表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/28

第二十話 獄寒の帝王 前編ー氷の狂執ー

 話の内容が分割しておりますので、勝手ながら第二十話を前・後編とさせていただきました。後編は近日中に投稿いたします。


 ああ涙よ

 神よ私は光を失った

 希望の道を閉ざすのならば私をこのまま天へと送れ




(一)

 少女はうっとりと目を細めて、母のベルセフォネの歌に聞き惚れていた。

 ベルセフォネの家系に古くから伝えられている歌である。

 今では使う者のいなくなった古い言葉で唄われるその旋律は単調で、音の高低も少ない。だがその響きを耳にした者は、なぜか涙がにじむほどの慕わしく懐かしい感情が心に押し寄せてくる。

 ベルセフォネは美しい女性だった。たっぷりとした長い白銀の巻き毛とどこか幼さの残る愛らしい小顔。きゅっと口角のあがった唇と紅い瞳が印象的である。そしてその容姿は彼女の娘にも色濃く受け継がれていた。

 優しく穏やかな笑みを浮かべる母の膝に甘えながら少女は言う。

 「今日は遅くまで起きていてもいいでしょう? おとうさんが帰るまで待っていたいの。ねえ、お願いおかあさん!」

 母親の紅い瞳を覗き込み、ねだるような声を出す娘の姿に困ったような微笑みを浮かべながら、ベルセフォネは娘の鼻先にそっと口づけをした。

 「レイリは優しい子ね。でもお母さんと約束したでしょう? お父さんはお仕事がとっても忙しいの。だから、ご飯を食べたら今夜もお母さんと一緒に寝ましょうね?」

 「でも……、昨日も一昨日も、おとうさんに会えてないんだもん……」

 鼻をこすりながら頬を赤くしてレイリがふてくされる。涙目になる娘の銀髪を白い指先で優しく梳いて、ベルセフォネは綺麗な声で歌うように言った。

 「その代わり、今夜はレイリの一番のお友だちが来てくれるわ。お父さんの弟で、色んな昔話をいっぱい知っている……」

 「カーグ!? カーグおじちゃんが来るの!?」

 レイリは弾けるように顔を上げ、眼を輝かせる。

 「わあ! 何のお話にしよう! お星さまに乗ってやって来た王さまのお話? それとも色んな動物に変身できる旅人さんのお話にしようかなあ……」

 先ほどとは違う理由で顔を赤くし、息を弾ませながら指折り数えるレイリ。その様子にベルセフォネの顔にも笑みが溢れる。

 「まあ、レイリは物知りさんなのねえ!」

 「うん! 島よりもおっきな、空飛ぶ樹のお話だって知ってるんだよ!」

 レイリはそう言うと得意気に胸を張った。他にも数え切れないくらいのお話を覚えているのだと母に自慢をする。

 見違えるほど上機嫌になった娘の様子に眼を細めると、ベルセフォネはレイリの身体を優しく抱きしめる。母の温かく柔らかな胸に顔を埋めながら、レイリは甘えた声で母に言った。

