三年ぶりの祈願の果て
目が覚めると、目の前に人間の顎があった。
これは、お姉様の顎。なんでこんな複雑なアングルなんだろう。お姉様への渇望により私はお姉様の周囲360度監視カメラチェックできる異能を手にしたのだろうか。一瞬悩むが、よくよく景色を確認すれば私は仰向きに布団に横になっていて、お姉様は枕もとで正座しているのでこのような視界になっているらしい。
絶景だ。膝枕アングル。千年桜は恋と咲くでは膝枕場面があり皇龍清明様が戦でお疲れになっているのに気付いたお姉様が「あの……良ければ」と膝を貸す場面がある。そして皇龍清明様は自分の疲れに気づいてくれたことに喜びを感じるのだ。皇龍清明様は清い人なのでお姉様の太ももに関心が無い。というか女の身体への関心がない。皇龍清明様の「好き」は、かなりのグラデーションがあるわりに恋愛、色事においては本当に関心が無い。愚かと軽蔑する以前の問題だ。全裸の女が走ってきた時と老人が三輪車で時速200キロを叩き出し突っ込んできたときと多分似たようなバイタルのお人なので、常人の膝枕への喜び方とは違う。お姉様の膝枕の時も太ももに興奮するのではなく「身体を触れることを許してくれたのか……?」と推理を始めるようなテンション感だったし、その後来るのが自身が疲れていることに気付いてくれたことへの感謝。
私は太ももに関心は無いけどお姉様の身体と思えばすべてのパーツに関心があるので、膝枕最高の気持ちだ。膝枕されてないけど。疑似膝枕。そしてお姉様と目が合った。
っていうか、お姉様成長してない?
最後に見たときは「あぁ、やや幼げなお姉様もso cute」と思っていたけど、成長してない?
麗しさが増してるし未亡人感が80%増量してるんですけど。大人っぽさも増して、どうすんの? 本当にもう美術館に飾られちゃう。どうしよう。国から訴状が出ちゃう。
「誰か……誰かァァッ……! 末理さんが! 末理さんがッ……目をっ!」
お姉様が叫ぶ。今にも危篤という迫真の絶叫だ。私、目が覚めたほうです。その呼び方だとなんか、死んじゃう感じ出てますよお姉様。
しかもお姉様の絶叫と同時に爆発音みたいな音を響かせ障子がスパーンッと開いた。
水社一心だ。心なしか──いや普通に成長してる。クソガキみが減ってる。千年桜は恋と咲くではお姉様の前でだけクソガキだった。他人の前では水社当主感あった。この世界では常時クソガキフル開放だったけどクソガキが4割減少してる。なんで?
「お前……お前ぇぇぇぇぇッ」
完全に仇を打ち取るような勢いだ。勘弁してほしい。サスペンスドラマの残り10分の感じを朝っぱらから出すなよ。何が起きてるのこれは。というか水社母はどうしたんだ。無事なのか。
「母上は無事だ! お前が……お前が……霊力を、ミヤシロ様に捧げたから……」
良かった。じゃあもういいや。詳しいことはミヤシロ様から聞いてほしい。私そういう経緯の説明大嫌いなの。疲れるの。報告連絡相談全部嫌い大臣だから。じゃあな。私はお姉様の顎眺めてるからよ。帰んな。
「お前、三年も目を覚まさなかったんだぞ‼ ……まるまる、三年だぞ……!」
水社一心が声を震わせた。
三年……?
私はぞっとした。
三年? 昨日じゃなく?
私は三年も寝ていたのか?
え、じゃあ髪の毛汚くない?
お姉様の膝に乗っていい毛髪じゃなくない?
坊主にしてたほうが絶対良かったじゃん。
っていうか手洗いはどうしたの。誰が世話した?
漫画とか小説で何年も昏睡状態だったってサラッと書かれるけど「え、トイレは?」っていうあの問題どうしたの?
