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第3話 班分け最適化失敗

「先生、それ本気で言ってます?」


 朝のホームルームが始まって三分後。

 五年一組の空気は、もう少しで正面から橘理へ反抗しそうだった。


 理由は単純だ。

 今日のグループ課題。その班分けを、橘がAIで決めたからである。


 教室前方の表示には、淡い色分けで四人組の一覧が並んでいた。

 学力バランス、性格傾向、発話量、補助適性、対立リスク。

 全部を加味した、理想的な班編成。


 少なくとも、システムの上ではそうなっている。


「本気です」


 橘はひまりを見返して言った。


「合理的ですし、偏りもありません。今回の課題は協働作業が前提なので、仲良し同士で固めるより機能するはずです」


「はず、って」


 ひまりはあからさまに嫌そうな顔をした。


「それ、楽しくないやつの言い方じゃないですか」


「授業は楽しさだけで成立するものではありません」


「うわ、出た」


 教室のあちこちで、ひまり寄りの空気がうっすら広がる。


 無理もない。

 今回、天宮ひまりと白坂ゆらは別々の班に振り分けられていた。


 橘としては当然の判断だった。

 あの二人は一緒にすると回転は速いが、良くも悪くも内輪で完成しすぎる。

 クラス全体へ広げるなら、分けたほうが機能する。


 理屈としては間違っていない。


 問題は、その理屈が子ども相手にそのまま通ると思っていることかもしれないと、橘はまだ十分には分かっていなかった。


「白坂さんは何かありますか」


 橘が振ると、ゆらは自分の表示を見たまま小さく肩をすくめた。


「別に。合理的には正しいんでしょ」


「そうです」


「じゃあ、まあ、そうなんじゃないですか」


 賛成でも反対でもない。

 ただ、“自分はもう降りた”みたいな声音だった。


 ひまりがそちらを振り向く。


「え、ゆらそれでいいの?」


「よくはないけど」


「じゃあ言ってよ!」


「ひまりがもう言ってるし」


「そういうとこあるよね!」


 笑いが起きる。

 だが、その笑いもいつもより軽くない。


 橘は一覧表示を切り替えた。


「では、各班でテーマを決めてください。今日の課題は『学校生活を少し楽にする工夫』です。端末に共有ボードを開きます」


 児童用端末が一斉に反応し、班ごとの共有画面が立ち上がる。


 開始直後、橘は少し安心した。

 見た目上はちゃんと動いている。誰も席を立って揉めてもいないし、露骨な拒否もない。


 だが教室という場所は、騒がしくなくても失敗するときがある。


 そのことを理解するには、まだ少し経験が足りなかった。


 最初に違和感が出たのは、ひまりの班だった。


 本来なら中心に立って話を回すはずの彼女が、画面を見たまま不満そうに唇を尖らせている。

 隣の男子児童が「じゃあ図書室の予約システムとか」と案を出しても、反応が半拍遅い。


「それ、普通じゃない?」


「普通でもいいだろ」


「いや、もっとこう、テンション上がるやつないの?」


「学校を楽にする工夫だよな?」


「そうだけど、なんかあるじゃん。やる気出るやつ」


「知らないよ」


 言葉は成立している。

 喧嘩ではない。

 でも、まったく弾まない。


 ひまりはちらりと別班を見た。


 ゆらのいる班では、静かながらももうボードに案が並び始めていた。

 ゆら自身は真ん中に立つわけでもないのに、言葉を足したり引いたりして流れだけ整えている。


 その様子に、ひまりは露骨に眉を寄せる。


 橘はその視線に気づきつつも、口を出さなかった。

 慣れの問題だ。班活動は、最初から噛み合う必要はない。


 そう判断した矢先、後方で小さな声が上がった。


「あの……それ、もう入ってる」


 今度は別の班だ。

 発言した女子児童の声は控えめだったが、共有ボードを見ると確かに同じ案が二つ並んでいる。


 その隣で、別の児童が気まずそうに手を引っ込めた。


「ごめん、見えてなかった」


「いいよ」


 いいよ、と言いながら空気はよくない。


 橘は教室を見回した。

 どの班も、壊れてはいない。

 だが、どこか固い。会話の跳ね返りが少ない。誰も自由に雑談へ逃げていかない。結果として、案だけはそれっぽく並んでいく。


 正しく、しかしつまらない。


