これからよろしくお願いいたします。
正直、水社一心に助けてもらいたかったのか、腕が潰されそうだから水社一心から助けてほしいといったのか微妙なところだが、私は水社家の屋敷に招かれた。お姉様が来るまで居間で待っているように言われ、抹茶と茶菓子を出されたものの、どうしていいか分からない。これからどうなるのか。一応お姉様用に茶菓子を温存しておこうと考えていれば横にいた水社一心が「うちは貧乏じゃない」と睨んできた。なに貧乏じゃないって。別に貧相な茶菓子なんて思ってない。立派だからお姉様にとっておこうとしてるだけで文句言ってない。
「お前の姉の分もあるから食え。二人の客人の前で茶菓子一つしか出せないような家じゃないって言ってるんだ」
なるほど、お姉様の分もあるのか。とはいえお姉様は栄養状態がいいとは言えないので、二つ食べてもらおう。
「足りなかったら追加で出す‼ 生菓子なんだから乾くだろうが‼」
茶菓子ガチ勢がいる。そしてこの男は心を読んでいるので、私のお腹の具合も承知している。お腹いっぱいの人間に無理強いしているわけでもない。私は会釈したあと、水社一心の父親の様子をうかがう。
「大丈夫だからね」
彼の父親は優しく声をかけてくれるけど、違和感を覚えた。千年桜は恋と咲くでは穏やかでポヤポヤした、幼稚園の先生みたいな感じだったが、怒りの圧を感じる。私がいつまでたっても生菓子を食べないから……じゃなくてこの感じ、家の中に入ったあたりからだ。
いただきます。心の中で礼を尽くし茶菓子を食べる。甘くておいしい。お姉様にも食べてもらいたい。お姉様どこだろう。
「今着いたみたいだぞ。まぁ、一旦、こっちの抱えの医者のほうで確認があるがな」
水社一心は障子向こうの外を見る。迎えに行こうかと思ったが女術師という言葉にやめた。
「枯賀家と話をするうえで、処遇についてはどうしても争点になる。だから、確認しなきゃいけない。特にお前の姉は……色々、配慮はするが」
なるほど。虐待の痕跡を確認する、ということだろう。水社一心は心が読めるが、他人は読めない。茶菓子を食べ終わる頃に、お姉様が部屋に入ってきた。
「あ、末理さん……」
お姉様の視点だと、早々に妹から簪のお使いに行ったら突然水社家に「ちょっと署までご同行願えますか」と警察よろしくされた形だから、戸惑っているに違いない。それに身体も確認されただろうし。配慮するとは言っていたから、多分、穢れを持ち込みたくないので部外者を中に入れたくないときは全員調べてる、みたいな感じだろう。
「その通りだが、お前……簪って……」
水社一心が心を読んでくる。そうか黙ってても会話できるのか。楽だな。水社一心のほうは大変だろうけど。
「順応が早いな。何なんだお前は」
何なんだお前はと言われても。それはこちらの台詞だ。好きな人間に対してだけ優しくできずモラハラするなんてどういう精神状態なんだよ。何が起きてるんだお前に。
「もらはらってなんだよそもそも……っていうか、好きな人間ってなんだよ」
お姉様。
「知らない」
心が綺麗で惚れるんだからもう好きでしょうが。
「心が綺麗も何も怯えてるだろお前の姉は」
水社一心がお姉様を見る。確かにお姉様は怯えていた。無言のモラハラ圧が……?
「だから、そのわけわからない決めつけをやめろ‼ それより今後だ。おい」
水社一心はお姉様の傍に控えていた水社家の女中を呼びつけた。「おい」だって。モラハラの序曲ですよこれは。いつかお姉様を「おい」とかきつく呼ぶんだ。
「……なあ」
水社一心は何だかとても居心地が悪そうに言い直す。女中は彼に近づき、ひそひそ声で話をした。
「やはり、枯賀の御嬢様の御身体には他者からの傷がございます」
「そうか……父上、確認が取れたそうです」
「分かった。なら、することは一つだね。こういうことは早いほうがいい」
水社一心の父親が、笑みを浮かべながら立ち上がった。そして私とお姉様に近づく。
「もう大丈夫。何も心配しなくていい。この水社家当主として、君たち二人を守るよ」
──え。
確かに助けてと言えと言われ、言ったけど。なんでこんな、ヒーローみたいな台詞を水社一心父が言ってるんだ。
というか、こんな簡単に物事が決まるのか。無理ではないだろうか。家のことだ。介入なんてそんな簡単にできないはず。そもそも水社家はお姉様がどんなに傷つけられても介入してこなかった。
戸惑っていると、水社一心がこちらを振り向いた。
「父上は怒ると怖い」
怒ると怖いって、何に怒っている?
