第04話「ウェルカム・トゥ・ロボットシティ」(1/2)
多摩ロボットシティに、久しぶりの快晴模様が続いていた。
DR技研の本社ビルは、リコンバレーの先端企業を思わせる全面ガラス張り構造の建物である。晴れの日ともなれば施設は陽光に彩られ、社員たちのモチベーションはまた一段と高くなるものだったが、その日技研を訪れたマコトもまた、家を出た時から何とも形容しがたい高揚感に包まれていた。
「やあマコト、よく来てくれたねぇ!」
「ルーシィねえさ――」
「きみにまた会えて本当に嬉しいよ!」
「わっぷ……」
マコトが返事をするより先に、ルーシィ飛鳥は大きく広げた両腕でガバッとマコトを抱き締めてみせた。柔らかく、温かく、その上力強い感触。それらに包み込まれた瞬間、マコトは頭が沸騰する思いだった。心臓がキュウッと締めつけられそうになる。
しかも身長差ゆえ、マコトの顔は彼女の胸元に埋まる様な形になっていた。思わず相手の背中に回した手に力を籠めそうになるが、ギリギリ残った理性でそれを懸命に抑え込む。これはハグだ。あくまでも、挨拶。
「……る、ルーシィねえさん、恥ずかしいですよ」
「おっと、ごめんよ。けど喜ぶなっていう方が無理な相談さ……最近マコトが引きこもってるって聞いてたからね、ぼくは心配だったんだよ。でもまさか、自分から会いに来てくれるなんてね。良かった良かった……」
最初は面食らったマコトだったが、その口ぶりと笑顔で、相手が心から安堵してくれているのが分かって嬉しくなった。自身もハグを返そうとしたがまだ若干照れの方が大きく、結局ほんの小さな力を腕に籠めた程度だった。
「……心配かけてすみませんでした、ルーシィねえさん」
「無理もない話さ。謝る必要なんてないよ」
マコトは身を離して、改めてルーシィと向かい合う。
ゆらゆら揺れる金髪のストレートヘアに、理知的な印象を与えるハーフリム眼鏡のアクセント。高身長かつ、頭の上から足の先まですらりとしたラインの持ち主で、白衣を着ていなければカリスマモデルだと言って紹介しても通じるだろう。
年齢はもう二十代後半のハズだが、化粧っ気がまるでないにも拘らず、素の顔立ちでそれより三~四歳は若く見える。この美貌がどう維持されているのかマコトは知らなかったが、とにかく彼女が若々しく美しいのは確かだった。
加えて人当たりもよいのだから、本当に非の打ちどころがない、どこまでも完璧な女性。少なくとも出会ってからのこの十年間、マコトの中でその印象が変わったことはただの一度もなかった。
「……ぼくの顔に何かついてるかい?」
「いえっ、あのっ、何でもないんです、あははは」
まじまじと見つめていたのがバレそうになり、マコトは必死で取り繕う。
もしかしたら、頬を赤らめていたことに気付かれたかもしれない。マコトはしばらくルーシィを真っ直ぐ見られそうになかった。
「まあ、ずっと立ち話もなんだし奥へ行こうか」
ルーシィは、自らのオフィスにマコトを案内した。
訪れるのはいつ以来か。感無量で入室したルーシィの部屋は、彼女と同じく太陽、そして花の香りが充満している気がした。気付かれないよう、こっそり深呼吸。やってしまってから、我ながら気持ち悪い、とマコトは自嘲する。
「今日はそもそも、何の用事で来たんだい?」
「ああいえ、別に用という程のことはないんですけど……何か久しぶりに気になっちゃったんですよ。最近は新型ロボットの開発、進んでいるのかなって。ほら、父さんとか母さんがいた頃は、殆んど毎日新しいアイデアを聞かされて過ごしてましたから、妙に飢えちゃって」
「そうだねえ……あの二人は理想を追うのに熱心だったから。ぼくもね、あの二人がいなくなったというのが未だに信じられないぐらいだよ。心にぽっかり空白ができた気分、っていうのかな」
