輝宮寺の昏々
地域部で捕らえた罪人は法の裁きが下るまでの間、地域部の該当の管轄で身柄を預かることになるが、現行犯やあやかし絡みの場合は獄舎に身を置く。
あやかしと共謀した罪状により身柄を拘束された輝宮寺啓太郎は、一筋の光すら入らぬ独房で天井を見つめ笑みを浮かべた後、がっくりと肩を落とした。看守が物音に気付き、すぐに牢の鍵を開け輝宮寺の身体をゆする。身体は石のように固く氷のように冷たい。仕事柄、亡骸に触れることも多い看守はすぐにわかった。
輝宮寺が死んでいる。
それだけではない。
先ほどまで輝宮寺の身体を揺すっていた自分の手が、黒々とした血で濡れている。戦から数日経ち同胞を探しに向かった時と同じ感触だった。つまり日が経っている。
あやかしが死体を動かしていた。
看守が気付くと同時に、ふわりと温い風が頬をかすめた。すぐに振り返るが、廊下は最小限の光源に照らされるのみで異変はない。
逆に恐ろしかった。目の前には死体。それも先ほどまで生きていたはずなのに、死体の在り方がそれを否定する。まるで狐につままれたようだ。看守は代わり映えのしない独房の廊下を見つめる。
その廊下の曲がり角、看守の死角に陣取っていた野狐禅は悠然と笑みを浮かべる。
看守は気付かない。
野狐禅がいることも、先ほどまで自分が輝宮寺だと認識していた存在は、野狐禅であったことも。
獄舎を脱した野狐禅は帝都の屋根の上を踊るように歩いていた。
あやかしは人を喰らい生きるが人でなくても問題はない。ただ人のほうが都合がいい。そのため同族は皆人を殺し喰らうが、野狐禅は殺しが好きではなかった。返り血は身を汚すし、人間で例えるならば身体を動かすよりも心の戦いを好む気質だった。食らう、戦うよりも人の記憶に興味がある。
そうした自分は、おそらくあやかしにとっては異端なのだろうと野狐禅は分析していた。
三妖士として、あやかしの中で崇められているが望んでその席についたわけではない。残りの二角は殺すこと戦うことを好みそれぞれ今の席についたが自分は違う。
ゆえに異端には興味がある。人間として種族は違えど異端であろう枯賀末理に。
「てめえどこ行ってやがった」
物思いにふけっていれば背後から無粋な声が響く。同族の酒呑童子だった。戦いが好きで強い者と戦うことしか頭にない。己を強くすることに執着し武器を好み人間からの強奪も辞さない。酒呑童子につくあやかしは皆、血気盛んで彼の傍にいれば人間が大勢死ぬと目論み、ただ飯にありつけると踏む者、酒呑童子と気質が変わらない者と二極化していた。とはいえ全て意思疎通ができるほど発達していないしただ酒呑童子が引き連れ攻撃させる程度、集団のうち誰かだけを狙うといった芸当はできない。
「貴女に言わなければいけないことなんてあった?」
「大ありだ! 猫又殺した奴が西に飛んだなんて嘘つきやがって‼」
酒呑童子は荒れる。先日、三妖士一角の猫又が死んだ。殺したのは枯賀末理とは別の人間だが、枯賀末理が関わっていた。酒呑童子に動かれると枯賀末理どころか皇龍清明が現れただの二等兵である枯賀末理の出る幕が消えてしまうので、夏の間、野狐禅は酒呑童子を西──暮日村に向かわせた。
そして枯賀末理の父親である快炎の死体と遊ばせていた。
枯賀末理がどんな人間か見てみたかったから。
初めて見たのは枯賀末理が対実地戦闘局の人間たちを角材で打ちのめそうとしたときだ。
本来は皇龍清明──何百年と人間のふりをして、人に疑念を抱きながらも人を守ろうとする異端を見物するため屯所に向かったが、そこで枯賀末理を見かけた。
人間は皆、どこか守りたいもの、失いたくないものを持っている。周りに誰もいない人間であろうと、誰にも心を開いていない人間であろうと、その心の内には必ず誰かがいる。保身的な人間であれば自分がいる。周りに人がいる人間ほど、心のうちに自分を置き抱えている者は多い。
しかし枯賀末理には誰もいないように見えた。血を舐めずとも一目で分かる。
世界に誰もいない目。
そういう目だ。
ありふれた不幸で何も期待しなくなる人間なんて数える意味すらない。
でも枯賀末理は違う。
そんな目をしながらも能動的に動く矛盾に惹かれた。その後、皇龍清明を見て、その瞳に誰かの存在があると確信してからは、よりその異端に惹かれた。
枯賀末理の何もかもを野狐禅は知らない。だから知りたい。邪魔をされたくないのだ。ただ乱暴にすべてを暴くのではなく、ゆっくりとすべてを知っていきたいから。
「自分で調べて自分で探せば良かった。それをせず貴方は西に向かった」
野狐禅は酒呑童子を見据える。野狐禅は自分で調べる。だから輝宮寺に扮して枯賀花宵に近づいた。快炎の記憶から水社の精神干渉の力を知ったので、十分な対策をして。
一方で酒呑童子は調べず西に向かった。そこに差がある。酒呑童子が調査を驕り行動する性格を最大限利用したが、野狐禅の気質は別に隠していない。少しでも酒呑童子が他者を見ていれば防げた。
「貴方の落ち度でしょ?」
野狐禅は酒呑童子を見据える。酒呑童子は舌打ちした。浅はかさに視線を落とす。
「……近々、帝都退妖軍で武術大会があるの。軍人の力試し。それを勝ち抜いた人間が猫又殺しの犯人。刀を持ってる。ただ、大会以外、姿を現さないわ」
野狐禅は自分の筋書きを告げる。酒呑童子は「本当だろうな」と睨む。勿論と野狐禅は微笑み、心の内で見下す。酒呑童子はきっと武術大会に向かうだろう。野狐禅を疑いながらもきっと調べることはしない。そして野狐禅の思い通りになる。
野狐禅の思い通りに──枯賀末理は死ぬ。