「お前は知らないかもしれないが、他人でも傷つけられたら怒る人間はいるんだぞ」
水社家にお姉様が到着してほどなく、父と遠縁の女もやってきた。どうやら水社家と枯賀家で話をするらしい。
水社一心の父親の意向で私とお姉様は別の部屋で待機という流れになりそうだったが、さりげなく様子をうかがうことにした。水社一心曰く「大人同士の話でお前らが傷つかないよう配慮してるんだ」と言っていたが、配慮はお姉様だけでいい。
「水社家で娘を引き取りたいとは、一体。何を考えていらっしゃるのですか。水社様は」
父が戸惑っている。確かにある日突然娘が二人消えて、近隣住民が引き取ると言ったら驚くだろうし、周囲は誘拐と考えるかもしれない。
「突然も何も、奉公に出していた娘を帰ってきて早々甚振る家を放置していたら、名族同士と帝に顔が立ちませんからね」
冷ややかな物言いに、しんと室内が静まり返った。私の父は「いや……」と、追及を避けるそぶりをするが、父の遠縁の女がすぐに保身に入った。
「甚振るなんてとんでもございません。ただ、見方によってはそう誤解させてしまっても、仕方のないようなこととは存じます。私どもとしては、娘たちに思い入れがあるあまり、つい、行き過ぎてしまった面があり……その点は反省していますが」
遠縁の女は心底申し訳なさそうにうつむいた。この女殺しておくべきだったな。手のひらを握りしめると一瞬水社一心が障子の隙間からこちらを見た。そして何か訴えるように私を見つめた後、また前を見る。
「そちらの女性は娘とおっしゃいますが、帝の承認を得て祝言をあげたのでしょうか。それとも水社に報せもなしに?」
「いえ、決してそのようなことは」
水社一心の父親の質問に対し、私の父はすぐに否定した。水社一心の父は「なるほど」と頷くが、まったくもってなるほどの温度感ではなかった。
「私は重要な話がしたいとお時間を頂戴したつもりです。なので、女中から女性を連れていると聞いたとき驚きましたよ。下男と手を取り都に向かった御夫人をどう説得したのかと。そうしたらご挨拶が済んでいない彼女を隣にお見えになったので、謀反を働く女中を見せしめにでも連れてきたのかと解釈していたら、喋り出して」
「水社様……」
「まぁ、同席は構いませんよ。子を虐げる不届き者の声も、今後の役に立つかもしれない」
「彼女の非礼をお詫びします、し、しかし、枯賀の血を引くものがこの二人しかいないのはご存じでしょう? それに、花宵はまだしも、末理は事情が異なります。彼女がいなければ枯賀の血は潰える。そうなればこの地の均衡は崩れてしまう。どうか冷静になっていただきたく」
「冷静に。おかしいですね。私は先ほどから感情の話はしていない。思い入れがあるあまりと仰ったのも、何を考えているのかと思考について触れたのも枯賀だ。特に水社の血筋は感情に伴う能力を持つ者が多いゆえに、絶対的な論理と倫理のもと、物事をすすめている。それでも感情でお話しているとお感じになるのであれば、いっそ感情でお話してみましょうか。一心」
水社一心の父が、彼の名を呼ぶ。
「出来損ないの無能の分際で」
水社一心が抑揚なくつぶやいた。全ての感情をそぎ落としたみたいに、一点を見つめながら。
「枯賀を名乗るなんておこがましい」
もう一度、念を押すように。
「お前なんかいなくなってしまえばいいのに」
お姉様が傷ついた言葉を、水社一心は繰り返す。
「──自分が言われずとも、こうした言葉が飛び交う場に居合わせることは、苦痛を伴う。子供のいていい場所ではない。子が存在してはならないのではなく、その場が存在してはならない」
「こ、子供の言うことですから……子供は繊細ですから、ほら、受け取り方が独特というか、ねぇ、何でも悪いほうに考えてしまうのでしょうし、ね」
遠縁の女は命乞いをするような言葉を紡ぐ。
