第02話「謎のニューヒロイン!」(1/4)
多摩ロボットシティの、とある住宅街の外れにあるカフェ・ミタラ。大きな三角屋根が特徴的な、全体が木目調で統一された喫茶店である。洒落た装飾で溢れた店内は、天気が悪い上に平日の昼にも拘わらず、ポツポツとだが客の姿が垣間見えた。その中に五十嵐マコトの姿もあった。
マコトは窓際の席にいながら、ボーっと外を眺めていた。近くの工場へ向かうトラック数台が、店のすぐ目の前を通過してガタゴトと振動を残していく。それらが地中から足元に伝わってきた時、マコトは羽織ったパーカーの胸元をギュッと密かに握りしめた。
「父さん、母さん……姉ちゃん……」
五十嵐マコトの両親は交通事故で死んだ。ほんのひと月前の出来事だ。
深夜の交差点に、信号無視のトラックが突っ込んできて即死……それ自体はよくある話かもしれない。けれどもマコトの場合、少々事情が特殊であった。何しろ――。
「――コト、ちょっと聞いてる? もうっ、マコトってば!」
「あっ、ごめんカオル。なに?」
ハッとして慌てて顔を上げるマコト。そんな彼を、濃紺のセーラー服に身を包んだ栗原カオルが、同じボックス席の対面側から頬杖を突き、やや不満げな顔で睨みつけている。この店へは、彼女に連れて来られたのだ。
「ったく、折角こーんな可愛い幼馴染みが学校をサボってまでデートに誘ってあげたっていうのにさあ、何でこう上の空かな」
「自分で言うか普通?」
「事実なんだから仕方ないわ」
「誘ったっていうか、キミが無理矢理連れ出したんじゃないか」
「仕方ないでしょー、あのまま放っておいたら、アンタ家の中でミイラ化して発見されそうな勢いだったんだから。ゴミのピラミッドからアンタを発掘するなんて、御免だからねウチは」
「その方が楽でいいかもしれないね……」
「ちょっと、冗談でもそういうこと言わない!」
カオルが幾分か本気で怒ったような顔をする。
「おじさんにおばさん、それに珪子さんまでいなくなって……いま生きてるのアンタだけなんだからね。軽々しく死ぬみたいなこと言わないで。残されたこっちがどんな気持ちか、分からない訳じゃないでしょ」
「分かった、分かったって。取り消すよ」
詰め寄って来るカオルを、マコトは慌てて手で制する。
遡ること三年前、マコトの実の姉・五十嵐珪子もまた両親と同じ場所で、同じように交通事故で亡くなっていた。姉は当時まだ十七歳で、愛娘の喪失に両親が嘆き悲しむ姿を今でも鮮明に覚えている。まさか当人たちが、後になって同じ結末を迎えるとは予想もしなかっただろうが。
気が付けば、マコトは中学生でありながら天涯孤独の身の上。少なくとも、一親等および二親等は全滅である。こんな残酷な話もそうあるまい。
「とにかく、ウチが訊きたいのは学校をいつまで休む気なのかってことよ……もう一か月よ?」
「最低でも、忌引きが終わるまではね……」
「忌引きって、長くても一週間ぐらいじゃないの?」
「なんだかね、最近すっごく時間の流れが遅く感じるんだ」
マコトはカオルの問いに、気だるげな態度を隠そうともせず答える。
「やっぱショックなんだろうな……まだ半月ぐらいしか経ってない気がしてさ」
「いやいや、それでも充分休んでるから。アンタね……気持ちは分かるけど、あんまサボると受験に影響出るわよ。一応ウチら三年生なんだから」
「自分だって、平日に学校サボってこんなところ来てるじゃないか」
「そりゃ一日ぐらいだったら平気よ。別に警察の巡回に見つかったって殆んどみんな顔見知りだし、補導される心配もないからね」
「うわ、今のすっごい七光りっぽい」
「うるさいわね、ほっといてよ。あーもう、こいつがルーシィさんの前ぐらい素直になってくれたらこっちも助かるのになぁ」
カオルの口からその名が出た途端、マコトの心拍数が急に跳ね上がる。水を飲もうとして思わずむせてしまい、取り繕うように口元を拭う羽目になった。
「なっ、何で急にルーシィねえさんの話になるん……」
「は? だってアンタ昔から好きでしょ、ルーシィさんのこと」
「ななな、何言ってんだよ。ボクは別に」
