9 花を喰らう君と星の海を泳ぐ姫君 (2)
花喰い娘は、紙袋の娘に戻ってしまった。
突然、顔を直視され、動揺していた彼女を責められるはずがない。
約束を破った罪悪感からか、膝に視線を落としてこちらを向いてくれなかった。紙袋の中から聞こえた消え入りそうな謝罪の声に、彼女の肩を軽く叩いた。
彼女と少年は椅子に座って向かい合い、僕は二人を見守るように間の壁に背中を預けた。彼女の隣にいたかったが、これ以上甘えられませんと断られてしまった。それでも気になってしまう。引っ張られた服の裾には、まだ温もりが残っているような気がした。
彼女は緊張をほぐすために、胸に手を当て深呼吸をする。少年は紙袋の顔に訝しげな視線を送っていた。紙袋について質問して良いのか悪いのか迷っている様子だ。数回、深呼吸を繰り返し、準備が整ったのかぴんと背筋を伸ばした。
「カラカラ姫を海に帰しましょう」
聞き間違えかと思った。
「生き返らせることは難しくとも、故郷に帰すことはできるでしょう」
続けざまに発せられる声に迷いはない。てっきり生き返らせる方法を捜しましょうと言い出すのかと思っていた。
少年は納得いかない顔だ。両膝の上に置いた拳を強く握り締めている。彼女の言う通りに縄をほどいたが、身の安全のために縛りつけた方が良かったのかも知れない。
「ここまで来たのに、海に帰れと?」
「海は広いです。何もあなたの故郷だけではありません」
言い切る彼女は、怒声に怯えていた小さな少女とは違っていた。顔の下の表情は窺えない。どういうこころで話しているのかわからなかった。
「あなたは彼女を救いたいとおっしゃいました。具体的にはどのように救いたいのでしょうか」
「それは……」
「もし生き返らせたいと思うのならば、救いを求めているのはあなた自身です」
顔を隠した彼女に容赦はなかった。紙袋から覗く蒼色の眼が少年を見据えている。
焦げ茶の目は一瞬揺らいだが、逸らすことなく彼女を見つめ返した。
「わたしに、あなたのような勇気はありません。立ち向かう姿勢は尊敬に値します。だからこそ、申し上げます。眠った姫君を連れて歩くのではなく、彼女が安心できる場所へお送りしたほうが良いのではないのでしょうか」
しばらくの間、少年は黙っていた。沈黙が部屋を包む。彼女は背もたれに寄りかかることなく姿勢を正して待っていた。
「お前に」
真剣な面持ちで、少年は口を開く。
「俺の、何がわかるっていうんだ」
「肯定はしません。……あなたは、わたしが紙袋を被る気持ちがご理解できますか」
不意をつかれたようにぽかんと口を開けたかと思えば、目を細め、笑顔になった。何がおかしいのか僕にはさっぱりだが、彼女との意志の疎通はできたらしい。紙袋の頭が頷き、焦げ茶の目が笑っていた。話に置いていかれたみたいで、僕としてはたいへん面白くない。
「それで、どうするんだ」
思ったよりも不機嫌な声がでてしまった。二人の視線が自然と集まる。
「カラカラ姫を海に帰すのか?」
少年のどこかすっきりとした面持ちは、彼女も僕に見せたことがある。大切な約束をしたときの顔と似ていた。
「姉ちゃんの言う通りだ。眠っている姫君を俺のせいで引きずり回してしまったからな。俺のわがままだというのはわかっている……。でも、あいつと話がしたい。伝えなくちゃいけないことがあるんだ」
「子どもの癖に殊勝だね」
「おい、魔物。大人になったら、俺の夢を食べて彼女に会わせてくれるんだろ」
この子どもの耳はおかしい。僕の話を聞かないどころか、約束したと思っている。
「何の話だ」
「俺の夢を食う話だ」
とぼけて見ても無駄だった。簡単に引き下がるつもりはないらしい。紅玉の眼で睨みつけてみるが全く動じない。怯えもせずに見返す姿は愚かだ。
溜まりに溜まりきったものを全て吐くような、大きな溜息をついた。