すんごい嫌な予感する。尋常じゃなく嫌な予感がする。第一希望、介護専門の女中、第二希望水社母、第三希望水社庭師爺、第四希望水社父、第五希望水社一心でいいんだ。ささやかな、願い。
「お前の姉が、ずっと世話してたんだぞ」
最悪が起きた。死刑です。生きていたくない。なんで? こんなことあっていいのか。第五希望まで全滅なんですけど。というかもう池とかに沈めておいてくれていればよかったのに。顔だけで出る感じで。お姉様にそんな世話させるなんて。お姉様はみんな忙しいからと引き受けたのだろう。水社一心がいたのに。水社一心が良かった。こういうこと言うとまーた喚きそうだけど。
「おまえ……霊力……」
てっきりツッコミを入れてくると思った水社一心は、拳をぎゅっと握りしめ、唸っている。
水社一心が何をそんなしょぼくれているんだ。母親と仲が悪かったとか? 帰ってきたら嫌だった系の母上……。
失礼かなと思いながらも最悪の想像をすると、「そんなわけないだろ」と否定された。良かった。
「お前が何で、水社の犠牲を引き受けたんだよ……俺が、なるべきだったのに」
なんだそんなことか。くそどうでもいいことで話の腰を折ってくんじゃねえよ。今は私の手洗いの始末の話をしてんだよ。うるせーことばっか言ってるとお前の膝谷折りにするからな。
「そんなことじゃないだろ⁉ お前霊力無くなったんだぞ、それも……衰弱も酷くて……生きるか死ぬかで……ミヤシロ様が、お前が、母さんにも霊力を捧げてくれたって、俺も、なんとかしようとしたけど、ミヤシロ様も、出来なくて……お前の身体が、拒むみたいで」
だろうな。だって嫌だもん。普通に。私は水社一心の母親およびミヤシロ様を助けたいと思って霊力を捧げたのでそこから貰うのは違うし、水社一心から霊力貰うのも嫌だ。その分、お姉様を守ってもらいたいし、色々、助けてもらった恩もあるのでこいつから貰うのは嫌どすえ~。
「お前なぁ……!」
それより元気になったらミヤシロ様に会いにいかねば。というか水社一心が行ってほしい。元気になりましたって、そこの池を泳いで。バタフライ水社一心。音が良い。背泳ぎ水社一心でもクロール水社一心でも犬かき水社一心でも何でもいいけど。
「末理さん」
聞いたことのない声がした。身体が動かないので視線だけ向ければ、水の球体に入っていた女性が水社一心の父と共に立っていた。水社一心の母親だ。
「あなたに……なんてお礼を言ったらいいか……」
水社一心の母親は涙を流しながら私に近づいてくる。この部屋、さっきから黙って泣いてるお姉様、しょげた水社一心、そして泣いてる水社一心の母親と、空気がどえらいことになってる。何とかしてほしいと水社一心の父を見るけど、複雑そうな顔で私を見るばかりで収集がつかない。家長なんとかしてくださいよ~。というかこの間、枯賀家を追い詰めてるときのあの覇気はどこに行ったんだ。なんとかしてくれないかと考えて、それはまるまる三年前なのかと思い直す。
じゃあ千年桜は恋と咲くが始まるまでもうすぐじゃないか。考えていると水社一心の父親が口を開いた。
「ミヤシロ様から聞いた……ミヤシロ様はずいぶん前から……力が減退していて……ご自身でもどうにもならない状態に置かれていた。妻が、なんとかしようとしていたが……どうにもならず、それを、君が、自分の命を犠牲するのも厭わず、ミヤシロ様のことも大事に想ってくれてたって」
ミヤシロ様誇張と脚色がひどいな。水社家は感情に伴う才を持つゆえに論理で生きてるのでは?
もしかしてミヤシロ様が情動無邪気繊細系神様だから論理でいこうということ?