ルーシィは一転して、微かに寂しそうな微笑みを浮かべた。彼女がマコトの両親と共にしてきた時間は、実質マコトよりも長い。マコトが寂しいならば、ルーシィもそれ以上に深い喪失を抱えていて当然だろう。
「もしよかったら、今進めているプロジェクトの一覧とか見せて貰うことって可能ですか? 勿論、機密上の問題がなければ……ですけど」
「ああ、いいとも。今制限を解除するから、そこのタブレットで自由に見るといいよ。マコトを相手に、今更機密もへったくれも無いだろ?」
「すみません、ありがとうございます」
小さくウインクしてみせた、ルーシィのお茶目さにまた心癒される。
マコトがその日DR技研を訪れた目的。海外から帰国したルーシィと久々に話したかったのもあるが、最大の動機は謎のメイドロイド・ケイと敵の正体を探ることにこそあった。というのも現状で最も考えられるケイの出自が、技研内部の造反勢力による開発だったからである。
あくまで噂に過ぎなかったが、DR技研の主力製品を福祉ロボットから軍事ロボットに路線変更すべきだ、と唱える一派がいるのをマコトは聞いたことがある。開発済みの特殊合金や人工知能を兵器開発に転用すれば、莫大な利益が見込めるからである。とはいえ余りにも分かり易い、絵に描いた様な構図ゆえマコトも半信半疑であり、両親の会社がそんな暗部を抱えているなど信じたくない気持ちも手伝って、あまり真剣に考えたことはなかった。
だがケイに搭載された尋常ならざる兵器とテクノロジーの数々を見るにつけ無視することも出来なくなったのである。技研内部の急進派がマコトの両親を邪魔者と判断し抹殺した、というのなら一応話の筋は通っていたし、こうしてルーシィの協力を得ることで怪しい動きがないかどうか、少しでも探ることが可能だったからだ。
「どうだいマコト、何か興味を惹かれそうな内容は見つかったかい?」
そうやってマコトがしばらくの間、タブレット操作に熱中していると、背後からルーシィが面白そうな顔で覗き込んできた。振り返った拍子に顔と顔とが触れ合いそうになり、マコトの鼓動が急加速する。声が上ずりそうになるのを必死に抑え、マコトは努めて冷静に見解を述べた。
「こっ、こうして見るとなんというか……だいぶ昔に比べて海外展開を視野に入れたプロジェクトが多いですね。ルーシィねえさんの主導ですか?」
「ああ、そうさ。人間に限りなく近いという意味で、ディアーロイドは画期的だが本質は工業製品だ。売れないことには次に繋げようがないし販路も出来るだけ広げておかないといけない。ぼくだって元々、経営戦略の顧問として技研に招かれた訳だしね」
ルーシィはおどけた様に両手を上げてみせる。
「安全基準や倫理面の問題がからむとより複雑になるのさ……マコトは知っているだろうが、現状のディアーロイドのシェアは八割方が国内、それも半分は大幅な規制緩和と専用インフラの整備を実現した、このロボットシティ内のみときている。一発何か大きな勝負にでも打って出ないと、理想倒れで終わってしまうよ。それだけは避けなければならない」
「……うーん。分かってたつもりですけど、やっぱりルーシィねえさん色々と大変なんですね」
「あるいは、マコト自身が何か提案してみてもいいよ。出来るだけ海外受けの良さそうなものだとなお有難いかな……まあ、そんな簡単にアイデアが浮かぶなら世話はないんだけどね。思いつきでも構わないからさ」
そう言われて、マコトは一度本気で考え込んでしまった。
ふと、ケイの無表情が頭の中に浮かんだ。姉の珪子そっくりな不思議メイドロボットは、ビル一階のエントランス部で待機させてある。彼女は今どうしているだろうか。一瞬でもそんなことを考えた所為で、マコトは思わず口走ってしまっていた。
「……メイドのロボット、とか……」
「…………」
「……あ、あれっ、ボク今何て言いました!?」
「あっはっはっは、成程メイドか! まさかそう来るとは思わなかったよ!
