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10 花喰い娘と夢を喰う魔物 (3)

 朝の目覚ましは、騎士様の扉を叩く音でした。

「姉ちゃん、起きろ!」

 何事かと飛び起きたわたしは、髪も梳かさず寝間着姿で勢いよく扉を開けました。

「どうかされましたか!?」

「引っかかった!」

「はい?」

「使用人が罠に引っかかった!」

 騎士様の嬉々とした報告に、どういう表情を浮かべるべきか迷ってしまいました。

 急いで螺旋階段を下りて行きますと、バケツを被った使用人とお腹を抱えて笑っている魔物さんがいました。

「おはよう、お嬢様! 実に素敵な朝だね!」

「おはようございます、魔物さん。たいへん騒がしい朝ですね」 

「お嬢様? 今、お嬢様の声が!」

「ここにいます」

 右往左往していた使用人が動きを止め、姿勢を正しました。人のことを言えたものではありませんが、ひょろ長い彼がバケツ頭で立つ姿は滑稽です。

「お嬢様ですか! 本当にお嬢様なのですか? 声が、声が、聞こえました!」

「わたしは声を失っていませんよ」

「あぁ、なんと喜ばしい! さすがお嬢様! あの魔物の問いかけに、見事答えを当てられたのですね。さぁ、早く帰りましょう。旦那様も奥様も心配されております」

 バケツ頭で喜ぶ使用人に淡々と返します。

「なぜ、塔に入ったのですか」

「お嬢様が心配でしたから……。扉に鍵がかかっていませんでしたので侵入を試みたのです。まさかこんな子ども騙しにやられるとは思っていませんでした」

 扉の鍵が壊れた様子はなく、魔物さんが立てかけた箒はありません。魔物さんと騎士様に視線を移しますと、二人同時に共犯者めいた笑みを浮かべました。

 二人に呆れていいのか怒っていいのかわからずに、使用人に視線を戻します。いつも清潔を心がけている彼の身なりは汚れていました。

 わたしなど追いかけなければ。

「問いかけに答えることができたら、わたしを返すと魔物さんはおっしゃいましたよね?」

「お嬢様、惑わされてはいけません。所詮、魔物です。魔物の言うことなど信じるに値しません」

「嘘」

 服の裾を握りしめました。

「わたしを信じられなかっただけでしょう?」

 抑揚を抑えた声を彼にぶつけます。

「いいでしょう。あなたはこのまま、わたしに失望していてください」

「お嬢様?」

「その方が楽になれるからです」

 踵を返し、螺旋階段へと足を向けました。

 がしゃんと音が聞こえました。

「申し訳ございません」

 振り返れば、使用人が跪いていました。そこにはバケツ頭ではなく、なじみ深い黒髪がありました。

「どこまでわたしを愚弄するつもりですか」

「いいえ、そのようなつもりは」

 使用人の言い分はわかっております。彼なりにわたしを守ろうとしていたのも理解していました。塔に逃げ込んだわたしを最初に見つけ、帰りたくないと駄々をこねると必需品を持って来てくれました。独り立ちの練習になるからと言い、両親には内密にしてくださいました。

 わたしは彼に甘やかされているのです。

「昨夜は申し訳ありませんでした。高揚のあまりお嬢様を傷つける発言をしてしまいました。罰はお受けします」

「罰は与えません」

 わたしの即答に、驚愕の表情を浮かべました。

 見慣れた顔は痩せこけ、健康的だった肌も青白くなっています。彼は三歳程年上だったはずです。見慣れないうちに、すっかり老け込んでいました。その原因はわたしだといっても過言ではないでしょう。

「あなたの言う通りだと思います」

 使用人の黒目がさらに見開かれます。

「失望されて当然です。わたしは期待に応えられる人間ではありません。わがままを言い、困らせてばかりのどうしようもない女です」

「お嬢様……」

「たくさんのものを与えられてきているからこそ、背負わなければいけないものがあるのに、わたしはそれから逃げてきました。ずっとこのままがいいと甘えていたのです」

 ずっと同じは続かない。

 例えば、わたしの体が少しずつ大人へとなっていくように。

 ふと、魔物さんを思い浮かべました。癖のある柔らかな銀髪と紅玉の瞳。品の良い商人のような格好を初めて見た途端、わたしは売られたのだと勘違いをしました。両親でさえ疑っていたわたしを、どうして信じられるのでしょう。

 そのくらい、わたしは卑屈な人間なのです。

 わたしは強くはなれない。

 わたしは真っ直ぐには生きられない。

 だけど、それも全てわたし。

「でも、このままは続きません。物語に終わりがあるように、わたしにもいつかは終わりが来るのでしょう。あなたがわたしを心配しなくても期待しなくても、よい淑女になるように努めます」

 呆気に取られた使用人に、微笑みかけました。

「帰りますよ。わたしは帰ります。そう決めたのですから」

「お嬢様、それでは」

「今すぐではありません。まだ魔物さんとの約束を果たしていませんから。それに、あなたはなぜ一人でいるのです。他の者たちはどうしたのでしょう?」

「こんなことになるとは思わず、旦那様のご指示を仰ぐために、皆、帰しました」

「でも、あなたはお父様からの命が下る前に、実行したと」

 使用人は項垂れます。連絡役を待てなかったのでしょう。

「お嬢様とのお約束も破ることとなります。申し訳ありません……」

「その言葉は聞き飽きました」

 彼の頭がさらに下がりました。

「そんなことより、わたし、今からお掃除を致します。お世話になった塔に感謝とお別れの意味をこめて。あなたは何もしなくてもいいですから、とりあえずそこにいなさい」

「いけません、お嬢様! 掃除をするのは使用人の役目ですっ!」

「却下します」

 言い切ったところで、魔物さんが手を挙げました。

「手伝わせればいいじゃないか。そのバケツを被った記念に、水汲みでもどう?」

「あ、それ賛成」

 騎士様が同意しました。

「あなたの役目、決まったみたいですよ」

 使用人は明らかに納得していない顔で、渋々と頷きました。

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