8 カラカラ姫と騎士の子ども (3)
『夢だ』
「夢?」
親父の眼を盗んで持ってきた空っぽの剣に、カラカラ姫は即答した。砂文字にはそれだけしか書かれていない。何を言おうとしているのかさっぱりだ。
『この剣の刀身には、あなたのお父様の夢が詰まっていた』
「夢って、なんだ?」
『夢は夢だ。こころの欠片だ。こころがあるものなら、誰でも抱くもの』
俺の頭では理解できず、どう説明してもらおうか考えあぐねていると、カラカラ姫は寂しそうに眼を伏せた。まるで、そこに刀身があるかのように撫でる素振りを見せる。さらさらと書かれた文字に目を見張った。
『これは、このままでいい』
「なんでだよ?」
『お父様が望んだことだろう。願いを叶えるために夢を代償にした。それが形となって現れただけだ』
「何を望んだんだよ。親父は」
『それは私ではなく、あなたが聞くことだ』
返す言葉がなかった。剣を抱え、砂浜に腰を下ろして溜息をつく。
「聞くことができたら、すでに聞いている」
『勝手に秘密を暴いておきながら、罪悪感がでたか』
「うるさい」
否定できないから、そんな言葉しかでてこなかった。あいつの顔も文字も見たくなくなって、背中を向けた。
「そのくらい、わかってる……」
俺の声音は波の音に掻き消されてしまいそうなほど、か細いものだった。
「俺は騎士の子だ。騎士の子なのに、親父は何も話してくれない。今までの話だって、全部、村のみんなから聞いた話だ。肖像画を見つけるまで信じられなかった。そのくらい、親父は寡黙なんだ。母さんのことも話さない。この剣だって、俺に隠していた。親父は英雄だと言われた立派な人間なのに、どうして隠すんだ。誇りに思わないのか。俺はそんな親父を誇りに思っているのに、なんで息子には隠すんだよ。言わないんだよ」
吐き出したら止まらなかった。ぼとぼとと自分でも驚くくらいに溢れだしていた。肩が震えて、釣られるかのように声も震えだした。挙げ句の果てには鼻水まで出てくる。
「親父は俺を誇りに思わないのか。どうやったら、俺を認めてくれるんだ」
景色が滲んだ。
「俺は、いらない奴なのか」
背中に小さな衝撃があった。
俺は何も言わず、下唇を噛みしめて声を殺した。あいつが額を背中に押しつけているのを振り向かなくても知っていた。
両肩に手を置かれ、振り向かされる。どうしようもないほど情けない顔をしている騎士の子どもを、カラカラ姫は馬鹿にしなかった。
漆黒の瞳は優しい眼差しで、俺の額に口づけをした。
『私は、あなたを立派な騎士だと認める』
視線を落とした先に見つけた砂文字に、俺は黙って頷くことしかできなかった。
親父が守れなかった人というのは、母さんではないのかと考えるようになった。本の形をした入れ物に収められていた紙切れ。癖のない親父の筆跡が頭に浮かぶ。
「なんで親父は母さんを守れなかったんだろう」
母さんがお城に行ったことも、親父が夢を代償に何を願ったのかも、考えてもキリがなかった。隣に座るカラカラ姫に尋ねてみるが、話を聞いていなかったのか反応が遅れた。漆黒の眼が何度か瞬いたのは、先程まで気を取られていた証拠だ。
「あのなぁ、姫君。騎士の話ぐらい聞いてくれよ」
カラカラ姫は眉尻を下げて笑う。文字にしなくても、何を伝えたいのか読みとれた。
「村の大人は、王様の大切な人になったって言うんだ。しかも、何番目かの。何番目かの大切な人ってなんだ? 出稼ぎかと思ったけれど、それなら親父と別れるのはおかしいよな」
一瞥してみるが、やっぱりカラカラ姫は話を聞いていない。上の空だ。こういう話はつまらないだろうか。それとも、具合が悪いのだろうか。穏やかな海面を眺めながら、何気なく訊いてみた。
「なぁ、どうしたんだ。今日はぼーっとしているけど」
振り向いた姫君の目は不安に揺れていた。俺と初めて出会ったときも、こんな目をしていた。
躊躇いがちに書かれた砂文字から、彼女の困惑が滲み出ていた。
