の前の地面を見ていた。

 村人達は、顔を青ざめさせて震えている。

 小屋の前は血の海だった。

 首と胴を切り離された死体が四体。頭部が粉砕された死体が一体。

 全員、胴当てや刀で武装している事から、野盗である事は間違い無い。連れて来た新之助にも確認させている。

 「外から、何かが破裂する音が聞こえたんだ。すると、小屋の隙間から、血が噴き出すのが見えて……。後は恐ろしくて、全員で小屋の中で、声を出さない様にしていたんだ」

 助けた村人の一人が、震えながら語った。

 武蔵は惨たらしい現場を見せない様に、伊吉と千絵をその胸にしっかりと抱きしめている。

 やがて、村人達を解放した半蔵が小屋から出て来た。

 「旦那。中に居た村人は全員無事だった。……途中で抵抗した奴以外はな。伊吉、お前さんの両親も無事だったぜ」

 伊吉と千絵が顔を輝かせる。

 「二人とも、小屋の中に入っていてくれ。外に出ぬようにな。おれ達が周囲の安全を確認するまで、待っているのだぞ」

 武蔵の言葉に伊吉は大きく頷き、「父ちゃん!母ちゃん!」と声を上げ小屋の中に飛び込む。千絵も頭を下げて、伊吉に続いた。

 「さて……。どう見る?武蔵」

 野盗達の死体の前で、険しい顔をしていた高珍が問い掛ける。

 「始めに、何か硬く重い物で一人の頭部を粉砕……。ほぼ同時に、残りの者の首を一息に切断、ですか。皆、顔が驚きの表情のままです。仲間の頭が吹っ飛び、そちらを見た瞬間に、ばっさりと。……どんな武器を使ったのやら」

 「うむ……。人間技とは思えぬのう。と、なると……」

 高珍の眼がルーナを見る。

 ルーナの視線は、高珍達では無く、草地の先を見据えていた。その気配に武蔵達も気付く。

 「来たぞ……。ムサシ。ハッタリ!ホタル!人間〈マヌ〉達を小屋から出すな!!」

 草を踏みしめ、ゆっくりと男が近付いてくる。

 まだ若い男だ。歳は半蔵より幾らか下だろうか。

 袖無しの黒い熊の毛皮を身に付け、下は茶色の伊賀袴と脚絆である。

 猟師だろうか。何日間も山に入っていたのか、顔には無精髭が生え、やや癖の有る髪が乱れている。

 男は左手に柄の長さが60センチ、刃渡り30センチ程の鎌を持っている。

 鎌の柄の下端からは鎖が伸び、右手に持った子供の拳程の大きさの分銅に繋がれている。

 「鎖鎌か……!」

 武蔵が呟く。

 「ムサシ!奴じゃ!既に濁気〈ローグ〉に侵蝕されておる!!」

 男の眼は深紅に染まっていた。瞳では無い。白目の部分が血に染まった様に、紅くなっているのだ。

 「そこの男!おれの声が聞こえるか!!」

 武蔵が男に向かい叫ぶ。

 だが、男は答える事無く、紅い眼を炯々と輝かせ、ゆっくりと武蔵達に向かい歩いて来る。

 「無駄よ」

 低い、地の底から響いて来る様な声がした。

 男の背後に枯れた木が立っており、その上に黒い物がわだかまっている。

 それは黒い襤褸の固まりの様であった。

 その一部が盛り上がり、上へと伸びてゆく。

 先端には白い面が貼り付いていた。

 何の意匠も無い。白い平面の目に当たる部分に、丸い穴が二つ開いているだけだ。

 だが、その面が有る部分が頭部だとしても、首が長すぎる。

 ごきごきと音を立てて伸びていくそれは、大蛇の如く身をくねらせ、2メートル以上も伸びている。

 そして、面の目に当たる部分の穴に、眼球が現れた。

 眼が開いたのでは無い。瞼の無い眼球そのものが、穴の中にぼこりと突き出て来たのだ。

 「その人間〈マヌ〉には“濁気〈ローグ〉の種”が取り憑いておる……。後は、濁鬼〈ローガー〉と化すだけよ」

 「きさま……アバラ!!」

 「久しいのう、ルーナ」

 異形の怪人、アバラから引きつる様な呼吸音が響く。どうやら嗤っているらしい。

 ルーナの碧眼が怒りに染まっている。

 「下がれ!ルーナ!!」

 ルーナを庇う様に、武蔵が前に出る。

 武蔵は腰の太刀を抜き、切っ先を下ろした。左足を前に出し、腰を落として、太刀を脇に構える。

 武蔵の全身に闘気がみなぎってゆく。

 「ほう……。人間〈マヌ〉にしては、大した気〈プラーナ〉を操りおる」

 アバラが興味深そうに呟いた、その時だった。

 「兄ちゃん!」

 伊吉の声が響いた。

 「伊吉!来るな!!」

 武蔵が、眼前の男から視線を逸らさぬまま叫ぶ。

 「でも、あれは兄ちゃんだ!梅軒兄ちゃんだ!!」

 半蔵に抱えられたまま、伊吉が叫ぶ。

 その時、梅軒に変化が現れた。

 「い、き、ち……」

 梅軒の口から、途切れ途切れに声が出る。見ると、深紅に染まっていた筈の右眼が正気の光を取り戻している。

 「い、き、ち……に、げ、ろ……!」

 己の体を支配しようとするものに必死に抵抗する様に、梅軒が声を出す。

 「あやつ、まだ正気が!」

 そう武蔵が口に出した瞬間、

 「ぎええええっ!!」

 梅軒の両眼は再び深紅に染まり、化鳥の如き叫びを上げる。

 梅軒は左手の鎌を振りかざし、凄まじい速度で武蔵に向かい斬りかかった――!

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