」
一瞬だけ真顔でこちらを見つめてから、膝をバシバシ叩いて豪快に大笑いし始めるルーシィ。マコトはさっきまでと全く違う理由で赤面した。
「マコトにしては凄く面白い発想だ!」
「いいい今のはナシ、ナシです! ただちょっと思い浮かんだだけなんです、忘れてください!」
「あはははははは、ごめんよ。だけど本当に不思議だねえ、堅物のマコトからそんなアイデアが飛び出すなんて。何かあったのかい?」
「いや、その……アニメ! そう、最近そういうアニメ流行ってるんですよ、ロボットのメイドがヒロインのやつ。それをこないだ偶然見ちゃって、それを思い出して。たははは」
しどろもどろな上に、若干言い訳としては苦しい気もしたが、マコトの知る範囲では限りなく無難な回答だった。何はともあれ、この場は一応誤魔化しが効いたようで、ルーシィは真顔で頷いていた。
「確かに、日本のサブカル要素を組み込むってのはひとつの手かもしれないな……まあ、何にせよ倫理的な問題点をクリアする必要はあるだろうけどね」
「え、メイドが倫理面に引っかかるんですか?」
「何せディアーロイド自体、その大半が女性型モデルという時点で、発売当初から一部に批判的な声が上がり続けているぐらいだ。どこぞの人権団体がこっちのデータや説明をまるっきり無視して大騒ぎするの、見たことあるだろう」
ルーシィはため息交じりにそう言った。
「人間は男女問わず、自分をアシストする存在に女性型の声や容姿を望む傾向があると、実験や心理学的見地からハッキリしている。実際販売初期のモデルは男性型と女性型を同数生産したのに、注文の九割は女性型モデルに殺到した……ユーザーの約半数が当の女性にも拘わらずね。ディアーロイドが現在まで女性型モデルに注力しているのはそのためだ。データに基づいた販売戦略を、性差別呼ばわりされちゃ堪らないよ」
「男性型の声や容姿だと、人間が反射的に警戒心とか威圧感を抱いてしまうんでしたっけ。育児とキャリアを両立したい女性が、自分の代理として女性型のモデルを買うって話は聞いた事があります。あと確か、明確にどっちとも言えない中性型モデルを作るべき、なんて意見も聞きますよね」
「中性型ロボットも、着地点を見つけるのが非常に難しい案件だよ。そもそも機械であるロボットに、性別という概念は存在しない。だから人工知能にせよボディにせよ、強引に男女の枠に入れること自体が望ましくないとする見解は存在するし、それ自体は至極真っ当な意見だ。しかし今度は『政治的社会的に最も正しい中性とは何か』という問題が生じる。当事者の主観と同じだけ基準がある以上、結論から言えばそんな規定をすることは不可能だ。実際の人間に近づけるなら尚更ね」
「ディアーロイドの性差って、結局どうやって決めているんでしたっけ。搭載する人工知能は、男女とも同じものをプログラムしてあるってのは知ってますけど」
「一応各モデルとも、声や体型は年代別の平均値を割り出して再現したものさ……あくまでも人間を安心させるための、外見上の記号としての役割に留まるようにね。とはいえ、あまりに画一的すぎてトラブルが報告されているのも、無視できない事実だ。実はね、今見て貰ったリストにも載っていない、最新のプロジェクト案があるんだが」
「へえっ、どんなのです?」
愚痴混じりの苦笑顔から一転、何やら自信ありげに口元を歪めたルーシィの様子に、マコトは生来のロボットオタクぶりを発揮して身を乗り出す。どんな内容であれ、最新の計画には興味が尽きない。
「分かりやすく言うと、ディアーロイドが自ら裁量可能な領域を増やすのさ。例えば今、彼らの一人称は『私』で統一されているが、経験の蓄積によって、それらを任意に変更可能にするシステムを組む。後は一定の条件さえ満たせばボディの調整、つまり体型や性別の変更、改造を格安で受け付けられるようにする。ディアーロイドがより人間に近い形で、アイデンティティ決定を可能にしていくんだ。関係各所との調整は不可欠だが、これにより更なる……」
ルーシィは尚も語り続けそうな勢いだったが、丁度そのタイミングで彼女がつけていた腕時計が音を鳴らし、ふたりは現実世界に引き戻される。
「おっと……時間のようだ。悪かったね、マコト。いつの間にかどんどん話が逸れてしまっていた。この話はまた今度ゆっくりとしたいものだよ」
「いえ……結構楽しかったから、大丈夫です」
「とりあえず、さっきの案は参考意見として記録に残しておくよ。案外、執事ロボットとセットにして売り出せば、バランスを保ったまま需要に応えられるかもしれない」
「恥ずかしいので忘れてください、ルーシィねえさん!」