 「おかあさん。後で、またあのお歌を聞かせてね。むかしむかし、砂の星に雨を降らせてくれた神さまのお歌……」



 ああ涙よ

 あなたは死の崖を渡り美しい緑の大地と結ばれる

 私もあなたとひとつになろう



 母の美しい歌声は今でもレイリの耳に残っている。

 科学者である男を夫とし、彼を支え娘をほぼ女手ひとつで育てた強い母。苦労は絶えなかったはずだが、それを娘の前で口にしたことは一度もなかった。

 父に家族のことを頼まれた、優しい叔父も傍にいてくれた。

 そして週に一度は、何とか時間を作り帰宅する父。その膝上で叔父のくれた絵本をなぞりながら、母の歌う声を聞く。それがレイリの中で一番大切な記憶である。

 レイリは暇さえあればベルセフォネの隣に座り、時間の許す限り母の歌声を聞いていた。

 彼女の家と街が跡形も残さず焼き尽くされた、その日の夕べさえも――



 ああ涙よ

 偉大な雨となり全てに再び命を与えよ

 天が悲しみに泣くとき大地は潤い喜びに満たされる

 私は赤い血の宿る雨となりこの乾いた空を駆けよう

 そしていつの日か愛する者の元へと帰ろう



 夜空には巨大な炎の玉が浮かび、太陽のように赤々と一部始終を照らし出している。

 「敵襲だ!」と誰かが叫んだ気がする。直後、凄まじい爆音がレイリの鼓膜を引き裂き、全身を衝撃が貫いた。

 瞬時に押し寄せた熱波は地表の全てを薙ぎ払う。無数の人間の血液が沸騰し、彼らは逃げる間も与えられず、生きたまま蒸発していった。

 夜空に長い尾を引きながら、どこからともなく飛来した巨大な炎の流星が次々と着弾し、街全体があっという間に燃え上がる。

 生まれ育った場所が、見知った人々が残らず炎上する様を、レイリは激痛に喘ぎながら見ているしかなかった。

 破片が食い込んだ脇腹からは、熱い温度を持つものが滾々と溢れ出している。

 悲鳴をあげることさえできず、致命的な量の血を流しながら、レイリはただ絶望に震えていた。

 母とカーグは生きているのかさえわからない。次々と起きる悲鳴と爆音。熱風にあぶられて、人々は踊り狂いながら死んでゆく。

 レイリの眼前にある瓦礫の間に小さな頭が挟まっているのが見えた。彼女と同じ年頃の少年である。昨日一緒に遊んだノーマの頭だ。炎上する木材に押し潰されるようにして、ノーマはすでに事切れていた。あの柔和な顔が、今はあんなにも焼け焦げて――


 真上の空が再び輝いた。

 幾億もの星々が、同時に墜ちてきたかのような明るさであった。

 一瞬で押し寄せてきた熱波がレイリの髪と肌を焼き、彼女の口から獣じみた叫びを迸らせる。

 次いで全くの無音となり――そして大爆発が起こった。


 ――おかあさん


 ふっ、とレイリは短い声を発する。それは命の灯火が消える直前の、奇跡のような一瞬であった。

 薄れゆく意識の中、微かに母の声を聞いたような気がする。だがそれを確認する前に、命を手放したレイリの意識はゆっくりと闇の底へと沈んでいった。



(二)

 そこは蒼白い光に満たされた、広大な円型の空間であった。

 『ベル』と共にアバラは、廃墟と化したかつて公堂だった場所に立っている。

 彼をここまで運んできたのは、先刻の白銀の壁に囲まれた通路でも使用された、先史文明が生んだ利器のひとつだ。もしこの広間に人がいれば、その者にはアバラと瑠璃色の球体が、突然宙から現れたように見えたことだろう。

 だが、今この場には誰ひとりとして存在していない。あるのは唯ひとつ、死せる沈黙のみである。

 焼けつき崩れた柱が、白く冷たい大理石の床のそこかしこに倒れている。床にもあちこちに大きな亀裂が走っていた。見上げれば頭上には、ドーム型の巨大な空間が広がっている。

 四方の壁全体を使い描かれた壁画は、神話の時代に起きたとされる戦いを記録したものだ。

 突如として現れた宇宙を喰い尽くそうとする邪悪な魔物たちと神の戦士たちとの壮絶な戦いが、壁から天井へと次々と場面を展開させながら描かれている。

 アバラの固定された笑みの眼に、憂えた光が揺れた。今は半ば朽ちて見る影もない。が、かつては鮮やかな彩色が施された美しく荘厳な壁画であったのだ。レイリはこの壁画の前で、何度も神の戦士たちの物語を話すよう自分にねだった。そして、レイリの傍らには穏やかな微笑みを浮かべるベルセフォネが――

 「……ちっ」

 僅かな感情の乱れを表してしまった自分に苛立つように舌打ちをすると、アバラは視線を壁に設置された窓へ移した。蒼白い光の源は、どうやら窓の外から差し込んでいるらしい。

 窓の外側に広がっていたもの。それは、地平の果てまで続く草原であった。

 葉先が細く尖った膝丈ほどの高さの草が、見渡す限り一面に生えている。外には大気が存在し、時折風が吹き抜けていた。そして風が吹く度に、微かに銀色がかった緑色の草波が、潮騒のような音を立てて遥か彼方まで流れてゆく。その銀緑の大海の先には、頂を白い雲に覆われた峰の連なりがそびえていた。

