俺も好きにする
私は屯所の敷地内にある女子局員寮で、お姉様からの文を眺める。返信はしない。父親の見栄で書道をしていたけど、師範代になろうがお姉様の目に触れていい字を書ける気がしないし、文字にも言霊判定がかかる可能性があるからだ。実際、枯賀にいたときも水社に居候していた時も、お姉様は筆談を試みてきたときがあったけど、私が筆を取らなかったので、お姉様の筆談チャレンジは自然消滅した。本当に申し訳ないと思っているが、お姉様の幸せの為なので許してほしいというか、許さなくてもいいのでお姉様の心の陰りにならないようにと願う。本当にただ私の事情でしかないので。
だからこうして返信が出来ないけど、軍に入ってからというもの、お姉様からだいたい三週間おきに手紙が届く。一応検閲が入るので、私の手元には三通一気に届いたりするけど。ほおずりをしたいけど検閲にべたべた触られているので、お姉様成分は検閲の人間の手にいっている気がする。だから検閲の人間の手にほおずりしたほうがいい気もするが、この手紙はお姉様の選んだ便箋だ。お姉様が触れたものかお姉様が選んだもの、どちらがお姉様成分が濃く『お姉様』と呼べるか……もはや検閲の人間の手は、実質お姉様と言っても過言ではないのだろうか。いや、お姉様の代わりなんて存在しない。
そして水社一心のほうには、私と同じ頻度ではないが水社パパママより手紙が届いているようだった。そこには私を気に掛ける記述もあり、水社一心が代わりに筆を取り近況報告をしてくれていた。
それが現在──どうなっているか分からない。
水社一心に退妖対実地戦闘局の人間を滅多打ちにしたことがバレてからというもの、制裁とでもいうように奴は私にお姉様の新着情報を流さなくなったからだ。
そうして季節は文月──ようするに七月、夏を迎えた。
「枯賀、盆の休暇の申請は済んだか? それとも帰らへんの?」
地下左遷と称しても相応しい、日の光が入らない退妖武具・装具管理局にて。先輩局員である真原さんが声をかけてきた。私は武具の管理記録を置き、帰らないの部分に連続高速小刻み頷きを行う。二択の時にゆっくりとした頷きだと、「どっちだろう」と相手の手間をかけるからだ。声を発さずもう何年も経つが、この技術にも磨きがかかってきた。
「へー帰らないんだ。賞与金でどこか旅行?」
局内のお誕生日席みたいな位置に座っている富山局長が訊ねてきた。
私は首を横に振る。
帝都退妖軍では、当然普通の自衛隊や軍隊と同様給料が発生する。夏と冬にボーナスがつき、その額は階級により異なる。水社一心の部下が上司である水社一心に対して風当たりがきつかったのも、そういう部分があるのだろう。
「っていうか枯賀て金、何につこてんの? 全然印象ないけど、福野はなんか犬の絵とか買って、突発的にぼこーんやってるから、あれやけど」
真原さんは福野さんを見た。福野さんは引き出しからスッと手のひらサイズの水墨画を取り出した。
「今回は、描いてもらったんですよ」
福野さんは自慢げな笑みを浮かべた。
「描いてもらったって……お前、犬飼うてへんやろ。よその犬描け言うて勝手にやっとらんやろうな」
「これは局長が呼んだ式神です。次いつ会えるか分からないから……」
福野さんは今際の別れのように言うが、真原さんは「次会いたないやろ。局長の式神、全部運任せやんか。死ぬ思うた時に犬わんわーんて出ても困るやろ」と本気で嫌がっていた。
「死ぬ前の光景に犬いたら嬉しくないですか?」
「死にたないねんそもそも。犬出たら死ぬやろ」
「でも局長が巨大な鯨呼んだら死ぬじゃないですか。真原さんが軽量化しても真原さんにしか効果ないんだから。俺は潰れる。犬なら潰れない」