「子供のこととはいえ、私には視えています。それとも私のことを──子供だと?」
その手綱を一太刀で水社一心の父親は斬り落とした。
そもそもこれは話し合いではなかったのだ。水社一心とその父のふたりが出た時点で。彼の父親が「子供が立ち会うものではない」としながら、息子を連れた時点で。
心が読める子供。感情を色で知覚することができる父親。
動揺してはぐらかせば、感情を読みにかかられる。
「この件は、これにて仕舞と致しましょう。公の手配は水社の名においてこちらが進めますから、枯賀のほうはただ、何もせず、今まで通り普通に暮らしていただければいい。然るべき時に、然るべき者がそちらに向かうでしょうから」
「水社様……‼」
「どうぞ、お引き取りください。それしか望んでない──それしか」
最後通告だった。遠縁の女も父も怯えたような顔で口を押える。霊力で圧をかけている。全く関係ない私も皮膚が刺されるようにピリピリしてきた。怒りの正体がわかった。この人は誰でも殺せるからこそニコニコしています、のタイプだ。そして着火点は……子供が酷い目に遭うこと。
「気を付けてお帰りください」
菩薩のように笑う水社一心の父親は、この人生で見た誰よりも恐ろしかった。
「荷物は水社の遣いが持ってくるから、申し訳ないんだけどしばらくは、服も全部、うちのものを使ってもらってもいいかな? 今度、好きなもの買いに行こうね。その時に色々、好みを教えて」
両親が帰った後、水社一心の父はどんどん私とお姉様in水社ホームステイ環境を整えていった。
お姉様は水社家に引き取られてくれないかなと思いつつ両親を陰から見送ったわけだが、どうやら私込みらしい。
「当たり前だろうが‼」
案内された客間を前にしていると、水社一心が語気を荒げる。何でさっきからずっと怒ってるんだろう。水社一心は将来モラハラクソ男になるとはいえ、回想で度々描写されていた幼少期はまだひねくれてなかった。片鱗?
「お前が変なことばっかり考えてるからだろうが」
別に変なことなんか考えてない。私はお姉様のことを考えているだけだ。
「それ全然伝わってないぞ」
水社一心は私を睨んでくる。
伝わってない? なにが?
水社一心に振り向けば、彼はそっとお姉様を見た。労わるような眼差しだ。恋の始まりを感じますね。
「違う!」
すかさず激が飛んできた。素直になればいいのに。心の綺麗さに一目ぼれしました。結婚してください。幸せにしますと言えばいい。何でそんな簡単なことが言えないんだろう。好きって言うだけだったのに。別にパンツ脱いで町内一周しろなんて誰も言ってない。好きな人間に好きというだけだ。それも両想い。お姉様の初恋は本当に気に入らないが水社一心だ。モラハラさえなければ家もしっかりしているし根も真面目なので、夫として優れている。ただ特大欠陥のモラハラがすべてを無にしているだけで。それ以外の短所は無い。しいていえば皇龍清明様が強すぎた。
「お前……お前……ううん」
水社一心は唸った。奇妙な沈黙が流れる。というかこれが普通なのだ。私は一切喋らないので、心を読まない限り私が何を考えているか分からない。何を考えているか分からない人間に自分から話しかけるチャレンジャーはいない。にも関わらず、水社一心はマシンガントークで私に突っ込んでくる。水社家にいるうちはいいが、外でやったら水社一心は確実に捕まる。
「末理……さん」
いや早々チャレンジャー出てきちゃった。さすがお姉様。勇気がある。お姉様は冒険者にもなれる。
お姉様に名前呼ばれるの嬉しい。さっき父たちに「末理」がどうの言われたから本当にきつかった。改名しようかと悩んだくらいだ。「お姉様大好き」とか「お姉様大好き担当大臣」とかそういう名前でいい。お姉様に「お姉様大好き担当大臣」とか呼ばれたら嬉しくて国名もお姉様に出来るよう政界に出る。
「ごめんなさい……私、簪、買ってこれなくて……」
え?
