第05話「グッドバイ・リトル・ムーン」(1/4)
五十嵐邸のリビングで、カオルが目を覚ましたのは数時間後だった。
「ご、ごめんマコト。あんまり驚いたモンだから……」
「いいさ別に。むしろ驚かない方が不思議だよ」
「これどういうことなの?」
現在はカウンターキッチンで作業しているケイの様子を伺いつつ、訝しげな顔つきでこっそりと訊ねてくるカオル。こうなったが最後隠し通すのは不可能だろうと思い、マコトはケイと出会ってからの出来事をある程度オブラートに包んだうえで、カオルに明かすことにした。
教会地下に古い研究施設が存在し、そこにケイが封印されていたこと。
何度か危険な場面を助けてもらい、それ以来一緒に暮らしていること。
エトセトラ。
とはいえ『危険』の内容はせいぜい、交通事故やチンピラに絡まれる程度の規模に下方修正して伝えた。何者かに執拗に命を狙われているなどと話したらカオルのことだ、歯止めの効かない大騒ぎへと発展するのは目に見えている。無闇にこの幼馴染を巻き込む必要はなかった。
「……ロボットだなんて信じられない。本当に珪子さんソックリじゃない」
「メイドロイド・ケイ、って本人は名乗ってるよ」
「メモリーの中とか調べてないの? さっきの話じゃないけど……」
「調べてはみたよ、一応ね……ただ、ボクと出会うより前の記憶は相当強引にフォーマットされた形跡があって、正直まだ何も掴めてないんだ。その影響か分からないけど、動作がすごく不安定でエラーばっかり起こすし。下手するとまた記憶が丸ごとふっ飛んだりしそうで、現状はお手上げさ」
「三十秒が聞いてあきれるわね」
「ほっといてくれよ」
顔をしかめるマコトをよそに、カオルは改めてケイの姿を確認する。
「メイドロイド……ねえ。ウチはてっきり、最近噂になってる例の幽霊騒ぎに出くわしたのかと思っちゃったわよ」
「幽霊騒ぎ? ナニソレ?」
「知らないの? 二か月ぐらい前から、散々ネットで騒がれてるじゃない」
さも常識の様な顔で言ってくるカオルだが、知らないものは仕方がない。
「この街のそこら中でね……ずっと前に死んだハズの人を見かけた、っていう報告が何十件も上がってきてるのよ。ハッシュタグも出来てるし、確かまとめサイトなんかも……」
「悪いけど、最近あんまりネット見てないんだ」
マコトはうんざりした顔つきで手を振った。
「父さんと母さんが事故に遭ったあたりから……色んな連中が好き勝手なこと言ってるの見てて嫌になっちゃってさ。この街の顔みたいな人たちだったからそれなりに敵も多かったし」
「……まあ、それなら仕方ないわね。けどねえ、本当に沢山あるのよ目撃談。ほら、見てよこの数」
「世の中、暇人が溢れてるなあ」
カオルがスマホを取り出して、あるSNSの画面を見せてくれた。
『#ロボシティ幽霊』というハッシュタグが付いていて、数えきれない程の投稿がされていることが分かる。マコトはザッと流し見をしただけでそれ以上は掘り下げる価値があるとも思わなかったが、カオルによる見解はどうも違うようだった。
「中にはね……幽霊じゃなく、ドッペルゲンガーを見たっていう人までいて」
「ドッペルゲンガー!?」
「名前ぐらいは聞いた事あるでしょ。自分ソックリな人間に前触れもなく遭遇して、しばらくすると本人が死んじゃうっていうアレ」
「結局そいつら、安いオカルト話で騒げれば何でも良いんじゃないの?」
「いや、でも実際にいるのよ……自分とソックリな人間を見たって呟いたその直後ぐらいに、ぱったり投稿しなくなっちゃった人。ほら、これとか」
また更に画面をスライドして、別の誰かのアカウントを見せて来ようとするカオル。マコトは半ば閉口気味の態度で、それを遠慮した。
「そんなのどうせ自作自演とか、ただ単に更新する気が無くなったとかだろ。考えるだけアホくさいって」
「そう言う人も多いけどね……でもこの消えちゃった人、それまではアニメやドラマの感想をテレビで放送した直後に必ず呟くっていう、律儀な更新で有名だったの。五年以上もずっとよ。そんな人が、下らない自作自演で一か月以上音信不通になるなんて、ちょっと変かなって」
成程、とマコトは少しだけ納得した。確かにひとりの人間の行動としては、やや不自然であるかもしれない。