「犬馬鹿やわ」
「猫も好きだもん」
「足短いのやろ。自分の膝丈越したらもうちゃうんやろ」
福野さんは黙ったまま笑みを浮かべ頷いた。無言のコミュニケーションについて真原さんや富山局長がやけに馴染んでいるなと思っていたけど、福野さんという先駆者がいたからかもしれない。無口寄りの人だし。
「富山局長はあれですか、娘さんとお盆はゆっくりして、貢ぐ……」
「貢ぐって言い方ちょっと棘あるね真原くん」
「なら収賄的な……」
「前から思ってたけど真原くん上司に対してね、上司だからいいでしょみたいなところあるよね」
「そんなん無いですよ。下の者は優しく、後輩は手厚く。上は敬う。見上げとるだけすわ」
「本当にい?」
「強いものに対しては、何したって誤差でしょ、年下の不手際を許すのが上司の役目で」
「誤差じゃないよ? 刺さるときはあるから、痛いよーってなるよ」
富山局長は自分の胸を押さえながら訴える。娘さんがいるからか本人の気質か、選ぶ言葉が幼児向けになりがちだ。でも娘さん私と同い年くらいだったような気が。
「真原くん報酬何に使うの?」
富山局長が真原さんに話題をふる。
「貯金ですけどまぁ徴収ありますからね。うち盆休みやのうて奴隷休暇なんで。もう……姉にせびられ妹にせびられ、大変ですわ、帝都であれ買ってこいこれ買って来いが無限に届くんで」
どうやら真原さんや富山局長は、贈り物を持って帰省するらしい。
私は帰省しない。お姉様の御身を拝見したいところだが、あやかしを討伐し、力を蓄え、皇龍清明様と会うチャンスを得る。そのほうがいい。千年桜は恋と咲くでは本来、この時期のふたりは夏祭り花火デートをする。なのにそもそも出会ってないのでデートどころじゃない。千年桜は恋と咲くは出会いから祝言までの一年の物語であり、一年を通じ現世での心の交流を行いながらもその出会いが実は遥か昔にもさかのぼりずっと運命であった、二人で幸せになれるという話なのだ。春も終わり梅雨も過ぎだ。相合傘も出来ないまま夏が来た。由々しき事態である。帰省どころではない。
「で、枯賀は何使うん。貯金派なん?」
真原さんの問いに頷く。
私は頷いた。私のお金は、お姉様の為にある。お姉様貯金だ。
「軍人なんやしいつ死ぬか分からへんのやから、全額貯金は勿体ないで。富山局長みたいに、死んだら階級特進して娘に金渡す計画立てんねやったら違うけど」
「僕そんな計画は立ててないよ。もしものことがあったらで準備してるだけで……」
富山局長が焦る。
本来のシナリオなら、富山局長は死んでいる。真原さんも福野さんもだけど。
そして富山局長の娘は、父の死によりあやかしになってしまう。
しかしシナリオが変わり、富山局長は生きている。つまりシナリオは行動次第でどうにできる。変えてしまったシナリオを、また変えることも出来る。
水社家に入ったことでは失われた、お姉様と、お姉様の運命の相手である皇龍清明様の縁談。
代わりの令嬢があてがわれているのかすら分からないが、皇龍清明様はお姉様を忘れようと婚約者を仮で当てたりしない。あの人は、いつ会えるか分からないお姉様を待ち続けている。
そして再会が叶わなくても、一度会えたことを幸福に思いながら死んでいく人だ。
お姉様に相応しい。
ただ皇龍清明様は人外寄りのわりに倫理がしっかりしすぎているせいで、お姉様に害のある存在にならないよう、お姉様が望まないとお姉様の霊力を感知できない呪いを自分にかけている。
簡単にいえばお姉様の精神的許可が無いと位置情報の共有が出来ない。
正直、勘弁してほしかった。
