第8話 進路最適化
「先生、私の将来もう出るんですか?」
朝のホームルームが始まる前から、天宮ひまりだけが妙に前のめりだった。
橘理が配布した端末通知には、今日の特別プログラム名がすでに表示されている。
AI適性診断。
キャリア教育の一環として、児童の学習傾向、対人傾向、得意分野を分析し、将来向いている職種や学び方の参考を可視化する。
学校としては、いかにも“いい取り組み”に見えるやつだった。
「出る、という言い方は正確ではありません」
「でも出るんですよね?」
「診断結果が表示されるだけです」
「ほぼ同じじゃないですか」
「違います」
「先生って、未来に夢ないですよね」
「勝手に人の性格を決めないでください」
教室に笑いが起きる。
その横で、ゆらが端末を起動しながらぼそりと言った。
「朝から将来決められるの、ちょっと重いけど」
「決められるわけではありません」
「でも、そういう空気にはなるでしょ」
その返しに、橘は少しだけ言葉を止めた。
否定はできる。
だが、完全には否定しきれない。
「参考資料として見てください」
「その“参考”って、だいたい後から効いてくるやつだよね」
ゆらは眠そうな顔のままそう言って、質問項目を開いた。
クラス全体でも、診断開始前から妙な高揚が広がっている。
「やば、何出るんだろ」
「私、絶対研究職」
「いや、スポーツ系じゃない?」
子どもは、こういう“自分のことが何か分かる”イベントが好きだ。
しかも今日はAI診断である。
大人がやると少し気恥ずかしいことでも、子どもは驚くほど真っ直ぐ乗る。
橘は教卓の表示を操作した。
「質問は二十項目です。深く考えすぎず、現時点で近いものを選んでください」
「深く考えたら変わります?」
ひまりが聞く。
「多少は」
「じゃあ深く考えないほうがいいんですか?」
「今の傾向を見るものなので、作為的に寄せないでください」
「寄せるって何ですか」
「かっこよさそうな結果を狙うことです」
「あ、それ普通にやりそう」
ひまりが笑う。
「先生、私のこと信用してないですね」
「正確な自己認識を期待しています」
「言い方」
また笑いが起きる。
ひまりは笑いながらも、質問にはやけに真剣だった。
協調性。
挑戦志向。
表現欲求。
継続力。
集団での役割。
一方で、ゆらは途中から少しだけ面倒そうな顔になる。
「質問、多くない?」
「二十問です」
「未来決めるにしては少ないし、決めないにしては多い」
「白坂さんの文句はいつも中間が器用ですね」
「褒められてる気がしない」
それでも全員分、十分ほどで入力は終わった。
端末上で処理が走る。
結果表示までの数秒で、教室の空気が一気に前のめりになる。
「出た?」
「まだ」
「あ、きた」
最初に大きく反応したのは、当然ながらひまりだった。
「うわ、やっぱ私、向いてるじゃないですか!」
椅子から半分立ち上がりかける勢いである。
「何が出たんですか」
「対人発信、企画推進、場づくり、交渉適性、高評価です」
「全部うるさそう」
ゆらが即座に言う。
「え、でも合ってないですか?」
「合ってるのが余計うるさい」
「ひど」
ひまりは構わず画面をこちらへ向けた。
推奨職種欄には、教育支援、広報企画、ファシリテーター、調整職といった単語が並んでいる。
「ほら見てください。私、ちゃんと人前向きです」
「元からそうでしょう」
「でもAIも認めました」
「その言い方だと今まで私が認めていなかったみたいですが」
「いや、先生は認めてても褒めないじゃないですか」
ひまりは得意げだった。
妙に得意げで、しかも本当に嬉しそうだ。
こういうところが、彼女の強さでもあり面倒さでもある。
「先生、何出ました?」
「私、研究と設計」
「俺、保守運用って何?」
あちこちで結果の見せ合いが始まる。
ざっと見た限り、システムは大きく外していない。
今の傾向としては、それなりに納得感のある配置だ。
だからこそ、厄介でもある。
当たっている診断ほど、人は信じやすい。
「白坂さんは?」
橘が何気なく聞くと、ゆらは少しだけ間を置いてから画面を見た。
「分析補助、安定運用、監査支援、記録管理」
読み上げる声が、わずかに平たい。
「裏方ばっかだ」
ひまりが素直に言う。
「まあ、でも分かる」
その一言で、ゆらの視線がひまりへ向いた。