言われて気付いた。私は簪をお姉様に頼んでいたのだ。家を燃やすにあたってお姉様を巻き込みたくないから。全然どうでもいい。お姉様さえ無事ならばいいから。簪はいらない。何なら坊主にするから。なのにお姉様は「ごめんなさい。役に、立てなくて……」と涙を流す。私はすぐに首を横に振った。
しかしお姉様は自責するばかりだ。
「私……能力もないし……簪、探せなくて……頼んでくれたことなのに、見つからなくて……全然、なくて、もしかしたら、いなくなれって、ことなのかなって……思って……分かんなくて……」
そんなわけがない。でも私は無い簪をお願いした。なるべく、ずっと家に帰ってこないように。誤解させて当然だ。お姉様はずっと辛い境遇に身を置いていた。想定すべきだった。無理難題を押し付けて相手がどう思うのか。
完全に、私は間違えた。
『無能の娘など生まれてこなければよかったものを……せめてお前が、先に生まれていたら』
父親の言葉を思い出す。
生まれてこなければよかったのは私のほう。今世でも、前世でも。
お姉様は、まだ言われてない。ああいう言葉から守りたかった。でも私は間に合わなかった。
私は……、
「分からなくて当然だろうこいつは隠してたんだよ!」
ばっと水社一心が私を指さした。人に指を差すな。なんだこのクソバカデシベルみたいな声量は。水社一心は「うるさい!」と怒鳴ってくる。びくっとお姉様が震えた。
「お前には煩いって言ってない。こいつに言ったんだ俺は!」
水社一心はすぐに訂正した。水社一心の言う「お前」はお姉様のこと。「こいつ」は私のこと。お姉様をお前呼ばわりするなと睨み返せば、水社一心は私をさらに指さしてきた。
「こいつがお前を助けようとしたんだ‼ 無い簪を探させて、お前が家にいないうちに家の中の人間全員、皆殺──っアァ! 倒そうと、したんだ! 俺は心が読める! こいつはお前を大切に想ってる……お前が……簪が無いと泣くのなら……坊主にすると思うくらいにだ‼」
「坊主に……」
お姉様が呆然とした顔をした。
分かった坊主にしてきます。
「待て‼」
水社一心が腕を伸ばし、出て行こうとする私を制止する。犬みたいな扱いをするな。私はお姉様の犬になりたいけどただの犬になんぞなりたかねーんだわ。
「いいか、こいつが……喋らないのは分からん‼ ただ、お前が嫌で黙ってるわけじゃないのは確実だ。俺は霊力もそこそこあるが、お前のせいでもない」
こいつ、は私を示している。そしてお前はお姉様のことだろう。
つまり、お姉様は……私が黙っているのを自分のせいだと思っていた?
「それに、お前が思ってるより枯賀家は複雑で、こいつは、ずっと一緒にいた親より、お前を大事に想ってる。お前が考えてるような家族の形と、他人の家族の形は違う! 血が繋がってても、それ以外で繋がらない、繋がらなくていい家族もいる。お前が引き裂いたんじゃない。元々……こいつは自分の家を腐りきった沼地、忌々しい呪いの家、地獄谷と呼んでいるようなありさまだったんだよ!」
水社一心は力いっぱい叫ぶ。この男は自分が心が読めることを物語終盤まで口にしなかった男だ。それこそ……と考えて私は思考を止めた。
お姉様に顔を向ける。
「末理さん……」
お姉様は泣いていた。これは、悲しみ……、
「今泣いてるのは嬉し涙ッ!」
間髪入れず水社一心が叫ぶ。
「そしてこいつは、お前が泣いてるのを悲しみじゃないかと心配してる! それくらいお前が、大事なんだよ‼」
喉が裂けるんじゃないかと心配になるくらいの絶叫だった。
お姉様は私を見る。その表情は怯えも不安もない。何か心を決めたような、強い眼差しでじっとこちらを見る。
「末理さん」
改めて、お姉様は私の名前を呼ぶ。
今度はお姉様が私に手を伸ばす。おそるおそる握ると、お姉様はギュッと私の手を強く握った。こんなに力があったのかと、びっくりするくらい。
「改めて、これから……よろしくね」
そこの言葉に私は応えることはできないけれど、少し強めに握り返す形で、返す。
さすがお姉様。この世界のヒロイン。お姉様の美しい笑みに呼応するようにふわりと桜が舞った。
美しい風景に佇むお姉様に見惚れていると、桜吹雪の中、「こいつも、私もって言ってる」と、水社一心がお姉様に向かって付け足したのだった。




