第03話「君の青春は輝いているか」(1/4)
「五十嵐マコトくん、貴方に罰を与えるわ」
「な、なんですか、それ……一体何の話を……」
「悔い改めるのです」
首から上がすうっと冷気をまとっていく様な感覚をマコトは覚える。周囲が雨に包まれ気温が下がっているとはいえ、それだけが原因ではないのだろう。マコトは今、ひどく青い顔をしていた。
一歩後ずされば同じだけ、マコトに向かって歩を進めてくるシスター。その瞳に宿る澱んだ輝きが、彼女が普通の人間と決定的に異なる事実を否が応にもマコトの前に突きつけてくる。
「地の底にまします、我が主の前に跪き……懺悔するのです。己が罪を認め、向き合うと決めた時……貴方も永劫の安らぎを与えられるでしょう」
「知らないよ! そんなこ――痛っっ!」
「嘘をついてはいけませんね」
思いきり身を離そうとしたマコトの右手を、すかさずシスターが掴まえる。恐るべき握力だった。悲鳴を上げ抗おうとするマコトだが、シスターは足元に根を張ったように微動だにせず、表情にも変化が見えない。
マコトは自分が、本格的に危険な状況に置かれていると分かって戦慄した。
「い、痛い、痛い! 離してくださいよ!」
「正直に認めなくてはなりません。この街はすべて、我が主の御許……偽りは許されないのです。さもなくば」
「だ、だから何の話か――」
「――マコトから、離れてください」
「!」
ケイが突然、シスターとの間に割り込むようにして飛び込んできた。相手の手首を掴むと、ケイは強引に引きはがそうとする。
その時マコトの耳に、金属質の甲高い駆動音のようなものが聞こえてきた。モーターと思しき何かが高速回転する音だ。しかもケイひとりから発せられているのではない。それが示唆することに気が付き、マコトの心臓がバクバクとうなりを上げ始めた。
互いの力を拮抗させながら、ケイとシスターは鋭く視線を交わし合ったが、それも一瞬だけだった。ケイのもう片方の拳が容赦なくシスターの横面を殴り飛ばし、丘の下へと転げ落とす。
やっとのことで異常な握力から解放されよろめいたマコトを、ケイが無言で抱きとめてくれる。マコトは恥ずかしいと分かっていながら、無意識のうちにケイの服の裾にしがみ付いてしまっていた。
一方でその間、ケイの視線は丘の下のシスターを捉えて離さなかった。彼女の徹底した鉄仮面ぶりが、今だけは却って頼もしく感じられた。
「た、助かった……ありがとう……」
「直ちにこの場を離れてください、マコト」
「だけど、何がどうなってるの? あいつ……一体何なのさ!」
「分かりませんが、繰り返します。今すぐ逃げてください、マコト」
「――悔い改めるのです」
マコトが顔を上げるより早く、ケイの方が反応した。何も言わずにマコトを後方に下がらせると、恐るべきスピードで再突撃をかけてきたシスターの前に立ち塞がる。ゴッ、と硬いもの同士の衝突する音がして、ケイとシスターは双方の指を絡ませる様に力の限り組み合った。
彼女らの体内のモーター駆動音が、増々耳障りな鋭さを帯びていく。両者はほぼ互角の力で競り合っており、互いに一歩も退く気配がなかった。
降って湧く様に展開した目の前の光景に、マコトは硬直してしまって動けなくなっていた。そんな彼はケイから問いかけるような眼差しを向けられ、ようやく我に返らされる。
「マコト、繰り返しますが……」
「……わ、分かったよ!」
シスターとケイを交互に見てから、マコトは身を翻す様に走り出した。時々背後を振り返りはするが、足だけは絶えず動かし続けて、全力でその場からの退避を図る。
「過保護は、本人のためになりませんわよ?」
己と取っ組み合いながら常にマコトを気にし続けるケイを見て、シスターは挑発するような笑みを浮かべて告げた。
「嘘つきは、泥棒の始まりと申します」
「……ですが、マコトは知らないと言っています」
対するケイは、ひたすら無表情でシスターに対抗し続ける。ふたりの足元の石段が力と重みに耐え切れなくなり、徐々に狭い範囲で同心円状に亀裂が入り始める。
「私はマコトを信じていますので」
「我が主以外に信ずべきものなどありませんわ」
「私には関係の無いことです」
「……笑止」
次の瞬間、両者の出力が急上昇した。
シスターとケイがそれぞれ、相手の両腕を押さえ込んだままワルツにも似た円運動を開始する。ケイの身体が管理事務所の壁に叩きつけられると、彼女もお返しとばかりに相手を同じ建物の壁に叩きつける。壁の建材にヒビが生じ、細かな破片が飛び散っては雨の中へと紛れていく。