まぁ水社一心が訂正するだろ。心読めてるんだから。
「ミヤシロ様は相手の心をすべて見通す」
水社一心がこちらを睨むようにつぶやいた。
まずい。普段隠してるお姉様へのちょっと邪な下心を見抜かれてしまった。っていうか水社一心の母親は嗅覚で感情を察知するらしいけど、嗅覚が鋭いのならば三年も沐浴してない人間と同室無理では? 多分身体は拭いてもらってるんだろうけど……それでも臭くない? 感情以外の嗅覚は普通なの?
「母上、この者は母上の嗅覚を心配しております。感情ではなく自分が身体を清めてないことから、臭いのではないかと」
「そういうのは分からないから大丈夫……」
泣きながら水社一心の母親が否定してくれた。ホッとした。激臭兵器になってたら申し訳ないし。息子さんを臭い矢で射ろうとした前科もある。早く沐浴がしたい。池に飛び込むでもいいけど。
考えていると水社一心が睨んできた。沐浴させろより池に飛び込むほうが謙虚だろうがと見返すが、水社一心は睨みっぱなしだ。
それにしても良かった。これで水社夫妻があやかしになることも無いだろうし、あやかしにでもなってたらミヤシロ様確実に病んじゃうだろうし。ミヤシロ様の言葉のセレクトが高圧的なわりに繊細っぽいし。モラハラは絶対肯定したくないし全力で否定するけど……水社一心そのものは、現段階では、否定しない。
悪いことした。将来モラハラ男として色々決めつけてしまったし。
反省していれば「なんて礼をすればいいか」と水社父が呟く。
礼はいらない。その分お姉様に尽くしていただければ。水社一心を見ると複雑そうな顔をした。冗談ではないが、願いは別にある。まぁ水社一心の願いだけど。
「え……」
水社一心は怪訝な顔をした。
私は無理やり身体を動かした。
お姉様が支えてくれる。今のうちにやるべきことをしなければいけない。
水社一心は、心が読める。しかしそれは心のうちの言葉だけ。どういう感情で話をしているのかは分からない。たとえば箇条書きで羅列された文章が読めるだけで声としては入ってこない。
水社一心の父親は感情が読める。しかし言葉は読めない。相手の感情は分かるが何を思って何を考えているかは分からない。
千年桜は恋と咲くでお姉様が離れた後、水社一心は「家族の気持ちも分からない俺が」みたいな話をしていた。そんだけモラハラならな、と思っていたけど、心が読めても分からない──いや、心が読めるからこそ分からないことに怯えていたのかもしれない。
そして心の綺麗なお姉様に一発で惚れていた状況から、水社一族以外はカスみたいな心しか読めてないだろうし。
水社親子はお互い、相手が感情についての才を持っていると知っているので、相手は自分の気持ちを分かっていると誤解している。
まぁ私は水社一心のように心が読めなければ、そもそも他人との相互理解は前世で捨てているのでよく分からないけど、心が読めるからこその苦痛があるのだろう。
『一回でいい、俺は、誰かに抱きしめてもらいたかったのかもしれない』
水社一心は物語の後半、自分の人生についてそう振り返っていた。
家族に抱きしめられていたら、多分、そうは言わない。
私は水社一心を抱きしめる。お姉様に捧げたかったファーストハグだが、お姉様のファーストハグは皇龍清明様のものなので、奪えない。
私は次に、水社一心の母親を抱きしめた。
そして、水社一心の父親に目で合図する。言葉なくとも伝わったようで、水社一心の父親は水社一心と自分の妻を抱きしめた。
これで少しは水社一心の気も晴れるだろう。これから先もクソみたいな心を読み続ける中で、慰めになるかは知らないけど。
疲れた。
大きく息を吐いて布団に倒れこもうとすると、お姉様が抱き留めてくれた。
「末理さん……」
お姉様が名前を呼ぶたび、生きていていい感じがする。嬉しい楽しいじゃなく生きていることを許されてる感じ。前世ともども。いや前世で死んで今があるわけだけど。
お姉様の身体に身を預けながら、目を閉じる。温かい。今死んでもいい。一人で寂しく死ぬのは辛い。
このまま死にたい。
切に願う。