マコトの必死の懇願に、ルーシィはまた楽しそうに笑うばかりだった。
「さてと……済まないがぼくは、今日はこれから大事なミーティングで出かけなくちゃならない。こっちこそ、短い時間だったが楽しかったよ。最後にまだ何かあるかい?」
「……実は気になってることが――」
「――マコトの脈拍・体温ともに軽微な上昇傾向を確認」
「うわあっ!?」
いつの間に現れたのか。ケイが音もなく、何の気配も示さずに、気付いた時には真後ろに立っていた。ほんの耳元で囁くような声を聞かされて、マコトは思わず飛び上がってしまう。驚かせた当人は眉ひとつ動かしていないのが余計腹立たしかった。
「運動直後でないにもかかわらず不可解です。マコト、体調不良ですか?」
「びっくりした……キミは、いつからそこに立ってたんだ!?」
「三十秒ほど前からです」
「せめてもっと早くに声かけてよ、心臓に悪いじゃないかよ」
「幾度か呼びかけましたが、会話に夢中で応答がありませんでしたので」
「っていうか、どうやってここの鍵開けたのさ。ほら、ちょっとこっち来て」
マコトは大慌てでケイを引っ張ってその場を離れると、声を潜める様にして矢継ぎ早に小言を繰り出す。
その日のケイは、服装はいつも通りだが、頭の上に珍しく帽子が乗っかっていた。黒地に白っぽいフリルのついた、彼女のメイド服と色合いのマッチする大きめの品である。母の遺品から拝借したもので、それを目深に被らせることによって、ケイの容姿が外部から分からないようにしていた。事情を知らない人間からすれば、彼女の存在は甦った死人そのものだからだ。
「大体、キミを見たりしたら、ルーシィねえさんまでびっくりしちゃうだろ!? 何のために下で待たせてあったと思うんだよ……」
「ですがマコト、私の監視可能圏内からマコトが姿を消して既に三十分以上が経過しています。必要以上に距離を置かれますと、万が一の場合」
「あああもう融通利かないんだから相変わらずこのポンコツメイドは」
「それはそうとマコト、脈拍と体温が上昇傾向にあるのは一体どのような」
「いいから、ちょっと黙っててくれ……」
「おや、おやおや~?」
背後から何やら、からかうような声がして、振り返るとルーシィがニヤニヤしていた。恐れていた事態だ。、マコトは、慌ててケイを自分の後ろに隠そうとした。
「マコト……きみ、いつの間にメイドロボットを手に入れたんだい? さてはその格好、きみが観てるっていうアニメのヒロインのコスプレだろう?」
「い、いえ、何でもないんですよ、これはただ」
「急にメイドとか言い始めて妙だなぁ、とは思ったけど……」
……なぜだろう。どうやらケイが姉にそっくりだと気付いた訳ではなさそうなのだが、その含み笑いはマコトにとって、別の意味でよからぬ方向に誤解を生んでしまっているような、非常に嫌な予感を抱かせた。
「な、なんですかその顔、ルーシィねえさん?」
「そっか……マコトも気が付けばそんなお年頃か、うんうん……」
「……はい?」
「それじゃ、ぼくは本当にこれで失礼するよ。また今度ね、マコト」
「ちょ、ちょっとルーシィねえさん!?」
手を背中側にひらひら振って、笑いながら去って行くルーシィ。
その後ろ姿に奇妙なまでの危機感を覚えて、マコトはすぐにでも後を追って誤解を解こうとした。ところがその時、突如としてケイに服の裾を掴まれ歩みを止められてしまう。
「な、なんだよケイ、こんな時に。どうかしたの?」
「マコト……つかぬ事を伺いますが何故、先程から『ルーシィねえさん』と」
「今そこ重要かな!?」
「ですが、私が未だにお姉ちゃん見習いにも拘わらず、他の方をお姉ちゃんと呼ばれるのは一体どのような理由なのかと。もし宜しければ、私とあの方との差異を具体的かつ簡潔にご教授願いたく」
「仕方ないだろ、昔からそう呼んでるんだから!? ……まさか怒ってる?」
「怒っている訳ではありません。それについては一目瞭然かと」
「いや分からないよ、キミ表情変わらないし!」
終始鉄仮面フェイスで服を掴まれていたら、むしろ怒ってると感じる人間の方が多数派ではないだろうか。いや、とにかく今はそんな場合では。
「あっ、そうだマコト」
「はいっ、何でしょうかルーシィねえさん!」
その時、遠くで足を止めたルーシィが急にこちらを振り返って言った。
「自分のロボットにどんな格好させても自由だけど……逆らえないからって、あんま彼女にえっちな真似しないようにねぇ。じゃ、グッバーイ!」
「しませんよッ、何言ってん……ちょっ……待っ……ルーシィねえさァん!?」
誰もいなくなった廊下に、マコトの悲鳴が虚しくこだました。