 本来空があるべき場所に広がるのは、薄い真珠色の光を放つ広大な天蓋だ。太陽の光が差す昼ほどには明るくはないが、地下世界の空よりも強い光が地上を照らしている。

 明るい理由は空を見上げればすぐにわかる。中天には、白銀の輝きを発する八つの星が浮かんでいた。地球から望む月と同程度の大きさの星が、白い焔をあげながら空に輝いているのだ。

 燃え盛る八つの星は、誰ひとり生きる者のいない死の世界を静かに照らし出していた。まるでこの世を去った魂たちが姿を変えて天に留まったかのように――


 アバラは口を閉ざしたまま公堂の奥へと歩みを進めた。その背後からは数ローナ(数メートル)の距離を空けて、宙に浮く瑠璃色の球体――『ベル』がついてゆく。アバラの足下には倒れた石柱や砕けた水晶の燭台などが散乱しているが、すでに何度も通った場所であるのだろう。その足取りに迷いはない。

 扉のない出入り口を通り公堂を出ると、長い石畳の続く回廊に繋がっていた。白亜の回廊脇には、亀裂の入った円柱が、あるものは崩れあるものは半ば倒れかかった形で乱立している。

 柱と柱の間には、同質の白い石材が無数に散らばっていた。恐らくは屋根に当たる部分が崩壊してしまったのであろう。

 回廊には壁は設置されておらず、外部の草原を見渡すことができる。周辺には瓦礫に混じり、絹よりも白く滑らかな花弁をもつ花が咲いていた。

 形は地上に咲く秋桜子(コスモス)に似ている。茎や葉に当たる部分は普通の植物のような緑色ではなく、玻璃を思わせる透き通った薄い紫色だ。草原から吹く穏やかな風が、秋桜子の花をいつまでも揺らしている。

 ささやかな花の香りに導かれるようにして回廊を進んでいくと、視界の先に半円型の建造物が見えてきた。出入り口を抜けた内部は、先ほどと同様の円形の公堂であった。壁面にも色褪せてはいるが、一面を使用して壁画が描かれている。登場人物や舞台は違っているが、聖戦の神話を別の視点で記録した作品のようだ。どうやら、半円型の建造物を回廊で繋げていくような構造であるらしい。

 その先も、廃墟は果てることなく続いていた。

 間には居住区らしき建物も見られた。部屋をまたぐような大きな円卓が置かれた食堂のような空間。石造りの寝台が幾つもある寝室らしき部屋。ぎっしりと棚に書物の詰め込まれた部屋もあった。床に落ちた本のページには、古代語とおぼしき言語が青く発光する文字で一面に印刷されている。

 そうした文明の亡骸たちを通り抜けて辿り着いたのは、内部が全て水晶でできた、これまで見た中でも一番大きな空間であった。

 他の公堂壁面に描かれていた壁画はこの広間には存在しない。その代わり内部の至る所に、六角柱状の人の背丈ほどもある石英の結晶が、床から牙のように突き立っている。

 広間の中央には、一際大きな結晶が床にそびえていた。高さも太さも人間十数人ほどのサイズがある。広間を支える柱とも言えるほどの巨大な結晶だ。

 近くへ行くと、空気がひんやりと冷たい。吐き出す息は水分が凍りつき、結晶の表面は白い霜に覆われている。そして――

 アバラは結晶へそっと腕を伸ばし、表面の霜を丁寧に拭う。覗き窓のように、水晶の柱の内部が透けて見えた。その奥には、一房の銀髪がかいま見える。

 「…………」

 美しい女性がそこにいた。

 一糸纏わぬ裸体に銀髪を絡みつかせ、あたかも氷の精霊の如く、彼女は結晶内部に浮いている。

 アバラは彼女をよく知っていた。自身の体温を分け与えようとするかのように、彼は霜の付着した水晶の表面に額を押し当てる。

 ゆるく巻いた白銀の髪。どこか幼さを残した愛らしい顔立ち。双眸は閉じられているが、その顔には微かな微笑みが湛えられているようにも見えた。

 「君は、いつまでも美しいままだな。ベルセフォネ……」

 消え入りそうな声音で呟くと、アバラは崩れるように床へ両膝をついた。喉の奥からは獣のような呻きが洩れ、喰いしばった口から歯を軋らせる音が聞こえてくる。

 「ベル――!!」

 ベルセフォネの下半身は、下腹部から細かな結晶で全体が包まれ、そのまま水晶の内側と同化し繋がっていた。結晶と肌の間からは大きな火傷が覗いている。赤黒く爛れた傷跡は、まるでつい最近つけられたかのように生々しい。