『ここのところ、不漁なのだろう』
人魚は災厄の種だという伝承がある。不幸の兆しだというのだ。カラカラ姫は人魚である自分のせいで、村に不幸が降りかかっているのではないかと思い込んでしまう節があった。
「前も言ったけど、違うだろ」
『だが、死者がでた』
確かに、死者はでた。村の爺さんが荒海に飲まれて亡くなった。漁から戻ろうとしたとき、突然、天気が変わったらしい。
「そういう事故は全くないわけじゃない」
『長年海にいる人間が、天気を読めないわけではない』
カラカラ姫にも一理ある。でも、そろそろ引退の話が出ていた爺さんだ。
「ほら、もしかしたら、長年の勘が鈍ったのかも知れないだろ」
『私は、ここにいたらいけない』
素早く書かれた文字に、息を呑んだ。
「なんでだよ。そんなの関係ない」
『人が海の王国に行けなくなったように、海の住民も人と関わってはいけない。境界線があるんだ。私たちには』
「嫌だ。俺は、絶対に嫌だ!」
頑なに拒む俺に、姫君は哀れんだ眼で見上げた。そんな眼で俺を映さないで欲しかった。いつものように笑ってくれればそれで良かった。
「だって、俺はあんたの」
「人魚だ!」
割って入った大声に、俺とカラカラ姫は硬直した。
大人たちは言う。やっぱり人魚がいたんだと。
人魚がいたから、たぶらかされた村人がいたから不漁になったのだと。爺さんが亡くなってしまったのも、人魚が惑わしたからだと。
村の不幸を、勝手にカラカラ姫に押しつけた。
俺は叫んだ。必死に叫んだ。カラカラ姫は声がきけない。あいつは何も言えない。だから俺はひたすら叫んだ。それなのに、惑わされた人間だとして取り合ってくれず、暴れる俺を押さえつけた。村人たちに囲まれた彼女は、陸の上で抵抗せずにいた。カラカラ姫を抱えて、今すぐに海に逃がしてやらないといけないのに、大人の力には適わなかった。
「燃やせ」
誰かが言った。幻聴だと思った。
「村の掟だ。燃やせ」
二回目の声で、これが現実だと知った。
目の前に、磔にされたカラカラ姫がいた。
どうしてだよ。もし、親父が悪い奴に殺されそうになったら、必死に戦うんじゃなかったのかよ。どうして、俺の姫君が殺されそうになっているのに動けないんだよ。家族と同じくらいに、大事に想っている姫君じゃないのかよ。
騎士だと認めてくれた姫君を、守らなければいけないのに。
火が上がった。小さな火は大火となって姫君を襲った。煌めく鱗も、白い肌も、長い黒髪も全て食い尽くしていった。彼女は苦しそうに口を開けていたのに、声がでないから誰にも伝わらなかった。苦痛も、嘆きも、空気を震わせることさえ許さなかった。
漆黒の瞳と目が合った。うつ伏せに倒されて、動けない俺を見て微笑んだ。全てを受け入れるかのような目は、太陽よりも暖かかった。
「 」
彼女の最期の言葉は、炎に覆われた。
吠えた。もはや、叫び声ではなく吠えていた。
獣になったようにひたすら吠えた。無理やり村人たちの手から離れ、炎の中に飛び込もうとした。
太い腕に後ろから抱きしめられた。
親父の腕だとすぐに理解した。言葉になっていない声を喚き散らしていた俺は、もはや人の形をした魔物のように思えた。親父の制止の声すら無視して、腕の中で馬鹿のひとつ覚えみたいに暴れた。
「離せ! 母さんを守れなかった癖に!」
親父に言ってはいけない言葉だと気づいていたが、もう遅かった。力が緩くなった隙をついて走っていた。
そこには燃え尽きた残骸があった。焦げた臭いが立ちこめる中、カラカラ姫の亡骸が砂の上に横たわっていた。骨を拾い集め、柩の中に寝かせた。親父は何も言わなかった。話すつもりもなかった。
彼女だけの騎士になろう。
彼女を眠りから救う騎士になろう。
騎士の証となる空っぽの剣を腰に挿した。荷車に柩を固定して、夜中に彼女と一緒に村を抜け出した。
俺の夢を代償に、カラカラ姫を救ってくれる誰かを捜すために。