第02話「謎のニューヒロイン!」(4/4)
まだ灰色の雲漂う広い丘の上に、一見すると公民館のような白い壁の建物があった。その正体は、そびえ立つ高い棟のてっぺんに突き出た十字架が何より物語っている。ロボットシティ中央教会……この街でも比較的規模の大きな、カトリック系の教会堂だった。
まさしくこの地下にある施設に、ケイは眠っていたのである。
今、マコトがいるのは教会裏手にある墓苑だった。教会本堂から少し離れた場所に、数ある墓碑の中でも特段大きなものがひとつ立てられており、そこにマコトの両親と姉の名前が刻まれている。
「父さん、母さん、一体何が起きてるっていうのさ」
様々な名義の献花が、数えきれないほど溢れた家族の墓碑の前で、マコトはずぶ濡れになって立ち尽くしていた。雨足が弱まってきたとはいえ、やはり傘もささず歩けばこうなることは避けられない。
「あいつは何なんだよ……もうボク、訳が分かんないよ……」
フッと、マコトの周囲が暗くなり打ちつける雨粒が遮られる。振り返ると、そこに音もなく紺色の修道服を纏ったシスターが一人立っていて、背後から傘を差しかけてくれていた。あまり見覚えのない顔だと思ったが、教会勤めには珍しくとても若い女性だった。
「もしもし……そんな風にしていると、風邪を引いてしまいますわよ」
「あなたは……?」
「少し前に、この教会へ配属になったシスターですの」
そう言って柔和な笑みを浮かべる見知らぬシスター。
「さあこちらへどうぞ。まずは、雨の当たらないところに行きましょう」
促されるまま、マコトはそれに従って無言で歩き出す。
しばらく歩くと、墓地の管理事務所として使われている、小さな建物の前に辿り着いた。出入り口の前の軒下が雨宿りに最適な広さで、そこに入るとすぐシスターが真っ白なタオルを差し出しマコトに頷いてみせた。
心ここにあらずな状態の彼は黙ってタオルを見つめていたが、やがて素直に受け取って顔を埋めることにする。
「すみません、気を遣わせて……」
「いいのです、こうしたこともシスターの務めですから」
顔や頭を拭いながら未だに俯いたままのマコトを見て、シスターは物思いにふけるが如く、灰色の空を見上げて言った。
「貴方のご両親は、非常に立派な方たちでした」
「……知ってるんですか?」
「この町で、知らない者などいませんよ」
そうしてまたシスターはマコトに微笑みかける。
「若きロボット工学の権威にして、多摩ロボットシティ建設の立役者でもある五十嵐夫妻……ですが、真に立派だったのは技術や経済力ではなく……科学者としての良心を失わぬよう不断の努力を重ねられていたこと。私がいまここにこうして立っているのも、元を辿ればそんな心掛けの賜物ですから」
「……父さんも母さんも、理想に生きる人たちでした。でも理想を追っていたからこそ……自分たちが道を踏み外す危険性も、常に頭の片隅にあったんだと思います。この町を作っていくとき、教会とかお寺を宗派関係なしに沢山誘致したのも、それが理由なのかなって」
「――『神なき知恵は、知恵ある悪魔を作る』……」
シスターが唐突に、そう呟いた。マコトが思わず顔を上げると、シスターも何かを期待していたように、真っ直ぐこちらを見てきていた。
「確か、ご両親の一番好きな言葉でしたね。元を辿ればガリレオ・ガリレイが遺したものだとか……様々なインタビューで語っていましたね」
「それこそ誰でも知ってますね。父さん母さんの口癖みたいなものでしたから……そうだ、訊きたいんですけど」
「なんです?」
「ずっと昔……人型ロボットの黎明期に、開発してた企業がわざわざバチカンまで行って、法王に許可取ったって本当ですか? 話自体は訊くけど、どうもピンと来なくて」
「本当ですよ。だからこそ……貴方のご両親もこの街を、科学のみではなく、それが神の教えと共存し得る形となることを目指したのです」
一九九六年、当時日本で有数の機械工業メーカーだった本田技研工業・通称ホンダは全世界に向け、自立型二足歩行ロボ・P2を発表して世間の度肝を抜いた。これが後にいう、ASIMOの原型である。この際ホンダはバチカン、すなわちローマ教皇庁へ事前に赴きヒューマノイドロボット開発の是非について見解を仰いだ上で、公表に踏み切ったとされている。
西欧のキリスト教社会において、人間が人間を模した存在を無闇に生み出すことは創造主たる神への冒涜にあたる、とする見方が従来は根強かったためであり、初期の人型ロボット開発はそうしたタブーに細心の注意が払われた上で進められていたのだ。
「……やっぱり、みんな不安なんですかね」
マコトは雨が降り注ぐ墓地の光景を見ながら、ポツリとそう言った。