「それにホラ、SNSは生存報告って言うじゃない。更新が途絶えた人調べてみたら、ずっと前に病気で亡くなってたのが分かりました……とか。ドッペルゲンガーじゃないにしてもさ」
「……でも今の時代、注目されたい人間なら何をしたって、大して不思議じゃないんじゃないの。とにかく……ボクはそんなの信じないからね」
「アンタも頑固よね……ま、いいけど。それよりあのロボット――ケイさんのことって、他には誰かに話したりした?」
「カオルが初めてだよ、話したのは」
マコトは即答。それから、ケイが訊いていないかどうか入念に窺ってから、声のトーンを落として続ける。
「言っちゃなんだけど、あまり真っ当な目的で作られたロボットとは思えないからさ……それに、こうやって顔見知りに見られると説明面倒臭いし、出来るだけ知られないようにしてるんだ……それがどうかした?」
「ううん……別に、何でもないわ……」
誤魔化すように顔を伏せ、何かよく聞き取れない声でブツブツ言い続けるカオルの態度に首を傾げつつも、マコトは再びカウンターで何かを準備しているケイに視線を戻した。
「それよりも、ボクが分からないのはあの服装と行動だよ……なんでメイド? 学生服とかだったら分かるけど、メイドって。珪子姉ちゃんと全然結びつかないんだよね。それが今のとこ、最大の謎かな」
「……あれっ、マコト知らなかったんだっけ」
「知らない……? って何のこと?」
カオルの発言の意図を掴みかねて、思わずオウム返しにしてしまう。
彼女が本気で意外そうな顔をしているのが、マコトはとても気になった。
「だからメイドよ。珪子さんねえ、そんなに長い時間じゃなかったけど、一度メイド喫茶でバイトしてたことあったのよ」
「メイド喫茶!?」
まるで集音機器がハウリングを起こしたような、素っ頓狂な声をマコトは上げてしまう。カオルが一瞬身を引いていたが、そんなことを気にかける余裕がないぐらい、両の目玉をパチクリさせていた。
「ちょっとマコト、うるさい」
「珪子姉ちゃんが!? 流石に冗談だろ!」
「嘘じゃないわよ。一回、偶然バイト先のお店に遊びに行ったことあるもん。向こうも驚いてたけどね……確か北区の電気街にある、クラシックな雰囲気のメイド喫茶よ。詳しくは教えてくれなかったけど、大切な何かのためにお金を貯めてるんだって、そう言ってたのだけは覚えてるわ」
「珪子姉ちゃんが……メイド……メイド……?」
脳ミソがショートしたように、マコトはうわ言を繰り返す。そのうち脳内で漏電が起きて火災に発展しそうな気分だった。それこそケイみたく、エラーを報告していつ機能が停止してもおかしくない状況である。
「だ、ダメだ、まだなんか頭が追いつきそうにないや」
「ま、家族なんだから一つや二つ、秘密があったって当然よね。お互い、そう何でもかんでも知り合ってる訳じゃないでしょ。おじさんの部屋に隠し通路があるのだって、最近まで知らなかったんだしさ」
「そういうモンなのかなぁ……ああでも待って。考えてみたら、ちょっとだけ心当たりがあるかもしれない」
「へっ?」
「何度か話したことがあるだろ……ほら、珪子姉ちゃんが事故に遭う直前に、物凄く久しぶりに家族全員で遊園地行くことになった話」
「そういえば、前にそんな話してたわね」
カオルが今やっと思い出したように真面目な顔で頷いてくる。
「確か、珪子さん海外留学する予定だったのよね……だから、離れ離れになる前に一度、家族で思い出を作りたかったんじゃないかって、アンタ前にそんな感じのこと言ってたわよね」
「でも実を言うとね、あの頃そんな余裕があるか正直微妙な状態だったんだ。知ってると思うけど、DR技研って元々結構な赤字体質でさ。今だとルーシィねえさんが上手く回してくれてるけど、一時期この家も手放すことになるかもしれない、なんて話が出てたらしくって」
「へええ……そんな追い込まれてたの?」
カオルが本気で驚いた顔をする。
他人の家の家計事情などそこまで詳しい必要はないから、当たり前といえば当たり前の反応である。なにせマコト自身だって、大分後になってから知ったぐらいなのだ。
「まー、おじさんもおばさんも利益は二の次って感じの人だったから、無理もないんだろうけど……そこまでとはねぇ」
