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10 花喰い娘と夢を喰う魔物 (8)


『むかしむかしあるところに、それはとても仲の良い男女がいました』

 灯りを手に、足早に螺旋階段を上っていきます。かんかんと進むたびに足音が鳴り響きます。

 夕飯には焼き魚を頂きました。男の子が川に罠を仕掛け、捕ってきてくださったのです。わたしの食欲が戻ったことに使用人は喜び、あれこれ世話を焼いてくれました。

 焚き火には魔物さんの提案通り、カラカラ姫の柩を使うことになりました。男の子は反対せず、荷物は少ない方がいいとおっしゃいました。

 わたしたちの心模様が変わっても、星は瞬き、夜が訪れます。

『二人は幼い頃からお互いを知った仲でした。町の人たちからも、お似合いの二人だと言われていました』

 数回、扉を叩きます。返事が聞こえ、扉を開けました。

「こんばんは、魔物さん」

「こんばんは、お嬢様」

 夜に包まれた部屋に、紅玉の瞳を揺らめかせた夢を喰う魔物が立っていました。

「君が後から部屋に入るのは、新鮮だね」

「えぇ、いつもは魔物さんでしたね」

 灯りを円形の机に置きます。

 窓は開いていました。心地よい夜風が吹き、銀と金の髪を揺らしました。

「魔物さん。今夜はあなたに、お聞かせしたい物語があります」

 魔物さんはベッドに腰掛け、隣を叩いて招きます。好意に甘えて腰を下ろしました。

 ベッドには毛布があります。たっぷり陽光を浴びた毛布には、太陽の匂いが染みこんでいました。これが、魔物さんがおっしゃっていた面白いことでした。

「どういう物語?」

 毛布を引き寄せ、匂いを楽しんでから魔物さんを見ました。

「どこにでもありそうな、悲恋にまつわるお話です」

 魔物さんと出会ってから、毎夜、寝る前に物語を話しました。例えば灰かぶりの女性、マッチ売りの少女、王子に恋をした人魚姫、十一人の兄弟を白鳥にされた姫君。

 それらは全て、幼い頃、母に読み聞かせをして貰った物語です。

「このお話は、本を読みながらではありません。いわゆる伝承のようなもので、口頭でした」

 一度だけ、母から語られた物語。

 ここに来るまで、何度も掘り起こした記憶を辿り寄せます。


『むかしむかしあるところに、それはとても仲の良い男女がいました。

 二人は幼い頃からお互いを知った仲でした。

 町の人たちからも、お似合いの二人だと言われていました。

 二人は共に成長し、大人になりました。

 大人になったとき、男は女に告白をしようと決心しました。ですが、贈り物をどうするか悩みました。男は裕福ではありません。高価なものを贈れるほどのお金がなかったのです。

 それでも彼女を喜ばせるようなものを贈ろうと、男は懸命に働きました。来る日も来る日も働きました。

 ある日、男は貯まったお金を握りしめてお店に行きました。意気揚々としていましたが、予想していたものより高価なものばかりで打ちひしがれてしまいました。しまいには、自分は彼女と釣り合わないかもしれないと思い始めたのです。

 そんなとき、商人が男に声をかけました。

「困っているあなたに、素敵なものをお勧め致します。今ならお安くしますよ」

 商人が差し出したそれに、男はとても惹かれました。煌々と輝く紅玉に、すぐに決心したのです。

 男は女に紅玉を贈り、二人は結ばれました。

 ところが、永遠の愛を誓った二人の間に喧嘩が絶えませんでした。

 二人は、いとも簡単に別れてしまったのです。

 こんなはずじゃなかったと男は叫び、予想していたものと違っていたと女は嘆きました。

 男と別れてから女は紅玉を手放し、売り払ってしまいました。

 紅玉は別の男女のところへ行きましたが、その二人もすぐに別れてしまいました。どんなに仲がいいと言われていた男女のところへ行っても、やはり別れてしまいます。

 そのうち、紅玉にはある噂が立ちました。

 手に入れた者を不幸にする呪いがかかっていると。

 紅玉の中に、魔物が潜んでいると。

 やがて、人々はその紅玉を避けるようになり、紅玉は誰の手にも渡らず眠り続けることとなったのです。

 こうして人々は、ようやく幸福を手に入れました』


 話を終え、紅玉の瞳を見上げました。

 魔物と呼ばれた彼は、黙したままわたしを見下ろしています。

 彼の手を握りました。

「ごめんなさい」

 最初に出たのは、謝罪の言葉でした。

「わたしたちのせいで、わたしたちの身勝手で、あなたに責任を押しつけてしまいました。ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」