「態度に出過ぎ……バレバレだから。アンタ顔赤くなってるわよ」
「こっ、これは別に、ちょっと今風邪気味なだけで」
「嘘ばっか。そんなんでよく隠してるつもりになってるわねぇ」
「う、うるさいな、カオルに関係ないだろ!」
悔しいことに図星には違いないから、言い返せば言い返すほど苦しくなってしまう。カオルのお節介焼きに不快感を覚えたことはついぞないが、こういう時ばかりは彼女が非常に憎たらしく感じる。
ルーシィ飛鳥。ディアーロイド全ての製造元にしてマコトの両親が設立したアンドロイド製造会社・DR技研の元経営顧問。現在は事実上の代表者として企画に研究、経営にと多方面に辣腕を振るう若き才女。その功績から名実ともに、五十嵐夫妻の盟友として内外に広く名前が知れ渡っている。
そして彼女はマコトが生まれて初めて強い憧れを抱き、今日に至るまでその気持ちが変わらないでいるただ一人の女性でもあった。
「ちょっとほら、アンタ電話鳴ってるわよ」
カオルに指摘されて、憮然とした顔で着信表示を見るマコト。ところがその瞬間、マコトの表情がそれまでとは打って変わって喜色に満ち溢れる。
「しっ、カオルちょっと静かに……はい、もしもし」
『――ハーイ、マコト! 突然だけど、ぼくは一体だーれだ?』
「え……えっと、ルーシィねえ……さん?」
『んふふっ、当ったり~! と言う訳でただいま無事日本に到着だよ~マコト』
スマートフォンから漏れる、年上女性の何とも快活そうな声。
それを聞くなりマコトの頬が、世界記録を塗り替えそうな程あっという間に弛み出し、それからただひたすら締まりのないものとなっていった。
「……お帰りなさい、ルーシィねえさん。商談の方は順調でしたか?」
『万事滞りなくだよ。でもまだ空港でね、これから車で本社へと向かうところなのさ。いやはや、渋滞に捕まらないことを祈りたいものだね』
「本当にお疲れ様です。今度また、時間が出来た時にでも色々と話を聞かせて貰えれば」
『ああ、勿論だとも! それにしてもマコト、こんな周囲の音がうるさいのによく一発で、ぼくだということが分かったねぇ?』
「ルーシィねえさんの声を、聞き間違える訳ないじゃないですか……」
『えぇっ?』
と、そのときカオルが唐突にあからさまな咳払いをしてくる。
しかも何故かジト目で睨まれてさえいる。それに気付いたマコトは、途端にバツが悪くなって取り繕うように言った。
「と、いうのは冗談でして……ルーシィねえさん、そもそも非通知設定にするのを忘れてましたよ」
『あ、しまった。そりゃバレて当たり前か』
「かかってきた時点で名前が出ちゃいますからね」
『我ながらドジだねえ、あははは!』
電話越しながらもルーシィと一緒に笑い合う。ただそれだけのことが堪らなく嬉しくて、尚も頬の弛緩が止まらないマコト。片や、見るからに面白くなさそうな顔をしているのがカオルだった。
「……デレデレしちゃってさ」
「あー、ルーシィねえさんこそ、どうしてボクに?」
『いやあ別に大した理由じゃないよ? ただ日本に無事帰ってきたら、一番にマコトの声を聞きたいなぁ、と思ってたからね。それだけのことさ』
一番に声を聞きたかった。
そんな風に言われ、マコトの心臓は喜びに張り裂けそうになった。この電話に出て以来、マコトの心拍数の上昇具合は今にもストップ高に達しそうな勢いである。これがもし株式なら証券取引所は大騒ぎだろう。
『もしかして、何か取り込み中だったかい?』
「いえ良いんです、別に大した用事じゃないので」
「大した用事じゃなくて悪かったわね!」
たちまちマコトに向かってアカンベーをするカオル。
電話越しでもやり取りが聞こえたのか、ルーシィが大笑いしていた。
『あはは、さてはその声はカオルだね。きみらは相変わらず仲がいいなあ』
「そんなことないですよ!」
「そこまでマジで否定しなくてもいいじゃない……」
思った以上にカオルが深刻に落ち込んだ顔をしていた。こんなことで傷つく性格じゃなかったと思うのだが、と内心不思議に思うマコト。
『何にせよ、マコトが元気みたいで安心したよ。また、いつでも遊びに来ておくれ。待ってるからね』
「はいっ、喜んで!」