そうして何度も何度も、互いを壁に叩きつける攻撃を繰り返していると遂に破砕音が響き、事務所の壁にぽっかりと大きな穴が穿たれ埃が舞い上がった。一度転倒した両者は素早く立ち上がると、体勢を立て直しつつそのまま数手に渡って殴り合う。
やがてシスターの方がケイの両腕を押さえ込むのに成功、彼女はケイに向かって頭突きを見舞うとよろめく相手にその剛力を見せつけんとばかり、ケイの身体を頭上高く持ち上げてみせた。
「アッオー……」
ケイの口から思わずとぼけた呟きが漏れるが、敵は容赦がない。シスターが大きな予備動作の後、ケイの身体を丘の上から荒っぽく放り投げた。眼下に立ち並ぶいくつかの墓石を続けざまに粉砕して転げ落ち、とうとうケイは重たい石材に埋もれたまま動かなくなってしまった。
凄まじい音に思わず振り返ったマコトは目を見開く。
即座にシスターの視線がこちらを捉え、一直線に丘を駆け下りるようにして疾走してくるのが見えた。
「うわああああああ!?」
のっぺりとした笑顔を仮面のように張りつけながら、両腕だけは規則正しく前後させ猛烈な勢いで追跡してくるシスターの姿は、まさしく都市伝説に登場する妖怪のような恐ろしさだ。
総毛立ったマコトは咄嗟に周囲を見回すと、一番近い建物はそれしかないと判断して、中央教会の礼拝堂へと死に物狂いで逃走した。比較的装いが新しく公民館のような外観を持つそこなら、ある程度籠城出来るハズだ。
幸運にも、その日のミサは終了していて礼拝堂にはもう誰もいなかった。
息せき切って堂内に駆け込んできたマコトは、一瞬だけ立ち止まって背後を確認する。相変わらずシスターが化け物めいた脚力で追ってくるのを見ると、礼拝堂の大きな扉をふたつともありったけの力を籠めて閉鎖し、内側から鍵をかけ堂内に立てこもった。
何度か実際の開閉場面を見ていて助かった、とホッとしたのも束の間、扉を激しく叩く音が執拗に響き渡った末、とうとう扉を突き破って生白く細い腕がニュッとマコトの頭を狙って生えてきた。
「うわ――――っ!」
跳ねる様にして飛び退いたマコトの耳に、扉一枚隔てた向こう側から冷たい口調で再びシスターの問いかけが聞こえてくる。
「悔い改めるのです」
「知らないって言ってるだろぉ!」
「偽りは許されません」
そうして扉に腕を突き刺したまま、ガタガタと暴れ続けるシスター。
ここではまずいと、マコトは更に礼拝堂の奥へと逃げ込んでいく。何列にも並んだ座席の前を通過し、神父らが使う主祭壇を抜けて聖具室へ。
ところがそれより早く、背後で扉の付け根がバキバキと粉砕される音がしてシスターが礼拝堂内へ侵入してきた。その手には、根元の蝶番を含めて接合部からそっくりもぎ取ったのだろう、彼女の背丈の数倍はあろうかという大きな扉板が丸ごと握られている。
シスターは、マコトの姿を視界に捉えるとその逃走する方向目掛けて、手にした扉板を盛大に投げつけた。聖具室へと逃げ込む寸前だったマコトは、急に頭上に暗い影が差し掛かったのに気付いて顔を上げるが、その正体が分かって全力で飛び退いた。
重たい扉の残骸が目と鼻の先に落下し砕け散る。直撃を受けた聖具室の戸はたちまち使い物にならなくなった。逃げ道を完全に遮断されて言葉を失うマコトの元に、死の使いが一歩また一歩と迫りくる。
「わ、わ、わ、わ……!!」
「御覧なさい、偉大なる主がお怒りなのです」
シスターの口上など訊く余裕は今のマコトにない。何でもいいから何かないかと必死に辺りを見回して、手ごろな場所に祭壇の金の燭台が落ちているのを発見した。マコトはそれを拾い上げると、前後も考えず無我夢中で相手の顔に向かって投げつける。
「ああああああああッ!」
命中。
確かに、手ごたえを感じる音がマコトの耳に入り、シスターが仰け反った。
しかし、それで安心しかけたのが間違いだった。姿勢を戻しこちらを向いたシスターの顔に、マコトは息が止まりかける。彼女の右頬で、金属骨格が剥き出しになっていたのだ。人工皮膚は剥がれ落ち、口は耳元まで裂けているようだ。当然ながら、血は一滴も流れていない。
「ロボット……やっぱり……やっぱり……!」
「……マタイによる福音書・第五章三十九節」
正体の知れたシスターは、何の前触れもなくボソリとそう口にした。
「右の頬を打たれたならば、左の頬も差し出せ……」
「は……?」
「折角の機会です、実践してみましょうか」