皇龍清明様が序盤でお姉様の霊力を辿れたら、そもそもお姉様があやかしに襲撃されることも枯賀に引き取られることもなく、そのまま幸せになれる。ただ、皇龍清明様がお姉様の霊力を即時に辿れる場合、お姉様が「おぎゃあ」と泣いたその瞬間皇龍清明様がカットインしてくるので、恋愛的な意味で結ばれる可能性は永遠に消える。皇龍清明様はそういうの一番嫌うし。ただでさえ自分の存在はお姉様の邪魔にならないか、本当は人間と結ばれたほうがいいのかと苦悩し続けている。「お前全自動あやかし殺戮機みたいになってるんだからお前みたいな奴じゃないと存在自体が特例のお姉様なんかそこら辺の人間が幸せにできるわけないだろ」と叱咤激励する人間がいればいいが、皇龍清明様は帝も頭を上げられない存在なのでいない。
だからこそ、縁談を逃した今エンカウントも出来ないでもだもだしているのだ。
私は壁にかけられたカレンダーを見る。時代的に暦と呼ぶそれは、盆の休暇に赤線が引かれている。
私は盆の休暇、帰らない。そのかわり、初日だけ外出し、お姉様に贈り物をする。
手紙を返せない分、物で気持ちを伝えるのだ。熱烈な抱擁もありだけど、そういうのは皇龍清明様の特権だ。きっと今もどこかで、あやかしを討伐しているのだろうし。
◇◇◇
皇龍清明様は強い。物語の中でよく、話の都合で弱く見えたり、あの戦闘で苦戦しないと話が進まないけど苦戦しているのなら弱いのでは? なんて議論で沸いたりするけど、皇龍清明様が苦戦する場面は一切なかった。あやかしを取り逃がすときは、お姉様を狙われてとか、この場でドラゴニックファイナルクラッシュを放てば勝てるけど市中なのであやかし一体殺しますか? 市民千人焼き殺して? といったトロッコ問題の発生のときだけだ。
そして、こうして千年桜は恋と咲くの世界に生きて、霊力の仕組みやあやかしの存在を身近に感じるようになってから、より一層思う。
皇龍清明様は強いとかじゃなくて、おかしい。
勝手に技名をつけて申し訳ないけど、ドラゴニックファイナルクラッシュの威力は明らかにおかしい。あれ実物を見てみたいと好奇心が湧くと同時に、2メートルくらい先でやられたら吹き飛んで最悪内臓破裂しそうだなと思う。見てるだけで。
同時に長い時の中、戦いながらお姉様を想うのは、大変だろうなと思う。
だから、私がお姉様を抱っこしたり手を繋いだりするのは申し訳ないのだ。お姉様をもっと、欲してる人はいるから。それに私は踏み台になるので。お姉様にふみふみしてもらう。足の裏のかかとや土踏まずの高低差を楽しむ。皇龍清明様は踏まれたいとは思わないだろうし。お姉様が踏みたいと言えば、床に伏せるだろうけど。
「気持ち悪いこと考えてるんじゃない!」
業務終わりの入浴時間。女湯に喚き散らかしクソ坊ちゃんの声が響く。
不法侵入の字面が脳内にちらつくが、屯所の浴場は男湯と女湯がに5メートルほどの高さの竹垣で仕切られている。天井にはある程度の余裕があり、向こうの様子はさっぱり分からないが声は響く。つまりあいつは男湯から女湯に向かって叫んでるのだ。わけだが──なんなんだあいつは。心が読める能力があるのにどうしてこうも私ばかり煩いかのように言うんだ。他の人間だって絶対煩いだろ。沐浴場だし。ここで滑って転んだら頭打って砕けちゃうのかなとか、頭洗ってるとき後ろに誰かいないか気になってる奴とか絶対いるだろ。
「……」
やっぱりいるのだろう。水社一心からの返事が無い。
というかなんでこんな沐浴場で叫んでんだろうあいつは。最近はずっとこうだった。水社一心と沐浴のタイミングが死ぬほど被る。私は沐浴のタイミングは元々筋トレやらなんやらで固定していて、水社一心とは別だったのに、最近死ぬほどタイミングが合う。ここまでくるとあいつはずっと沐浴場で湯に浸かってるんじゃないかと疑う。全身ふやけてるだろ。ふにゃふにゃ一心じゃん。