『グッバイ、マコト!』
それっきり通話は途切れた。
マコトは尚もしばらく携帯電話の画面を見つめ続けていたが、やがてハッと我に返る形でカオルの方を見る。
「ごめん、何の話だっけ?」
「いいわよもう……バカみたい。ハァ、これじゃウチなんかに関心持たなくて当然か……」
「え? なんか言った?」
「何でもないわよ! とにかく早く学校来なさいよね」
「まあ、ボクなら学校の授業をサボったって大して影響ないしさ……」
「相変わらず、サラッと凄いこと言うわねアンタ」
「本格的に出席日数とか危なくなったら、その時は行くことにするよ」
「はいはい、じゃあもうそれでいいわ。アンタなら実際大丈夫なんだろうし。でもね、ウチが今本当に気になってるのは……もっと別のことよ」
「え、別って……」
「――お待たせいたしました」
ふたりが座る座席の前に、可愛らしいウェイトレス服を着たディアーロイドが一体、知らぬ間に立っていた。額のランプの大きさから見て、最も古い第一世代型だろう。その姿が視界に入った瞬間、マコトは小さく飛び上がるように反応して、慌ててサッと窓際に身を引いた。
カオルはそんな彼の行動に眉を潜めつつもひとまずウェイトレスのロボットに礼を告げると、冷静に二人分のコーヒーを受け取る。ロボが一礼して行ってしまうと、改めてマコトは不機嫌そうに声を潜めた。
「……なんで、こんなとこにまでロボットがいるんだよ」
「そりゃ、いるに決まってるでしょ。アンタ今更、何言ってんの?」
「古そうな見た目の喫茶店だし、人間だけでやってるんだと思ってたのに……油断できないな。今度から気をつけなくちゃ」
「……それよ、ウチが聞きたいのは」
「……」
「マコト……アンタ、いつからそんなロボット嫌いになったの?」
マコトは返事をしない。その代わりに不貞腐れた様に再び窓の外へと視線を移して押し黙る。一方、カオルにはそれが我慢ならなかった。
「いくら何でも、あからさますぎ。あれじゃ、さっきのロボットが可哀相よ。アンタ一番そういうの嫌ってたハズじゃないの。ロボットは機械だけど、道具じゃない……人間の家族なんだって、アンタの昔からの口癖でしょ。それが、こんな短い間に手のひら返すなんて」
「仕方ないじゃないか……だって、父さんと母さんが死んだ原因は……」
「ええ……そう、確かにロボットよ。直接事故を起こしたのはね」
店内というのを加味してか、カオルは強い口調で語りつつも押し殺したようなトーンで会話を続ける。しかしそのことがまた一層、深刻なムードに拍車をかけてしまっていた。
「……複雑な気分になるのは、仕方ないわ。けどそもそもは、運送会社がそのロボットをロクなメンテもしないで五年間、不眠不休で働かせてたことが原因だったんじゃない。ロボットには労基法なんてないけど……そんな状態で働き続けたら故障しない方がおかしいじゃないの」
「だったら何だよ。笑って許せって言うのかよ」
「そんなこと言ってないわよ。ただ、全部のロボットを一括りにして嫌ったり憎んだりするのは、筋違いじゃないかって話よ。言っとくけどこれ、前に似たような事故が起きた時、アンタがウチに言い聞かせた理屈だからね」
「……言ったかな、そんなこと」
「言ったわよ。むしろ、いつも力説してたぐらいじゃないの」
マコトは意地でもカオルの顔を直視しない。それでもカオルは粘り強く問いかける。
「ロボットが故障する時は、人間がロボットの信頼を裏切った結果なんだって……アンタ前にウチにそう言ったわよね。昔はコイツ何言ってるんだろうって思ったりもしたけど……今はアンタの言ってた意味も理解できるの。それが、どうしてこんな風に立場が逆転しちゃってるのよ。どうして、ウチがアンタにこんなこと言わなくちゃいけないの? あの情熱的で暑苦しいロボット馬鹿の五十嵐マコトは、何処に消えちゃったの?」
「そんなもの……父さんと母さんの葬式で、一緒に燃えてなくなったよ……」
「そんなものって――」
「――ッ!」
店の外を眺めていたマコトは、突然息を呑むなり窓の下に身を隠す。まるで誰かの視界から外れようとしているように、酷く怯えた行動であった。
