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8 カラカラ姫と騎士の子ども (2)

 彼女は口がきけない。

 声が枯れているから、カラカラ姫。

 俺が勝手につけたあだ名に、困惑した顔を見せた。

 カラカラ姫は海の王の娘らしい。いったい、どこでどうしたらあんな魚から彼女のようなお姫様が生まれるかはわからないが、彼女曰く、そういうものだと文字で教えてくれた。

 あのとき、人魚を初めて見た俺は驚きのあまり動けなくなった。彼女が何も身につけていないと理解した途端、体が一気に熱くなって海水を飲み込んでしまったのだ。そのまま意識が遠くなり、沈んでいった。

 気がついたら浜辺で寝ていた。心配そうに覗きこんだ彼女とばっちり眼が合った。全速力で彼女から離れ、両手で眼を隠して力いっぱい叫んだ。

「頼むから服を着ろ!」

 これが初めて、彼女に向けた言葉だった。

 彼女が口をきけないとわかったから、砂浜に文字を書いてみた。彼女は読み書きができるらしい。どうして人魚が人間の文字を知っているのかと尋ねたら、どうして人間は人魚の文字を知っているのと問い返されてしまった。俺が答えを知るわけがない。

 俺の薄っぺらい濡れたシャツを渡された彼女は、服を着たことがないのかひっくり返したり逆さまにしたりしている。服を奪って着せて見せたが、漆黒の眼にまじまじと見つめられるだけだ。赤く染まった顔を誤魔化すようにシャツを投げつけ、前を隠せと言い放った。彼女がシャツで前を隠した姿に、ほっと息をついたのは言うまでもない。

 彼女の肌は眩しいほどの白色だ。貝殻の色に似ている。漆黒の髪と瞳は太陽が焦がした肌の色と違うなと思っていたら、砂に文字を書き始めた。

『あなたは悪い人間か』

 悪い人か良い人かと訊かれると、悪い人だと言って怯えさせたくなった。

『お父様を狙っていた』

 だけど、その言葉に口を噤んだ。

 彼女の眼が不安に揺れていた。あの大きな魚が父親だったのは驚いたが、守ろうと俺の前に飛び出してきたのは確かだ。

「お前の親父だったのか……。そうだよな。王様だって、家族がいてもおかしくないよな」

 騎士に子どもがいるように、王様にだって子どもがいる。俺と違って、母親や兄弟がいるかも知れない。もし、たった一人の家族である親父が殺されそうになったら、俺は暴れると思う。とにかく叫んで殴って戦うはずだ。

 それなのに、あいつは俺を助けてくれた。

 自分の名誉のために、大切な家族を狙ったのに。

「ごめん」

 膝を抱えて俯いた。謝罪の言葉で許して貰おうなんて思わない。けれど、他に思いつかなかった。

 カラカラ姫の白い手が視界に入り、俺の足下でさらさらと文字を書いていく。

『お父様は、どんな人』

 返答に詰まった。彼女の顔を見ることはできず、手に話しかけるようにぽつりと返す。

「……お前、俺のこと許してくれるのか」

『許さない』

「だろうな」

 滑らかに砂に文字を描く白い手は、海鳥が旋回しているようだ。見た目だけではなく所作も洗練されている。俺のような小さな村の子どもではない、正真正銘のお姫様なのだろう。

『許さないから、お前のことを話せ』

「なんだそれ」

『敵を知ることは大切』

「あぁ、そう。別に、いいけど」

 言葉が乱雑に思えるのは、文字を省略しているからそうなっているだけなのだろうか。それとも、元からそういう話し方なのだろうか。口がきけないからわからない。

「カラカラ姫は、どうして口がきけないんだ?」

『カラカラ姫だからだ』

 意図がわからずに視線を投げれば、漆黒の大きな瞳が真っ直ぐ俺を映していた。

『あなたが、私に勝手につけたのだろう』

 言葉を書いた彼女は、微笑んでいた。


 こうして、俺とカラカラ姫の交流は始まった。

 大物は捕れなかったが、人魚の友人ができた。もちろん、これは二人だけの秘密だ。俺は村の誰にも話さなかったし、カラカラ姫も海の住人に内緒で来ているらしい。

 俺はカラカラ姫に色んな話をした。漁の話や本の話、岩壁によじ登って誰が一番早く頂上に上がれるか勝負する話もした。人間はそんなことをするのかと、驚いたあいつの顔をもっと見たくてたくさん話をした。

 カラカラ姫と海を泳いだこともあった。海は人魚の領域だ。泳ぎの勝負をしても敵うわけがない。わかっていても、何度も勝負を挑んだ。あいつに笑われて悔しかったのに、なぜか楽しかった。

 気づけば、もっと彼女と一緒にいたいと思うようになっていた。

 時々、海の王国の話をしてくれた。人が入ることができない、海の王が統べる深海の王国。最初は半信半疑だったが、カラカラ姫からすればこの世界が信じられないと言う。人の営みが奇妙にしか見えないのだ。

 昔は、王国の住民と人間たちは交流していたらしい。人が大きな罪を犯してから、関わらなくなったそうだ。人がいったいどういう罪を犯したのか、カラカラ姫さえ知らないようだ。

「っていうかさ、前々から思っていたけれどあんたは俺と関わっていいわけ」

『だめだろうな』

 躊躇いもなく書かれた砂の文字に戸惑った。

「じゃあ、なんで来ているんだよ……」

 しかも、彼女は姫君だ。

 たった一人の人魚姫だ。

『あなたは私と会いたくないのか』

「そりゃ、会いたいけど、さ」

 最初は敵の秘密を探るために来ていたはずだったのに、いつの間にか二人で遊ぶのが日常になっていた。たくさん泳いで話をして、笑い合うのが当たり前だった。

 夕暮れの海は地平線を赤く覆い、徐々に落ちていく。夕焼けのおかげで、俺の顔が赤く染まっているのを誤魔化せた。

「俺、お前にとって悪い奴だろ……」

『あなたは私が怖くないのか』

 突拍子のない質問に面を食らった。カラカラ姫は、時折、俺の話を聞いているようで聞いていない。

「は、なんでだよ」

『人は私を恐ろしいと言う。私を見ると災厄が起きると言う』

「そんなの、ただの言い伝えだろ」

『だが、あなたにとって言い伝えだと言われた海の王国は本当にある。ただの空想だと思っていた人の王国も本当にある。私たちが境界線を引いたのは、お互いの世界を守るためなのかも知れない』

 夕焼けに照らされるカラカラ姫の横顔は、俺と変わらない年頃なのに大人っぽく見えた。

 黒の瞳は赤く熟れた夕日に注がれている。彼女を直視することが耐えられなくなり、砂浜に書かれた文字を読み直した。彼女が何を言いたいか気づいていた。

 だから、俺は彼女を惹きつける話に変えた。

「あのさ、親父の話はしたよな」

『聞いた。有名な騎士だったのだろう』

「そうだ。じゃあ、親父の秘密の話は?」

『秘密の話とは』

 砂文字を書いた後、俺へと注がれる視線を心地よく感じてようやく笑えることができた。

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