「そんなわけないだろうが‼」
水社一心が暴れている。元気だ。沐浴場であんな元気出せるの水社一心くらいだろう。正気ならばスッテーン! と転んで流血沙汰になったら怖いのであんな元気は出せない。可哀そうに。というか周りの男たちは何してるんだろう。周りの人間が水社一心を止めるなりすればいいのに。人望がないのか。可哀そうに。こんだけ風呂場で騒いでたら、そらぁ友達もいなくなるわな。
「お前と違って必要性がない。俺はある程度、心の機微が出来ている。お前こそ少しは友達を作ったらどうだ」
お節介の塊。友達なんかいらない。私はお姉様第一だ。友達なんかいたらその友達だって寂しい思いをする。私はそこまで無責任ではない。
水社一心がうるさいので、私はさっさと浴場から出る。
静かにしていたつもりなのに、女湯を出ると普通に水社一心も男湯から出てきた。風呂桶でぶん殴ろうか悩む。
「殴りたいなら殴ればいい」
突っ込むかと思いきや風呂上がりの水社一心は開き直ってきた。ミスター低レビューのくせに。千年桜は恋と咲くのコミカライズコメント欄はこいつのざまぁを望むコメントで溢れかえっていたが、自分へのアンチヘイトを活力にするタイプらしい。やべー配信者かよ。
「何言ってるか分からないが、お前が俺を殴れば俺は速やかに上申してお前を除隊させられるからな」
脅迫してきた。明らかに水社一心のほうがまずいことしてるのに。風呂のタイミング合わせてきて、出待ちしてきて。ダイナミックド変態の分際で。
そう言うと、私の予想に反して水社一心は反論しなかった。てっきり「タイミングなんか合わせてない」って言うと思ったのに。タイミングという単語が分かってないのか?
「分かってるよ。時期とか時間のことだろ。前後の会話で想像つく」
じゃあなんで否定しないんだ。
「合わせてるから」
水社一心の回答に時が止まった錯覚を覚えた。
こいつ正気か?
どんな顔で言ってるんだよ、と顔を見れば真顔だった。
クソ怖いじゃん。ホラーかよ。女の風呂のタイミングに合わせるなよ。キモ。変態モラハラなんて救いようないじゃん。その後、滅多打ちされるために生まれ出たような属性だろ。変態モラハラ。略して変モラ。
「お前が風呂場で沈んでも困るだろ。実質お前は一人で入ってるんだから」
実質一人。
確かにそうだ。千年桜は恋と咲くではお姉様以外の女キャラはお姉様に厳しく、同時にあんまり出てこない。軍なんか男女比がどえらいことになっており、風呂はいつも私一人だ。
「転んだらどうしようとか言ってたのはお前だろ。男湯はいつも人がいるが、お前が一人女湯で倒れても誰も気づかない。真原さんも福野さんも気づけないだろ」
水社一心は、自分の前髪の水分を手で払い、吐き捨てるように言う。
「それに俺は、別に軍人であることにこだわりはない。お前が辞めるなら辞めてもいい」
怖。なんなんだよそのこだわり。
「お前みたいに危ない奴は軍にいてもろくなことが無い。お前の危険な部分を知っている人間としての責任は果たす。だから別に、軍にこだわりは持ってない。お前と違ってな。だからお前が辞めるなら、辞める」
なに責任て。勝手に責任を負ってくるなよ。恩着せがましい。
「好きに言えばいい。俺は変わらない。変えられない。お前は好きにしろ。俺も好きにするから」
水社一心は一片の淀みもなく告げる。
いつもの叱咤と異なり語気は穏やかだったが、声音に滲む感情はいつもよりずっと強硬な気がした。




