9 花を喰らう君と星の海を泳ぐ姫君
「カラカラ姫を助けましょう」
予想通りの君の提案に、僕は溜息を飲み込んだ。
可愛げのない少年をロープで椅子ごと縛りつけ、何事かと問い詰めたら不機嫌な声で訥々と語り出した。よくある悲恋、父と息子のすれ違いの話だ。僕にとってさほど重要ではない。完結した物語に興味はなかった。それに加え、肝心の登場人物は柩の中だ。覚めることのない夢を見続けている彼女を、いったいどうしろというのだろう。
「助けるって、どうやって?」
僕の意地悪な質問に、君は言葉を詰まらせた。
下唇を軽く噛み、潤んだ蒼の眼に見つめられる。あの瞳には、星でも入っているのではないのかと疑ってしまいそうになる。視線を注がれると力になりたくなるのが不思議だ。彼女が魔物ではないかと思うのは、そういうところからきていた。
「……わかったよ。僕の負けだ。そんな顔をしないでくれ」
「魔物さん、ありがとうございます」
「魔物?」
きょとんとした声が横から入ってきた。
彼女はしまったと言わんばかりに、口を両手で覆った。少年の話から、彼の父親の願いを叶えたのは僕ではないのかと推測していたのだろう。言わないでくれたのは、彼女なりの気遣いだったのかも知れない。
「そうだよ、僕は魔物だ。夢を代償に願いを叶える魔物さ」
何か言いたげな視線を彼女から送られたが、大きな音によって逸らされた。椅子に縛られた状態で少年が横倒しになっていたのだ。彼女の顔を見ないように被せていたバケツがはずれ、転がっている。
「お前が、あの魔物なのか……?」
焦げた茶色の目が大きく見開かれ、声は掠れていた。濃い隈は疲労の証。ぼさぼさの乾いた髪や日に焼けた痩せた肌から、染みついた潮の匂いがした。故郷を離れても匂いは消えないらしい。
「君の父親の夢を食べたのも、きっと僕だろうね」
「俺の親父を? 本当か!」
少年の大声に彼女の肩が跳ねた。僕の許可なく顔を視界に入れた挙げ句、怯えさせるなんて。文句の代わりに少年を細目で見下ろし、冷徹に言い放つ。
「はじめに言っておく。君の夢は食べられない」
「は?」
「君が子どもだからだ」
期待に満ちた顔が落胆へ変化する。次に沸き起こったのは怒りだ。なぜだどうしてだと唾を飛ばして畳みかける。そのたびに少年にくっついている椅子ががたがた揺れた。ひとしきり暴れたかと思えば、今度は涙声になっている。表情が次々と変わる慌ただしい人間だ。
「どうして、子どもはだめなんだよ!」
「子どもの夢は若い。それに僕は、彼女の夢を食べる約束をしている」
少年は彼女を捉えた。頭から爪先まで観察している。紙袋がない状態でじろじろ見られ、彼女は石のように硬直してしまった。
「姉ちゃんだって子どもじゃないか」
「君より年上だ」
緊張で体が強ばっているのか、固く口を閉じている。微かに肩が震え、冷や汗をかいていた。彼女専用の品の良い椅子を引き、肩を押して座らせた。背中を向け、それとなく少年の視界に入らないようにする。
「なぁ、あんたが姉ちゃんの夢を食べれば、俺の夢も食べられるようになるのか」
原因を作ったのは明らかにこいつだ。全く気づいていない明るい声に、眉間に皺を寄せた。殴りたい衝動に駆られたが、暴力的なことをしたら彼女に怯えられてしまうだろう。
「さっきも言っただろう。君は子どもだから無理だ」
「じゃあ、予約する。大人になったら食ってくれ」
この少年には言葉が通じないのだろうか。
「だから子どもは嫌いなんだ」
試しに嫌悪を零してみると、少年はきょとんとしていた。
「魔物さんにも嫌いなものはあるんですね」
服の裾を控えめに引っ張られ、小声が聞こえた。
なるほど、僕の言葉が通じているのは花喰い娘だけのようだ。