 その“つまらなさ”を、橘はまだ失敗として定義していなかった。


「橘先生」


 呼ばれて振り向く。


 ひまりだった。手は挙げているが、目は半分ふてくされている。


「なんでしょう」


「この班、会話が死んでるんですけど」


 教室のあちこちで笑いが起きた。

 だが笑った本人たちも、半分くらいは同意している顔だった。


「表現はもう少し考えてください」


「でも事実ですよ。全員ちゃんとしてるのに、全然盛り上がんないです」


「天宮さん、課題の目的は盛り上がることではありません」


「いや、でも、盛り上がんないと出てこなくないですか?」


「それは進め方の問題です」


「じゃあ進め方も最適にしてほしかったんですけど」


 ひまりが言うと、また笑いが起きる。


 橘は返す。


「班分けは最適化しています」


「えー」


「えー、ではありません」


「だって、先生がそう言うとき、大体あんま楽しくないじゃないですか」


「昨日でそこまで傾向を掴まれたくないですね」


「もう掴んでます」


「早いですね」


「私、そういうの得意なんで」


 そのやり取りに、教室の空気が少しだけ戻る。

 戻るが、それは課題が機能し始めたのではなく、ひまりが雑に場をかき回したからにすぎない。


 橘は一度、ゆらの班へ視線をやった。


 そちらは一見順調だった。

 共有ボードには「持ち物忘れ通知」「給食の混雑予測」「体育館使用予約可視化」と、それなりに筋の通った案が並んでいる。


 だが、ゆら自身はほとんど楽しそうではない。

 淡々と必要なことだけ返して、感情は乗せない。


 橘が近づくと、班の一人が言った。


「先生、この班めっちゃやりやすいです。すぐ決まるし」


「それは良かったです」


 そう返しつつ、橘はゆらを見る。


 ゆらは画面から目を離さないまま言った。


「決まるのは早いけど、別に面白くはないよ」


「白坂さん?」


「だって、さっきから“正しそうな案”しか残ってないし」


 班の児童が少し困った顔をする。


「え、ダメ?」


「ダメではないけど」


 ゆらはそこで初めて顔を上げた。


「これ、先生が好きそうなやつばっかだなって思っただけ」


 その一言に、橘はわずかに眉を動かした。


「私が好きそう、とは」


「無駄が減って、管理しやすくて、トラブルも減りそうで、ちゃんとしてる」


「良い案では」


「うん。良い案だよ」


 ゆらはそこで言葉を切った。


「ただ、みんなそれ分かってるから、最初から先生の正解っぽいほうに寄せてるだけかも」


 橘は返答しなかった。


 班の児童たちも、なんとなく気まずそうに黙る。


 そこへ別の方向から、ひまりの声が飛んできた。


「先生! うちの班も“先生の正解っぽいやつ”出せばいいですか?」


「天宮さん、聞こえています」


「聞かせてます」


「威張らないでください」


「だって、そういうゲームなんでしょ?」


 その言い方に、教室の空気が今度こそ少し冷えた。


 ひまりは調子に乗っている。

 でも、それだけではない。

 本気でつまらないとも思っている。


 橘は一度、全体へ向けて言った。


「違います。正解を当てるゲームではありません。班ごとに考えてください」


「じゃあ、友達同士のほうが考えやすかったと思うんですけど」


 ひまりが即座に返す。


「それは、仲の良さに依存した進行になるからです」


「仲良いとダメなんですか?」


「そういう話ではありません」


「でも分けたじゃないですか」


 言われて、橘はほんの一瞬言葉を失った。


 正しい理由は説明できる。

 だが、この場の不満をそれで消せるかというと、たぶん違う。


 その沈黙の隙を埋めるように、ゆらが小さく呟いた。


「楽しくないなら、意味なくない?」


 ひまりが顔を上げる。


「え」


 ゆらは自分の班のボードを見たまま続けた。


「いや、成果は出てるよ。ちゃんとしてるし。先生の目的的には成功なんじゃない」


「うん」


「でも、楽しくないなら、たぶん次やりたくないでしょ」


 その言葉は、ひまりの援護でもあり、橘への刺しでもあった。


 教室のあちこちで、何人かが小さく頷いたのが見えた。


 橘は、そこでようやく今目の前にある失敗の輪郭を少しだけ理解した。


 班は機能している。

 課題も進んでいる。