カオルはそれを見て、流石に説教を中断して心配そうな顔をする。
「……ちょっと、どうかしたの?」
「今、見られてた」
「見られてた……って、えっ、誰に?」
「ロボットだよ。今、すぐそこ通った保育士のロボットが……明らかにボクのほうを、ジーッと見つめてた。得物に狙いを定めるみたいに」
カオルは思わず、自らも窓の外をそっと覗き込む。
喫茶店のすぐ目の前の歩道を、保育士らしき姿の人々が幼稚園児を引率してゾロゾロと並んで歩いているのが見える。先頭に立つのは、確かにロボットのようだった。やけにキョロキョロと周囲を見回している風に見えるが、単純に危険が接近していないかと常時警戒モードでいるのだろう。幼児を大勢連れているならばむしろ当然のことだ。
「もう行っちゃったわ……大丈夫よ、考えすぎだからマコト」
「……最近、ロボットに監視されてるみたいなんだ」
「は? 監視?」
思わず声が裏返って素っ頓狂になるカオル。今度こそ目を丸くしている。
「ボクんちの前を、最近やたらとロボットが通りかかるんだよ」
「そりゃ……あの辺は老人ホームとか病院とか、いっぱいあるからね。元々はそういう目的で作られたロボットが殆どなんだし、別にそんな」
「ウチの前で長い時間立ち止まって、ジーッと中を覗き込んでくるんだ。それだけじゃない……こうやって偶に外に出ると、あちこちから視線みたいなのを感じる。振り返ると、そこに必ずロボットがいるんだ。理由は分からないけど……父さんも母さんも、初めからロボットに命を狙われてたのかもしれない。あいつらきっと反乱を企んでる。父さんたちは、事故に見せかけて殺された。きっと次はボクの番なんだ……」
「マコト……アンタきっと、疲れてるのよ」
背中を丸めて爪を噛み、とうとうブツブツと暗い声を漏らし始めたマコトを見かねて、カオルの口調が急速に穏やかになった。気遣っている風だが、妙にムカッときてマコトは顔を上げる。
「理屈ばっかり並べて悪かったわ。ウチも配慮が足りなかった……お父さんに頼んで、出来るだけいい病院探してもらうからさ、薬でも貰って」
「病気扱いすんなよ!」
「だけど……」
「病院なんて絶対に行くもんか。行ったら今度は、ボクが殺される。ロボットたちに、今度もまた事故に見せかけられるとかして……」
「マコト!」
「……カオルには分からないんだよ」
カオルの正論に対する反発もあっただろうが、マコトの言葉が段々と卑屈っぽくなっていく様は誰の目にも明らかだった。
「心配してくれるのは嬉しいけど……所詮、他人事なんだしさ」
「――おじさんとおばさんが死んで、ウチが悲しんでないとかアンタ、まさか本気で言ってんの!?」
我慢の限界に達して、カオルがとうとう大きな音を立てて立ち上がる。
店内にいた客たちの視線が、一瞬でふたりの元に集まった。
「物心つく前から家族ぐるみで付き合って……そりゃ血は繋がってないけど、ウチだって本当の親と変わらないぐらいに思ってたわよ!」
「でも、カオルの父さんと母さんはまだ生きてるじゃないか、ボクの家族とは違ってさ……」
気が付くと、マコトはそう言ってしまっていた。
カオルが絶句したのが、直接顔を見なくても伝わってくる。
「ボクの気持ちが分かるだなんて、そんな……」
皮肉を言ってやるつもりで視線を上向けると、案の定カオルが言葉も出ずに立ち尽くしていた。そこまでは想定内。
けれども、両目にいっぱいの涙を溜めていようとは想定外だった。そこまで大きなショックを受けるとは考えも及ばず、今度はマコトが逆に言葉を失ってしまう番。痛い沈黙だけが流れ続けた。
長い時間が経ってから、遂にマコトは逃げるように視線を逸らした。
「……ごめん、言い過ぎだった」
「……」
「だけど本当にもう、ほっといてくれ」
マコトは返事も聞かず席を立つ。先程ウェイトレスのロボットが運んできたコーヒーも、ほんの僅かさえ口にしていなかった。
崩れ落ちる様に席に座り込んだカオルが、嗚咽を漏らし始める。
元から濃い灰色に染まっていた街の空でゴロゴロという重低音が轟き渡り、やがて滝のような落涙に変わった。




