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10 花喰い娘と夢を喰う魔物 (6)

 さて、洗濯の時間です。

 絨毯も干したところで、階段掃除を終えた男の子も加わりました。柩を桶として使いたいと提案した魔物さんに、男の子も唖然としました。

 柩は捨てるか燃やす考えだったようで、魔物さんの発想は思いつかなかったそうです。

 さすがに柩を桶代わりに使うのは躊躇われたのか、苦い顔をされました。魔物さんは不思議そうに首を傾けましたが、わたしも姫君が眠っていたところに洗濯物を放り込めないと申しますと、得心してくださいました。

 それなら柩を分解して、焚き火に使えばいいとおっしゃったときには苦笑してしまいましたが、魔物さんに悪気がないことは存じております。

「洗濯板はないけれど、桶なら小部屋にあったよ」

 魔物さんが桶を外へ運び出します。

「柩のほうが大きいし、洗濯しやすいと思うんだけどなぁ」

「それとこれとは別の問題です」

 螺旋階段から下りてきた使用人が、部屋から持ってきたシーツを桶に入れました。

「魔物って馬鹿なのか」

 バケツの水を男の子が注ぎます。

「純粋なんですよ。魔物さんは」

 わたしはシーツを桶に押し込み、水に染み込ませました。ひんやりとした冷たさには覚えがあります。魔物さんと森に行き、すくい上げたあの川の水です。

「なんだよ、皆して」

 魔物さんは不満顔です。

「それにしても、小部屋には生活感がありますね」

 使用人の言う通り、階段下の小部屋にはあらゆる道具が詰め込まれていました。

 掃除道具だけではなく、お皿や工具もあったのです。欠けや錆びがありましたが、大半は使用できます。

「魔物さん、この塔には誰か住んでいたのですか?」

「さぁ、誰かいたかも知れないけれど、忘れられた塔だ。どうしてここに建っているのか、それすらも忘れているんだろうね」

 その言葉は、わたしたちに向けられているような気がしました。

「まずは石鹸を水に濡らして、シーツにこするんだ」

 魔物さんに教わった通りに行います。水と石鹸が混ざり、ハーブの匂いが広がりました。男の子は石鹸を初めて目にするらしく、小さな泡が出てくると歓声を上げました。

「魔物さん。石鹸が少しだけ小さくなりました」

「使えばなくなるものだよ」

 おっしゃる通りですが、使い切るには惜しい気がします。

「床磨きにも使いたいんだろう?」

「そうですが……」

「お嬢様。石鹸をご所望でしたら、私に言いつけてくださればよいですのに」

「それは」

 石鹸をこする手が止まります。魔物さんから頂いたものだから大事にしたい。恥ずかしさが邪魔をして、喉の奥に引っかかりました。

「どうしたの?」

 隣でわたしを見ていた魔物さんに、顔を覗き込まれました。

「ねえ、顔が赤いよ」

 しかも、耳元で囁かれてしまいました。

「ほっといてください!」

 顔が一気に熱くなるのを感じ、慌てて逸らします。ちらりと魔物さんを見れば、小さく笑っていたのです。からかわれたのでしょう。文句の一つでも言おうかと思った矢先、手を差し出されました。

「さて、素足になるんだ。踊るのは得意かな。お嬢様?」

 素足で踊った経験はありません。どういう意図なのかと図り兼ねます。

「足踏み洗濯だ!」

 いち早く理解したのは男の子でした。

「洗濯物を足で踏んで揉むんだよ。俺の故郷は周辺が海だから、真水は買い取っていたけどさ。村の洗濯日に女たちが大きな桶に洗濯物を放り込んで、ひたすら足踏みするんだよ。もちろん、子どもだって参加できる。これがなかなか楽しいぜ。歌ったりしてさ」

「田舎者がやる行いですよ」

「おい、もう一回言って見ろ。この犬風情が」

 使用人の片眉が吊り上がりました。

「ほぉ、さすが田舎者。罵り言葉は達者なご様子」

「使用人」

 わたしの声に、使用人の肩が跳ねます。

「どうして喧嘩をするのでしょう。仲良くしてくださいと申したはずです」

「あ、あのですね、お嬢様」

 弁明をする様を冷ややかに眺めていれば、魔物さんに袖を引っ張られました。

「ねえ、お嬢様。僕は喧嘩していないよ」

「知っています」

 細く息を吐き、男の子の正面に立ちました。

「どうか、使用人の失言をお許しください」

 ドレスの裾を持ち上げ、頭を垂れます。

「使用人の不始末は、わたしの不始末です」

 使用人の顔色が青から白へと変わりました。

「いや、姉ちゃんが謝ることじゃねえから!」

 わたしは姿勢を崩しません。

 視界の端で意気消沈している使用人がいようとも、先程から袖を引っ張ってくる魔物さんがいようとも、例え子どもであっても責任は責任です。不誠実であってはいけません。

「あー、もう。頼むから顔を上げてくれ。適わねーな、姉ちゃんには。謝られてばっかりだ」

「許してくださいますか」

「当たり前だろ」

 顔を上げ、笑い合いました。

「それ、僕にはやってもらってないよ」

 腕を捕まれ、魔物さんの胸へと引き寄せられます。見上げれば、つまらなそうな顔をしていました。

「魔物さんは、わたしに何をさせたいのでしょう」

「君と一緒にいたい」

 そう言われましても、どうすればよいのかわかりません。

 こうして皆さんの前で抱きつかれるのは、恥ずかしいものがあります。

「その、一緒に踊るのでしょう?」

 咄嗟に思いついたのは、先程のお誘いでした。

 魔物さんの手に掌を重ねますと、長い指に絡まれました。口元まで持っていかれ、指に口づけを落とされます。

 その指は、約束をしたときと同じ薬指でした。

「喜んで」

 紅玉の瞳が笑いました。

 軽々と抱えられました。横抱きという不安定な体勢です。反射的に魔物さんの肩に腕を回しますと、微笑されました。

「これは邪魔だね」

 片手で器用にわたしの靴を脱がし、地面に落としていきます。

「ドレスを汚したくなかったら、裾を持ち上げた方がいい」

 魔物さんはそう言い、わたしを桶の中に下ろしました。

 石鹸水が素足を浸します。水分を吸い込み膨らんだシーツが足裏に触れ、こそばゆく感じました。

「大きく足を動かして踏むんだよ」

 ドレスの裾を持ち上げ、ぎこちなく足を動かしてみます。

「だめだって、そんなんじゃ! もっと大きく!」

 男の子が桶の中に飛び込みました。

 ぱしゃんと水飛沫が上がります。

「海の歌でも歌おうぜ!」

 高らかに歌いだした歌は、朗らかで民族的な曲調でした。わたしが知る古典的な音楽ではありません。海を讃え、共に懸命に生きる人たちの想いがこもった歌でした。

 伸びやかな歌声に合わせて足を動かします。そのうち男の子が手拍子を始め、さらに足を動かします。

「それじゃあ、僕も」

「え、魔物も?」

 魔物さんが桶の中に入りました。大人一人と子ども二人で、桶はいっぱいです。

 魔物さんはわたしの手を取りました。

「いい?」

 火照った顔で頷きました。

「子ども、歌ってよ」

「はいはい」

 男の子が歌を再開します。

 型のはまった踊りではありません。歌に合わせて足踏みをするという単純な踊りです。思うままに好きなように踊り、気がつけばわたしも歌っておりました。

「あなたたちは本当に子どもだ!」

 呆れ返った使用人が叫びます。

「だって、子どもだもの!」

 わたしたち三人は、笑って返しました。

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