「自分の理想や情熱が、どこかで狂ってしまうかもしれないって、父さんとか母さんもそう思ってたんでしょうか。生まれてからずっとあの二人を見続けてきましたけど……あんな能力も人望もあって、普段から明るい人たちが、神様とか宗教に縋るっていうのが、ボクにはまだよく分からなくて」
「神の教えを信じること、それは決して弱さではありません。不完全な自己を受け入れ向き合うと決めた……むしろ非常に勇気ある姿勢なのです。ご両親は地上での罪を許され神の元へ召されていきました。お二人はいま、天の世界で安息の日々を過ごされているのです」
「……すみません、正直ピンと来ないです」
気遣ってくれたつもりだろうからシスターには申し訳ないが、苦笑いする事しか出来ない。何かあった時、こうやって教会へ来るのに抵抗がない程度には慣れ親しんでいるが、マコト自身は両親ほど正確にキリスト教的世界観を理解している訳ではない。信仰者の自覚がない人間にとって、教会とは精々知人が大勢いる空間ぐらいの認識でしかないのだ。
「ご両親と死に分かれたことで、貴方はいまとても不安なのでしょう。けれどそれは、決して永遠の別れとはならないのですよ」
「……そういうものでしょうか」
「主イエスが復活するその日までの、一時的な離別に過ぎないのです。見方を変えれば、いずれ再会できるということ……とはいえ残された者の悲しみは、そう簡単には消えませんね」
シスターはそっと目を閉じ、両手の指を組んで祈りの姿勢をとった。
呆気にとられるマコトの耳に、優しく美しい言の葉の音色が届けられる。
「いつか貴方に……主の平安があらんことを」
「……雨が」
空を見上げてハッとした顔つきになるマコト。
気が付いた頃には。雨の勢いは殆ど止み切った程度に弱まっていた。
もう、傘無しで歩いて帰っても問題ないだろう。シスターは顔を上げると、マコトに微笑みかけた。
「早速、主の導きがありましたね」
「……これがですか?」
「少なくともこれで、貴方はずぶ濡れになって帰らずに済みます。貴方に風邪まで引いてほしくないという、神の思し召しではないでしょうか」
「そんなちっぽけなことまで気遣って貰えるモンですか?」
「言ったでしょう? 主は全てを見ておられると」
唐突に冗談めかした眼差しを送ってきたシスターに、マコトは思わず吹き出しそうになった。励まそうとしてくれていたらしい。一時的にとはいえ、それまで重たく沈み込んでいたことが、なんだかとっても馬鹿らしく感じられそうになった。小さなことだが、ある意味では宗教の面目躍如である。
「ありがとうございました、色々と……」
少しだけ気分の晴れたマコトは、深々と頭を下げて帰途につこうとした。
その時そこへ、丘の下の方から招かれざる客がやってきた。
「マコト、探しましたよ」
「……なんでこんな時に現れるかなぁ」
それは他ならぬケイだった。おそらく自分を追ってやってきたのだろうが、マコト同様に傘もささずに歩いているから、そのメイド服が雨を吸って随分と湿って重たく見えている。
マコトが露骨に顔をしかめるのも構わず、ケイは石段を一歩ずつ律儀に踏みしめながらこちらに近づきつつ言った。
「私はマコトのメイドであり、お姉ちゃんです。マコトと常に行動を共にし、その生命と安全を守るのが、」
「分かった、分かった、最優先の命令なんだろ」
「ご理解いただけたなら結構です。ところでマコト――」
「もういいからさ、いい加減ボクのことはほっとい……」
「――直ちに、その女性から離れて下さい」
「……え、何だって?」
「その女性から離れてください、マコト」
念を押すように、同じ言葉を繰り返すケイ。
彼女はいつの間にか丘の上へと続く階段の途中で、歩みを止めていた。その表情に変化こそないが、まっすぐに視線をマコトの隣に向けている――つまりシスターを射抜く様に見ているのだ。
対するシスターは、何も言わない。とっくに弱まって来ているハズなのに、雨の音が妙にうるさく聞こえ始めていた。
「彼女の体内熱量の、急激な上昇を確認。正体不明……危険ですので彼女から離れてください、マコト」
「な、何言ってるんだ。急に変なこと言うなよな」
「繰り返します。離れてください、マコト」
「だから言ってる意味が――」
「――やはり神の御許で偽りを続けるのは不可能なようですね。いやあ、何と恐れ多い」
不意の言葉に、マコトは思わず隣に立つシスターを見た。
「実はね、五十嵐マコトくん……私は神に仕える身でありながら、本当は別の主にお仕えしているの……暗い地の底にいるご主人様にね。その方が、貴方の犯した罪にひどくお怒りなの。だから――――」
再びマコトに向けられた視線。そこにもう、あの柔和な微笑みはなかった。
何処かのっぺりとした、作り物感漂う不気味な笑みへと変わっている。
シスターの両目が、ギラリと鈍い光を発した。
「――――大いなるご主人様の御名の下に……五十嵐マコトくん、貴方に罰を与えるわ」