言うが早いかシスターは、自ら左頬に手をかけると、その部分の人工皮膚を鷲掴みにし、ベリベリと嫌な音を立てて引き剥がし始めた。たちまち、悪鬼の如き形相が出現してマコトは絶句する。
「カカカカカカカカカァァァァァァァッ!」
剥き出しの金属骨格を打ち鳴らしてシスターロボが絶叫する。常軌を逸した展開に立ちすくんでしまったマコトの胸倉を掴まえると、強引に引き寄せるようにして彼女は言った。
「さ~ア、早ク懺悔すルのよォ~! 嘘は駄目ですワヨぉ~!」
マコトは無言のまま、何度も懸命に首を横に振って抗う。
実際は抵抗しているというより、恐ろしすぎてもう殆んど声が出なくなってしまっていたのだ。
「そろソロ白状しナイと、地獄に落ちルことニナリまスわよォ~!?」
「知ら……ないっ……たら……知ら……ない!」
「……ソぉ~、ザンネンッ!」
シスターロボが、マコトの顔を荒っぽく鷲掴みにする。
もう駄目なのか。生まれて初めて最悪の瞬間を想像させられ、マコトの目の端から知らないうちに絶望が零れ落ちかけた、その時。
「――お待たせいたしました、マコト」
潰えたハズの声が、再びマコトの耳朶を打つ。
ハッとして、目だけで必死に声がした方を確かめる。ぼやけた視界の中で、破壊された礼拝堂の扉付近から出現し、光を背にした者が全力でこちら目掛け疾走してくるのが見える。
「ギギギイッ!?」
同様に振り返ったばかりのシスターロボが、不意の体当たりを喰らって勢いよく吹っ飛んだ。ぐったりしたマコトがつられて投げ出されそうになったのをすかさず掴まえ、柔らかく抱きとめてくれるケイ。
不明瞭な意識の中ではあったが、マコトは自分を救ってくれた彼女を見上げて、間違いなくある種の安堵感に包まれたのを悟っていた。
「……やられたかと……思ってた」
「躯体損耗率二パーセント。動作に支障ありません」
抑揚のない単調なメイドロボットの声が、しかし今は心地よい。
「キイエェェェェェッ!」
一方、吹っ飛んだその先で備品の数々を撥ね退けるように起き上がったシスターロボは、奇声と共に礼拝用の座席を数個分まとめて台座からもぎ取ると、大仰な溜めの動作を経由しケイたち目掛けて投げつける。
「ココッ、コノ罰当たりィィィィィィッ!」
「言われる義理は、ないかと存じます」
ケイは努めて冷静に、マコトを近くの座席に横たえると即座に跳躍、空中で回し蹴りを見舞い、飛んできた座席を真っ向からカウンターした。飛んできた方向にそのまま打ち返された残骸はシスターロボを直撃。思わぬ反撃で相手がよろめく隙に、ケイは軽やかに着地。右の手刀を天に掲げた。
「プラズマブレイザーアーム、レディ」
全身に張り巡らされた伝導路をつたい、ケイの右上腕部がプラズマを纏って青白い光と熱に包まれる。そのまま手刀を体側に構えたケイは、下半身に力を蓄えるような動作のあと、敵の眼前へと一直線に肉薄した。
「これが――メイドの土産です」
スカートの裾を翻しながらの優雅なターン。
袈裟懸けを逆からなぞる様に手刀が振り上げられると、シスターロボが一瞬ビクリと痙攣して、そこからの動きが徐々に文字通り機械人形のような鈍重なものに変わった。その脇から肩にかけて、焼け焦げたような軌跡が斜め一直線に刻まれている。
「ジ、ジジ、ジーザスクライ――」
ケイの手刀を覆っていた光熱が掻き消えるのと同時に、関節部から真っ白な冷却液が噴出した。それを合図にして、背後で固まっていたシスターロボの目からも光が消え失せる。
斜めに両断されたニセ聖職者の上半身が、礼拝堂の床に転がり落ちて大きな音を立てるのに左程時間はかからなかった。続けて下半身の方も棒の様に倒れ伏し、そのまま動かなくなる。
ケイは一切振り返ることなく、そのまま戦闘態勢を解いて言った。
「敵性反応消失……プログラム終了。通常モードへと移行します」
彼女の視線は、再びマコトにだけ注がれるようになった。
何とか自力で立ち上がろうとした彼の元にやってきて、ケイは静かに訊く。
「ご無事でしたか、マコト?」
心配する言葉とは裏腹に、やっぱり顔色ひとつ変わらない。対照的に、マコトは複雑な表情を浮かべてケイを見ていたが、緊張が途切れた所為かたちまち足元が覚束なくなり、崩れ落ちそうになっていた。
ケイはそんな彼を、またしても何も言わず優しく抱き支える。
すっかりあちこちを破壊された礼拝堂内に、外から流れ込む雨のしとしとという音だけが絶えず反響し続けていた。