 誰も大きく揉めていない。


 なのに、教室が死んでいる。


 問題が起きていないことと、うまくいっていることは同じではない。


 それが、数字ではまだ出ていないだけだ。


「……一度、班をそのままで雑談だけしてみてください」


 気づくと、そんな指示が口から出ていた。


 ひまりが露骨に目を丸くする。


「え、急に」


「課題のことは一旦止めて構いません。三分だけ、好きに話してから再開してください」


「先生、今それ最適化って言っていいんですか?」


「言いません」


「じゃあ何ですか」


「修正です」


「アップデート失敗では?」


「聞こえています」


「聞かせてます」


 また笑いが起きる。

 今度の笑いは、さっきまでより少しだけ自然だった。


 三分の雑談が入っただけで、教室の空気は微妙に変わった。


 ひまりの班では、なぜか「給食の牛乳を先に飲むか最後に飲むか」から話が広がり、その流れで「昼休みの席移動予約アプリ」みたいなふざけた案が出た。

 当然そのままは使えないが、そこから「人気場所の混雑可視化」へ繋がる。


 ゆらの班でも、一人が「ちゃんとした案ばっかで眠い」と言い出し、そこからようやく少し笑いが混じった。


 結果的に、発表はそれなりにまとまった。

 内容も悪くない。


 ただ橘の中には、「最初からこうすればよかったのか」という納得と、「でもそれは遠回りでは?」という抵抗が同時に残った。


 理屈の上では、最初の班分けも間違っていない。

 それでも、教室の動き方としては明らかにズレていた。


 そのズレをどう扱うべきか、橘にはまだ分からない。


 終業後、ひまりは机に頬杖をついて言った。


「ちゃんとできたけど、全然おもしろくなかったです」


 橘は配布物を揃える手を止めた。


「後半は多少持ち直したでしょう」


「多少です」


「十分では」


「十分じゃないです」


 きっぱりしている。


 隣で、ゆらが鞄を持ち上げながら言った。


「楽しいとダメってわけじゃないし」


「白坂さんまで」


「別に先生責めてるわけじゃないよ」


 そう言いつつ、ゆらは少しだけ口元を緩めた。


「でも、今日の班分けで“先生はそういうの好きそう”ってみんな分かったと思う」


「どういう意味ですか」


「ちゃんとしてるやつ」


 ひまりがすぐ乗る。


「出た。先生のちゃんとしてるやつ」


「天宮さん、その言い方は雑です」


「先生の好きなやつって大体雑にするとそうなりますよ」


「意味が分かりません」


「こっちも、先生の班分けの気持ちはあんまり分かんなかったです」


 ひまりは立ち上がって、椅子を机に入れた。


「合理的には正しいんでしょ?」


「そうです」


「でも、楽しくないなら意味なくないですか」


 今度は真正面からだった。


 橘は答えかけて、少しだけ止まる。


 意味はある。

 たぶん、ある。

 ただその“意味”が、この子たちにとって本当に価値かどうかは、まだ言い切れない。


「……検討します」


 結局そう言うと、ひまりは目を丸くした。


「え、そこ検討なんだ」


「即答できる問題ではありません」


「先生、意外とアップデート遅いですよね」


「慎重なんです」


「同じこと言ってる」


 笑いながら、ひまりは先に教室を出ていく。


 ゆらはそのあとに続きかけて、ふと立ち止まった。


「でもまあ」


 橘を見るでもなく、教室の外を見たまま言う。


「今日の後半は、まだマシだったよ」


「前半がひどかったみたいに聞こえますが」


「ひどかったよ」


 即答だった。


 ゆらはそこでようやく少しだけこちらを見た。


「先生って、子どもが思ってるより、空気で動くんだね」


「それはどういう」


「別に」


 そのまま、今日も逃がすように言葉を終えて出ていく。


 教室に静けさが戻る。


 橘は班分けログを開いた。

 最適化条件、全項目クリア。

 対立リスク低。

 発話偏重補正済。

 学力分散、適正範囲。


 数字の上では、やはり間違っていない。


 なのに、教室の実感は違った。


「……子どもは、思ったより空気で動くのか」


 独り言は、誰にも拾われない。


 端末の画面だけが静かに光っていた。

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