「何年も前から計画してた留学の件でさえ危うい状態だったのに、そんな時に家族全員で遊園地なんて考えたら妙な話だろ。だからもしかして珪子姉ちゃんが父さんや母さんを連れて遊びにいくために、自分でバイトしてお金を貯めてたんじゃないかなって」
「有り得ない話じゃないわね。珪子さんって結構責任感強い人だったし、充分考えられると思うわよ」
カオルも賛同してくれているが、実際マコトの知っている五十嵐珪子ならばそんな理由でもない限り、決してメイド喫茶でアルバイトなどしないだろう。ご主人様にご奉仕、などという文化に憧れるタイプでは決してないし、単純にその時目先にあったバイトがそれだっただけの話かもしれない。
とにかくケイを生み出した何者かは、おそらく珪子のアルバイトを認識していたのだろう。外見を似せるだけならともかく、何故わざわざメイド服という要素まで反映させる必要があったのかは不明だが、マコトが思っていたよりも五十嵐家に近しい人物の仕業なのかもしれない。
まさかとは思うが、単なる制作者の趣味ということはあるまい。
マコトの脳裏にまたしても、在りし日の姉の姿がフラッシュバックする。
「……道理でボクが歓迎されなかった訳だよな」
「えっ、なにマコト、何か言っ――」
「――お待たせいたしました、マコト、カオル」
「わあっ!? び、びっくりした……!」
毎度の如きケイの不意打ち出現に、会話にばかり夢中になっていたカオルが飛び上がらんばかりの驚きを示す。彼女は急加速した鼓動を抑える様に胸元に手を当て、ゆっくり息を吐いていた。
ケイにしては、珍しくいいタイミングで現れてくれたとマコトは思った。
「急に近くに立たないでよ……心臓に悪いじゃない」
「申し訳ございません、カオル」
「しっかし、恐ろしいぐらい表情変わらないわね……って、何してんの?」
「お茶の準備が整いましたので」
ケイは、カップをマコトとカオルの眼前にススッと差し出すと、特殊合金製ポットを傾け飴色の液体を静かに注ぎ始めた。全く無駄のないその所作にどうやらカオルは魅了されたらしく、視線が釘付けになっていた。
「どうぞ。メイドロイド特製、プラズマレモンバームティーです」
「へー、プラズ……えっ、プラズマって何!?」
「ボクもそういう反応やったよ、最初の頃は」
「ねえ何で落ち着いてるのマコト!? 何で普通みたいな顔してるの!? ねえ、プラズマって何!? ねえってば!」
戸惑うカオルとは対照的に、マコトはすっかり慣れきった顔つきでズズズとお茶をすすり始めていた。ひと口飲んだ時点でもう大分気分が落ち着いた様子なのは、ちょっと前まで色々とあった所為だろう。このリラックスした表情を引き出すことこそ、メイドの本懐と言うべきか。
一方でカオルは、それを見てもなお次の行動を決めかねていた。
すると迷ってオロオロしていた彼女の元に、ケイが屈みこんできて訊ねる。
「お口に合いませんでしょうか」
「えっ、いや、その……何というかね」
「そうです、またも失念していました」
納得した、とばかりに両の手をポンと打つケイ。
「おまじないです」
「はい?」
「美味しくなあれ美味しくなあれ、萌え萌えきゅん」
またいつぞやのように、両手でハートを作りながら表情は無のまま、淡々とおまじないと称した奇行を繰り広げるケイ。
それを見たカオルは口が半開きのまま硬直していた。
マコトは、もはや悟りの境地のように無言でお茶を飲み続けている。
「……えっと、あの、マコ……」
「美味しくなあれ美味しくなあれ萌え萌え――」
「ごめん飲むわ。ウチが悪かったわ速攻飲むから」
大慌てでカップを持ち、恐る恐るケイの淹れたお茶を口にするカオル。
直後、彼女は何かに目覚めたような顔つきになった。思わず確かめるようにマコトの方を見つめてから、再びもうひと口すする。躊躇などあっという間に消え失せてしまった模様である。
「……美味しいわね、普通に」
「だろ。お茶淹れるのは上手いんだよね……普段はポンコツメイドなのにさ」
「おまじないの効果があったようですね」
「ケイ、寝言は寝てから言ってくれる?」
「スリープモード中、音声機能はオフになっています、マコト」
「言葉の綾だよ、真面目に返さなくていいから」
無表情のままなのに、妙に得意げな雰囲気を纏っているケイだった。