 《ベルセフォネQ642……》

 抑揚のない無機質な声が、アバラの背後に浮遊する瑠璃色の球体から響いてきた。その声は、水晶の中に眠るベルセフォネと全く同じ声である。しかし、かつて彼女が有していた優しさや温もりは一片たりとも残されてはいない。

 《アバラ、呼び掛けは無駄な行為です。ベルセフォネQ642は、生命活動を停止しています》

 それは、どこまでも無感情な、氷よりも冷たい響きであった。

 「……黙れよ!! 消えろ!!」

 アバラの口から悲鳴のような叫びが放たれる。

 《了解しました》

 短く機械的に答えると、『ベル』は沈黙し、現れた時とは逆に壁の内部へと吸い込まれてゆく。

 訪れた静寂――

 やがて、額を水晶に押し当てたままのアバラの口から、低く掠れた嗤い声が溢れ出してきた。

 「く、く、く……。ああ、わかっている。わかっているよ……。もう君はいない。この中にあるのは肉の塊。脳髄を摘出された抜け殻だよ。あの『ベル』は、データ化された君の人格の残骸さ……」

 それは今にも消え去りそうな声であった。だがそこには、高く大きい、悲痛な泣き声と同質のものが宿っている。

 「でもね、消えないんだよ。君の姿が、君の笑顔が。ずっと目の端にちらちらと映り込んでしまう……。今も、まだ鮮やかに……」

 アバラの指が水晶の表面を伝い、がりがりと音を立てて深い爪跡を刻んでゆく。

 「……そうだよ。結局、僕の心は最初から君の入る隙間しか持っていなかったんだ。ベルが側にいる、笑ってくれる。僕はそれだけで良かった。……でも、君はもういない。だから、僕は僕でいられない。そう、僕というヒトでなくなっても、もうかまわない……」

 アバラの指先からは血が滲み、水晶の表面に幾本もの血の筋を残してゆく。だが、それでもアバラはその動きを止めようとしない。

 「兄さんは、君の命を取り戻そうと研究を続けていたよ。そして、ずっと昔に『プリトヴィー』へ行ってしまったんだ。僕とリアラは置いてきぼりさ。酷いよね……。兄さんはそれきり帰ってこないんだ。でも、僕はどこにも行かないよ。約束する。これからもベルの側にいるからね……」

 やがて、アバラは指先から血を滴らせながら、ゆっくりと立ち上がった。顔には常のように、固定された感情のない笑みが張りつけられている。

 「僕の中にあった人間らしさは、あの日、あの時、君がいなくなった瞬間に全て失われてしまった……。でも、それでいい。僕はヒトじゃなくていいんだ。ヒトでなければ僕は何だってできる。そう、どんな非道いことだってねェ……!」

 アバラの口が歪んだ嗤いを一層深くする。それは冷酷な本性を秘めた、凄絶な笑みであった。

 「ベル……。この星はね、『真人(プルージャン)』どもの造った実験場なんだ。生物同士を争わせ、その中からより強力な力を持つ生命体を産み出すためのね……。面白いじゃないか。戦うために、争うために産まれたなら、その通りにしてやる。相手が誰であろうと、国家であろうと関係ない。俺は、誰よりも強くなる。強くなって……神サマ気取りの糞ったれどもから、全てを奪い尽くしてやる……!!」

 凍てついた結晶の表面に血の筋を作りながら、アバラはベルセフォネの眠る水晶を何度も愛しそうに撫でつける。

 「だから、ベルも僕を待っていておくれ……。いつか必ず、君をこの手の中に取り戻してみせるからね……」

 その口調には、もはや憂いも迷いも存在してはいない。ただ、暗く濁った狂気のみがアバラの心を支配していた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