 魔物と呼ばれた彼は、どれくらい苦しんだのでしょう。本来ならば、人を幸福にするはずの存在であるのに、言いようのない噂によってどれほど否定され続けたのでしょう。

「どうして君が、そんな顔をするんだ」

 空いている彼の手が、わたしの目尻に触れます。泣かないと言ったはずなのに、涙を零していました。

「それが僕の在り方ならば、それでいいと思ったんだ。いいと、思っていたんだ」

 彼はそっと息を吐きました。

「でも、知りたいと思った。こころを、君たちが欲しがった夢を。どういう形をしてどういう色でどういう味でどういう感触で、どういうものなのか、知りたいと思ってしまったんだ」

 わたしの手の甲に、彼の手が重なります。

「気がついたら、僕は魔物になっていた。夢を喰う魔物になっていたんだよ」

 笑った顔があまりにも優しくて、痛々しく思えました。

「ねえ、それでも君は僕を肯定するの?」

「わたしは、」

 わたしが彼を肯定してしまう理由は、とても簡単です。

 いつからでしょう。わたしが彼の魔法にかかっていたのは。


「あなたを、愛しています」


 一度言ってしまえば、堰が切れたかのように流暢に溢れだします。

「好きです。愛しています。そんなの、決まっているじゃないですか。わたしは、あなたが好きで、恋をして、愛して」

「ありがとう」

 強く、抱き締められました。

「ありがとう。本当に、ありがとう。君からそんな言葉が聞けるなんて、思ってもいなかった。僕は凄く嬉しい」

「魔物さん……」

「君に会えてよかった。君にいろんなことを教わったよ。君の揺れ動く心模様も、愛らしい表情も、胸に秘める強さも。君を通して感じることができたんだ。そして、僕が一番知りたかったことも教えてくれた」

 腕の力が弱まり、魔物さんの顔が視界に入ります。紅玉の瞳がわたしを映していました。

「僕は誰かを愛したかった」

 わたしの開きかけた口が、閉じてしまいます。

「君がその願いを叶えてくれた」

 こんなときに、どうして何も言えないのでしょうのでしょう。たくさん伝えたい言葉があっても、口にしようとすればするほど、掴みきれずどこかにいってしまいます。

「僕も君を愛している」

 魔物さんの手が顎に添えられます。

 口づけが、唇に落とされました。

「ま、ま、魔物さん、あのっ」

 唇が離れ、ようやく出てきた声は上擦っていました。鏡がなくとも、顔が赤くなっているのはわかります。なぜなら、魔物さんがおかしそうに笑っているからです。

「もう一度する?」

「な、何をおっしゃって」

「僕はいいよ」

「魔物さん。わたしはそういうことが言いたいのではなくて」

 顎に添えられていた手が離れます。

「うん、知ってる。魔法を解いてくれるんだね」

 ゆっくりと頷きました。

「その前に、わたしからもお礼を言わせてください」

「どうぞ」

「わたしも、あなたに出会えて勇気を得ました。臆病なわたしでも前に進める決意ができました。紙袋を捨て、花喰いとも別れることができました。あなたと会えてよかった。あなたと時間を共にできてよかった。こんなにも過ごした日々を愛しく思えたのは、初めてです」

「僕が僕でいなくなっても、傍においてくれる?」

「もちろんです。誰もあなたを不幸にさせる魔物だと、夢を喰う魔物だと言わせません」

「僕と結ばれない不幸があるって言った癖に?」

 冗談めかして言う魔物さんに、唇を尖らしました。

「もう、すぐそんな意地悪を言うんですから」

「ごめんね。でも、いつか君が誰かと結ばれたとき、嫉妬して悪戯しちゃうかもね」

「そのときは、そのときです」

「そうか、そのときか」

 二人で肩を震わせ、くすくすと笑いました。

「魔物さん」

「うん」

「さようなら」

「あぁ、さようならだ」

 どうか最後は、笑ってお別れを。

「あなたの正体は、指輪。ルビーの婚約指輪」

 風が吹きました。

 そこにはもう誰もおらず、ベッドの上には紅玉の指輪が落ちていました。

 月明かりに反射して、きらきらと輝いていました。

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