空気が、ほんの少しだけ変わる。
「何が」
「え?」
「分かるって、何が」
ゆらの声は静かだった。
だからこそ、少し冷える。
ひまりは一瞬だけ戸惑ったが、すぐにいつもの調子へ戻した。
「いや、だってゆらって前に立つより、後ろから刺すほうが得意じゃん」
数人が吹き出す。
悪意は薄い。
だが、その薄さが余計に扱いにくい。
「補助とか分析とか、普通に当たってる感じするし」
「へえ」
ゆらは短く返した。
その“へえ”は、かなりよくない温度だった。
「今の私しか見てないのに、先のことまで分かったみたいに言うんだ」
教室の音が少しだけ落ちる。
橘はそこで口を開いた。
「白坂さん、診断はあくまで現時点の傾向です。固定ではありません」
「でも、今の私しか見てないですよね」
「現時点の入力をもとにしているので、当然です」
「じゃあ、変わる前の私は入ってないんだ」
その言い方には、妙に引っかかるものがあった。
変わる前。
まだなっていない自分。
これからなるかもしれない自分。
診断はたしかに、そういうものを見ない。
だが橘は、そこでなお説明を選んでしまう。
「予測に必要なのは、今の傾向です」
「そうなんだ」
ゆらは頷いた。
納得したようには見えなかった。
「じゃあ、今向いてないものは、あとで向くようになっても遅いんだ」
「そんなことは言っていません」
「でも、みんなもうそういう顔してる」
ゆらが教室を見回す。
確かに、何人かは自分の結果と他人の結果を、もう“向いてる”“向いてない”で扱い始めていた。
「私、リーダー向いてないってこと?」
「え、俺サポート側なんだけど」
「なんか地味じゃない?」
ざわつきが少し広がる。
橘はそれを抑えようとした。
「職種名で受け取らないでください。重要なのは傾向です」
「でも先生」
ひまりが手を挙げる。
「当たってるなら、当たってるでよくないですか?」
ひまりは本気でそう思っている。
彼女にとって今日の結果は、自分の得意が可視化された気持ちのいいものだ。
だから悪いことを言っている感覚がない。
「当たってるなら使えばいいし、外れてたら無視すればいいだけじゃないですか」
「天宮さん」
「いや、だって私、めっちゃ当たってますよ?」
その“当たってる”が、今日はずいぶん強い言葉に聞こえた。
橘は言う。
「前向きに受け止めるのは悪いことではありません」
言ってから、少し遅れて気づく。
今のは、ひまりの側だけを補強する言い方だった。
ゆらが椅子にもたれたまま、小さく笑った。
「前向きな子には便利だよね」
「そういう意味では」
「そういう意味じゃなくても」
ゆらはそこで、視線を端末へ落とす。
「ラベルって、つくとけっこう邪魔だけど」
そのまま、それ以上は言わなかった。
授業の後半は、診断結果をもとに「今の得意と、伸ばしたいところ」を書くワークだった。
ひまりはやたら早い。
「先生、私これ三つ書いていいですか?」
「何をです」
「伸ばしたいところです。発信力、影響力、説得力」
「似た方向に寄りすぎでは」
「だって今もう強いとこ、もっと強くしたいじゃないですか」
「発想が一直線ですね」
「褒められました?」
「半分くらいです」
「ゆらの言い方!」
ひまりは笑っている。
結果が自分に合っているときの彼女は、本当に軽い。
一方で、ゆらの手は止まりがちだった。
書けないわけではない。
ただ、書くたびに少し考え直している。
「白坂さん、進んでいますか」
橘が声をかけると、ゆらは顔を上げずに言った。
「一応」
「困っているなら」
「困ってるっていうか」
そこでやっと、ゆらが小さく息を吐く。
「補助向きって言われたあとに、“前に出るほうもやりたい”って書くの、ちょっとだるいだけ」
橘は返事に詰まった。
その感覚自体は、理解できないわけではない。
だが、診断を否定する形にもしたくない。
「併記すればいいのでは」
「そうすると、診断に逆らってる感じしない?」
「逆らうという発想が」
「ほら、先生もうそういう顔してる」
橘は思わず口を閉じた。
図星だった。
診断は参考資料でしかない。
そう言いながら、自分の中でも“傾向に沿うほうが自然だ”という感覚が確かにある。
そして、その感覚が今、ゆらにはちゃんと見えている。
「別に、前に出たいわけじゃないんだけど」
ゆらは独り言みたいに言う。