一方のマコトは目を閉じ、更に黙ってハーブティーをすすり続ける。
一部始終を見ていたカオルは、そこでやっと警戒を解いた様に顔をほころばせ、自らもその全てを堪能するように、カップの前で深く息を吸った。
「落ち着く……ちょっと癖があるけど、いい香りね」
「レモンバームに、バレリアンを少々ブレンドしています。バレリアンは不眠解消に効果があり、レモンバームは抗うつと消化促進作用を持ちます。総じて精神的ストレスによく効く成分です。女性の方には特にオススメです」
「へえ、この紅茶、そんな効果あるんだ……」
「紅茶とハーブティーって、厳密には違うらしいけどね」
紅茶は茶葉とハーブを混ぜたもの、ハーブティーは茶葉抜きのハーブのみで淹れたもの、という区別らしいがマコトもそれ以上詳しくは知らなかった。
「なお伝統的に、ハーブは星の力を宿しているという言い伝えがあります」
更にケイはそんな豆知識を披露し始める。
「この場合ですと、バレリアンはふたご座、レモンバームはかに座と関連性を持っており、この時期にはピッタリのブレンドであると考えられます」
「ああ、そういう基準で組み合わせたのか」
「案外……珪子さんがメイド喫茶で働いたのも、それが理由だったりしてね。お店の雰囲気次第だけど、お茶の提供メインでやってる店も多いみたいだし」
「……星と関係してるから、ハーブティーに興味持ってってこと?」
「有り得なくはないでしょ? 確かあの頃、珪子さんが働いてた場所も、そういうコンセプトだった気がするわよ」
カオルに真顔でそう告げられ、マコトはしばし考え込んでしまった。途端にひとりでブツブツと言い出したマコトを見て、カオルは自分で言いだしておきながら早くも苦笑気味であった。
「もうっ、コイツってば、何でもすぐ真面目に考えちゃうんだから。あくまで可能性の話なのに。分かった分かった、今度一回ちゃんと調べてみるわ」
「いつも、マコトと仲良くして下さってありがとうございます、カオル」
「……さっきから気になってたけど、ウチのこと分かるの?」
「マコトの交友関係は、ある程度インプットされています」
さも当然の様にケイは告げる。
「カオルは、マコトとは二歳の時から一緒に行動することが多く、価値観の差こそあれども交友関係は現在まで極めて良好。世間一般でいう『幼馴染み』に該当する関係である、と把握しています」
「腐れ縁ってやつよ。こいつってば、昔から放っておけないんだもん」
「人を子ども扱いするなよ。本当にみんなして……」
ソファに深々と背を持たれて、からかうような目つきを向けるカオル。顔を上げたマコトは迷惑そうに眉間に皺を寄せていたが、本気で嫌っている様子は何処にもなかった。
片やそんなカオルをじっと見つめる、ケイの怜悧な瞳。
「……カオルの体温および心拍数に軽微な上昇を確認」
「えっ!? まっ、まあとにかくっ! ありがとうね、ケイさんも!」
カオルはワザとらしく咳払いすると、パタパタ両手を振り話を打ち切った。
「こんな面倒臭い奴の世話、いつも焼いてくれてさ。ホント大変でしょ」
「面倒臭くて悪かったな」
「もしコイツに何か変なことされそうになったら、遠慮なくウチに言うのよ。すぐにでもすっ飛んで来てあげるからね」
カオルが唐突に妄言を吐き始める。
「変なこと、とは?」
「何ってそりゃ、逆らわないのをいいことにエッチな命令されたりとか」
「キミもルーシィねえさんも、ボクを何だと思ってるんだ!?」
マコトは思わずむせ返りそうになって、慌ててカップを置いて怒鳴った。
「仮にも珪子姉ちゃんと同じ顔なんだぞ。誰がするかそんなこと!」
「さー、どうか分かんないわよ? ねえケイさん、実際その辺どう? まさか服を脱げとか、体を触らせろみたいな命令ってされたことないわよね?」
「はい、そのような趣旨の命令は、現在のところマコトからありません」
当然、ケイはそれがあらぬ疑いであることを淡々と語った。
「全身をくまなく観察されるのは、メンテナンス時のみとなっています」
「なーんだ、つまんな……えっ、メンテナンス」
カオルが急に真顔になって食い気味に身を乗り出してくる。
マコトは今度こそ口に含んでいたお茶を噴き出した。
ケイの人工表情筋は微動だにしなかった。




