枯賀家当主怨恨
暮日村。
屯所から遥か西に、その村はある。
枯賀の祖先がその地で生まれたあと、時の藩主に見初められ、主君に仕える形で枯賀は都に入った。その後、武功により土地を賜り枯賀の住まいは暮日村から完全に移ったが、生まれ育った地を捨てることなく、枯賀は暮日村を自らの静養の地とし、開拓に努めた。
現在その地に枯賀家当主──枯賀快炎は、内縁の妻と共に身を寄せていた。
「どうして私たちはこんなところにいなければいけないのよ」
最初こそ美しく感じていた妻は、暮日村を訪れてからというもの、見る影もない。
隙間風がさしこむ八畳ほどしかない平屋で、飽きることなく不満を漏らす。
自分の娘──枯賀末理が生まれ、快炎は安堵した。最初の娘は霊力が無い子供であったが、末理は枯賀家でも……代々霊力が高く生まれる家とされる名家の子息令嬢を並べても、比較にならないほどの霊力を持って生まれた。
その時、快炎は確信したのだ。
この娘により、枯賀の地位は確実なものになると。
当時も貴族として存在する分には問題はなかった。
しかし、問題がないことに満足など出来ない。多少の問題が起きたとて、枯賀の力を認めさせ、周囲からの畏怖を集めるほうが良い。
ゆえに快炎は末理を大切に育てた。教育を受けさせ、霊力の使い方を学ばせた。だというのに末理は愛嬌が欠けていた。それどころか父である自分に対して、どことなく俯瞰的、観察するように見る。
その後、記憶の片隅にも置かなかった長女を屋敷に戻して、どう扱うか考えほどなくして──なぜか水社家が介入してきたのだ。
水社家はその名の元となる神の末席を奉る家だ。霊力の高さで人を主軸に発展してきた枯賀と、神職により代々その名を語り継いできた水社とは、道も何もかもが大きく異なる。
水社は神を奉るだけでその地に強い影響をもたらし、権威を得ることができる。
しかし枯賀は自らの尽力を怠れば、瞬く間に名が廃れる。
だというのに娘の扱い方を責め、勝手に二人の娘を奪い、帝に進言し、自分は帝都を追われ、こんな小屋のような場所で一生を過ごすことを強いられている。
おかしい。
この世界は理不尽があって当然と考えていたが、これはあまりにもおかしい。
奥歯を噛み締めていれば、喚き散らしていた女がすっと静かになった。何かと思えば立ち上がり、外に出ようとする。
「なんだ一体」
「手洗いは外にしかないじゃない‼」
此方を見返すその目は、そんなことも分からないのかという侮辱が滲む気がして、咄嗟にそばにあった湯呑を投げつける。ガシャン、とガラスの砕ける音に心が軽くなった。
自分に歯向かうからこうなる。思い知ったかと女を睨めば怯えたように外に出て行った。
最初からこうしていれば良かった。大きくため息を吐く。
これから……自分が帝都に返り咲く道はあるだろうか。
終わらぬ禅問答に身を預けていれば、どさりと何かが落ちる音がした。女の不手際を疑うが、待てど暮らせど女は戻ってこない。
いったい女は何をしているんだ。苛立ちを募らせていれば、どこからか血の臭いが漂ってきた。熊を恐れそばにあった火かき棒を握ると、血の臭いはより一層濃くなった。
やがてゆっくりとした足音が響き始める。
足音は一定の速度をもって、迷うことなくこちらに近づいてくる。
「呼びにも来ないか」
やがて姿を現したのは、見たことのない着物をまとった金色の髪の女だった。その手にはまるで手土産のように、快炎の内縁の妻である女の首をぶら下げていた。
「お前は、一体……」
「我は妖魔軍三妖士一角、野狐禅。この女の怨嗟に誘われ、少々興味が湧いてなあ」
野狐禅と名乗った女は、ぶら下げていた首を揺らすとその唇に口をつけた。
「ふむ。質のいい恨みだ。躊躇いも罪悪感もない。美味いな……」
野狐禅は恍惚とした笑みを浮かべた。快炎は逃げ出すことも出来ず、ただ黙って彼女を見つめることしかできない。これから自分は殺されるのか。頭では危機意識が働くのに、なぜか自分の人生の好転の兆しが見えたようにも思えてきて、胸は昂る。
「お前も人を恨んでいるように思うが……嫉みも混ざっているな。この女とは違う」
嫉み?
快炎は何を言われているのか、理解できなかった。
嫉みとは一体なんだ。
誰を嫉む必要がある。
「娘か? この女は……お前の娘を恨んでいたようだが、お前は自分の娘を嫉み、こうして腐っていたのか、はは」
「娘……私の娘の何を知っているんだ。お前まさか、娘の知り合いなのか? 娘になにか頼まれたのか」
末理は水社に自分を密告するだけでは飽き足らず、こんな妖怪まで送り込んだのか。拳を握りしめると野狐禅はくすくす笑った。
「我は霊力を吸えば、記憶を辿れる。この女が見てきたお前のことならすべて分かる。人間ごときの霊力なんて大差ないものに執着し、さして長くもない生を無駄にするとは実に愚かな、ハハ」
野狐禅はひとしきり笑った後「飽きたな」と尾骨から尻尾を現し、男の首をかき切った
「人は、本音と建て前などと、まどろっこしい。言葉より、記憶のほうが澄んで美しい」
野狐禅は快炎の口を吸う。
しばしの口づけの後、彼女はうっとりとした笑みを浮かべ、その場に快炎の首を落とした。
「来い」
野狐禅の命令に、異形のあやかしたちがどこからか平屋に集まってくる。
「食え。綺麗にしろ、外の女もだ。血の一滴でも残せば殺す」
あやかしたちはいっせいに死体を食らい始める。人間が見れば悍ましいと絶句する光景に野狐禅は関心を持つことなく、平屋を出ていく。
「花宵と、末理……」
呟く野狐禅の顔も姿も、寸分たがわず快炎と一致していた。