「でも、まだ決めたくないことまで、先に“そっち向き”って言われるの、ちょっと息苦しい」
ひまりが、そこで珍しくすぐには何も言わなかった。
たぶん自分の結果が嬉しかった分だけ、返し方に困っている。
結局、先に喋ったのは橘だった。
「……診断結果は提出物ではありません。納得できない部分があるなら、保留でも構いません」
ゆらが顔を上げる。
「保留、できるんだ」
「できます」
「最初からそう言ってほしかった」
「言いました」
「参考資料って言い方だと、そう聞こえないんだよね」
それは、おそらく正しい。
橘の言葉はいつも、余白を減らす方向に働く。
良かれと思って、分かりやすくしている。
だが分かりやすさは、ときどき逃げ場を奪う。
そのことを、最近よく思い知らされる。
放課後。
教室に残ったのは、いつもの三人だった。
ひまりはまだ診断結果を見返している。
「いやー、でもこれ気分いいですね」
「そうですか」
「だって、向いてるって出るの楽しくないですか?」
「人によります」
「私は楽しいです」
きっぱりしている。
その横で、ゆらは机に頬杖をついたままだった。
「私は、ちょっと面倒だった」
ひまりが顔を向ける。
「でも当たってたじゃん」
「うん」
「じゃあよくない?」
ひまりに悪気はない。
ないが、ないまま踏む。
ゆらは少しだけ笑った。
「当たってるのも、ちょっと面倒だよね」
教室が静かになる。
その一言だけで、今日の診断の嫌さがほとんど全部入っていた。
外れているから不満なのではない。
当たっているからこそ、逃げにくい。
橘はそこで初めて、ラベルの重さをきちんと意識した。
診断は便利だ。
傾向を見えるようにする。
得意を活かす助けにもなる。
だが見えた瞬間に、人はそれを“今の説明”ではなく、“先の定義”として受け取ってしまうことがある。
それは、最適化と呼ぶには少し息苦しい。
「先生」
ひまりが不意にこちらを見る。
「なんでしょう」
「私、当たってるからいいですけど」
「その前置きは危険です」
「でも、向いてるって言われると、そっちに寄りたくなるのは分かります」
そこまで言ってから、ひまりは少しだけ視線をゆらへ向けた。
「……だから、嫌なときあるのも、まあ、ちょっとは」
言い慣れていないフォローだった。
雑だし、たぶん本人も照れている。
ゆらはそれを見て、少しだけ肩をすくめる。
「半分くらい受け取っとく」
「出た、その便利ワード」
ひまりが笑う。
その笑いに、今日はほんの少しだけ気遣いが混じっていた。
橘は二人を見ながら、教卓の端に置いた診断資料へ視線を落とす。
便利なものほど、使い方が難しい。
見えるようにすることは、確かに助けになる。
けれど見えたものを、そのまま人間へ貼っていいとは限らない。
その単純なことを、自分はまた少し遅れて理解している。
「先生」
ゆらが鞄を持ち上げながら言った。
「今日のやつ、別に嫌いじゃないよ」
「そうですか」
「ただ、先に決められるのがだるいだけ」
「……覚えておきます」
「最近それ増えたね」
「悪いことではないはずです」
「まあ、前よりは」
その言い方は、相変わらず少しだけ毒がある。
ひまりがすぐに乗る。
「今日の先生、進路相談っぽくはなかったですけどね」
「どちらかと言えば、管理画面でした」
ゆらの追撃まで入る。
「二人とも言い方」
「でも、ちょっと人間寄りにはなってきました」
ひまりは満足そうにそう言って、先に教室を出ていった。
ゆらはそのあとに続きながら、扉のところで一度だけ振り返る。
「先生」
「なんでしょう」
「今の私しか見てない診断なら、今の私が嫌がってることも、ちゃんと見たほうがいいよ」
それだけ言って、今度こそ出ていく。
答える前に扉が閉まった。
誰もいなくなった教室で、橘はしばらくそのまま立っていた。
端末画面には、今日の適性診断結果がまだ残っている。
整理された項目。
分かりやすい分類。
扱いやすい言葉。
そのどれもが便利で、だからこそ少しだけ危うい。
「……未来まで最適化するのは、早すぎるのか」
独り言は、静かな教室に吸われて消えた。
窓の外では、夕方の光が机の端を薄く照らしている。
その中で橘は、今日初めて“見えるようにすること”の息苦しさを、ほんの少しだけ自分の側へ引き寄せていた。




